迷える者
神器を最期に手に入れて戻ってきたゼル一行。その間に地上世界では二週間の時が過ぎていた。
二週間の間に、『喪失者』はまだ数こそ少ないものの、中央大陸まで進出するようになってきていた。『神』による世界の終末を食い止めるためには、これ以上ゆっくりもしてはいられない。
『神』の居城、『焦がれの聖域』への大転移術は、現在、中央大陸のオリュン山において着々と進んでいる。魔女アテナ、セアノの魔術りカリカルチュア、それにエノラ、セラーナ、リナリー、クローリエといった魔術師が日夜その魔法陣を作り上げている。『神』によって強固な守りとなる、遥か上空の城への道を斬り不落第術式が完成するのは、おそらく一週間後。それを潰すために、『神』もあの手この手を尽くすことだろう。それも考え、中央大陸には動かせるだけの世界中の戦力が集結しつつあった。
魔族国の要塞、アルトリザリコンをはじめ、セアノ王国の魔導兵器ゴゥレムも配備されている。ドワーフからの資材提供のおかげでアルトリザリコンに本来装備されていたはずの魔力砲も一部は使用可能になり、ゴゥレムの耐久性も改善されている。そのほか、各国、各大陸から軍団が集まっている。魔族軍、人間の連合軍、シレンのエルフの弓隊。名前を上げるだけで霧がないほどだが、それでも『喪失者』を防ぎきれるかは正直、アンセルムスにも想像はつかない。
「凄まじい光景だな」
「おそらく、この戦いののち、二度とこのような光景を見ることはあるまい」
様子を見て呟くクロヴェイルに、腕組みをしてアンセルムスは答える。総数は何十万、であろう。正確な数は把握できていない。
「『喪失者』のまとまった一団は、徐々にだがこちらに向かいつつある。恐らく、接触は早くて三日後」
ミランダの報告に、ううむ、とクロヴェイルは唸る。最悪でも、一週間はかかる魔法陣だ。三日となると、かなり厳しい。『神』との戦闘も考えると、極力13人の神々が表に立つことは避けねばならない。
「かなり弱気だな、神々よ」
不敵に笑い近づいてくる獅子頭の魔神ハウシュマリアは、楽しそうな笑みを浮かべている。
「『凶星』か。楽しそうだな」
「それはもちろん、死に場所を求め我は生きている。これほどの戦いとなれば、血湧き、肉踊らぬはずはない」
そうか、とアンセルムスは返すと、ふと目線を山頂よりわずかに離れた場所に向ける。そこではキアラが魔族軍に対して指示を出しているのが見える。そのアンセルムスの視線をたどり、キアラの姿を確認したクロヴェイルは「話さなくていいのか」と問う。
何を、と返すアンセルムス。
「お前が記憶を取り戻してから、あいつとまともに会話していないんだろう。マキノ、いや、キアラも何も言わないが気にしているはずだ」
「わかっているさ」
アンセルムスはそう返した。だが、今更どういう顔で彼女に会えと言うのだ。
輪廻の中で、何度彼女を殺し、傷つけたことか。今更、愛しているだの、都合のいいことが言えるだろうか。それに、彼の胸の中には未だナターシャがいた。彼女のことを振り切るまでは、キアラとは離さない方がいい。それは彼女に対しても、死んだナターシャに対しても不誠実だと思うから。
アンセルムスの内心を察したクロヴェイルは「相変わらず、お前は自分だけで解決しようとするな」と言う。黒髪の青年は沈黙を返す。
「そんなに俺たちは、お前の役には立てないのか」
クロヴェイルが問う。今の時代では敵味方で憎み合っていたが、かつて天上にいたころ、二人は親友であった。きっと、他の神々異常に分かり合えていた。性格やその司る者は正反対でも、彼らは確かに友として互いを認め合っていた。
アンセルムスはいいや、と首を振る。
「だが、これは俺のけじめの問題だ」
そう言ったアンセルムスはクロヴェイルとミランダのもとを離れていった。
