絶望の光景
世界蛇の表面から湧き出る岩の怪物や兵士を切り伏せながらレヴィアとミアベルは世界蛇の身体を駆けあがる。世界蛇はのっそりと動いており、表面はごつごつしている。進み辛いがそんなことはおくびにも出さないレヴィアを、ミアベルはちらと見る。
「どうやってこれを止めるの?いくらあなたでも、これほどのものは」
ミアベルの言葉にレヴィアは頷く。彼女の時を止める能力でもこれほどの巨大なものを停止させることはできないし、剣で切り裂くこともできない。トラキアが作った魔城を破壊するのは、流石の彼女でも一苦労である。
「どこかにこれを動かすコア、もしくは指令を出す者がいる。それを叩けば」
そう言いながら、レヴィアはトラキアの顔を思い出す。あの老人はもはや世界征服には興味なく、外界の向こうに矯味のすべてを向けているはずだ。それに、彼がアンセルムスに協力するとも思えない。もはや彼は死んでいるか、それに近い状況であり、アンセルムスが操っているのだろう。
「中のことはわかっているの?」
「多少は。けれど、地道にそれを探すしかない。それも早急に」
そう言い、下を見下ろす二人。破壊の音が響くグラウキエの街。徐々にグラウキエ・コンクードに近づく巨体を、どうにかして止めなければならない。これ以上の被害が出る前に。
「はぁ!」
目の前に立ちふさがる敵をいともたやすく切り払うとレヴィアは跳躍し、剣で世界蛇の表面を斬りつける。閃光が満ち、切り付けた部分に人が入れる程度の穴が穿たれる。
「ここから侵入する、準備はいいな」
「ええ」
レヴィアの言葉にうなずき、ミアベルは魔神に続いてその中に入っていった。
レグナを拘束したクロヴェイルとミランダだったが、リナリーとレイーネから世界蛇とそれを止めるために魔神レヴィアとミアベルが世界蛇に向かって言ったと聞いた。
クロヴェイルはミランダに住民の避難を任せると、自分は世界蛇の侵攻を止めると言った。流石にクロヴェイルと言えどもそれは無茶だというミランダに微笑み返すとクロヴェイルは奔りだす。
心配するミランダはクロヴェイルより任された任務に徹することにした。リナリーとレイーネにも協力してもらい、彼女は住民の避難に従事した。
クロヴェイルは奔りながら、世界蛇を見る。奴はいるはずだ、とクロヴェイルは見上げていた。アンセルムスは必ずあそこにいる、と。くだらない戦いを止めるためにも、ここで捕まえねばならない。この破壊も阻止してみせる。とはいえ、あれほどの巨体の敵だ。戦力は少々どころかかなり心もとない。が、泣き言も言っていられない。
そう思っていたクロヴェイルは、前方で世界蛇より生まれ出でた化け物たちと戦う者たちを見て驚いた。それは、本来ここにはいないはずの者たちであったからだ。
「クィル、エノラ、それにセウス殿にセラーナ・・・・・・」
呟いたクロヴェイルを見て笑うクィルは竜化した腕で敵を引き裂くと、エノラが相手していたヒト型の巨人の腕を斬り飛ばす。すかさずそこにエノラが刀で切りつけると、巨人は魔力を断ち切られたことで体が維持できなくなり、崩れた。輝くセアリエルで敵を切り裂いたセウスとその後ろで支援していたセラーナがクロヴェイルに寄ってくる。
「なぜ、ここに?」
「魔族国に戻ろうとした時、巨大な影を見て駆けつけたのだ。クィルとエノラとも先ほどあってな」
「厭な予感がしたんだ、だから、さ」
そう言うセウスとクィル。クロヴェイルはそうか、と言い、四人を見る。
「アレを止める。協力してくれるか」
「言われずとも」
セウスが言う。ほかの三人も同じ思いの様子である。
クィル曰く、他にもリクターや魔族の戦士たちも住人の避難を支援しているらしい。クロヴェイルはこれでここ起きなく戦えるものだ、と思った。
ミアベルと魔神レヴィア=ツィリアが中に突入しているだろうことを伝えると、五人は世界蛇に向かっていった。
タムズとクローリエも、まるで運命に導かれるように大宗主国にたどり着いていた。この国に集う、光。それを頼りに彼らはここに来たのだ。
「世界蛇、か。まったく厄介なものをトラキアは作ったものだ」
呟くタムズは二本の鎌を背中に括り付け、クローリエを抱き上げる。クローリエは手をタムズの首に回し、その身を預ける。
「でも、止められないわけではないわ。だって、私たちだけではないもの」
