アンセルムス、悪意と真実の神
無が広がるそこに、光がさし、宇宙が生まれ、そして。
13の意志を持つ魂が、この世界に迷い込んだ。
どこから迷い込んだのか、それはわからない。13人にはそれぞれ記憶がなかった。
彼らは何があったかはわからないながら、自分たちの姿を作り出した。
13人の若い男女は、そのあと、自分たちに名を付けた。
どこか、記憶をなくす前に縁でもあったのだろう、思いついた名前のようなものを互いにつけ合った。
ヴォーヴン。クオンタ。ゼレファフ。ニドラ。クドラ。レア。アポクリフ。ゼレチア。マキノ。サノス。アテンシャ。ゲシュトゥ。そして、アンセルムス。
13人はそうして、自分たちの魂に刻まれた原風景に従い、世界を創造した。
月と太陽、そして緑の星を。
そして彼らは自分たちで作り出した世界を、どこかの言葉で楽園を意味する『エデン=アヴァロン』と呼び、「楽園」と呼ぶにふさわしい世界を作ろうと笑いあった。
13人は互いに協力し、木々を作り、海を作り、大陸を生み出した。
そうして、次には動物を作り出した。
原始的な生物に始まり、次にはエルフとドワーフを作り出した。そして、それからしばらくして、神々は自身の姿に似た存在、人間を作り出した。
作り出された生命たちは、互いに慈しみ、協力して楽園の中で生きていた。
平和で、争うこともない楽園。理想郷であり、13人の魂が望んでいた世界。
だが、その平和で穏やかな日々は続かない。
世界が想像されて、何千年と経ったある時。
一つの『異物』が世界に紛れ込んだ。
『G.O.D』と呼ばれた、異界から逃れてきた存在。それはまだ未成熟で、穢れのない世界に目を付けた。
表面上は、世界は変わっていないはずだった。
異物の侵入に神々は気づくことはなかった。そして、異なる世界より紛れ込んだ遺物は、一夜で神々の意識の中に自分と言う存在を書き加え、さも自分が彼らの造物主であるかのように、偽りの記憶を作り出した。
そして、神々が気づかないうちに、世界の在り様を変えた。
幸福のみであふれる、穢れ亡き理想郷の世界に、憎しみなどの負の感情や、災害や病魔、そして悪魔を持ち込み、生み出し、育んだ。
優しいはずの世界が徐々に本来の願った理想郷から離れていることに神々は気づくことなく、父なる神に従い生きていた。
天上の宮殿。
地上より離れたそこは、地上でも最も点に近い場所、オリュン山の頂上から続く階段によって辿りつくことができる。
雲の上に造られた宮殿は華で満ち溢れ、光が溢れだしていた。ここで神々は唄い、宴会をして、人々と交流していた。
幸福を信じて疑わない神々は、そうやって何も知らずに過ごしていた。
「おーい、アンセルムス!お前もこっち来いよ、マキノが待ってるぞ」
「わかったよ、ヴォーヴン」
自分を読んでいる黄金色に輝く太陽の髪を見て、黒髪のアンセルムスは返事をする。
そして、寄りかかっていた手すりから身を離し、親友が手を振る方向へと向かっていく。
最近感じる、釈然としない思い。胸のもやもや。
ほかの神々は何も感じてはいないらしく、アンセルムスがそのことを言うと不審そうな顔をされる。
恋人であるマキノも、一番の親友であるヴォ―ヴンも、特には何も感じてはいない、という。
ただの気にし過ぎなのか、とアンセルムスは息をつく。
そして、天上より下界を見る。
どこか、不穏な空気を感じる。
彼らが作ったはずの世界。なのに、なぜかそれが自分たちの作ったものとはどこか違うような気がしていた。
それが何かを、正確に言表せられるわけではないけれども。
「難しい顔しているわよ、アンセルムス」
「あ、ああ、すまないな、マキノ」
恋人であり、医学と教育の神である狐色の髪の女神に言われ、アンセルムスは意識を取り戻す。
華奢な体のマキノは、ほかの女神クドラやニドラ、レアやゼレチアと比べるとやや子供っぽい体であるが、愛らしい外見をしている。綺麗、というよりはかわいらしい、と言う言葉が似合う。黄金色の髪は心地いい撫で具合であり、それをやってやると気持ちよさそうに彼女は頬を寄せる。