神器は揃った。だが、未だアンセルムスの力は戻らない。ほかの神々は、ヒトの肉体に持ちうるだけの力は取り戻している。だが、アンセルムスだけは未だ常人にも劣る、無能力者のままであった。『神』によって、何重もの呪いを受けたアンセルムスの力が戻るなどとは、彼も期待はしていなかった。
『神殺しの刃』。その最大の切り札を使えるのは彼だけだが、それを使うには彼は弱すぎた。知略も、『神』の前では児戯に等しい。それでも、戦わねばならない。たとえ死すとも、約束を果たすために。
ここまでくる間に、戦いの中で死んでいった者たちのために。アセリア、スヴェイル。その他多くの罪なき犠牲者のために。
「兄さん」
考え込むアンセルムスのもとに、エノラとクィルが現れる。
お前たちか、とアンセルムスは見て顔を空に向けた。二人も空を見る。
「決戦まで、あと少しですね」
「ああ」
エノラの言葉に、気のない返事を返す。クィルはアンセルムスに言う。
「お前も悔いのないように過ごせよ。一週間後、俺らは激戦の中にいる。誰がいつ死ぬか、わからないんだから」
つまりは、キアラとのことを言っているのだろう。大きなお世話だ、とアンセルムスは言う。
「お前らも、ヒトのことは言えないだろう。生き残れ。生まれてくる子供のためにもな」
そう言い、アンセルムスはエノラを見る。エノラは驚く。
「微かだが、心臓の鼓動が聞こえる」
「そうか、そうか・・・・・・!」
クィルは喜び、恋人を抱き寄せた。エノラも、その喜びを分かち合う。アンセルムスは立ち上がると、その二人の傍を離れた。ここにいるには、アンセルムスは暗闇にいすぎた。
歩くアンセルムスは、クローリエとタムズを見つけた。シレンの王、ネフェリエとその娘ネルグリューンと親しげに談笑している。あの二人も、エルフの親子も、十分すぎるほど苦しんだ。
アンセルムスに気づき、タムズが小さく頭を下げた。クローリエも目くばせしてくる。アンセルムスは静かに片手を振り、歩いていく。孤独な背中にかける言葉を、彼らは持っていなかった。
ゼル・マックールは婚約者との逢瀬を終え、バーティマの代表として今は振舞っている。短剣を手にし、彼は今やかつてのアポクリフに戻っている。
アンセルムスを見て、ゼルが近寄ってくる。
「何をしている」
ゼルが聞いた。
「何も」
「寂しい奴だな」
そう言ったゼルは、なあ、憶えているか、とアンセルムスに言う。
「あのバーティマ革命から、もう半年だ。長いようであっと言う間だった」
「ああ、長かったな」
ゼルたちとは違い、アンセルムスは繰り返してきたすべての記憶を引き継いでいる。だからこそ、その実感は隣のゼルよりも数段強い。こうして、共に手を取り合うまでに、どれほどの物を犠牲にしてきただろう。
「俺はまだ、お前を許してはいないんだぞ、アンセルムス。ほかの皆もな」
「・・・・・・」
アンセルムスのもたらした傷は、未だ深く大きい。彼の存在が、世界を結束させた一面もあるが、彼がいなければ、あれほどの戦火が広がることがなかったのだ。
ゼルは静かに言った。
「だから、死ぬなよ。何があろうとも、生き延びて贖え。・・・・・・俺が言いたいのは、それだけだ」
彼の言葉を重く受け止め、アンセルムスはまた一人で歩きだした。
リナリーとリクターの二人は何やら話し合っている。もとより「水」につながりの深い二人は、あまり神話では触れられていないが、互いに恋人関係にある。リクターの転生前のクオンタも、元々そんな様子は見せない神であるから、意外に思えてくる。
恋人、というには少しばかり冷ややかな関係に見えるが、それが二人の距離感である。
わざわざこちらから話しかけることもあるまい、とアンセルムスは静かに歩き去っていく。途中、リナリーがそれに気づいたが、アンセルムスの思いを汲んだリクターが声をかけるのを止めた。
