そして青年は友に誓う
アンセルムスの終わらない絶望の風景を、沈黙して見つめるほかないミアベルを見て、アンセルムスは渇いた笑みをこぼした。
神としての生を終えたアンセルムスの魂は、転生の輪の中で新たな魂として生まれ落ちた。だが、その魂には『神』の呪いがかけられていた。スキルを持たず、彼の周囲には不幸が起こった。彼自身はそうして不幸のもととして迫害された。流浪の果てに、世界への呪詛を吐きながら彼は死んでいった。
その次の人生も、そのまた次も、碌な生き方、死に方をしていなかった。信じたものに裏切られ、迫害され、そして死んでいった。死ぬときはいつも一人で、彼は常に孤独であった。彼を愛する者たちは、彼にかけられた呪いや『神』のいたずらで死んでいった。
そしてそれは、今も変わらなかった。
アンサズ・ルフス・アクスウォードとしての記憶が始まった。理解者なき孤独な王宮での生活。王宮から逃げ出した先も、彼の地獄は終わらなかった。騙され、死にそうな目に遭い、人を疑いながら生きてきた。人から奪うことを憶えた。
そんな彼を受け入れてくれたナターシャとその家族たちも、やはりアンセルムスの前から去っていった。運命の過酷な仕打ちが舞っていた。
彼女たちの復讐のために、絶望の中でアンセルムスは剣を握った。そして復讐を果たした。そのうちに彼は考えるようになった。この運命を押し付けた『神』への反逆を。彼の本能は知っていたのだ、『神』こそが真の元凶だということを。
けれど、彼は間違った方向に進んだ。本来救うべき世界を、自分自身の手で破滅させる方向へと。それこそが、『神』の最上の喜びをもたらすシナリオであるとも知らずに。
挙句の果てに、世界を滅ぼし、全てを思い出した彼は、自殺を図った。その結果生まれたのが、ミアベルの育った世界であったのだ。
それを何千、いや、数えきれないほど繰り返してきた。そのすべての記憶を『神』はアンセルムスの魂に刻み込んだのだ。
ミアベルは床に手を突き、咳をした。吐き気がしたが、どうにか飲み込むと顔を上げ、アンセルムスを見る。
卑屈に笑う青年は、滑稽だろう、と笑う。
「結局俺がしてきたことは、奴の掌で踊っていることだけ。俺がしたことは、何もかも無駄なんだよ」
「・・・・・・」
「ミアベル=ツィリア、理想を抱くな、夢は幻に過ぎない。この世界はもう、奴の手からは逃れられないんだ」
「そんなことはない・・・・・・!」
ミアベルは叫ぶ。あの滅びた世界で生きた母の想いも、師の想いも、アンセルムス自身の想いも、何もかもが無駄だったなんて、そんなことは言いたくはないし、彼に言わせたくもなかった。道を誤り、『神』の手で踊らされていたとしても、それは彼の善意から出た行為のはずだった。人を愛し、世界を愛した13番目の神、アンセルムス。世界の悪意と真実を司った彼が諦めては、このまま何も変わらない。
「今、歴史は変わっている!より良い方向に、あなたが辿ってきたどの世界よりも」
「それでも、無駄だ!奴には敵わない、アレは外から来た存在。我々では、敵わない」
言に一度、彼は敗れている。いや、一度ではない。何度も、何度も敗れてきた。
その思いを、理解できないわけではない。あれほどのことを繰り返し、今なお狂わないだけでもアンセルムスの心は強い。
「あなたが諦めたら、もう誰もこの世界を救えない!アンセルムスッ」
「俺には、できない・・・・・・わからないんだ・・・・・・ッ」
叫び、自分を抱きしめるように彼は床に膝をついた。「わからないんだ」もう一度呟き、彼は身を震わせた。
ミアベルは剣聖剣を携えたまま、立っていた。
「世界蛇のコアならば、勝手に壊せばいい。・・・・・・ちょうど、お前たちの仲間が辿りついたようだからな。あとは勝手にしろ」
そう言い、アンセルムスは短剣を首に当てた。
「アンセルムス!」
「さらばだ、ミアベル=ツィリア」
その剣が首に刺さる前に、何かがミアベルの横を突っ切り、アンセルムスのもとに行ったかと思うと、短剣が弾かれ、床にカランと音を立てて滑る。呆然とするアンセルムスの前に、黒装束の男が現れた。
「シャンクシー、ションク?」
「アンセルムス様」
息を切らしながらアンセルムスの前に立つシャンクシーションクは、顔を隠す頭巾を取る。大きな顔の刻印を持つ白髪の青年は、忠誠を誓った相手を見る。
「救われなかった多くの魂に、安寧を与える・・・・・・あの時、私に語った言葉は嘘だったのですか。多くの犠牲を払い、失ってきた。それでも成し遂げようとした。そのあなたの想いは、偽りだったのですか。私の信じてきたアンセルムス様は、そのような方ではありませんでした」
「・・・・・・スヴェイル。だが、もう無理だ。俺には、もう・・・・・・」
顔を下げるアンセルムスの胸ぐらを掴み、シャンクシーションクは彼に似合わぬ大きな声を出した。その顔は迫力があり、そのような顔はアンセルムスは見たことがなかった。
「しっかりなさい!あなたの命は、あなただけのものではないのです。私に死ねと命じてください。そして、この世界を歪めた『神』に復讐なさい。一度始めたことを、投げ出さず、最後まで果たしてください。・・・・・・それでこそ、私の信じたお方だ」