「・・・・・・そうだな、行くぞ」
「ええ」
クローリエや二本の鎌を全く重くなさそうに抱えていた彼は軽やかに建物の屋根から世界蛇の巨大な身体に着地する。そしてそのまま片手で鎌を持つと、その表面を抉る。修復しようとする世界蛇の肌をクローリエが魔力で妨害する。その間に二人はその内部へと入り込んでいった。異物の侵入を許した世界蛇は吠えた。
世界蛇に侵入していたレヴィアとミアベルは、内部に湧いて出てくる無限の敵を斬りながらコアを探す。だが、敵の数は膨大で思った以上に進むことが出来ない。帝王トラキアの力でツクラレタこの世界蛇は、トラキアそのものとも言っていい。ほぼ無尽蔵に兵士を作り出せるため、コアを叩き潰すか、世界蛇本体によほどのダメージがない限り、それを止まることは出来ない。
剣聖剣を構えた二人の前には敵そのものは雑魚でしかない。だが、万の敵の相手は流石の二人でも骨が折れる。
「ミアベル、このままではらちが明かない。私が一気に片を付けるから、走って向こうに行くぞ」
レヴィアが先の通路を指すと、ミアベルは了承の意を返す。行くぞ、とレヴィアが言った瞬間、身を伏せたミアベル。そこに高密度の魔力を込めた剣戟が、閃光となって敵の群れを襲う。光が敵を消しつくすと同時に二人は奔りだす。その間にも、無限の兵士たちは床や壁から生み出されていく。それを斬りながら二人はどうにか通路までたどり着いた。
と、その時二人の足元が崩れ落ちる。
「なに?」
「くそッ!」
二人は何かに掴もうとするが、上から降る瓦礫のせいでそれはできず、下に落ちていく。二人の眼下に、灼熱の溶岩の海が見えた。
このままでは、と思ったミアベルだがその時、レヴィアが時を止める。落ちていた体が止まり、その間にレヴィアがミアベルの身体を掴むと、近くにあった脇の穴に逃げ込む。そして時間が動き出す。
二人の跡から堕ちてきた瓦礫が溶岩に飲み込まれ、溶ける。
「ここは?」
「世界蛇の魔力炉だろう・・・・・・魔力炉を暴走させれば・・・・・・」
そう思ったレヴィアだが、それは不可能なようだ、とすぐに悟った。溶岩の中から湧き出てくる巨人どもがこちらに向かってきているからだ。素直にコアを探した方が早い。
「この先に道があるようね」
穴の先を見てミアベルが言う。罠かもしれないが、もはや進むしかない。二人は後ろから迫る巨人たちから逃げるように暗闇の中へと飛び込んだ。
世界蛇の内部は様々な場所が入り混じった不可思議な空間である。緑色の森林があるかと思えば、すぐに白銀世界に変貌する。砂漠のような場所や、青空の広がる空間もある。世界蛇とは、トラキアの見てきた心象風景であり、それが反映されているのだとレヴィアは言う。
追ってくる敵、湧き出る敵にい加減辟易とするミアベル。
「そうだった、今のうちに渡しておこう」
一時、休憩をしていた二人。そんな中、レヴィアが何かを探るように懐に手を入れる。そして、彼女が取り出したものをミアベルが見る。
「それは、ナイフ?」
「ああ、お守り、だそうだ」
そう言い、レヴィアは真紅のナイフをミアベルに渡す。バラの紋様が刻まれたそれは、ジャヒーリアが死に際に託したものであり、ミアベルに渡すように言ったものだ。
「・・・・・・不思議ね、見たことがないのに、なぜか懐かしく思う」
そう言うミアベルに、そうか、とレヴィアは返す。そして、休憩を終えた二人はコアに向かって再び歩き出す。
そして、二人が入り込んだ空間は、空白の空間、無の空間であった。
すると、空間は一気に黒くなり、そこにはミアベルが一人、佇んでいるだけとなった。
「!?」
レヴィアの姿を探すミアベルだが、そこに彼女はいない。無の空間には、ミアベル一人だけがいた。
強い光が奔る。咄嗟に目を覆ったミアベルが再び目を開くと、そこには荒廃した世界があった。ミアベルがかつていた世界が、そこにはあった。
幻だ、そう思ったミアベルが周囲のがれきに障ると、それは紛れもなく本物であった。
彼女の足元に倒れる人間は、生暖かい。徐々に熱が失われ、血が渇き、黒くなる。呻く人々。肉を喰わんと闊歩する獣、欠けた月、灰色の雲。
「そんな」
世界が滅びたというのか、自分は、失敗したのか。絶望に駆られ、歩いているミアベルの目に悲惨な光景が映る。
