魔弾ミストルディア
猛吹雪のラーシェ大雪原をミランダは進む。魔神ハウシュマリアとともに、この大雪原を彷徨うこと早一週間近くになる。商業国家パラメスを拠点に、まずはハウシュマリアの住む洞窟から捜索し、そこからさらに範囲を広めて捜索を続けているが、未だ槍やその手がかりの発見には至ってはいない。
パラメスの傭兵やハンノ=イヴリス軍、ラトナ騎士団の兵力も投入しての捜索を続けている。幸い、ラーシェ大雪原に棲む魔者たちは魔神ハウシュマリアに恐れをなし、また外海より攻めてくる『喪失者』のせいで人間たちを襲っている暇もなかった。『喪失者』もこの北の豪雪に阻まれ、イヴリスへの侵入は遅れている。
「早急に見つけ出さなければな」
『喪失者』も迫りつつあるし、他の者たちも神器を見つけ出すであろう。最終決戦までに神器を見つけ、少しでも勝てる見込みを高くしたい。ゼレチアの槍、ミストルディアは同じく神であるクオンタの神槍には単純な槍としての性能では劣るが、狙った相手に必中する、という特性を持つ。ありとあらゆる法則を捻じ曲げ、必ず相手に届く、というものだ。もっとも障壁や相手の力で貫通力は変わるが、それでも外れることはない。
また、所持者をあらゆる病から守る力を持つ。幻覚や毒と言ったものも弾き返す、というものである。
魔術の媒介としても優秀であり、それがもとで勇者クレオはハウシュマリアの封印に彼女の神器を使ったのだろう。
「ハウシュマリア、他に怪しい場所はないのかしら」
ミランダの問いに、さぁな、と獅子頭の魔神は答える。戦い以外に興味のない彼は、今の今まで封印については考えもしなかったという。そう言うこともあり、魔神は槍の位置をわかっていないし、推理することすら放棄しているようにさえ見える。
こうしている間にも、終末までの時間は迫っている。
ミランダは歯がゆい思いをしていた。
あの槍失くして、仲間たちとともに立つことはできない。今のミランダは弱い。かつて神であった彼女よりも、心も体も。愛しきクロヴェイルにこれでは顔合わせできない。
ああ、とミランダは空を見た。いつの間にか吹雪はやみ、しんしんと降る雪だが、この後天気は荒れるという。まったく厭になる、と思った。
隊の侵攻を一時止め、休息に入ると、ミランダは一人、隊から離れ周囲を見る。見渡す限り、変わり映えのない銀世界しか見えない。
どこにミストルディアはあるだろうか。
その時、声が聞こえた。
(こっちだ)
ミランダは顔を上げ、周囲を見るが、遠くに隊が休んでいるだけで人の姿はない。
(違う、こっちだ)
再び、声が響く。どうやら彼女の脳裏にだけ聞こえているようだ。声の導く方向と思われる方へと向かうと、そうだ、と肯定する声がした。
(誰だ)
ミランダが問うと、誰でもない、と声は言う。
そのまままっすぐ進め、と言う声に従い、ミランダは進む。その時、風が吹き、足元の雪がふり払われる。そして、ミランダは小さな悲鳴を上げた。
彼女が立つ場所は、薄い氷であり、下には湖があった。氷がひび割れ、ミランダの足元が不気味な音を立てる。
逃げなければ、これは何かの罠だ、そう悟ったミランダだが、そんな彼女の足元が崩れた。ガシャン、と。
ミランダは冷たい湖の中に落ちる。足が引きずられる。ゴホゴホと咳をし、助けを呼ぼうとしたが、できなかった。
(こっちだ)
氷の海の下で不気味な、姿なき怪物が言う。それは、とても生命体とは思えぬ、不気味な闇であった。それこそが、『喪失者』であった。
『喪失者』のリーダー、ケルビムの片腕を称する、アグラーメント。他の『喪失者』とは違い、この極寒の環境化にも対応可能な、上位個体である。
