表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラブレター  作者: 面映唯
dear kichi
18/28

2

 髪をかき上げる。海水に濡れたせいか全身がべとついているが、違和感はない。砂浜に上がると、足の裏に砂がくっついた。当然のように構わず歩く。


 浜辺を抜けると草原が広がっている。「でかいな」と思わず零れた。遠くで見るのとは違うその大きさに気圧されそうになる。


 有紗が島を抜け出す前日、「どうせ明日から地下室から一歩も出られないんだから」と、島中を歩いた。ただ歩いた。何も感じなかった。行く先は決まっていなかった。明日から歩くことはない、今日は一日中歩いてみてもいいんじゃないかと思ったに過ぎなかった。


 結果的にその気まぐれが功を奏してか、有紗は五年目にして初めて鉄橋の立つ草原に足を踏み入れることになった。狼と出逢い、事の真相を七割程度知ることになる。


 あの日、私は何を思ったか――自分が犯罪者だと知って落胆した覚えはない。冷静に、そうなんだ、と納得した気もしない。何かすごく重要なことを忘れているという感覚だけが胸に明かりを灯した。その温かさと光だけはずっと消えなかった。なんとなく地下室を歩き回ったときも、なんとなく天井に手を伸ばしたときも、暖色のライトに目が眩んだときも、小笠原の手紙を読んだときも、身体と頭が、それぞれ別々のことを同時に行っているような感覚だった。通路を這いながらも走っているような感覚。何も考えていない一方で胸の温みを感じている。人格が二つあるわけではない。二つの感覚が同時に存在する。


 何かを掴んでいるはずなのに、手放している感覚も抱いている。


 ふざけんな、と叫んでいるはずなのに、もう疲れた、と全身に怠さが込み上げる。


 変わってしまった私は私ではない。


 そんなわけないのに。


 休みの日は家に籠ることが多くなった。職に就くことができたと言っても、本当に言葉のまま職に就いただけで、楽しいことを望んでいたわけではないが、楽しいことは何一つなかった。寧ろ生きがいだった。仕事が。作業が。デスクの前が。没頭した。廊下を歩くのがこんなに億劫だなんて。常に誰かに見張られているような感覚が消えない。目が合っただけで目を逸らす習慣。何かされるのではないかという不安。実際にされた際の数々の記憶。蘇る悪意。見下された人権。優しくされると、この後連れ去られるのではないかと不安になる。本当に申し訳ないと思った。その人は優しかったのに、私のせいで優しい人になれなかったのだから。


 胸だけは張って歩いた。背筋を伸ばして姿勢よく歩いた。家に着くと玄関でうなだれる日々を送った。ただ歩くだけなのに、こんなにも大変なことだなんて。その度に、思い出されるのだ。玄関で(ひざまず)きながら思い出すのだ。大して気にも留めず、流し読みした小笠原の手紙の言葉が。

――手紙を読んで、なんで文字が読めるんだろう? どうしてだろう。知りたい。と思ったならそこで寝ていることを勧める――


 ほんと、寝てた方が楽だったよ、こんな。


――何が言いたいかって、そんなものはどっちでもいいということだ。僕には私にはそんなこと関係ないし、私には僕には他人に干渉するほど真偽に躍起になる問題じゃない、と突っぱねることだ――


 頭の中で小笠原がそう言うから。そう思うことにするようになった。


 泣き寝入りするしかなかった初めの頃に比べれば、小笠原の前に胸を張って立ってもいいようなぐらいには成長していた。


「地獄から生還した奴は、佇まいが違うな」


 鉄橋の下で影を被る狼に、有紗は方言でこう返す。


「始めから生きてなかったみたい。地獄から天国に帰ってきただけ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