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どうしてこうなる。どれだけあがいてみても変わらないものがある。どれだけ頑張ってみても、報いは高みから「もっと頑張れ」と、また見下す。優しい人間にまとわりつくのは、「あなたは優しいから」という迷惑な期待と無慈悲。
人が一番いい人生を歩むように模索し続ける。そう言い放った青年を一人知っている。「世の中はクソだ。そういう世の中にした人間はクソだ。そんな人間になることを見越していながら作った神様もクソだ。それをわかっていてクソだクソだって嘆く奴はもっとクソだ。別に何か成し遂げたいわけじゃない。生まれてしまったから仕方なくだ。そこは勘違いすんなばーさん。不本意だろうと手に入ってしまった高価なものを自ら手放すなんて馬鹿げている。自分にとっては無価値でも、それに価値を見出せなかったのなら価値を与えてやるしかない。自分の手で。人任せは嫌いだ。俺が俺のことを他人と判別してしまう前に、価値を作り上げたい」
よくわからないガキだった。言いたいことはわかる。だけど、やっぱり狼が遠吠えしているような、ありふれた言葉にしか思えなかった。
純愛とは何か、と言った。周りに笑われても耐えられるように人間はできていない。自分が純愛を持っていても、相手がそれを持っている保証はない。そもそもそこに疑いの余地がある時点でそいつは純愛をすでに手放している。だから、最後に逃げ出した。自分が現代では生きていけないことを知った。
夕暮れ、田舎の道を駆けたそうだ。声に出して泣いたそうだ。感涙のはずだった。でも泣いた。初めて泣きながら走ったそうだ。初めて涙が伝って、耳にまで届いたそうだ。
閉じ込められた男が地下室で五年間やっていたこと。
何ができる?
閉じ込められた地下で。
何もない伽藍堂で。
食事もままならない。水も浴びず、髪が伸びきり、髭とつながって原始人になったそいつは何をしたんだ。
もうこのときすでに、外からドアが開けられることは無くなっていたそうだ。男を監禁した両親は、二人とも交通事故で死んだらしい。
意図的か否か、両親は命と引き換えに虐待を葬った。
学校にも通えず、外の空気を吸ったのも数える程。社会のことを何も知らない人間が大人になった。
でも、彼はすぐに馴染んだ。社会に。仕事ができた。だから慕われた。言葉遣いが汚いのに。だらしないのに。箸をちゃんと持てないのに。食い方が汚いのに、だ。
五年の空白と、たった数か月の吸収。一般人が五年近くかけて吸収することを、たった数か月で吸収するために必要なもの。
「ただ生きようと思ったんだ。生きたいと思ったことはない。でも生きなきゃいけなかった。そんな気がしたんだ。だから、飯が運ばれなくなって数日、喉が渇いて腹が凹んで、腹の音でノイローゼになりかけもう死んじまうって直前にドアを押した。ふざけてるよな。鍵なんか閉まっちゃいなかった。もしかしたら鍵が閉まっていたのは最初だけだったのかもしれない。俺の親は何がしたかったんだろうな。蝶結びの熨斗に一言、生きろって、ナウシカじゃないんだからさ」
説明になってないよ、クソガキ。
でも、こいつのせいで私も生きなきゃいけなくなっちまった。
「無機質な人間を作るのは汎用性が高いからだ。そもそも人間に正しい判断などできない。何かをすれば敵を産む。そういうものだ。だが、ここまで人を掌握して、そこそこ真っ当な人間を作れるのなら政府はどうしてそうしない。それが罪だからだ」
いい説明だ、クソガキ。
海開き以降、海岸沿い一帯は多くの客で溢れた。勿論、裸の客は一人もいない。
夕暮れ、客が引いていき、砂浜にはまるで波のようにたくさんの足跡が残っていた。小屋のベンチに座る瀬戸は、客が残していったゴミを拾う藍の姿を眺めていた。
「まだ生きてたか、ばーさん」
「あんたが死ぬところを見るまでは生きるつもりだよ」
瀬戸の隣に来た小笠原は、真っ黒なスーツに身をくるんでいた。そのまま地べたに腰を下ろし胡坐をかいた。
「ばーさんよく言ってたろ。その時代にはその時代に合った生き方があるって。時代に逆行するような奴は馬鹿だって」
「そんなこと言ったかいや」
「あそこでゴミを拾っている奴は馬鹿に見えるか?」
「どうかな」
「あいつは裸の方がお似合いか?」
はて、と瀬戸は悩む。
悩んだ末にこう言った。
「どっちも似合うんじゃないかね」
波の音が行っては返ってくる。波に反射した太陽の光が、キラキラと波の上を泳いでいる。誰もいなくなった海。ゴミを拾う人影。それを眺める腰かけ老婆と都会風の胡坐かき。
また一つ、木に枝が伸びる。




