オレンジ色の夕日
タイトルはフジファブリック『茜色の夕日』からもらいましたが、小説内容とは全く関係ありません。あしからず…‥
猫のおばさんがいなくなった。昨日の昼、買い物行ってくるわ、とアパートの管理人さんに言い残し出かけたきり、行方がわからなくなったのだ。
アパートの前には、パトカーが一台だけぽつんと止まっていた。ほとんど、いつもどおりの静かな風景。おばさんの失踪を知っているのもアパートと隣りの団地の住民だけらしい。
「おばちゃんもかわいそうだね」
姉ちゃんがそうめんをつるつるやりながらつぶやいた。「さっき来てたんだけどね、親戚っぽい人が。けど全然興味ないっていうか、むしろ迷惑そうな顔してたよ」
「ちゃんとアパートまで来てくれただけマシじゃないかしら」
母さんが顔をしかめて言った。
おばさんはアパートの裏庭で野良猫にえさをやるものだから、近所の人、特に主婦の面々からの鼻つまみ者だ。常に体をまとっている猫の匂い。白髪交じりの髪は頭の上でお団子にして、首にはいつも同じスカーフを巻いていた。柔らかそうな素材で、色あせたオレンジ色。アパートと団地の間を抜ける古い小道の、通学用の歩道と同じ色だった。
でも、いつか、話したとき(ほんの2・3回だけだけど)声が小さい女の子みたいだってことに気付いた。そして笑った顔も、じゃれる猫を見つめる瞳も。
たぶん、僕はおばさんの安否を心配する数少ない人間の一人だと思う。
昼を過ぎるとぐぅっと気温があがった。
姉ちゃんと扇風機の前に座っていたら、二人くっつきあってますます暑苦しいことになってしまった。
「とおる。ねぇ、どいて、よっ」
熱の停滞域に蹴り出される。畳がしみしみ湿って、足の裏に張り付いている。
洗面所で顔を洗うとうだる暑さが少し和らいだ。小さな窓の外からはアパートが見える。おばさんの親戚の人が門から出ていくところだった。
ゆらゆらむらむら、アパートが、陽炎に躍る。親戚に付き添う警官も、パトカーも一緒にゆらゆらする。
ゆらゆら、ゆらゆら。すべて、視界はかき回されて…‥
目の前に猫のおばさんがいた。
「あたし、にゃぉみよ!!」
「え」
しわとしみだらけの顔には不気味な、幼い女の子のセリフ。
「私ね、ようやく猫の国に行くことができたの!!」
ぴろりぃいん☆効果音で突然表れる背景。ピンクとブルーとエメラルドグリーンがオーロラみたいに入り交じる。そして、シンデレラでも住んでいそうな、白くて大きい城。
だいだい色のスカーフがおばさんをぐるぐるっと包んで、オレンジ色のドレスに様変わりした。頭には金色のティアラ。
「とおるくん、ようこそ!!」
ぴろりぃいん☆
「おばさんどうしたの」
「にゃぉみだよ」
「にゃぉみさん」
こうして話してる間に、おばさんの中で何かが変化しているようだった。ときおり、音が聞こえる。ぱきぱき、乾いた小枝を折るような。
「にゃぉみは、間違って人間に生まれてきたの!!」
ぱきん!!
「どういうこと」
「本当は猫なの!!」
ぱき、ぱきん!!
おばさんの体が伸びた。曲がっていた腰がぴんとまっすぐになったのだ。ドレスはだぶだぶのものからタイトなものへ。顔のしわも減っていた。
「ここがあたしのふるさとなの!!」
「そうなの」
「うん☆」
ぴろりぃいん☆笑顔に効果音。
おばさんは母さんと同じくらいの年齢になっていた。
「じゃあ、これから、ここにいるの」
「そうだよ☆」
答えたのは僕と同じ背丈の女の子。髪がさらさらして、白くぴちぴちした肌にティアラが良く似合う。
「とおるくん、この国においでよ!!」
「えっ」
「猫っ毛だし、猫舌でしょ」
「うん」
「つり目がきりりとしてる、きれいな男の子になれるよ!!」
女の子がにこっと笑うと、また、ぱきぱきと音がした。背丈がまた縮む。
答えられずにいたら、女の子は寂しげな顔でほほ笑んだ。こっちに大きくうなづいて見せる。
「暑くて、陽炎ができてたでしょ!!」
ぱきん!!
「ゆらゆら、ゆれてたでしょ!!」
ぱきん!!
「あたしは、ずっと、ゆれっぱなしだったの、猫と人の真ん中で」
もち肌の赤んぼうがもぐもぐと口を動かしてる。
「わかんなかったんだ、どっちか」
ぱきぱき…‥
「でも、わかったよ」
ぱきっ。朱色の服を着た、胎児。
「だって、ここに来れたんだもん☆」
ぴろりぃいん☆胎児すらまだ縮んでいく。
そして、目の前には地面だけが残った。声はだんだん小さくなっていく。
「おばさん、もう、会えないんだね」
「にゃぉみだよ」
「にゃぉみさん」
と、一匹の虎猫が城から歩いてきた。城の者らしく、歩き方に品がある…‥ように、思えた。口には透明な小びんをくわえている。
「大丈夫だよ。あたしは、裏庭のみんなが大好きなの!!」
猫が小びんを地面に横たえる。小びんは音をたてずにぱかっと割れた。中の液体がながれだして、地面に大きな染みをつくる。
「もちろん」
ぷちん。
「とおるくんも、大好きだよ☆」
ぷち、ぷちぷち。
何の音? 何かが小さい膜からはじけだすような。
…‥発、芽?
そう感じた瞬間に、城からどどぅと轟音が聞こえた。と、何千という猫が飛び出してきた。扉といわず、窓という窓からも駆け出してこっちに向かって来る。 猫の大群はあっというまに
『発芽』場所のまわりに集まってきた。こちらの側にもぞくぞくとやってきて、その一部に踏み倒された。起きあがろうにも、猫たちは体の上にたくさん積み重なっているのだろう、なかなか起きあがれない。猫たちの間から、地面に横たわる小さい朱色の丸まりが
『生えている』のが見えた。
尖った爪が背中に刺さる。やがて、頭がぼんやりとしてきた。思考がゆらゆらと陽炎に飲み込まれてゆく。視界の中の猫たちが、輪郭を失って溶け合う、混ざり合う。ゆらゆら、ゆら…‥
またね、と、かすかに聞こえた声は、誰のものだったろう…‥
「おかーさぁん、やぁっと起きたぁ」
見ると、姉ちゃんが背中に乗っかっていた。
あぁ暑い、自分からのっかったくせにそんなことをぶつくさつぶやいている。
畳の上に大きな汗染みができていた。夕飯の、カレーの匂い。長いこと眠っていたんだろう。
おばさんはまだ見つかっていないらしい。
夢の内容を反復してから、窓の外を見る。暮れゆく空の色、オレンジ色。陽炎はもう見えない。
「あの人、帰って来るのかしらねぇ」
「来るさ」
「へえぇ、自信あるわけ」
「まぁね」
にゃぁん、と、凛とした鳴き声が聞こえた。オレンジ色に染まった猫が、新しい仲間を待っているのだ。
川上弘美のような雰囲気をだしたかったんですが、いかがだったでしょうか…‥感想・評価頂ければ嬉しいです♪