ユグルタ・ヌマンティウスは失った片腕の調整を終えていた。ドワーフのもたらした魔術結晶をイーリオンに調整してもらったのだ。機械人形レノックスの技術も提供され、元の腕と見た目も使い心地も変わらなくなった。試に、と自身の神器である弓を持ち、射撃をしていたユグルタは、その視線のはるか先を一人で歩くアンセルムスを見つけた。アンセルムスはユグルタに見られていることには気づいていない。
贖罪のため、一人でいようとするアンセルムス。その姿は、あまりにも哀し過ぎる。
彼のためにも、『神』を倒さねばならない。もう、彼だけを『神』とは戦わせない。
矢は狙った的の中心を射た。ユグルタは腕の調子も上々だと最終決戦への意気込みを強くした。
歩くアンセルムスの前に人影が立つ。アンセルムスがそれを見ると、そこにはもう一人の自分がいた。アンセルムスはそれが幻だとすぐに分かった。
「なんだ、俺を惑わせると本気で考えたか、『神』よ」
『いいや』
もう一人のアンセルムスは冷笑を浮かべ首を振る。
『貴様は私が今更何を言おうと止めはしまいな』
「勿論だ」
『ならば、全力で叩き潰す。この世界の真の支配者が誰かを、その魂に消えない傷として残してやろう』
そして、再び輪廻の中で踊れ、と。
アンセルムスは『神殺しの刃』を振るう。幻影は消え、耳障りな神気取りの異物は消えた。
『待っているぞ・・・・・・』
「・・・・・・・・・クソッタレ」
悪態をつき、アンセルムスは唾を吐いた。『神殺しの刃』を振るい、鞘にしまうとまた歩き出す。
「アンセルムス」
声をかけてきた虹色の髪の少女。そして、その後ろにいるのは、アンセルムスが避けてきたフォクサルシアの少女であった。
大方、他の物から話を聞いた虹色の髪の少女のおせっかいか、とアンセルムスはため息をつく。アンセルムスにとっては姪にも当たるこの少女に、アンセルムスはそうまで強く出ることができない。彼女には、アンセルムスの抱える闇も孤独もすべて見せてしまっている。この少女を説き伏せるのは、不可能であった。
「逃げないで、アンセルムス。ちゃんと向き合って」
ミアベルが言う。相変わらず、眩しい瞳。闇に慣れてしまったアンセルムスにとって、少女は眩しすぎる。親友ヴォーヴンを思い出し、彼は苦笑した。彼女の後ろで、キアラはぎゅっと服の裾を握っている。フルフルと黄金色の綺麗な耳が動いている。
アンセルムスはふぅ、と息をつくと、わかったよ、と言う。
「ミアベル、お前も後悔がないようにな」
「言われなくても」
そうアンセルムスに言い、キアラに「頑張って」と言い、虹色の髪の少女は去っていく。
いつの間にか日は暮れ、夜の帳が下りようとしている。ずいぶん長い間、自分は彷徨っていたようだと今更になって実感する。
頭を掻き、アンセルムスはキアラを見る。
「キアラ」
「アンセルムス様」
変わらぬ呼び方。神々のころより、なぜか自分に「様」をつけてくる。変わらないな、とアンセルムスは笑う。
「すまなかった」
そう言い、頭を下げる。影が伸びた。キアラが戸惑いの声を上げ、アンセルムスに止めるように言う。だが、アンセルムスにも意地がある。
「まだ、俺は俺自身を許せない。だから、もう少しだけ待っていてくれ。この戦いが終わったら、もう一度、俺はお前と向き合えるだろう」
「・・・・・・」
キアラは口を閉じ、アンセルムスを見る。美しい瞳が輝く。闇の中でも、その輝きは一際輝いて見えた。
「わかりました」
キアラが、沈黙の後に口を開く。彼女は諦めたように笑っていた。
「私は、何時までも待ちます。アンセルムス様が自分を許せるようになるまで、いつまでも、いつまでも」
少女は笑い、そして寂しげに涙を溢した。不甲斐無いと思う。だが、自分を偽ってまで生きることができるほど、アンセルムスは器用じゃない。
彼女に背を向け、アンセルムスは歩き出す。決意は揺るがない。
首に下げた指輪を指で弄り、彼は目を閉じた。