そんなマキノをアンセルムスは愛していた。
けれど、そんな彼女ともアンセルムスはもやもやを、この胸の違和感を共感することはできない。
「マキノ。俺たちが望んだ世界は、こんなものだったろうか」
「?・・・・・・何を言っているの、アンセルムス」
ポカンとアンセルムスを見上げるマキノ。アンセルムスは膝に置かれた彼女の頭を撫でる。
「いいや、何でもないよ」
「そう?」
「ああ」
そう答え、アンセルムスは恋人にキスをして紛らわせる。
マキノは幸せそうに笑い、その唇を貪る。だから気づかない。恋人の黒い目の中で渦巻く、何かに。
アンセルムスは答えを知るため、一人地上へと赴いた。神々が世界を作り、楽園を完成させて以降、神々が下界に降りることはそうそうなくなった。
実際に地上に行ってみれば、この答えが出るのではないだろうか。アンセルムスはそう思い、一人で父なる神にも親友にも、恋人にも何も言わずに、地上へと向かった。
地上の様子は、依然来た時と変わらないはずだった。
だが、微かににおう何かと、黒い魔力。それは、本来、この世界にあるはずのない闇の力であった。
「やはり、おかしい」
感じたことのない負の感情。それは本来、この世界においては存在するはずはないもの。それを司るはずの神である自分は、そんなものを世に解き放ったつもりもない。
頭の中にノイズが奔る。おかしい。
「誰かが、この世界に持ち込んだ、というのか?」
誰が、と思うアンセルムス。
ほかの12人の神か。いや、彼らのはずはない。ともにこの世界に来た13人は、いつだって一緒であった。そんなはずはない。
ならば、誰が。
そう考えた時、アンセルムスの脳裏に浮かぶのは、一人の人物。
13人の神に気づかれず、世界を変えることができ、かつ疑問にさえ思わせない存在。そんな存在、この世界には一人しかいないのだ。
「父なる神・・・・・・・・・・・・」
思えば、彼がいつ、この世界に来たのかも思い出せない。そもそも、自分たちに父などがいたかすら、思い出せない。違う、俺たちは。
俺たちは。
「そうか、そういうことか」
思い出される記憶。消されたはずの記憶。
突如現れたソレは、言ったのだ。
『この世界はお前たちのような模造品にはもったいない』
『管理者にふさわしいのは私だ。全能の神たる、この私だ』
『お前たちは、私に傅き、そして私に従えばいい』
『私を父と思いながら、ぬくぬくと幸せのうちに衰えていくがいい』
そしてソレは神を気取り、俺たちから俺たちの世界を奪った。理想の世界を壊し、それに気づくこともなく毎日を過ごすだけの俺たちの姿を影で嘲笑いながら。
赦されるものか。
地上を歩きながら、アンセルムスは思う。
平等であったはずの世界では、エルフがおごり高ぶり、他種族に高圧的であり、ドワーフは拘留すら拒絶し、山や地下にこもっていた。人間は些細な争いを繰り返していた。
負の感情につられ、魔物たちは湧きだし、世界に溢れようとしていた。
災厄が起こり、病魔が蔓延する。
誰もが幸福になる権利を有しながらも、大部分のものが理不尽に死に、不幸に見舞われる。そんな世界が広がっていた。
アンセルムスが見ていたはずの世界は、しかし表面だけだったのだ。彼が天井にいた間に、地上はすでに彼の手から離れ、父なる神の思うがままに作り替えられていたのだ。
黒髪の神は、呆然とそれを見た。
かつて見た大陸の外に広がる外海には、恐ろしい魔物が出現し、何者も寄せ付けぬ魔の海域となっていた。
北のイヴリス大陸は、人も生物も住めない地獄のような環境となっていた。少ない生存環境を巡る闘争。
ほかの大陸でも、似たような事態は起こっていた。魔物による被害から逃れた住人達と現住者との抗争。
強者による弱者の支配。
「こんなものは、違う」
