物語の異変、現実の異変
最初の異変は、小さかった。
大学へ向かう途中。
駅前の横断歩道で、人だかりができていた。
救急車。警官。ざわつく野次馬。
事故かと思った。
だが、近くの高校生の会話が耳に入る。
「え、何あれ」
「人じゃなくね?」
「鹿……いや、なんだよあれ」
奏多は背伸びをして、隙間から覗いた。
アスファルトの上に、動物の死骸みたいなものが転がっていた。
犬ほどの大きさ。
だが脚が多い。多すぎる。
毛ではなく、濡れた膜みたいなものに覆われていて、顔の位置に目が集まりすぎていた。
見た瞬間、背筋が粟立つ。
その形に、見覚えがあった。
もちの短編『排水溝の底で増えるもの』に出てきた、“泥食い”に酷似していた。
ぞっとした。
ぞっとしたが――
それと同時に、胸の奥から、別の感情がせり上がってきた。
まさか。
高揚だった。
終わっている。
だが、そうだった。
その日の夕方、SNSは似たような投稿で溢れた。
別の県で、存在しないはずの通路が地下街に現れた。
商店街では、空中に扉が浮いていると通報があった。
地方都市では、夜中に人ではないものがゴミ捨て場を漁っていたという。
翌日にはニュースが扱い始めた。
専門家は偽動画だの集団ヒステリーだのと並べていたが、その晩、駅の天井を破って白い蔓のようなものが垂れ下がる映像が生配信され、さすがに誤魔化しが効かなくなった。
三日後、国内で最初の死者。
五日後、地下鉄の廃線跡から巨大な縦穴。
一週間後には海外でも連鎖が始まる。
空を横切る金属質の飛行体。
海岸に打ち上げられる発光生物。
郊外に突然現れる石造りの塔。
ニュース番組の言葉は、じわじわ統一されていった。
世界的異変。
大学は休講。
バイト先のコンビニは時短。
街には自警団気取りが出始め、ネットは終末論者、陰謀論者、救世主ごっこ勢で地獄絵図。
日常は、驚くほどあっけなく崩れた。
人々は怯えていた。
だが、奏多だけは違った。
恐怖の中で、むしろ鮮明だった。
頭が冴える。
足取りが軽い。
寝不足でも身体が動く。
怪物じみたものが駆除される映像を見て、吐き気より先に「次は何が来る」と考えている自分に気づく。
最低だ、と思った。
しかし、嘘はつけなかった。
生きている感じがした。
何もかも決まりきっていた世界が、急に未定義になった。
その不安定さの中で、初めて、自分の選択に重みが生まれた気がした。
授業に出るか出ないか、ではない。
逃げるか、見に行くか。
信じるか、確かめるか。
自分の意思で、世界に触れられる。
しかも、起きている異変の多くが、もちの作品にあった。
完全一致ではない。
だが、核が同じだった。
混ざり方。壊れ方。現れ方。
偶然で片づけるには、あまりにも似すぎていた。
奏多は、もちの作者ページを開いた。
更新は止まっていた。
最後の新作は、一週間前。
『明日になると、空から来る』
そのタイトルを見た瞬間、喉が渇いた。
作中では、夜空から降下した“探査体”が都市を観測し、人類に理解不能な災厄をもたらしていた。
現実でも昨日、関東上空で発光飛行体が確認されている。
感想欄を開く。
過去の自分の文章が並んでいた。
『本当に起きそうで怖いです』
『現実になったら最高です』
『こんな世界で生きる主人公たちが羨ましい』
画面の光が、急に冷えた。




