ある手紙
女性向けだと思います。
同性愛要素もあるといえばありますが、テーマではないです。また、そういった描写は当然なしです。
僕の大切な養い子であり友人へ
突然のことで驚いていると思います。
ごめんなさい。
貴方に一言でも会って直接伝えるべきだと分かっているのです。けれど、どうしてもその勇気が僕にはありませんでした。だから、この手紙に貴方が知りたがっているだろうことと僕が伝えたいことを記しておきます。
それには、まず貴方に僕が幼少の頃より感じてきた予感について話さなければいけません。
僕は物心ついた頃から得体のしれない不安を時折感じていました。
今思い返すと、それは僕の存在を根底から揺るがすものが現れるのを知っていたからなのでしょう。
母の胸に抱かれながら、父と話しながら、または兄弟と走り回る途中にふと感じていたのです。何かが呼んでいるのを。
そんな妙な感覚に襲われながらも僕は生れ故郷で穏やかな日々を送っていました。僕は自身が時折感じるそれを気のせいだと信じ続け、他人から見れば極平凡に暮らしていたのです。それが変わったきっかけは母の死です。
僕が16歳の時、母が亡くなりました。家族皆が悲しみに襲われ、家の中がしんと静かになったのを今でも覚えています。母は快活で、優しくとても素晴らしい人だったので彼女を喪った僕らの悲嘆はどうしようもないものだったのです。父の悲しみようは特にひどく、生気が喪われたようでした。最愛の人を喪ったのだからそれは仕方のないものでした。
そんな中、ある夜ふと目覚めた僕は喉の渇きをおぼえて階下に下りました。そして石のように動かず座りこんだ父を見つけたのです。声をかけようとした僕はけれどそうすることができませんでした。その時の父には誰をも阻む空気があったのです。
時が止まったようでした。
立ち尽くす僕を動かしたのは父の声でした。
微かな声でけれど聞き間違えようもなく父が母の名を呼んだのです。その声の暗さに僕は息をのみました。
そして漸く僕に気付いた父が顔を上げます。その眼に映る狂気のような光を僕は今でも忘れることができません。
「傍に居てくれるだけで良かったんだ。彼女のいない世界にどうして――…」
父が僕に言った言葉です。
愛情とは人をどんな風にも突き動かすものです。
僕が貴方に出会って救われたように、人に喜びを送り幸福を与えもするけれど狂気をも与えます。
狂おしいほどに人を苛みもするのです。
僕は父の言葉にそれを悟ったと共に、僕がずっと恐れていたものを知りました。
僕は貴方を妹のように娘のように思っています。家族として時に友人としても愛しています。けれど僕は恋人を得た貴方にこんなことを言うのはどうかと思うのですが、恋人へ向ける愛情だけは誰にもむけたことがないのです。むしろ忌避してきました。
優しく穏やかなだけではいられない感情を僕は恐れ続けたのです。
僕がそれを恐れるのは父に感じた狂気へのトラウマではなく、幼いころから僕を苛んだ不安の根源です。
16歳の僕は父があの夜言った台詞をどうしてだか過去に向けられたことがあったのです。いえ、僕ではないけれど、確かにその台詞を覚えているのです。
貴方は意味がわからないと言うでしょう。
でも、僕にとってそれが真実でしかないのです。
僕は母の腕に抱かれる前、いえその腹の中に宿るより前でしょうか。とにかく到底経験できるはずの無い過去に、僕ではない誰かの記憶を覚えています。
生まれ変わりと言えばいいのでしょうか。信じられないと思いますが、僕には別の誰かの記憶があったのです。
それを思い出させたのが、あの夜に父が呟いた言葉です。
「傍に居てくれるだけでよかった」、「彼女のいない世界にどうして――……」
僕が言われたと記憶している言葉とは少し違うけれど、僕は同じような言葉を向けられた記憶があるのです。
信じる、信じないは自由です。書いている僕も書きながら、自身の正気を疑っているのですから。
けれど、16歳のあの夜から、覚えているはずの無い記憶が僕を苛み続けるのです。
記憶を蘇らせた当初、僕は気が狂ったのだと思いました。
けれど、それならばどうして僕は誰かの思い、感覚を覚えているのでしょうか。更に言うならば習った覚えのない言葉を、書籍の内容を知っているのでしょうか。
貴方に教えたピアノも実はそうです。僕は故郷の村を出るまでも、村を出てから貴方に出会うまでの間もピアノを習ったことは一度もないのです。これは僕の友人に確認すればすぐ分かることです。
僕はこのいくつもの事実があるため、正気を闇雲に疑うことも出来なかったのです。
僕は恐れ続けました。
覚えのない体験を記憶していることではなく、その記憶そのものとその中に出てくる彼を。
彼は、僕の記憶の中に幾度も出る存在です。
僕が覚えているのが前世の記憶だとするならば、彼は僕の前世に幾度も登場しました。
僕の記憶の中で僕は、一人ではないのです。背の高い学生、小さな町の少女、病気がちの青年、兄妹の末っ子。快活な女性……。
彼はどんな僕の傍にも居たのです。彼の姿はどれも違う。けれど同じなのです。
僕はいつでも彼から逃れたがっています。友人であったことも、信頼する人であったことも血縁であることもあるのに、僕は彼を恐れているのです。
詳しく言うことはしませんが、いつでも強者は彼であり弱者は僕であるのです。
逃げて、逃げて。恐れて。縋って。
それでも捉まってしまう。それだけが決められた筋書きなのです。
それでいて、彼は僕を愛しい存在だと言うのです。大切にしようとした結果が僕の望まないものでしかないのです。
僕が女性であれば愛情という束縛で僕は捉えられます。
僕が恋人をつくらなかった理由がこういった記憶であるのは言うまでもありません。
僕は貴方に出会うまでも、貴方と出会ってからも、この記憶を恐れ続けてきました。
さて、ここまで筆を進めると貴方にも僕が最初に言ったことが何と無く分かってしまったのではないでしょうか。
一週間ほど前のことです。僕は彼に出会いました。
気のせいだと、全てが僕の妄想であると思おうとしました。けれど彼が言ったのです。目の前で、間違えようもなく彼だと示したのです。
ごめんなさい。
僕はどうしても、僕が持つ記憶と今を別だとは信じられなかったのです。
また彼につかまってしまうとしか思えないのです。
幾度も逃げて来たのです。そして捕まってしまう。
追いつめられて、大切な者を奪われて、捕えられる。
僕の意思、感情を全て否定されるようにして、彼に見守られ、目を閉じるのはもう嫌なのです。
許して下さい、とは言えません。
僕には、貴方に謝ることしかできません。
ごめんなさい。貴方を悲しませてしまう僕は保護者として失格だけれど、僕にはこういった選択しかできなかったのです。
ただ、僕が何より大切だと思う貴方が幸せであるのを願っています。
大切な人とずっと一緒に居て欲しいと思っています。
お元気で。
貴方の養い親であり友人より
追伸
彼が誰かは、決して知ろうとはしないで下さい。
彼は僕が居なくなれば、貴方には手を出さないと思います。けれど、それも場合によっては保障できなくなります。
初めての投稿ですが、あまり好まれる内容ではなかったと思います。
それでも、読んで下さった方がいれば有難うございます。
そして、本当に内容、文ともにごめんなさい。






