繰り返される世界
大宗主はコンクードの上から風を感じていた。よくない風の臭いであった。
「嵐が、来るか」
嵐が来ることはわかっている。それが避けようのない定めである、と。
まだつかみきってはいないが、レグナ・コーンウォートが動いているらしい。おそらく、それがクロヴェイルやミアベルの言っていたアンセルムスによる罠であろう。そして、レグナの氾濫すらも、おそらくは計画の一端でしかなく、本命ではないのであろう。
アンセルムスと言う人物が、大宗主の思うとおりの人物であるならばおそらくは。
「魔神キュレイアをぶつけてくるのだろう」
大宗主はポツリと呟き、目を閉じる。
「私も、いい加減にしなければな」
大宗主はそう言うと、リナリーが来るのを待った。ミアベルの語った未来の姿。それが、大宗主に決意を決めさせたのだ。
リナリーは客人たちの世話を終え、大宗主のもとに向かった。いつものように穏やかな顔を浮かべて茶を啜る姿を想像していた彼女は、真剣な面持ちで彼女を出迎えた大宗主を前にして戸惑った。
「大宗主様?」
「きましたね、リナリー。座りなさい、今日は話すことがある」
ふと大宗主はリナリーの後ろにいる二人の人物を見る。虹色の髪の少女ミアベルと、顔に刻印を刻んだ少女であった。
「彼女は?」
問いかけるとミアベルが答えた。
「アンセルムスの関係者です。彼女が、アンセルムスのしようとしていることを」
「なるほど」
「アンセルムスはこの国を滅ぼすために、内乱を起こし、魔神キュレイアを動かすつもりです!」
ミアベルの強い言葉に大宗主は驚きはしない。むしろ、そうするであろうな、と納得したのだ。
大宗主はそれならば、尚更話さないわけにもいくまい、とより決意を強めた。
「リナリー、それにほかの二人にも聞いてもらいたい。私は長く、この国を、世界を見てきた。そして、この世界には神がいないことを知った。少なくとも、我々が信じるような神がいないことを」
大宗主の話の意図が見えなかったが、三人は黙ってそれを聞いていた。大宗主の顔は真剣そのものであった。
「そのうちに私は一つの事実を知った。この世界を作った12人の神々はすでに死んでいる、ということに・・・・・・。そして、彼らは何度もの転生と輪廻の中を彷徨っていることに」
「大宗主様、どういう・・・・・・」
「私の母もまた、その転生者であった。女神レアの魂の持ち主であった。それを知ったのは、私がレアレス教の改革を行った後であった。彼女はどうしてかは知らないが、私の前に何度も現れた。私が大宗主となっている理由の一つに、彼女を守る、という理由があった」
そう言い、大宗主はリナリーを見る。リナリーはその視線の意味を悟った。母を見るような、だが子どもを見守るような瞳。それがすべてを物語っていた。
「大宗主様、それはもしかすると私なのですか・・・・・・?」
呆然とするリナリーの言葉に大宗主は頷いた。
「その通りだ、リナリー。我が子にして、我が母よ。豊穣を司る女神。それこそがあなたの本質。そして、この繰り返される『輪廻』に終止符を打つ者だ」
「繰り返される、『輪廻』?」
ミアベルが疑問を挟む。
「そう、ミアベル。君がいた世界の出来事はすでに何千回も繰り返された出来事だ。そのたびに世界はリセットされ、また始まる。終末を迎えるために」
「・・・・・・どうして、そんなことをあなたが知っているのですか?」
「どうしてだろうね。自分でも疑問だ。だが、一つだけ憶測できるのは」
リナリーを見て、大宗主は言う。
「彼女が世界を変えることを望んだから、としか言いようがない。彼女に最も近かったものが、私であり、その役目を私が受けたということなのだろうな」
大宗主の語る話はあまりにも壮大だった。それに、リナリーにとってはショックなことであった。自分の記憶には何もないのだから、当然だ。不安であり、訳が分からなかった。
「私には、それだけしかわからない。世界を終わらせ、輪廻を繰り返す存在が何かも。だが、一つだけわかる。その運命を終わらせるために、ミアベル、君はここにいる。そして、リナリー。それは君が望んだことなのだよ」
「大宗主様、私はどうすればいいのですか」
リナリーが問う。大宗主はわからない、と首を振る。
「だが、女神レアのほかの神々もまた、同じく転生と輪廻を繰り返している。その仲間を見つけるんだ、リナリー。そうすれば、本来辿る世界の破滅を回避できるやもしれない」
「それをどうやって見抜けばいいのですか、大宗主様」
リナリーに代わってミアベルが聞いた。大宗主は首を振り、見抜くことはできないだろう、と言った。
「だが、運命が変わった世界でならば、見つけることもできるかもしれない・・・・・・」
そう言った大宗主は、ふと下界を眺める。どうかしたのか、と思った三人は、大宗主の顔が顰められたのを見た。
「どうやら、アンセルムスの計画はだいぶ前倒しで始まったようですね」
「まさか」
レイーネが驚いて呟く。これほど計画を前倒しにして実行するとは考えていなかったのだ。
