喪失者
六日目。
連合軍には武器の補充や兵力の増員、医療品の調達など、様々な問題が浮き出ていた。魔法陣のために医療魔術師などは手が離せず、度重なる戦闘による負傷者は増える一方であった。
先の戦闘でオーク・エルフの戦士は疲れ切っており、彼らの穴を埋めるのは並大抵ではない。人間国家軍がついに前面に立つこととなった。彼らが敗れれば、魔法陣はほぼ丸裸になってしまう。
団長クロヴェイルなきラトナ騎士団や消耗の大きいハンノ=イヴリス軍などが夜の間に戦場に配置されていた。
人間国家軍を指揮するのは、かつてのトローア王セウス。神々の後方からの指揮に対し、彼は前線での指揮を担当する。
「まさか、伝説の英雄とともに並べるとは、光栄であります」
隣に立つのは、アクスウォード第一王子カッシート。その言葉にセウスは応える。共に生き延びよう、と優しく声をかけたセウス。カッシートは微笑むと、弟王子たちとともに、敵襲に備えた。セウスのほか、第二の剣聖、ミアベル=ツィリアや名のある将軍や英雄、騎士が馳せ参じている。バラルの黎帝、ハンノ=イヴリスのダラス少将、アルムッシャ公国のタイロン大公、流浪の騎兵シャット=クロー、ディエゴ男爵。彼らの心はただ一つ。滅びゆく世界の救済。そして、平和である。偽りの『神』からのエデナ=アルバを取り返すという、願いのために。
陣形を整え、『喪失者』への準備を整える連合軍。その連合軍の前に、それまでも莫大な数を誇ってきた軍勢が現れる。だが、今回の敵はすぐにこちらを攻撃しない。威嚇するように唸り、様子をうかがう。
そんな影の大軍の中から、一人の青年が現れる。半身が闇に覆われた『喪失者』の首領、ケルビムである。
『エデナ=アルバに生きる者たちよ、見事だ』
ケルビムは全軍に届く声で喋る。そこには素直に称賛の色があった。
『我らを相手に、よくぞここまで果敢に戦った。我らも、久方ぶりに充実した戦いを行えた』
だが、まだ足りない。もっと血を、もっと死を、破滅を。ケルビムは顔色を変えず、言う。
『このケルビムが誓おう。貴様ら全てを根絶やしにしようと。そして、宇宙の深淵に沈め、この世界ごと』
そう言い、ケルビムが片手を上げた瞬間、『喪失者』の大軍が動き出した。小型、ヒト型、巨人型、キメラ型、ドラゴン型、そして新たな『喪失者』戦車型。もはや生物とは思えない、重装甲型のそれは猛然と人間たちに突っ込んでいく。魔術障壁を展開するが、それすらも容易く破壊し、戦車型は進む。
人間軍は陣形を崩され、そのまま乱戦に持ち込まれた。影が命を蹂躙し、光を覆う。
『ギャアアアアアアア!!』
『グルワァァァァアァァァアァァァァ!!!』
恐怖におののき、逃げ出そうとする兵士たちにセウスは叱咤する。
「ここを引いてどこに行くというのだ?退路はすでにない。戦え、我らの世界のために。たとえ世界が滅ぼうとも、我らの意志を見せるのだ!我らの誇りを!!」
そうだ、とセウスの言葉にカッシートや黎帝が言う。英雄たちも負傷しながら、その不屈の闘志で一歩も引くことなく戦う。兵士を庇い、己の命さえ辞さずに。
自分たちは、『喪失者』などには負けない。意志なき人形でも、『神』に操られる駒でもない。恐怖は彼らを縛ることはできない。絶望に、彼らは負けない。たとえ死すとも、それは明日の子どもたちのため、世界の未来のため。死は怖くはない。恐れるべきは、恐怖と絶望に屈すること、諦めること。
とはいえ、人間軍の劣勢は明らかであった。
消耗が激しく、戦うことの困難な負傷兵や魔族軍もこの戦いに参戦する。魔神たちも、完全回復を待つことなく戦線に復帰した。
今ほど歯がゆい時はない、と神々は思う。その中で冷静に戦局を見るアンセルムス。大魔法陣完成まで、一日を切った。
もう少し、もう少し持ちこたえてくれ。そうすれば。