俺たちが目指した世界は違う。
俺たちが愛した世界とは、違う。
「どうして、こんな」
アンセルムスは失望した。世界に、そして自分に。
そして、誓った。
この世界を、あるべき姿に戻そう、と。
天上に帰ったアンセルムスの言葉を、神々は信じなかった。
地上で起こる戦争も、病魔も悪意も、神々には見えていなかった。アンセルムスの言葉に耳を傾けることなく、彼らは幸福と信じてやまない世界で生き続けた。
これも、『神』の力なのか、と絶望するアンセルムス。
理解者もいない中、アンセルムスは一人、悩む。
そして、ついに彼は決意した。父なる神に会うことを。
『彼』は普段、天上の宮殿の遥か奥、神々でさえ勝手に入ることは許されぬ門の向こうにいる。
そこで彼が何をしているか、神々は知らない。思えば、父なる神が何かを、彼らは気にしたことがなかった。
門を超える。鎖を切り落とし、黒神の青年は進む。いまだかつて踏み入れたことのない、異空間に。
「アンセルムスか、何をしに来た?」
歪んだ歪の中、それはそこにいた。巨大な玉座にその身を横たえた『影』。それまでは、立派な父親の姿にしか見えなかった『神』だが、今ではただの暗黒の塊としてしか映らない。
これが、こいつの本性か、と思うアンセルムスに、元の姿のままの口調でソレは言う。
「父上、お話があります」
「何か。わざわざここに来たのだ、大事なことであろう?よい、話してみろ」
「はい」
震える膝を押さえ、アンセルムスは影を見る。不気味に蠢く巨大な影。それに対抗するだけの力が果たして、自分にあるだろうか。
たとえ、ないとしてもやらねばならぬ。世界を取り戻すために。
「父上、あなたは『なにもの』なのですか?」
その言葉を理解できなかったのか、影は首をかしげる。
「何、だと?私はお前たちの父である、万能の神であるぞ」
「御託はいらない。お前は一体なんだ。ほかのやつを騙せても、俺だけは騙されない」
「・・・・・・・・・・・・・・」
ソレは沈黙し、アンセルムスを見る。と、クツクツと声を上げ、笑いだす。
「なるほど、貴様は思い出した、ということか。なるほどな」
「なにがおかしい!」
おかしげに笑う神を前に、アンセルムスは怒鳴る。好き勝手やって、世界を狂わせ、自分たちを欺き続け、何様のつもりだろう、とアンセルムスは憤る。
そして、その手に握る剣を影に向ける。
「答えろ!」
「造物主に刃向う、か。それが貴様と言う存在の性か」
「造物主、だと!?ふざけるな、偽りの神め!」
切りかかるアンセルムスを影は抑える。
「なに?力が・・・・・・・・・・・・」
「貴様ら神や生命に力を与えてやったのは、私だ。その祝福もすべては私の与えたもの」
「くそっ」
アンセルムスは剣を捨てると、後ろに退いた。
「そうやって、貴様は神を気取るのか!」
「絶対者たる神は、私一人でいい。アンセルムス、お前たちのような甘い神々の贋作に、この世界はもったいない。だから、私が代わりに支配し、治めてやろうというのだ」
「なんという身勝手な。そのような邪悪な考えで、俺たちの夢見た世界が壊された、というのか!」
「夢とは儚きものよ。力なき神よ。だからこそ、貴様たちには永遠に夢を見せたまま、静かに滅びを迎えさせようとしたのに。どうして貴様は夢から醒めてしまったのか」
もっとも、それが悪意と真実を司る神にふさわしいか、とソレは嗤う。
悪意と真実の神、アンセルムスは強い敵意にその美麗な顔を歪める。
「貴様の好きにさせると思っているのか、偽りの神よ。この俺が」
「貴様一人で何ができる?お前の仲間の神々は、皆私を信じている。仲間である貴様の言葉よりも、遅遅である私の言葉を信じるであろう」
それでも、貴様は私と戦おうというのか。神はそう言い、クツクツと嗤う。
できるはずはない。そんな嘲りが聞こえるようだ。
「信じた世界に裏切り者と言われてまでも、私を倒すというのか、アンセルムスよ」
「・・・・・・・・・・・・・」
