ジャヒーリアとレヴィア=ツィリア
世界は一つではない。無限に存在する世界。異なった未来を辿った世界。異なった進化を遂げた世界。無限の分岐により、無数の世界が存在する。
それらの世界を『観察』し、『監督』する。それが『観察者』と『監督者』である。
『監督者』は、この世界の誕生以前、世界の分岐前から存在する、と言われている高度知能生命体であり、その正体は不明である。『観察者』は彼らから力と使命を与えられ、特定の世界に過度の干渉をせずに、『観察』する。
床に伏した魔神ジャヒーリアはそう言い、レヴィア=ツィリアを見る。
レヴィア=ツィリアはジャヒーリアを自身の城のある『アウンガル』に連れてきた。そこならば、他の者からの干渉もない。ジャヒーリアの傷は塞がることはない。休むべきである、というレヴィアの言葉を遮り、ジャヒーリアは語る。自身が死ぬ前に、誰かに伝えなければならない、と。そして再び、彼女は話し出した。
このエデナ=アルバに彼女が送られてきたのは、ちょうど前の世界で彼女が天命を全うした後であったという。その人生で幸福な終焉を迎えた彼女は、『監督者』に見初められ、その魂を掬い上げられた。
彼女に宿る『復讐』の力と信念は、彼らの求める『観察者』の素質に十分匹敵した。ジャヒーリアに拒否権はなく、彼女は新たな容姿と名を得て、この世界に送られた。底での彼女の任務は『観察』であった。この世界のこと、この世界の『神』のこと。それを観察するのだ。
「先ほどから言う『神』とは何者なのだ、ジャヒーリア」
話しの途中でレヴィアが問う。ああ、とジャヒーリアは呟いた。
「『神』とは、君たちの言うところの父なる神だ。だが、それはまったくもって違うことなのだ。奴は『父なる神』ではない。世界を作った神々の父ではなく、外なる世界から来た存在。そう、私や『監督者』同様に」
「どういうことだ?」
「『アレ』は、こことは違う世界から来た。エデナ=アルバとは違う次元。魔術や超常の現象、魔獣や魔神も神も存在しない世界から来た、プログラムに過ぎない。科学によって生み出された、怪物」
「科学?」
この世界にはない概念を出されてレヴィアは理解できない様子であった。科学と魔術。それは全く性質の違うものである。エデナ=アルバは魔術による世界であり、科学も魔術の一部にしかすぎず、その概念は存在していない。
「とにかく、人の手によって作られた存在だったのだよ、アレは」
そして、レヴィアにジャヒーリアは説明する。
『神』と呼ばれるそれが、エデナ=アルバに来る前。それは高度な科学技術を持つとある世界で作り出された。本来の役割は、作り出した人類のために世界を浄化し、より良い世界を作るため、と言うものであった。しかし、神をも畏れぬ人間たちは、ついに自分自身を神の様に認識し、生命を作り出そうとした。その傲慢が、この『神』と呼ばれるプログラムに自我ととある認識を植え付けることとなる。人間は危険な存在であり、人間の滅亡こそが世界の浄化につながる。そして、自分自身が至高の『神』に至ることで世界はよりよく、恒久的な平和を得ることができる、と。
そのプログラムは奇しくも『G.O.D』と言う開発コードを与えられていた。それがより、このプログラムに自負を抱かせ、暴走を招いた。
『神』は、世界の浄化を行った。そして、生き残ったごく一部の人類を支配し、優越感に浸った。機械の身体を持つ少女を作り出し、終末を迎えさせる。狂ったプログラムの暴走は止まるところを知らなかった。だが、所詮はプログラムに過ぎない『神』は計算外の出来事により破滅した。彼自身が作り出した猟甲機兵の少女と、ただの人間の少年の反逆のせいであった。
だが、このプログラムは完全な破滅の前にこの世界より逃げおおせることに成功した。どのようにして世界を渡ることができたかは不明であった。だが、この『神』は自分が治めるに値する世界を求め彷徨い、そして、まだ新しい世界であったエデナ=アルバに目を付けたのだ。
「争いもなく、負の感情も存在しない純粋な世界であったエデナ=アルバに奴は目を付けた。そして、世界を歪め始めた」
エデナ=アルバを作った神々に自分を『父』と認識させ、徐々に徐々に世界を腐らせていった。プログラムはもはや正常ではなく、完全に狂っていた。狂気のプログラムは、やがて神々すらも消し、自分の思い通りに世界を支配した。そして、自身の満足のために世界を破滅させ、それを何度も繰り返した。
「結局、『監督者』とはなんなのだ?そんな『神』を彼らは止めないのか?」
「『監督者』の目的は不明だ。私には、『神』が消滅せずに異なる世界を渡ることが出来たのは『監督者』の力添えにしか思えない。そもそも、元の世界の人類が『神』を作ったことすらも、彼らの仕業かもしれない。『監督者』にとって、世界はいわば実験のための庭。『神』を放置し、『観察』させるのもきっとそのためなのだろう」
ジャヒーリアは言い、ふぅと息をつく。
『神』はとある人物に目を付け、彼に世界を滅亡させることを思いついた。それがアンセルムスと言う青年であった。『神』は彼の運命を操り、絶望を与え、世界を破壊するように仕向けた。そして、彼自身もその最後に絶望を抱いて死ぬように。