その時、空を白い何かが覆う。空を見上げる。
翼の魔神、アミテリアがそこにいた。遥かな上空より、大魔法陣に向かって攻撃を仕掛けるつもりだ。
上空からの攻撃に対し、大魔法陣は丸腰だ。
「敵だ!」
叫び声が上がり、上空への攻撃が開始されるが、そもそも高度が高すぎる。弓はおろか、魔法ですらも届かない。
「くそ!」
ミランダがミストルディアの展開をする。アンセルムスはそれをやるな、と言う。だが、と返すミランダをクロヴェイルがなだめる。
「どうやら、あの魔神の相手は彼がするようだ」
そう言い、空を見るクロヴェイル。
空に浮かぶアミテリアは、ふと自分の背後に気配を感じ振り返る。その向こうには、一人の魔神が立っている。
魔神ハーイア。
「アミテリア、決着をつけよう」
「・・・・・・」
言葉はない。翼の魔神は明確な敵意のみを彼に向ける。
剣翼の魔神は、おそらくこれが最後の戦いになると感じていた。
失われた片翼を、今日こそ取り戻そう。この時を、どれほど待ったことだろう。今回はアミテリアも逃げる気はないようだ。膨れ上がる魔力が、空を歪めた。
白い翼が広がる。剣翼を展開し、魔神ハーイアは飛翔する。
前線で戦線を押し上げ、敵を切り伏せていくレヴィア=ツィリアとミアベル=ツィリア。二人の剣聖のほかにも、英雄たちが戦っている。
カッシートと彼の弟たちは優れた連携で次々と敵を打ち倒し、アクスウォード軍の実力を見せつける。それに負けじと、黎帝率いるバラル、ダラス少将の率いるハンノ=イヴリス軍も戦う。膨大な数の敵を前に、彼らは一歩も引かない。
そんな状況を面白そうに見ていたケルビムが、ついに歩み始めた。彼に向かってくる敵を彼は軽く押した。彼はただ触っただけだった。だが、触られた兵士の内臓は破裂に、骨が飛び散り、肉が爆散する。血に塗れながら、それを舌でなめとり、ケルビムは笑う。指を鳴らしただけで、兵士が数人はじけ飛んだ。
ケルビムの危険性を、セウスはすぐに察知した。アレを放置していてはならない。万の敵よりも、アレは危険だ、と。
そう思ったのは、セウスだけではないようだ。
ハウシュマリア、大宗主、キュレイア、二人の剣聖もまた、同じであった。彼らは頂上へと向かおうとするケルビムの前に立ちはだかる。神々を除けば、この世界最強の面々の登場にもケルビムは表情を崩さない。
『フム。我を止めるには、少し戦力が足りないようだが?』
「その強がり、何時まで続くかな」
ハウシュマリアが武者震いして吠える。フフ、と笑うケルビムは余裕そのものであった。『喪失者』の放つ、圧倒的なオーラを感じながらも、彼らは退きはしない。
「進みたく場、我らを倒していけ」
セウスの言葉に、ケルビムはそうさせてもらおう、と笑う。
膨大な悪意をその身から解放し、滅びの使者の身体が変化する。半身は人間のそれだったのが、闇に覆われる。そして、影に完全に変わる。大きさはさほどではないが、その身に宿る力は、幾万の『喪失者』に匹敵する。背中から生えた三本の腕が不気味にカチカチと鳴り、犠牲者を求めた中空を彷徨う。死の旋律を聞き、ケルビムはその真紅の眼を爛々と輝かせた。
世界を滅ぼすもの、ケルビム。『監督者』ですら恐れさせる存在が、その力をついに披露する。
ケルビムの姿が消えた。かと思うと、彼は魔神ハウシュマリアのすぐ真横に立っていた。気が付かなかったハウシュマリアが腕を振るうが、ケルビムはその腕を背中の三本の腕でつかむ。そして、呼び動作なしにその右腕を引き千切った。
「ウがァァァァァァ!!」
無造作に千切った腕を投げ捨て、ケルビムは嗤った。ハウシュマリアの胸に右手を当てる。その指が触れるか否か、と言う距離で衝撃波が放たれる。ハウシュマリアの身体が爆発に巻き込まれる。
