大宗主国攻防戦
レス=グラウキエ・コンクード下層にて自身の支持者を引き連れ制圧を試みていたレグナは一転して今では防衛に徹していた。死者の身体を盾にバリケードを形成し、一室に陣取ったレグナ一派は大宗主国を訪れていたラトナ騎士団団長クロヴェイル率いる鎮圧軍相手に苦戦を余儀なくされていた。さすが英雄、といったところか、クロヴェイルは持ち前のカリスマを生かし、大宗主国の神官たちを味方につけレグナに攻撃を仕掛けてきた。神官の連携も厄介であったが、最も厄介なのはクロヴェイルと副官ミランダである。クロヴェイルは言わずもがなであるが、女性騎士であるミランダの実力も舌を巻くものであった。性格に心臓に向けて放たれる槍の一撃でレグナの腹心の部下の半分は倒されてしまった。
レグナにとっての誤算はそれだけではない。雇ったはずのシャンクシーションクら暗殺者どもはことが始まるとどこかに消えてしまった。高い金を払ったにもかかわらず、いざとなれば逃げる者たちを心の中で彼は罵倒した。
「くそ、これだから呪われし民は」
レグナは物陰から敵を窺う。忌まわしい英雄は今もなお、こちらを制圧戦としている。今は魔術による集中砲火で攻めようがないが、魔力が尽きれば一気に制圧されるであろう。
レグナは冷や汗を拭い、焦る自分を落ち着けようとして、失敗した。
ミアベル、リナリー、レイーネの三人は下層部にて反乱首謀者レグナを追い詰めているクロヴェイルらのもとにたどり着いた。クロヴェイルは士気を取り外せないとのことでミランダがミアベルらの話を聞いていた。
「なるほど。ならば、まだその暗殺者はここにいるのでしょうね。アンセルムスがこれしきの事で諦めるとも思えませんし」
レイーネより聞いたシャンクシーションクらの情報を耳にし、彼女は言う。ミランダは結い上げた髪を撫でると、リナリーを見る。
「神々の魂を持つ者、ですか。にわかには信じがたい話ですが、今はこの混乱を治めましょう」
「はい、ミランダ様」
リナリーはそう言い、心配そうに上層で戦いを繰り広げているであろう大宗主に思いをはせた。
「この場は私とクロヴェイル様に任せてくれ。ミアベル、あなたたちは街に行ってほしい。これだけでアンセルムスのたくらみが終わるとも思えない。こちらも終わり次第向かうから」
「わかりました」
ミアベルらは頷き、コンクードを後にする。ミランダはそれを見送るといい加減このくだらない籠城戦を終えるために動き出した。
レグナらが立て込んでいる部屋は窓に面している。隣の部屋や上下の部屋から行くには骨が折れるどころの話ではない。だが、不可能ではない。足場も一応はあるし、まさか敵も窓から侵入するとは思ってはいまい。神官たちの話では、レグナらが防御結界を張っているようだが、どうせ急造のものである。破壊できないわけではない。
ミランダは槍を背中に括り付けると走り出した。隣室の大部屋の窓を開け放ち、細い足場に乗り移る。壁に手を這わせ、隣部屋まで向かう。隣部屋まではかなりの距離があり、足場も細い。常人ならば落ちるところだが、ミランダは落ちなかった。下層部とはいえ高層であり、堕ちれば即死だというのに彼女は落ち着いていた。
グラウキエ・コンクードの壁には装飾として金や銀などの貴金属が使われている。それが、ミランダには幸いした。
彼女のスキルは、弱い磁力を操る力である。磁力を持つものを浮かせる、などと言う使い道はないが、それでも指から磁力を発し壁を這うことくらいはできる。彼女は足の先からも磁力を発し、細い足場を渡っていく。クロヴェイルの様に壁を奔る、と言う反則技ではなく、地味なものであるが似たようなことは過去何度か行っていた。
窓の外を警戒していないようで思った以上に早くたどり着いた彼女は背中に括り付けた槍の帯を解き、片手で槍を持つと窓ガラスごと突き破る。それと同時に、防御結界も破壊される。
「なに!?」
驚くレグナたち。窓から侵入したのもそうだが、まさか急造の結界とはいえ破られるとは思っていなかったのだ。ミランダはそのまま飛び込むと近くにいた騎士二人を薙ぎ払う。
「ラトナ騎士団副団長ミランダ・ライケだ。レグナ・コーンウォート。降服しろ」