アンセルムスは沈黙する。拳に力を入れる。
それまで信じてきた世界。それはずっと魅せられてきた幻に過ぎない。
この世界にもたらされた『祝福』。それがもたらされた時には、もう世界は彼ら13人の手の中から零れていたのだ。
この、神を気取る存在のゲームの中で踊っていたに過ぎないのだ。
「・・・・・・・・・・さない」
「なに?」
「俺は、貴様を赦さない」
そう言い、アンセルムスは怒りを込めた黒曜の瞳で影を見る。
「いいだろう!神を気取る者よ、たとえ独りであろうとも俺は戦う。世界から裏切り者と言われようとも、親友から刃を向けられようとも、俺は戦おう!夢見た世界を取り戻すためなら、修羅に墜ちよう!」
「愚かな・・・・・・・・・・・・」
解せない、という影の声にアンセルムスは不敵に笑う。
「ヴォーヴン、クオンタ。アンセルムスが我々を裏切った。私に剣を向けている!助けてくれ」
影はそう言うと、アンセルムスの持っていた剣を足元に落とし、自身は倒れたふりをする。
そんな中、神に呼ばれた二人の神と、そのあとに続いては言ってくるほかの神々。
彼らの目に映るのは、父なる神に剣を向けたアンセルムスであった。
「アンセルムス、何をしている!」
ヴォーヴンが叫ぶ。
「・・・・・・・・・・・」
その目に宿る色を見て、諦めたようにアンセルムスは笑うと、彼らを見て言う。
「遅かったな」
「この、裏切り者め!父上から離れろ!」
緑色の短髪の神、法と富の神ゼレチアが怒鳴る。
アンセルムスと父なる神の間にヴォーヴンとクオンタが割り込む。アンセルムスの背後には大鎌を構えたゲシュトゥと二刀流のサノスが警戒心を露わに立っている。
アンセルムスは凶悪な顔をして神々を見回す。
「ふん、神に使われるだけの人形たちが。威勢のいいことだな」
「アンセルムス、貴様!」
「吠えるな、クオンタ」
「アンセルムス」
親友を見てヴォーヴンが口を開く。光輝く瞳に憂いを込めて、彼はアンセルムスを見る。
アンセルムスも輝きに満ちた彼を見返す。
「なんだ、ヴォーヴン」
「どうして、こんなことを」
その理由を言ったところで、彼らには理解できない。アンセルムスにはわかっていた。
だから、彼は悪を演じることにした。
そう、俺は反逆者。それでいい。たとえ、仲間に剣を向けようとも、夢をかなえて見せよう。
それが、俺の覚悟だ。
「強すぎる光は、時に嫉妬を生み出す・・・・・・・・・・・ヴォ―ヴン、俺はお前の光が羨ましかったんだよ、俺にはないその輝きが」
「アンセルムス、そんな理由で・・・・・・・・・!」
悲痛な声で言うマキノ。彼女を見て、アンセルムスは嗤う。
「わかるまいさ。俺の劣等感も苦悩も、お前たちには」
思いもしない言葉は次々と出てくる。アンセルムスは続ける。
「・・・・・・・・・・・・・・・・いつか、お前たちにもわかるさ」
そうして、アンセルムスは身をかがめると、剣を取り、ヴォーヴンに攻撃する。
「アンセルムス―――――!」
突然の攻撃に対応できず、剣を取り落したヴォーヴン。その隙に、アンセルムスは神々の中を通り過ぎ、門から出る。
「逃がすか!」
追いかけるクオンタらを目にしながら、アンセルムスは嗤う。その目からは、熱い何かが零れていたが、誰もそれに気づくことはなかった。泣いているアンセルムス自身でも。
天上より逃げおおせ、地に落ちたアンセルムス。
肉体は無事だが、その心は深く傷ついていた。
これから戦うのは、自分の肉体の一部でもある12人の仲間たちだ。彼らを押しのけてまでも、彼はあの偽りの神を討たねばならない。
全てを狂わせた存在を。
罪ならばいくらでも背負おう。罰ならば、いくらでも受けよう。
それでも。
「偽りの神よ、お前だけを許すわけにはいかない」
そして、剣を手に取り、自分に言い聞かせるように呟いた。
「偽りの神を討て」
天上の、遥か彼方の城は見えないけれども、彼はそれを瞼に焼き付けていた。