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蕎麦屋は二度ベルを鳴らす 1

作者: ミダ ワタル

帝都東京。麹町に探偵事務所を開く元警部のロバさんこと路場戸出二郎ろばとでじろうは三本指にはいる銀行を有する住吉財閥の美しき女主人・由美子に呼ばれ、挑戦とも受け取れる奇妙な依頼を受ける——。


<同サイトで活動されている三人の方々とのリレー小説です。Twitter上でのやりとりで出たキーワード全てを盛り込む1話目を担当しました。(1話目)巳田→(2話目)まめごさま→(3話目)天ヶ森雀さま→(4話・最終話)kuro-kmdさまと続きます。現在完結。展開・設定の縛りは無し、話を続ければOKというアバウトな企画です。つづきは『蕎麦屋は二度ベル』『リレー小説』タグつながり、後書きURLよりどうぞ>

 のぼり旗やレビュー看板が賑やかな浅草の通りを、ぶらぶらと一人の男が歩いている。

 糊の抜けた白シャツ、赤茶けた色のくたびれたツイードの背広にズボン、フェルト帽からはみ出た七三に分けたぼさぼさの前髪、顔は西洋人のように引き締まっていた。

 砂埃に曇った黒い革靴を蹴り上げるようにして小屋から小屋を覗き歩き、隅田川の方向へと進む途中で喫茶『ボン・ソワール』に寄って一服していた男の居場所を、一体どこの誰から聞きつけたのか、使いの小僧が手紙を持ってやってきた。

 小僧に駄賃を渡し、手紙に目を通した男は立ちがると店を出て、吾妻橋を横目に川沿いをぶらぶらと歩いていった——。


「ずいぶんとお早いですのね」

 突然、屋敷のベルを鳴らして、応接間のソファで悠々と出された紅茶を飲んでいる客の男をまじまじと立って見下ろしながら、この部屋へ男を案内した下女から受け取った男の名刺を手に屋敷の美しき女主人はおっとりと呟いた。

「なるべく急ぎでと手紙に書いて寄越したのは、貴女じゃありませんか」

 男の言葉に納得した女主人は、白い絹の洋服の長い裾を淑やかな動作で揺らして、彼と向かい合うようにソファに腰掛けた。

「わたくし、住吉由美子と申します……ええと……」

路場戸出(ろばとで)二郎です。知っていてお呼びになったのでは?」

「珍しい名字ですのね。ええ……主人の知り合いの方からのご紹介で存じ上げておりますが、麹町で探偵事務所を開いているロバさんという元警部さんだと聞いておりましたので」

「なるほど」

「そちらは?」

 テーブルの上に置かれた風呂敷包みへと目を向けた由美子の言葉に、二郎はソファに深々と預けていた身を起こして、包みに手をかけた。

「並木の蕎麦です。浅草にいましたものでね。お昼は?」

「まだです」

「そりゃ、よかった。食べましょう。ここのザルは絶品です」

「はあ」

 いそいそと風呂敷包みの中身を並べだす客を、由美子は呆気に取られたように眺めた。


「手紙にはこうも書いてあった“どうぞくれぐれも人目につかぬように”と」

 蕎麦を飲み込んで言った二郎に、啜り上げかけた蕎麦を途中で止めて由美子が上目に彼を見れば、神経質そうに眉の根元を二郎は寄せた。

「蕎麦ってのは、一息に啜り上げるもんです」

 こくりと頷いた由美子の小さな口元につるりと細い蕎麦の筋が吸い込まれる。暫くの間、赤絨毯と調度も豪華な西洋趣味の応接間にずるずると蕎麦を啜る音だけが響く。それがすっかりおさまったのは柱時計が正午を打った頃であった。

「まさか……お蕎麦屋さんのふりをしていらっしゃるなんて」

 くすくすと可憐な笑い声を由美子が立てた時、ドアのない応接間の入り口からすんすん鼻を鳴らしながら白い巻き毛の小さな犬がよちよちとやってきて、きゃん、と一声鳴いた。

「いけませんよ、お客様の前で」

 スカートの裾に纏わりつく犬を抱き上げ、由美子は二郎に微笑んだ。

「きっとお蕎麦の汁の匂いにつられたのね。虹子ですの」

 きゃんと挨拶するように虹子という名の犬はまた鳴いた。

「はあ」

「わたくしが女学生の頃から一緒におりますのよ」

「子犬にしか見えませんが……失礼ですがお幾つで、犬じゃなくて」

「わたくしは二十八歳、虹子さんは十歳。こう見えておばさまですのよ」

「両方とも、とてもそんな風には見えません」

「まあ、お上手」

 くすくすと虹子の白い巻き毛にほっそりした顔をすり寄せて笑う由美子の頬はまだ瑞々しく紅く、どう見積もっても数歳は若く二郎の目に映った。どんな美容術や化粧法の賜物かしれないがつくづく女は魔物だと思いながら二郎は気を取り直すように軽く咳払いした。