その言葉に、アンセルムスは唇を震わせた。シャンクシーションクの祖先、クオヴァ-ゼ・ファーレンハイによく似た男だ。彼を信じてくれている。律義なその姿に、懐かしいものを感じた。
そうだ、アセリアや、ナターシャ。死んでいった者のためにも、立ち止まることなど、赦されなかった。なのに、自分は一体何をしていたのだろうか。
「そうだったな、スヴェイル。俺は、馬鹿だった。先ほどの言葉は忘れろ、気の迷いだ」
そう言い、不敵に笑って見せたアンセルムスに、スヴェイルは笑った。
「それでこそ、アンセルムス様です」
そう言ったシャンクシーションクの肩を叩き、アンセルムスはミアベルを見る。
「ミアベル=ツィリア、見っともないところを見せた。先ほどまでの俺はどうにかしていた。・・・・・・このクソッタレな運命を変えるために、共に戦おう。それで俺の罪のすべてが贖えるとは思わないが、それでも」
手を差し出してきたアンセルムス。その手を、ミアベルは握った。
『困るんだなァ、それは』
突如響いた声。不快な笑い声。聞き覚えのあるその声にアンセルムスが身を震わせた瞬間、暗闇の中から闇の魔力がアンセルムスに向かって放たれた。
避けれない。アンセルムスはそれを見る。ミアベルも、突然のことに対処できなかった。
それが、アンセルムスに当たる前に、何かが彼の前に立ちはだかった。白髪の青年は、腕を大きく広げ、アンセルムスを庇うように立つ。
そして、その次の瞬間には、彼の身体を凶弾が貫いた。
「シャンクシーションクッ!!!」
アンセルムスが叫び、倒れた青年を抱えた。ミアベルは剣を抜くと、凶弾が飛んできた方向に剣戟を走らせた。剣戟が影を捉える前に、影はその場から逃げ出していた。舌打ちしたミアベルは、アンセルムスらの方を見た。
アンセルムスは自分に血がつくことをかまわずに、スヴェイルを介抱していた。だが、出血は酷く、胸部を貫いた闇の魔力はもう、彼の身体を侵食していた。
ふるふると震えるスヴェイルの右手を掴み、「しっかりしろ」と呟くアンセルムス。焦点の合わない瞳でどうにかアンセルムスを見ようと目線を泳がすスヴェイルだが、もう、何も見えなかった。
「ご無事、ですか・・・・・・アンセルムス、様」
「喋るな、待っていろ、すぐに助けを・・・・・・」
アンセルムスの手を握り返し、静かにスヴェイルは首を振る。
「私は、もう、だめです・・・・・・」
「赦さんぞ、スヴェイル。俺はまだ、お前に死ねとは命じていない。命じてなど、やらぬぞ」
「いいえ、アンセルムス様」
首を振る。そして、諦めたように笑う。ごぽり、と血を吐き出す。
「私は、もう」
「逝くな、我が友よ、スヴェイルよ。いかないでくれ」
「・・・・・・勿体なき、お言葉、です・・・・・・アンセルムス様、私は、あなたにお仕えできて光栄でした」
いよいよ冷たくなってきた手に、アンセルムスはその命の炎が燃え尽きるのを感じていた。死ぬ時まで、彼は祖先に似ている。まったく、しようがない奴だ、と笑う。
「次に、生まれ変わったら、またあなたに会いに行きます。だから、どうか」
「わかった、もう、喋るな・・・・・・スヴェイル。約束しよう、必ず『神』を倒す・・・・・・絶対に」
「よか、った・・・・・・」
スヴェイルは安心したように笑うと、静かに目を閉じた。その手がだらりと力なく落ちた。
「スヴェイル、スヴェイル・・・・・・」
もう返事をしない屍と化した友を抱きしめ、アンセルムスは忍び泣いた。静かにその肢体を床に置くと、アンセルムスは怒りに燃えた黒曜の瞳を開いた。
「無駄にはしないぞ、この命。スヴェイル、アセリア、ナターシャ。そして、俺のせいで死んでいった数多の魂のためにも、俺はもう迷わない。もう、二度と」
世界蛇はその動きを止め、無限に湧き出る兵士も動きを止めた。
レグナ・コーンウォートの反乱に始まった一連の大宗主国の混乱は終わった。多大な犠牲を払い。
だが、得たものも多かった。
「アンセルムス」
世界蛇よりミアベルに伴われて出てきた黒髪の青年を見てクロヴェイルが声をかける。彼の顔は、すぐにでもアンセルムスを問い詰めたい、と言った様子であったが、それをミアベルが制した。
「待って、彼はもう、戦う気はないわ」
「どういうことだ、こいつが諦めるものか」
「話を聞いて」
そう言い、ミアベルはクロヴェイルらに話をした。アンセルムスのこと、『神』のこと、13人の神々のことを。
全てを聞き終わった時、クロヴェイルはまだ納得はしていなかったが、アンセルムスを見て背中を向けた。
エノラは心配そうに兄を窺うが、エノラの視線をアンセルムスは視ようとはしていなかった。
北のイヴリスで反乱を起こしていた魔族軍は動きを止めた。同時に、世界中で起こっていた混乱も集結した。
けれど、嵐がまだ通り過ぎていないことを知る者は多くはなかった。
また陽が沈み、夜の帳が訪れる。星々の輝く空のもと、アンセルムスは空を見上げた。
一度は諦めた理想と未来。それを取り戻せたのは、スヴェイルのおかげだ。
もはや、過去も宿命も捨てた。
ひときわ輝く13の星々を見て、アンセルムスは口を引き締めた。
「偽りの神を、討つ」
決意に満ちたその言葉を聞く者はいなかった。