過去からの刺客
黄泉の世界、というのは現在でこそ「父なる神」によって支配される地獄のような世界であるが、もとはクドラ・ニドラの双子の女神によって管理されていた世界である。その頃は罪人達も存在せず、魔物の魂を保管するだけの場所であった。風景も、もっとのどかなものであったのに、とセラーナは思う。
咎人たちはこの二人の生者を多少不振がっていたが、特に気にすることはなかった。聞かれたことには答え、それ以外の場合は無視していた。セラーナたちが捜す「杖」について聞かれると、咎人達は決まって最下層にある、と答えた。
咎人は地獄に落ちた時、真っ先に最下層の審判の間で裁かれるのだという。そしてそこで地獄への滞在期間も決められ、罰も決まるのだという。
最下層の地獄の番人が持つ杖こそが、セラーナたちの言う杖ではないか、と言う。
クドラの杖の正式な名称は『不可蝕の杖』と言う。この杖は武器としてよりはクドラの魔術の補助道具的な扱いであり、クドラの持つ膨大な知識と魔力に繋がることで複数の魔術を同時展開可能となる魔術道具である。武器と言うよりは、身体の一部と言ってもいいだろう。
クドラ以外も使用はできるものの、その場合は単なる杖でしかなく、魔力を多少底上げする程度でしかない。それでももつものが持てば、強力な武器になる。その番人がとんでもない力の持ち主であれば、苦戦は必至であろう。
「地獄の番人、か。『神』の手先であろうから、そうやすやすとは渡しはしまいな」
「そうでしょうね、けれど必ず持ち帰らなくてはならないわ」
そうしなければ、世界はまた終わってしまう。せっかくここまで思い出し、世界はまとまっているのだ。もう一度、それをなかったことにして永遠の牢獄に囚われ続けるなどまっぴらごめんである。
二人は歩く。永い階段を下りながら、おぞましい罰の数々を見た。吐き気すら催すその罰に、セラーナは目を逸らす。
「酷い」
セラーナはそう言い、『神』を倒したら彼らの魂を解放してあげようと思った。罪に対して十分すぎる罰を受けているのに、未だ転生の輪に還れないなど、それではあまりである。
何時間歩いたかわからなくなってきたとき、ようやく終わりが見えてきた。とはいえ、そこまでもまだだいぶ距離がある。最下層に近づくにつれ、溶岩が近づき、温度が上昇する。熱すぎる湯気と、邪悪な魔力が二人を苦しめる。
時折、咎人に混じって魔物がおり、二人の侵入者に向かってきたが、そう言った者たちはセアリエルによって切り払われた。神々の神器ほどではないにしろ、セアリエルもまた伝説級の代物である。本来の力を取り戻した剣の前には、地獄の鬼どもも敵ではなかった。
血に飢えた魔物どもは、地獄の炎に焼かれて死んでいった。
黄泉の国の最下層、審判の間に降り立った二人は広間を進み、億の扉を開いた。重い扉の向こうには祭壇があり、そこにおぞましい化け物が存在していた。
『ほぉう、これは懐かしい顔を見たな。トローアのセウスか』
セウスを知る口調で顔を向けた化け物は、ぎょろりとした七つの目玉でセウスを見る。何十歩恁麼の腕と、グロテスクな肉の塊にセウスはそれが誰なんかわからなかった。
「何者だ、貴様は?」
『俺がわからないか、まあ、それも仕方あるまい。貴様によって殺された俺は、この黄泉の世界で言葉通りの地獄を味わった。だが、そんな俺はこの杖を得て、この地獄の王となったのだ』
「不可蝕の、杖・・・・・・!!」
化け物が持つ杖は、飾り気のないユグラドの樹で作られた杖である。見た目はただの杖であるが、それを使っていたセラーナはそれが一目でわかった。
『我にひれ伏せ、我が名はアルカード・ゾディアンッ!!』
アルカードと名乗った化け物はそう言い、杖を掲げると強力な魔術が放たれ、地獄の業火がその先端より出でる。セラーナは魔術障壁を張り、それを防ぐ。
「アルカード・ゾディアン、か」
「知り合い?」
「かつて、私が滅ぼしたフロイデン帝国に仕えた騎士だ。私が倒したが、奴はアテナや死霊魔術師イングと手を結び、闇の力に溺れた。再び私は奴を倒したが、まさかこのような場所にいるとはな」
セウスに対する憎しみは強く、人の肉体もプライドも捨てて戦いを挑んできた。祖国を滅亡させたからではなく、自身の欲望の邪魔をされた、ただそれだけの理由でアルカードは自身を魔物に変えたのだ。
その邪悪さはより強くなっている様子だ。
「だが、奴は気づいていないようだ。君のことも、このセアリエルの力も」
「そのようね」
魔術は強力だが、その程度で二人を倒せると考えているようではたかが知れている。
セラーナは複数の魔術障壁を展開する。
「同時展開できるのか」
「ええ。不可蝕の杖がなくとも、それくらいはできるわ」
そう言ったセラーナがセウスに目くばせする。
「行って、セウス。魔術は私が対処する。あの怪物から杖さえ奪えばここに用はないわ」
「わかった」