ハウシュマリアはダメージを追いながらも、根性で立っていた。彼は顎を限界まで開き、ケルビムの首筋にかみつくが、その首を落とすことはできない。魔神の顎を砕き、五本の腕から放たれる容赦のない攻撃でハウシュマリアの意識を刈り取った。
ハウシュマリアに止めを刺そうとするケルビムの前に、ようやくその動きについて行けるようになった他の面々が立ちはだかる。ち、と舌打ちをし、ケルビムは他の者を見る。レヴィアをはじめ、彼らは目の前の存在に自分たちがかなわない可能性を思い知った。
キュレイアの後方支援を受けながら、セウス、ミアベル、レヴィア、大宗主は一斉に攻撃を開始した。
セアリエルの斬撃も、剣聖の技も、大宗主の力も、ケルビムには遠く及ばない。ケルビムの身体はすぐに傷が修復し、数秒前と何ら変わらない完全な状態に戻る。
ケルビムがミアベルの前に立ち、その手を振り上げる。命を刈り取るであろうその一撃は、ケルビムの後ろに現れたハウシュマリアの攻撃により中止された。
『おや、生きていたか』
「クックック、やってくれたな・・・・・・落書や野郎」
ハウシュマリアはそう言い、千切られた右腕を傷口に当てる。魔力を活性化させ、骨を無理やりにつなぎ、肉を構成しなおす。痛みを堪え、魔神は傷を修復する。
「ここまで我を傷つける相手とは会ったことがない。面白い」
闘争心をむき出しにするハウシュマリア。彼には恐怖よりも、強敵と戦える喜びが勝っているようだ。
なるほど、こういうものもいるのか。ケルビムは愉快そうに笑い、背中の三本の腕をカチカチと鳴らす。
『ますます、絶望を味あわせてやりたくなる』
ハウシュマリアを加え、英雄たちは再び『喪失者』ケルビムに挑む。
大魔法陣発動まで、数時間を切った、と報告があった。魔術師カリカルチュアやアテナが急ピッチで仕上げを行っている。
魔方陣を守る連合軍の様子は、各所で苦戦を強いられており、今にも戦線が崩壊する危険性のある場所も多い。
首領ケルビム、魔神アミテリアはどうにか押さえているものの、それ以外にも強力な敵はいる。『喪失者』ワムピュール、ケレブネムリタといった、次元世界を揺るがす大物までいるのだ。
名だたる英雄も、無名の騎士も、皆、信じる者のために戦い、そして死んでいった。
驕り高ぶる『喪失者』ワムピュールは戦線に空いた大きな穴を通じ、魔法陣に迫ろうとした。だが、彼の前にシレン王ネフェリエが立ちはだかった。
ワムピュールは俊敏であり、シレン王を手玉に取った。そして、彼女の命を奪う一歩手前まで言ったが、その時、彼女の娘ネルグリューンの張った魔術の罠にはまり、ワムピュールは消滅した。名の知れた『喪失者』は勝利を目前にし、驕り高ぶり、自ら破滅したのだ。
ケレブネムリタは決して油断はしなかったが、カッシートらアクスウォードの王子たちによって倒された。とはいえ、彼もただで死ぬことはなく、アクスウォードの将兵と、カッシートの右腕である二男ナウプリアモスの命を道連れにした。
そうして太陽が沈み、また陽が昇る。ついに、七日目に突入した。
『神』はまさか連合軍がここまで耐えきるとは夢にも思っていなかった。あの『喪失者』相手に引くことなく戦うなど、いったいどのような覚悟がなせることなのか。それが、『神』にはわからなかった。
『神』も誰も、この戦いの結果はもはやわからない。
大魔法陣発動一時間まで迫る。
これで狩った、と言うわけではないが、『神』への道が開ける。ようやく、神々も戦えるのだ。
早々に『神』を倒す。そうすれば、『喪失者』もこの世界から消える。『神』の将兵に応えてやってきた彼らは、その『神』がいなくなれば、この世界に存在する理由がなくなり、世界の強制力で排除される。
それまで、もう少し頑張ってくれ。神々は心の中で思う。
その時、魔法陣の作業をする魔術師の一人が叫びを上げた。神々がそちらを見ると、ひとりの『喪失者』が魔術師を食い殺していた。ガブリ、と魔術師の身体を貪り食ったソレは、大きく叫んだ。