無数の十字架が立ち、人が磔にされている。腕や足を鋭い槍が貫かれ、苦悶に顔を歪め息絶えた人々が。そしてそれは、彼女がよく知る人々であった。
「母さん、父さん」
一番近くにあった十字架に張り付けられた両親は、無理やりその槍から手を抜いたのだろう。血だらけの手で互いの指を絡め合いながら死んでいた。その後ろにはセウスとセラーナがいた。セウスはそれでは死ねなかったのだろう。首のところに刃が突き刺されており、首と胴が分断されている。
他にも、クロヴェイルやミランダ、リナリー、レイーネ、大宗主、ゼル=マックールなどがいた。
そして、彼女の師であるレヴィア=ツィリアも。
「嘘だ・・・・・・」
師の身体を触り、ミアベルは呟く。自分を信じて送り込んだ師に対して、これでは顔が立たない。育ててくれた母にも、これでは。
落ち込むミアベルは、このまま生きていてもしょうがない、と剣を首に突きつけた。その時、声が聞こえた。
『惑わされないで、これは現実ではないわ』
知らない声。だが、剣が首元で止まる。ミアベルは顔を上げる。けれど、見えている光景は間違いなく現実のはずだ。
『それは、アンセルムスの見せる幻覚よ。世界蛇に組み込まれた、極めて現実に近い、偽り。目をさらさないで、そして、切り裂くのよ。恐れずに』
ミアベルはその時、真紅の内府を自分が握っていることに気づいた。まるで、これが幻覚から目を覚まそうとしているかのようであった。ミアベルはそのナイフを振り、そして空間を切り裂いた。
空間がガラスが割れたような音を立てて崩れる。破滅の香りも、光景ももはや消え去ったそこは、広大なダンスホールであった。どうしてこんなものが、と思うミアベルだが、今更その意味を問うても意味はないのだろう。
誰もいないダンスホールを駆け、その先に向かうミアベル。そして、その先に見える光。
光の先にいたのは、一人の青年であった。黒い髪、黒い瞳。間違いない、とミアベルは確信した。どことなくエノラと似た風貌の青年、彼こそがミアベルが探し求めていた人物であった。
「アンセルムス・・・・・・!!」
「・・・・・・ミアベル=ツィリア、か」
アンセルムスはそう言い、冷たい瞳を向ける。そして、のっそりとその玉座から立ち上がる。
ミアベルは剣聖剣を引き抜き、構える。不敵にそれを見るアンセルムスはおかしそうに笑った。
「俺を殺すために来たのか、ご苦労なことだ。だが、俺を殺しても何も変わらないぞ」
「・・・・・・どういうこと?」
ミアベルが怪訝そうに問う。その時、大宗主の言葉を思い出す。
『世界を滅ぼそうとするのはアンセルムスではない。彼もまた、一人の駒に過ぎない。その後ろに潜む存在を暴くのです。そして、世界を変えなさい。それができるのはあなたたちだけだ』
その存在のことを言っているのか、と思ったミアベルの前でアンセルムスは自嘲するように笑った。
「所詮俺は、祝福されぬ者。俺のなすことはすべて、無駄なんだよ」
「だからと言って、全てを破壊しようというの・・・・・・!?」
叫ぶミアベルにその通りだ、とアンセルムスは言う。
「せめて安らかに世界が滅ぶならば、それでいい。それで、何もかもが」
「そんなことはさせないっ!」
奔るミアベル。アンセルムスにそのまま向かおうとする彼女の前に、無数の敵が現れる。
「無駄だと知りながら、なぜあがく?」
「私は、決して諦めたくはないから・・・・・・!!」
ミアベルは剣聖剣を振るいながら、アンセルムスを見る。冷たい、さびしげな瞳だった。どれほどの孤独をその瞳に抱え込んでいるのだろう。
「思い通りにならないなんて諦めたくはないから・・・・・・だからッ!!」
その少女の様子に、アンセルムスはふと笑う。
「君は強いな。そのような思いをかつて俺も抱いていた。だが、いずれそう言った希望や夢、思いは消えていく。それが現実だ」
「だとしても、私は・・・・・・・・・・・・・・!!」
「ならば、見せてやろう」
そう言い、アンセルムスが手を振りかざす。空間が歪む。
「また、幻覚を見せるつもり!?」
「これは幻覚ではない。そう、俺の魂に刻まれた記憶、真実だ」
これを見ても、お前はまだ俺に立ち向かえるかな、と薄ら笑いするアンセルムス。アンセルムスとミアベルを残し、空間は歪み、そして物語が始まった。
遥か昔の、忘れ去られた物語が。