「……それで、住吉財閥惣領の奥様が一体、僕に何のご用ですか?」

「お調べ頂きたいことがございますの」

「それはどのような事でしょう」

「ええ……富士子さんっ」

「はい、奥様」

 由美子の張り上げた声に、黒っぽい洋装のお仕着せに白いエプロンをつけた二郎をこの応接間まで案内した女中が現れた。

 由美子より一回りは歳嵩で泣き黒子が妙に扇情的な女中であった。

「お客様に煎茶をお出ししてあげて」

「かしこまりました……あの、こちらはどういたしましょう?」

「浅草の並木蕎麦に連絡して取りにこさせてください」

 食べ終えた蕎麦のせいろを困惑気に見つめてから女主人を伺うように顔を向ける、富士子という名らしい女中に二郎がそう言えば、了承したように頷き手早くせいろや汁の入った猪口をまとめて持ち上げ、女中は部屋から出ていった。

「彼女が小峰富士子、母が上海から引き取って面倒を見たわたくしの侍女です。そして、あそこにいるのが……」

 そう二郎に横顔を見せて、窓の外、薔薇咲き誇る花壇を見る視線の先には薔薇の根元に踞るようにして、ずんぐりとした背の低いせむし男が歩いていた。

「庭師の元次です。彼も上海から来た母の仲間ですの」

「上海。たしかあなたのお母様である住吉蘭子さんは……」

「わたくしの母は日本から上海に渡り興行していた一座のスタアでした。大陸で父・住吉権蔵と出会いその後妻に納まった後、母が抜けた事で解散した一座の路頭に迷った仲間の人達を引き取ったのです」

「お優しい方だ」

「ええ、母が亡くなった後もその恩に報いて二人はわたくしに仕えています。わたくしの夫の鉄朗は皆さんご存知の通り入り婿で、八年前に結婚しました」 

「それで」

「お話は約十五年前の昔に遡ります」

「十五年前と言えば……例の買収劇で世間が賑わった頃ですね」

「そうです」

 由美子は静かに答えて頷くと、大人しく主人の膝の上で俯せている虹子の背を撫でた。

「古いといっても所詮は中堅だった住吉の銀行でしたが、それを遥かに上回る規模を持つ御竹銀行を買収したことで三本指に入る銀行へと大きく飛躍しました」

 住吉財閥は金融事業を中心とする家であった。

「その当時、父と母の間はまだ娘のわたくしにもわかる程にすっかり冷めきっておりました。そこへ大蔵官僚の大岡平次が母に近づいたのです。大岡は買収の影の立役者」

「そして後のあなたのお父様だ」

「ええ、御竹銀行を買収後間もなく、父は夜中に屋敷の階段から足を滑らせ亡くなりました」

「警察は事故と発表しています」

「そうです。父は上海で片足を痛めてステッキを常に持って歩いておりました。事故の時、母はお友達の不幸で鎌倉に。他の使用人達もそれぞれ彼らが住む離れ小屋の各自の部屋で寝ておりましたし、お屋敷中鍵がかかっておりました」

「大岡さんは?」

「赤坂のお座敷で宴会の後、寝込んでしまわれたそうでお店の方が付き添っていたそうです。父の喪が明けて一年後、母は大岡と再婚し、大岡はこの家に婿入りしたのですが……」

「十年前に事故でお亡くなりになりましたね」

「はい、母と結婚して三年目の冬にわたくしの目の前で……往来で、車に……母は大層ショックだったのでしょう、そのまま病の床について三年の療養虚しく息を引き取りました」