「ふむ。あなた方はすぐに下へ避難を。もうじき、ここに彼女が来る。魔神キュレイアが」
「大宗主様は、どうされるのですか?」
リナリーの問いに、大宗主は笑う。
「大丈夫です。私は死にませんよ。キュレイアと、決着をつけるだけです。そう、長きにわたる因縁をね」
そう言った大宗主は早く行きなさいと言った。
「世界を滅ぼそうとするのはアンセルムスではない。彼もまた、一人の駒に過ぎない。その後ろに潜む存在を暴くのです。そして、世界を変えなさい。それができるのはあなたたちだけだ」
そう言い、大宗主がその純白の衣を翻し歩き去っていく。その背に手を伸ばしたリナリーだが、その前で扉が閉まった。
リナリーに言葉をかけ、ミアベルとレイーネは頷き合った。とにかく、早くクロヴェイルらと合流し、事態の収拾に動かなければ、と。
大宗主は空間を突き破り現れた旧知の魔神を見る。
「こんにちわ、ロイ。来ちゃったわ」
「ようこそ、キュレイア・・・・・・いや、ルルー」
「あら、その名前で呼んでくれるの?嬉しいわ」
妖艶な笑みを浮かべた魔神はそう言い、歩いてくる。強力な魔力をその身に宿した彼女は、にやりと笑う。愛憎が渦巻く魔力がロイを襲う。
その悪意の中でロイは耐え抜き、自分が見捨ててしまった少女を見る。
そう、もっと早く、こうするべきだった。言い訳に逃げ、現実から目を背ける前に。
手を伸ばす。それを拒絶するように、キュレイアの声が彼を襲う。
「ルルー!!」
「ロイィ!!」
聖人は魔神とぶつかり合う。レス=グラウキエ・コンクードを激震が走った。
レグナ・コーンウォートは当初の計画よりも少ない支持者を率い、反乱を起こした。本来のアンセルムスによる計画では、魔族や大宗主への反発からレグナの支持者は増えるはずだったが、魔族国滅亡自体がなくなった今、それは難しくなった。またシャンクシーションクからクロヴェイルやミアベルの動きを聞き、計画を早めるしかないと判断した。
結局、レグナの反乱は不成功に終わった。レス=グラウキエ・コンクード制圧は失敗した。居合わせたクロヴェイルやミランダがレグナの一派を返り討ちにしたのだ。アルミオン司祭やそのほかの邪魔ものを片付けようとしたレグナの計画は失敗した。
一方のシャンクシーションクは、レグナの反乱の混乱に乗じて大宗主殺害のほかに、ミアベルやクロヴェイルらの暗殺を目論んでいた。アンセルムスからはその指示は出てはいない。だが、あの二人を放置しておくにはあまりにも危険すぎる。アンセルムスの計画を修正するには、あの二人、少なくともミアベルだけでも殺さねばならない。
レグナ一派の動きに阻まれているクロヴェイルらは後回しにしてシャンクシーションクはコンクードに忍び込んだ。内部は混乱しており、彼の侵入に気づいた様子はない。
(ミアベル=ツィリアがここに潜り込んだのはわかっている)
おそらくその場には妹もいるであろう、と彼は考えていた。それが妹の選択ならば、それもやむを得まい。
闇に生きると誓った時より、この身は一振りの刀である。シャンクシーションクは短剣を取り出した。
「アンセルムス様、万歳」
アンセルムスは頭痛に悩まされていた。それがストレスによるものなのかはよくはわからない。だが、頭痛は時間が経つごとに強くなっていく。
頭の中をざわめく雑音に、彼は言いようもない痛みを感じた。
「なんだ、頭に何かが入り込んでくる、この感覚は・・・・・・!?」
頭の中で響く声。
『偽りの神を討て』
強い光を目に宿した、黒髪黒目の青年が天を見上げていった。
『強すぎる光は、時に嫉妬を生み出す』
朋に向かって放った拒絶の言葉。
『この、裏切り者め』
自分を見る、掛け替えのない仲間の視線。それは、憎悪に染まっていた。
『造物主に刃向う、か。それが貴様と言う存在の性か』
『彼』は嘲笑って言う。何もできない彼に。
そしてそれは言う。
『繰り返される輪廻の果てに絶望するがいい。無限にな』
「やめろ、ヤメロォォォォっぉォォォ!!!」
アンセルムスは叫んだ。混濁した記憶が彼を襲う。
『もう、いいんだよ。我慢しなくて、無理しなくて。ここが、君の居場所だから』
『・・・・・・・・・さすがだな、アンセルムス』
『兄さんは、なんてことを・・・・・・・・・・・・・どうして、どうしてですか!?』
『私も、あなたにとっては所詮、道具だったんですね』
『この命を懸けて、あなたに忠誠を誓う。たとえ地獄の業火の中であろうとも、命尽きるまで』
『哀れだな、アンセルムス』
『繰り返される輪廻の果てに絶望するがいい。無限にな』
治まることのない頭痛とノイズ。苦しい、つらい、哀しい。アンセルムスは声を押し殺せずに、叫び声を上げる。
もういやだ。何もかもが。この理不尽な世界も、自分も、何もかもが。
壊してしまおう。そうだ、あの道化師の言うように破壊に身をゆだねよう。神も世界も、何もかも滅ぼして見せよう。
何もかもがどうでもいい。全てを。
首にぶら下げた指輪を強く握ると、アンセルムスは昏く危険な光を帯びたその目で世界を見た。