彼は罠や拷問を好む性質があり、こうしてミランダを引きずり、喜びを感じている。
(死ね、死ね)
思念がミランダの頭に響く。息ができなくなり、ミランダは意識が飛びそうになる。だが、ここで意識を失えば、一生意識は還らないだろう。
(離せ)
武器は手放してしまい、もはや湖のはるか下に行ってしまった。ミランダはもがき苦しむ。
諦めろ、と悪魔は囁く。
諦めろ、そう言った声が、父の言葉と重なる。
女でありながら、騎士となると言った彼女に、父はそう言った。父にとって、彼女はただの政略道具。より良い相手と結婚させ、ライケ一族を反映させる。それが、彼の願い。それに反発したミランダは、どれだけ父に叱られ、打たれたことか。
それでも、騎士を諦めなかったのは、彼がいたからだ。クロヴェイル・ラウリシュテン。自分が唯一敵わなかった男。そして、初恋の人。神々の頃よりの、恋人。
彼女にとってクロヴェイルは太陽であった。
クロヴェイルに挑み、敵わないと知った。けれど、不思議とそれは厭ではなかった。彼は嫌味なく、ミランダのことを認めてくれた。女としてではなく、騎士として、仲間として。
そんな彼に、ミランダは追いかけるのではなく、並んで歩きたいと思った。
だから、諦めなかった。何があろうとも。
父に逆らい、自分の意志を通した彼女を、クロヴェイルは祝福した。
『君を、歓迎するよ』
そして、ラトナ騎士団の副団長として彼女を抜擢した。若すぎる、女だ、と言う周囲の反対を押し切り。
その恩に、まだ報いてはいない。まだ、彼とともに並んで歩けてはいない。まだ、終われない。『神』を倒し、呪われた宿命を断ち切り、見果てぬ明日へと――――。
(ならば、返しましょう)
声が、した。アグラーメントとは別の、声。優しい青年のような声であった。
(誰?)
問いかけると、その声は答える。
(勇者クレオ、と人は言う)
クレオ、と言う名にハッとしたミランダ。クレオは死んだはず、と言うと、確かに、と彼は答える。
(けれど、僕の魂の一部はこうしてここであなたを待っていた。そう、あなたに返すために)
脳裏に光が浮かび上がり、槍のイメージが浮かぶ。捻じれた特殊な形状の槍。先端は二つに割れ、鈍い鋼の光を放っている。ミストルディア、と彼女が言うと、その通り、と彼は返す。
(今こそ返そう、ゼレチア。あなたが再び、秩序を取り戻すために)
勇者クレオはそう言い、消えた。役目を終えた英雄の魂は消えると同時に、一時的にアグラーメントの呪縛を解いた。その瞬間、ミランダは光に手を伸ばした。それは、確かな感触があった。
彼女の目は、槍を見ていた。彼女の手は、確かな感触があった。
ミストルディアは、再び彼女の手の中に戻ったのだ。
槍がどこからともなく湧いたことにアグラーメントは疑問を抱く。そして、急に力が抜けたことに。だが、再びミランダに向かい、神器を手にしたミランダを始末しようとしてきた。神器を手に入れたミランダを遊びではなく、真剣に殺そうと。その姿は巨大な魚のようになっていた。無数の甲殻類の腕のようなものが蠢く。ミランダは水中を泳ぐが、何分相手の方が早い。逃げずに身を翻し、槍を構える。水の中でも、彼女は呼吸なしで射られた。ミストルディアが彼女に空気を与えてくれているからだ。それに、極寒のミズの中でも、暖かさがあるために、いくらでも水の中に居られた。
アグラーメントが迫る。
ご、と口を開くアグラーメントを躱し、ミランダは槍を構える。そして、その背中に向けて槍を放つ。