アンセルムスはソレを見て、目を見開く。この気配を、間違えることはない。彼とともにいた時間は長く、どれほどあの不快な笑い声を聞かされたことか。
「ハザ」
その名を呟くと、ハザは自我すらないはずなのにそれに応えるように叫び、アンセルムスに向かってくる。アンセルムスを倒させるものか、と神々が立ちふさがるが、それを押しのけるように叫ぶハザ。強大な力が神々を押し飛ばし、アンセルムス以外を威圧感で縛り付けた。誰も動けない中、アンセルムスは『神殺しの刃』を構え、ハザを見る。
異なる世界より、『神』に招聘され、利用された、哀れな男。その結果、このような姿になるとは。
思えばハザも、自分とはまた違う『祝福されぬ者』だったのだろう。
ハザが叫ぶ。アンセルムスにはまるで、殺してくれと懇願しているようであった。
突進する魔神ハザであったもの。アンセルムスは剣を構えた。アンセルムスはハザに吹き飛ばされ、地面に倒れる。そんな彼を殺そうとしてくるハザ。もはや獣と化したハザには、隙があった。アンセルムスは迷うことなく、自分を殺そうと向かってきたハザの胸部を貫いた。
その叫びが止まる。そして、ケタケタと笑い始めた。その姿は、『喪失者』のままであったが、彼は意識を取り戻したようであった。
『よぉ、アンセルムス』
「ハザ」
力なく言葉を発するハザは、アンセルムスを見る。
『ザマァねえな。この、俺が・・・・・・』
「・・・・・・」
アンセルムスの突き刺す刃をより深く自分の胸に突き刺すハザ。だが、ハザは死ねなかった。
生命力も強くなっており、今も再生しようとしている。だが、『神殺し』の力でその身体は徐々に崩壊を始めていた。
『てめえに頼みをするのは癪だが、アンセルムスよォ、・・・・・・・・・殺してくれ』
懇願するハザに、アンセルムスは静かに頷いた。
学札を引き起こし、世界を波乱に陥れた魔神の最後にしては、それはあっけないものであった。だが、元々のハザは、きっと、本当に平凡な死を迎えていたのだろう。
このような苦しみも、このような後悔も何もなく、ただ、平凡な死を。それがどれだけいいことか、それを彼はやっと思い知ったのだ。
ただ、彼は誰かにとっての特別でいたかった。ただ、認めてほしかった。自分がここにいることを、自分のことを、波佐士郎のことを。両親や、一族や、世界に証明したかった。ただ、居場所がほしかった。誰からも文句を言われず、誰からも認められる。
けれど、それも結局、できなかった。
『よぉ、俺の生きてきた意味って、あったのかよ』
こうやって死んで、誰の記憶にも残らねえ。そんなのは、あまりにも惨めだろう。憎悪ばかりを集め、そして死ぬ俺に同情も、憐憫も何もない。この世界も、俺には優しくなかった。その言葉に、アンセルムスは沈黙を返した。
こうなったのは、波佐の行いのせいでもあり、彼自身の招いた結果であるからだ。だが、そのすべてをハザのせいにはできない。『神』に目を突き得られなければ、彼がこの末路を辿ることはなかったのだ。
アンセルムスは剣を抜き、魔神の首目がけて振る。その、哀れな一生を終わらせるために。首を切り落とす前に、魔神ハザは最後に笑った。自嘲するような笑み。目に位置する場所からは、ただただ、滴が零れている。泣きながら笑うハザの首に、『神殺し』が突き刺さり。
そして、二度と彼の口が不快な笑みを浮かべることは、ついになくなったのだ。
波佐士郎は今度こそ完全な死を迎えた。
哀れな青年の末路に、アンセルムスは何かを感じたが、その思いを決して溢すことはなく、胸にしまった。ハザであったものは、風に吹かれ、崩れていく。灰と化し、消えていくその身体。その跡には、何も残らなかった。
「さようなら、ハザ」