『観察者』として冷酷にその輪廻をジャヒーリアは何千回も、いや、それ以上の回数を見てきた。だが、次第に彼女は疑問を抱くようになった。そして、新たな肉体と名を与えられた時に失くしたはずの前世を思い出したのだ。それは、とある少女の希望がもたらしたのだ。彼女は、女神レアの魂の持ち主であった。現実を改編する彼女の力は、何千回もの周を経て形になってジャヒーリアに作用した。
それが、『先』の世界であった。
本来死ぬはずだった者の腹より生まれたミアベルは、とてつもない可能性を秘めていた。生き残った彼女は、その世界のレヴィア=ツィリアによって鍛えられ、剣聖の名を受け継いだ。
「なるほどな。道理で、な」
戦場で見た虹色の少女を思い出し、レヴィアは呟いた。そして、ジャヒーリアを見る。
「それで、お前は『神』に反旗を翻したのか」
「ええ。時が来るその時まで、『神』に悟られないように」
『監督者』の目を欺き、『神』に干渉を気付かれないように。この世界の在り様は、あまりにもジャヒーリアにとっては許しがたいものであった。人間の尊厳、自由を踏みにじる行為を彼女は嫌っていた。
なぜ、そうまで肩入れする。相当レヴィアにジャヒーリアは笑う。私の昔話をしましょう、と。
ジャヒーリアも、元の世界ではただの少女であった。十六歳の誕生日を迎えるまでは。
だが、その日彼女はすべてを奪われた。理不尽な出来事で奪われた多くの命のために、贖いのためにその時彼女は生まれ変わった。『復讐』の名を持つ女神に。
だからなのだろう、この世界の理不尽、そして救われぬ者たちに同情したのだ。そして、『神』の支配から世界を解き放つべきだ、と。
『監督者』眼兄を考えていようとも、もはやジャヒーリアには関係がなかったのだ。
「そして、これがその結果よ。『神』に挑み、私は今、死に瀕しているのよ。まったく、私は無力だわ。どれほど強くとも、どれほど思いがあろうとも、世界は動かないのだわ」
「けれど」
レヴィアはジャヒーリアの残った手を握り、答えた。
「ジャヒーリア、あなたのおかげで世界の本来辿る未来からは変わっているぞ」
「そう、ね・・・・・・あながち、私の行いも無駄ではなかった、と言うことかしらね」
フフ、と美しく笑う美女だが、その目元は弱弱しい。
「ねえ、レヴィア。一つ、御願い事をしてもいいかしら」
「なんだ、ジャヒーリア」
美しく、気高い彼女がレヴィアに頼みごとをする。それはよほどのことだ。あの、バラの花を思わせる彼女は、今は酷く弱く見える。まるで、花弁が散る前のように、儚い。彼女の死が近づいていることを、レヴィアは感じ取っていた。
「これを、ミアベルに」
そう言って彼女が取り出したのは、ナイフである。柄が真紅で、バラの紋様が刻まれたナイフ。それは、思い入れの強いものなのか、たいそう大事にしていたらしく、傷一つない。
「幸運の、お守りよ。フフ、まさか、ね」
「?どうした」
「いいえ、なんでもないわ」
笑ったジャヒーリアの手からそれを受け取ったレヴィアは「確かに受け取った」と答えた。それに満足した様子でジャヒーリアは目を閉じ、薄らと笑った。
「ねえ、レヴィア。あなたはどうかは知らないけれど、あなたとともに過ごした時間は、とても楽しかったわ」
ジャヒーリアの言葉に、レヴィアは沈黙した。
レヴィアはその力の生で孤独であった。人とは異なる生、そのあまりにも強すぎる力の生で孤独であった彼女にとって、ジャヒーリアやそれ以外の魔神は似た存在であった。そう言う意識こそしたことはなかったが、彼女らがいたおかげでレヴィアは狂うことはなかったのかもしれない。本当の孤独の中でならば、彼女は狂っていただろうから。
「私も、あなたと会えたことを光栄に思う・・・・・・ジャヒーリア」
「・・・・・・ヴェルベット」
ジャヒーリアは弱弱しく呟いた。
「私の、本来の名前よ」
「そうか、ヴェルベット」
「ええ、ええ・・・・・・また、会いましょう、我が友、レヴィア=ツィリア」
満足した様子でうなずいたジャヒーリアは、最後に一度友に微笑みかけると、力なくその手を落とし、永遠の眠りについたのだった。
そして、その身体は光の粒となって消えた。彼女の温もりも、その匂いも何もかもが消えた。
けれど、託された思いは消えなかった。
手に持ったナイフを握りしめ、光の粒をレヴィアは見送った。
「さらばだ、友よ」
そして、レヴィアは決意した。
彼女が愛し、救おうとしたこのエデナ=アルバを、自分が見届けよう、と。
無限に続く、負の輪廻を断ち切るために。
きっと、このためにレヴィア=ツィリアは今まで生きてきたのだ。不思議とそう言う気がした。
妬まれ、孤独から魔神になった彼女。罪の意識の中、彼女は生きてきた。
彼女もまた、ヒトを愛し、世界を愛していた。自分以上にヒトと言う存在を愛し、世界を救おうとしたジャヒーリア、いや、ヴェルベットのためにも迷いはしない。
「この世界に生まれたものとして、『神』を倒そう」