女騎士は凛とした表情で敵を見る。余裕さえ感じるその顔に、レグナは檄した。このような小娘に降伏しろと言われ、そうできるものか。レグナは無駄に高いそのプライドに傷をつけられたように思っていた。
レグナは愛用の大剣を引き抜くと、周囲の物に下がるように言った。自分の手でこの小娘を成敗しないと気が済まない。どの道クロヴェイルに確保されるだろうが、この小娘に摑まるのはプライドが許さなかった。英雄ならば、まだ諦めはつく。
「私を誰だと思っておる?グラウキエの盾にして剣、コーンウォート家の当主レグナだぞ!貴様がかなう相手ではないと思い知れ」
レグナはそう言い、黒光りする大剣を片手で構える。重量はかなりあり、片手はおろか、両手でも扱うのは難しいそれを軽々と構える。ミランダは油断なくレグナを見る。クロヴェイルのような英雄には敵わないものの、なるほど自分で言うだけの実力はあるらしい。威圧感もあり、ミランダはピリピリとした感覚を味わっていた。
ミランダも槍を構える。帝国の貴族の家に生まれ、女ながらに騎士学校では次席であった。主席はクロヴェイルであったから、実際は彼女が主席のようなものだ。努力で勝ち取ったその座。それはだてではないことを証明する機会である。
ミランダは踏み込み、槍を突き出した。普通ならば、これを見切ることなく敵の心臓を貫くのだが、それで通用する相手ではない。
レグナは剣の腹で攻撃を受け流すと、その拳をミランダの懐に放つ。ミランダは片手を槍から離し、腹を庇うようにした。拳が彼女の骨を砕くが、致命傷は避けた。
「フン」
レグナは荒い鼻息をつくと、そのまま大剣を振り下ろす。ミランダは身を翻しそれを回避した。斬撃が床を深くえぐり取る。まともに受けていれば、死は免れえない。
思い一撃を何度も繰り返すレグナに回避に徹するミランダ。レグナはこれだけ動いているにもかかわらず未だに息切れしていない。
「私の体力切れを待っているのか、それとも英雄の到着を待っているのか?ククク、小娘如きが私を倒せはしない」
レグナは笑い、顔を歪めた。
「案外、英雄クロヴェイルと言うのも大したことはないかもしれんなあ」
ピクリ、とミランダの眉が揺れた。それに気づかず、レグナはミランダへの挑発を行う。
「所詮、父親の七光りでラトナ騎士団の団長などになっているのだろう?フハハハハハ・・・・・・」
嘲笑していたレグナは、突如笑みを止めた。「ハ・・・・・・」と口を開いたまま声を止めた男は、軽くなった片腕を見る。左腕は肘から先がなくなっていた。血がぼたぼたと垂れ、骨が見えた。
「なん・・・・・・?」
剣を止めていたレグナの脇腹にドス、と言う音が聞こえた。見ると、ミランダの槍がレグナの脇腹を抉っている。
「貴様如きが、その汚い舌でクロヴェイル様を愚弄するな」
冷めきった目がレグナを見る。ゾクリ、と寒気が襲う。レグナは大剣を振り、ミランダを殺そうとするが、それよりも早く槍を引き抜きミランダは距離を取る。
ふーふー、と荒い息をついたレグナは応急処置の魔術で止血を行う。同時にこういった事態のために持っていた薬で痛みを抑える。消えたわけではなく、神経を麻痺させ一時的に痛覚を遮断しただけである。
レグナはミランダの槍が全く見えなかった。いつ、腕を斬り飛ばしたかもわからなかった。
「覚悟しろ、レグナ・コーンウォート。お前は侮辱してはならない人を侮辱した」
そう言い、ミランダが床を蹴る。レグナはそれを目で追いかけようとしたが、不可能であった。
レグナは大剣を構え、致命傷だけでも避けようとした。そして隙ができた瞬間、一撃で葬るつもりだったが、それをミランダは許さない。一撃を放ち、その場を離れ再び別方向から強襲する。動きを読むことは不可能であった。
周囲のレグナの支持者がその動きを見ようとしてもできなかった。彼らはただ自分のリーダーが傷つくのを見ているほかはなかった。
(馬鹿な)
レグナは呻いた。痛みを遮断しているはずなのに、痛みは増してくる。
レグナの両足を槍が貫く。骨と筋肉を破壊し、レグナは立つこともままならない。大剣を持つ右腕も鋭い槍の先端で三度突かれ、剣を持つことはできない。倒れ伏したレグナの首に、ミランダは槍を構える。