 ふるふると肩を震わせて俯いた由美子に、同情のため息を二郎は漏らした。

「お辛かったでしょう」

「ええ、母のことは勿論、幼い頃からわたくしをなにかと気遣い慰めてくれた元次と、この虹子がいなければとても……」 

 由美子の言葉に、おやと二郎は訝しんだ。

 二人の父親の時はともかく、少なくとも母親である蘭子が亡くなった時はすでに由美子は夫の鉄朗氏と結婚していたはずである。

 二郎が疑問を口にしようとした時、失礼いたしますと富士子が蓋をした茶碗二つを乗せた盆を持って入ってきて、テーブルの上に乗せた。

「ありがとう、富士子さん」

「由美子さん、貴女たしか先程夫の鉄朗氏とは八年前に結婚したと仰っいませんでしたか?」

「旦那様は奥様とご結婚後すぐにロンドンの拠点開設に旅立たれたのです」

 由美子が答えるより先に、富士子が淡々とした固い調子で二郎に答えた。

「そうでしたか」

「わたくしも側についていければよかったのですけれど、まだ母が生きて看病しておりましたしとても離れる気には……富士子さん、あなたにお願いしたのよね」

「はい、奥様の代わりをお務めするようにと」

 無表情に富士子が答えるのに、それはまた随分と大らかな話だと二郎は由美子を見た。

 新婚にもかかわらず、夫に自分の侍女をあてがうのも同然だ。

「あちらはご婦人がついていないと社交も不便ですので。他の方ならともかく、富士子さんなら信頼がおけます」

 きっぱりと毅然とそう断言した由美子に気圧され、二郎は黙った。

 その信頼が置ける女はどこから聞いていたのか彼と由美子の会話を把握している様子であったことに二郎は気がついていた。

 しかしそれはまた由美子も同じだと彼は考えながら出された茶を啜る。

 茶は上等の煎茶で、それを淹れたらしき富士子は女主人の座るソファの後ろへ控えるように立っている。

「調べて欲しいというのは、亡くなったご身内の方のことですか?」

「いいえ、わたくしのことです」

「由美子さんの?」

「ええ、亡くなった者達の全員の死に立ち会っているのはわたくし一人、もちろん皆、不審な点はありません。夫はわたくしに猜疑心を持ちそれが年々高じて……わたくし胸を傷めておりますの」

「奥様はご自身の潔白を証明できる方を探すようにとお命じになり、私がさる伯爵の方より評判をお聞きしてご紹介頂きました」

 二郎に由美子の手紙を届ける手配をしたのは富士子であり、そうであればこの女は油断ならないと判断した。

 二郎は昨晩、麹町の事務所兼住宅には戻らず、浅草の待合で夜を明かしてそのまま暇にまかせてぶらぶらと遊び歩いていたのだからその居所を掴むとは並大抵の女が出来ることではないからだ。

「なるほど……実に奇妙であり興味深いご依頼です」

 二郎は傍らに置いていた帽子を取り上げるとかぶりながら立ち上がり、そんな彼を身内を亡くし夫に疑惑の目を向けられた哀れなる令夫人は縋るように潤んだ瞳で見上げた。

「路場戸出さん、わたくしのお願い聞いてくださる?」

「勿論です。貴女のお話を聞いて大抵の見当はついておりますが……」

「でしたらぜひ見解をお聞きしたいですわ、ねえ富士子さん」

 由美子を見下ろした二郎は、彼女が彼から背けるように富士子に移した眼差しが一瞬で冷静さを取り戻し、奥に妖しい光が差したのを確かに見た。

「まあ、あくまでも想像です。きちんと調べてからでもよいでしょう」

「路場戸出さん、一つよろしいかしら?」

 ソファから一歩離れた立ち去る挨拶代わりに頭を下げかけた二郎を由美子が止めた。

「どうぞ」

「お蕎麦屋さんはお勝手口から入るものではなくて?」

「当世はそうでもありません。次にお伺いする時はご依頼を果たす時でしょう。それでは失礼」

 軽く会釈して颯爽とした動作で応接間を立ち去った二郎の後ろ姿を由美子と共に見送りながら富士子がぽつりと漏らした。

「円タクでやってくる蕎麦屋もいやしませんよ」

「それも、当世はそうでもないんでしょう……次いつお蕎麦届けにくるのかしらね、虹子」

 白魚の手にゆるりと巻き毛を撫でられて、きゃんと小さな犬は一声鳴いた。


 門柱の上に二匹の向かい合う兎が乗っていた。

 門だけではなく住吉の屋敷には至る所に兎のモチーフが配されていた。

 兎は住吉の家の守り神だと、いつか新聞の記事で読んだことを二郎は思い出していた。

 一方、御竹銀行の元の持ち主、買収されたことが元で破産した青梅家という家は狼を祀っていたと聞いたことがある。

「追われるはずの兎が狼を食ったとは……住吉権蔵は魔都上海から魔術でも持ち帰ってきたのかね?」

 門柱の兎を見上げながら呟いて二郎が振り返って見た先に、庭師の元次がぞろりとした様子で立っていた。その顔は大きく襞を取ったように目の下が焼けただれように腫れて頬と段々になっており、人というより異形の獣のように見えた。

「君は一座では?」

「へえ、大奥様の奇術のお相手でございます」

「蘭子さんは奇術師か」

「ヘッ、ヘッ……水責め、火責め、刀剣刺しからの脱出でございますよ」

「そりゃ、大変だ。その顔は練習の時でかね?」

「あっしのドジだってのに、大奥様はそりゃ気の毒がって優しくしてくれやしたんでえ……」

「こうして屋敷に住まわせて面倒を見てくれるわけだからね」

「お寂しい方でございやす、お二人共……あっしがお側についてやらねえと旦那連中はあてにならねえでございますから……ヘッ、へッ」

「ところで君、ここに待たせておいた車を知らないかい?」

「お帰りになりました」

「そうか……」

 なら、歩くしかないようだと二郎は肩を竦めた。

「道中気をつけてお帰りくだせい……」

「ありがとう」

 見送りの礼をするように曲がった背を揺すった元次に礼を述べて、二郎は門を出ると道に沿って歩きながら魔窟のような屋敷だと胸の内に呟いた。 


つづきはこちらです。

2話(担当:まめご様)

http://ncode.syosetu.com/n0181x/

3話(担当:天ヶ森様)

http://ncode.syosetu.com/n0518x/

4&5話(最終話)(担当:kuro-kmd様)

http://ncode.syosetu.com/n6171x/


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