アグラーメントはそれを避けようとした。ミランダの投げた槍は、水の中では非常に遅く、アグラーメントには遅すぎるように見えた。だが、それはアグラーメントの動きを読んでいたかのように軌道を変え、ぐんと速さを増した。
ぎょっとしたアグラーメントの身体を、捻じれた二又の槍が貫いた。
がああ、と叫ぶ魚の化け物。ミランダは戻れ、と念じると槍が戻ってくる。槍を掴み、ミランダが水中を出る。後を追うようにアグラーメントも水中を出ると、そこで待ち受けていたミランダが槍を投擲した。
影の身体を切り裂く槍。アグラーメントはまた叫ぶ。
氷の大地に降り立ったアグラーメントは無数の脚を動かし、ミランダに迫る。ミランダは槍を構えながら躱す。
このままでは倒しきれないな、と思ったミランダは、槍に念じた。捻じれた槍が、ぴんと伸びて二又に沸かれた先端が一つになる。優に人間の背を越えた大槍と化したミストルディア。それを構え、ミランダは迫りくるアグラーメントを見る。
(そんな槍で俺を倒せるものか)
嘯くアグラーメントは、無数の腕と牙を向ける。ミランダはその瞬間、槍を投げた。
ヒュン、と槍が宙を斬り、大地を抉り、遠くの山に大きな穴を開けた。アグラーメントは自分の身に何が起きたかわからなかった。彼は、自身の核が砕かれたことに全く気付かなかった。
純粋な戦闘力では男神には敵わないゼレチア。しかし、彼女がそれでもなお、秩序の女神であるのはその槍のおかげである。
槍の加護をすべて解除し、槍を長大な弾頭に変える。そしてそれを放った時、槍は最強の武器と変わる。
絶対貫通の槍と化すのだ。
アグラーメントはそんなことは知らなかった。そして、彼女が手に入る前に、確実に殺しておくべきであった。
『喪失者』は体を維持できず、黒い泥となって氷の湖に落ちていった。
遥か彼方より戻ってきたミストルディアは元の形よりも若干小さくなっていた。あの技を使用後は、その力が非常に低下し、槍の性能も下がる。
戦神クオンタの槍と違い、安定した使用ができないのがネックである。とはいえ、『神』との戦いでは切り札の一つともなりえる神器である。
これで、一歩、勝つための条件がそろった。ミランダは銀世界を眺める。もう、勇者クレオの声は聞こえない。彼が何を思い、この地に槍を持ってきたのかはわからない。だが、そんなことはもうどうでもよかった。
「帰ろう」
あの人や、仲間の待つ場所へ。
やるべきことはまだまだあるのだ。
槍を持って彼女は隊の方向へと戻る。
ふむ、とケルビムは顎に手を当てる。アグラーメントを犠牲に、あの槍の力を見れたことは大きな収穫だ。アグラーメントは無数の手足の一つ。本人は片腕を称しているが、そんなことはないのだ。まだ『喪失者』にはアグラーメント以上のものなど吐いて捨てるほどいる。今回は、様子見でしかないのだ。アグラーメント程度に倒されれば、それまで、ということだ。
さて、これは面白い、とケルビムは笑う。神器入手の妨害を言われたが、そんなことはケルビムは関係ない。ケルビムは滅ぼすにしても、ただ滅ぼすのではなく、強者と戦いたい。それに、今更妨害をして必死になるなど、三流のすることだ。『神』を仮にも名乗るなら、どっしりと構え、挑戦者を待てばいいのだ。それが、神と言うものだ。
もっとも、とケルビムは空を見る。所詮紛い物の『神』に過ぎないアレは、そうもやってられぬのだろうな、と。哀れな使命感で狂った輪廻を繰り返すだけのシステム。これほど滑稽なものもあるまい。
ケルビムも、他人のことは言えないが。にやりと笑った青年は、ミランダの去りゆく背中を見送るとその場を去った。