「降服しろ、さもなくば殺す」
ミランダはレグナを裁くのは大宗主の役目、と自嘲していたため降伏を促す言葉があった。だが、これがまったくそう言った枷のない相手ならば、問答無用でその首を穿っていただろう。
レグナは憔悴した様子で降伏勧告を受け入れた。
レグナ降伏で各所での戦闘が収まり始める。シャンクシーションクは呆気ない終わりに舌を打つ。
まだ、何も始まっていないのに、と。
大宗主と魔神の戦いがどうなろうとも、これでは計画通りに進まない。アンセルムスに合わせる顔がない。そう思っていた彼は、ふとアンセルムスから連絡が水晶に来ていることを知り、取り出す。
「アンセルムス様」
『・・・・・・』
アンセルムスは無言であった。シャンクシーションクは、とりあえず状況を伝えようと思った。
「アンセルムス様、申し訳ございません、計画は・・・・・・」
『もういい、シャンクシーションク』
「は?」
シャンクシーションクはアンセルムスの言葉を聞き返す。もういい、とはどういう意味なのか、と。
『もはや、どうでもいい。シャンクシーションク、死にたくなければそこを離れよ。世界蛇が向かうぞ』
「世界蛇、ですか。ですが、それでは・・・・・・」
シャンクシーションクの言葉も聞き届けずに一方的に通信を切ったアンセルムス。戸惑うシャンクシーションクの耳に、獣の方向が聞こえた。巨大な影がグラウキエ大宗主国を、いや、クライシュ大陸を覆った。
面を上げたシャンクシーションクは、それを見た。
岩のようなそれは、蛇、と言うよりは竜に近い外見であった。コンクードを優に超すその巨大な姿は、この大陸ごと海に沈めようとしているように見えた。
魔神トラキアが作り出した、巨大な城。世界蛇がそこにはいた。世界蛇を使うのは、最終局面でのはずだ。アンセルムスに何があったのか。それはシャンクシーションクにはわからない。だが、あの様子から彼は追い詰められている。
「アンセルムス様」
恐らく世界蛇の内部に彼はいるだろう。シャンクシーションクは逃げろ、と言われたがそうするわけにはいかなかった。なぜならば、アンセルムスは忠誠を誓った相手であるからだ。例え、何があろうともそれは変わらない。
シャンクシーションクはもはやこの場には用はない、と駆けだす。その途中で、虹色の少女と妹の姿を見たような気がしたが、それももう関係のないことであった。
「スキャヴォルト=オルガムズ=ノイシュクレルト・・・・・・通称世界蛇。まさか、ね」
母の話では聞いていたが、実物を見たことは当然ないミアベルはそれを見る。
世界を飲み込む蛇、とはあながち間違いでもないようだ。
「どうするの、あんなもの」
呆然と呟くリナリーに、沈黙するレイーネ。そんな三人の背後から声がかかる。
「勿論、倒すまでだ」
その声に振り向いたミアベルは、あ、と気の抜けた声を出す。そして、背後に立つ人物をまじまじと見た。
その人、レヴィア=ツィリアを。
「どうして、ここに・・・・・・」
問いかけるミアベルに「話は後だ」と言い、レヴィア=ツィリアは剣聖剣を構える。
「まずは、あの世界蛇を倒すことが先決だ」
「あんな巨大なもの、どうやって・・・・・・」
詰め寄るミアベルに「教わらなかったか」とレヴィアは言う。
「どれほど巨大だろうと、弱点は必ずある。見極めろ」
「あ・・・・・・」
その言葉は、かつて彼女が、今目の前にいるレヴィアとは違う「師」より教わった言葉であった。まだ剣を教わって間もないころ、騎士としての心構えや技術とともに教わった言葉の数々。それが蘇ってくる。どれほどの巨悪にもくじけぬ心と強さ。それこそが、才能や技術よりも大切なのだ、と。負ける、敵わないと思ったら負けだ。どんな時でも勝つ、という貪欲な気持ちが自分を強くするのだ、と。
ニヤリと笑ったレヴィアは剣を構え奔りだす。世界が違えども、レヴィア=ツィリアはそれ以上でも以下でもない。それを知ったミアベルも、覚悟を決めて走り出す。
リナリーとレイーネにクロヴェイルやミランダに事態を伝えるように言うと、彼女はレヴィアの後に続いた。