セウスはセアリエルを構え、奔りだす。セラーナに魔術を向けながらも、アルカードはセウスに対しても魔術を放ち、複数の異形の腕を迫りくるセウスに向けた。
カマキリのような鎌の腕が迫る。セウスはセアリエルを振り、その腕を切り落とす。
「げひゃあ」アルカードが叫ぶ。セアリエルで切り付けられた傷は、修復せず、焼けつくような痛みがしていた。
「何故再生しない!?」
邪悪を払うセアリエルは、アルカード程度の化け物の力を殺すことができるのだ。魔神には及ばないアルカードの力では、セウスは止められない。セウスにはまだ、戦うべき敵がいる。かつての親友バルドバラス。彼との決着をつけるまでは、倒れるわけにはいかない。そして、セラーナのためにも。
ひい、とアルカードは悲鳴を上げた。図体ばかりでかくなり、威張り散らそうともその魂の卑小さは代わりはしないものだ、とセウスは思った。
魔術障壁や妨害の魔術はセラーナによって打ち消されていく。焦るアルカードは杖でセウスを攻撃した。不可蝕の杖に、そのような武器としての性能は求めてはならないのに。
セウスはその杖を腕で受け止めると、アルカードの腕を切り落とし、杖を奪った。そして、それを後ろのセラーナに投げ渡す。
「セラーナ!」
セラーナは飛んできたそれを受け取った。アルカードが取り返そうと動き出すが、セウスにより足が切られており、思ったように動かせない。愚鈍な肉塊がもぞもぞと動く。
セウスが剣を構える。そのセウスにアルカードは命乞いをした。
「ま、待ってくれ、こ、殺さないで・・・・・・」
「アルカード・・・・・・今度こそ、お別れだ」
そう言い、セウスはアルカードの頭部を一刀両断した。醜い肉塊が膨れ上がり、破裂した。
セウスとセラーナは目的を達し、審判の間を出た。二人の前には、地獄の支配者が死んだことで次の支配者になろうという魔物どもがうようよと押し寄せてきていた。流石にアレを相手にしていては身体が足りない、と言ったセウスに対し、セラーナが笑う。
「セウス、下がっていて。特大のものをかますから」
そう言ったセラーナは取り戻した不可蝕の杖を構える。そして、高速で魔術を複数展開し、それを解き放つ。時間にすれば、十秒にも満たなかった。解き放たれた閃光が、地獄の悪鬼どもを包み込む。複数の魔術を組み合わせて作られた即席の魔術であるが、その威力は絶大であった。咎人の魂を巻き込むことなく、ただ悪鬼どもを消滅させる閃光。咎人たちは、その光を見てなぜか救われた気持ちになった。
地獄を覆っていた炎は消えうせ、邪悪な魔力も消えた。地獄の底に沸いていた溶岩は、今は透き通った水に変化していた。
「すべてが終わったら、またここに来ましょう」
セラーナはそう言い、地上へと向かう道を戻っていく。
あと少しで地上と言う場所で、先を走っていたセウスが止まり、セラーナもその歩みを止め、前方を見る。地上への門の前に立ちふさがる、二つの影。それは、二人にとって因縁の相手であった。
「やはり、手に入れたか。不可蝕の杖を。だが、それを持って地上には帰れないぞ、セウス、クドラの転生者」
「バルドバラス、セリーヌ・・・・・・!!」
黒い甲冑に身を包んだバルドバラスと、黒いドレスを着たセリーヌ。『神』との戦いの前に、顔を合わせるだろうとは覚悟していた。
「・・・・・・セウス、決着をつけよう」
バルドバラスがそう言い、魔剣グラシャラボラスを構えた。セウスは静かに目を閉じ、開いた。そして、腰の鞘からセアリエルを引き抜いた。
「ああ、バルドバラス。ここで、終わりにしよう」
「セウス」
歩き出すセウスの背中に、セラーナが声をかける。
「あなたに、勝利があらんことを」
「御意、我が女神よ」
セウスはそう答えると、バルドバラスのもとに向かっていく。それを見守るセラーナの足元に、突如茨が生えて彼女を引きずる。
「セラーナ!?」
「安心しろ、セウス」
バルドバラスが言う。いつの間にか彼の隣にいたセリーヌはいない。
「我が妻が転生者の相手をする。お前はお前の心配だけしていればいいのだ、セウス」
「バルドバラス・・・・・・!」
セウスは歯を食いしばり、友を見た。セラーナならば大丈夫だと自分に言い聞かせた。今はバルドバラスとの戦いだけを考えろ、と。
「行くぞ」
その重い鎧に身を包みながらバルドバラスは軽やかに動く。セウスはセアリエルを構えると、向かってきたバルドバラスの剣を受け止め、つばぜり合いする。憎しみに染まった瞳がセウスを見る。
セウス達の戦う場所より離れた場所に、セラーナは連れてこられた。茨を操る魔神セリーヌは、自分と同じ髪色の少女を見る。
「あの二人の邪魔はさせないわ。そして、あなたをこのまま生かして返す理由もない。死んでもらうわよ、御嬢さん」
魔神の言葉にはいそうですか、とセラーナは従うつもりはない。不可蝕の杖を握りしめ、強い視線で魔神を睨むセラーナに、怖い目ね、と魔神は笑う。
しばらくにらみ合った後、二人は同時に魔術を展開し、その魔術がぶつかり合った。もう一つの戦いが、今始まった。