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ラブレター  作者: 面映唯
dear kichi
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 数枚の便箋をまとめ、丁寧に封筒にしまう。窓の外に目を向ける。雨はガラスを爪で引っ掻いたみたいだ。嫉妬した烏がとても大きな前足で引っ掻いたのだろう、ガラス一面に模様を作っていた。行き交う人々が傘を差しながら歩いている。傘を持っていない人が俯き、小走りで駆けていく。足元で弾ける水しぶき。空調の利いたカフェ内がやけに涼しく感じる。


 有紗(ありさ)はテーブルの上に向き直る。黒い液体の浮かんだ白いコーヒーカップ。長方形の封筒。封筒の逆立つ紐と淡い灰色をじっと見つめる。表には何も書かれていなかった。手に取って裏返す。右下に小さく「喜一(きいち)」と書かれている。


 自分の名前を知っているということは、きっと、図書館で新聞か何かで調べたのかもしれない。でも、彼が想像した通りの場所に、自分の名前は記されてはいなかっただろう。


 彼は、自分が犯罪者ではないかと知って何を思っただろうか。明確な記憶はない。何もしていないにもかかわらず、どうしてあんな島に流されたのだと嘆いただろうか。


 現在の日本に、彼らを殺せる法律はない。あの島は、いわばアルカトラズのような監獄である。現実的に脱獄しようとすれば出来るだろうが、それを実行しようとする者がいないということを前提に、囚われていると言うべきか、そこで暮らしていると言うべきか。罪の名称は流罪。殺人だろうと強盗だろうと。流刑されている時点で彼らの刑は執行済み。彼らが本島に戻ってこようと、刑罰に問うことはできないし、殺すこともできない。勿論、本島で裸で過ごすことがあれば、公然わいせつ罪に当たる。


 死刑制度が撤廃されたがための政府の施策だった。罪を犯した身としては、非難する余地は毛頭ない。


 有紗は、喜一の父親を殺していた。有紗自身、その罪に対して罪悪感はなく、そもそも思い出せない。仕方のないことだったのだろう、でも仕方のないことでは済まされないような方法を取ってしまったのだから、罰は受けなければならないと認めている。


 そう、一か月前までは確かに思っていたはずだった。


 ほんの出来心だった。




 有紗が島を抜け出した前日、狼が「万が一にも、現世に戻ってくるようなことがあれば、いろいろ地獄での話を聞かせてくれ」と言っていたことを思い出し、それを方便に有紗は島へ向かった。有紗は泳いで向かうつもりだったが、その様子を見かけた瀬戸(せと)が制した。


 瀬戸は、島から一番近い海岸で海の家を管理する七十の老婆だった。あの島を作った小笠原の知り合いで、一般人で事情を知っている数少ない人物のようだった。瀬戸には世話になっていた。島から抜け出し、これからどうしようかと裸で浜辺を歩いていた有紗に服を与え、食事を与え、数日間、面倒を見てくれた。


 瀬戸の話では、あの島ができてから抜け出してきたのは有紗が初めてではないかと言っていた。当然、瀬戸も四六時中広範囲の浜辺を見ていられるわけではないので、見逃していなければの話だ。島から逃げ出してきた裸の人間がいたとしたら、この歩く監視カメラのご時世柄、話題になっていそうなものだ。瀬戸の耳には届いていなかった。小笠原から手助けしてやってくれと言われていたが、裸の有紗を見るまで、半信半疑で、本当に抜け出してくる人がいるとは思っていなかったらしい。


 仕事を紹介し、アパートまで見繕ってくれた。小笠原からは、服を与えて、数日間だけ面倒見てやるだけでいい、後は追い出せ、と言われていたそうだが、「あいつはツンデレだね。裸の人間が現れたときにしか開けるな、って言われてたアタッシュケース開けてみたらこれだよ。まあ小笠原も本当に島から抜け出す人がいるとは思えなかったのかもしれないね」と瀬戸は笑った。

結局一か月の間、彼女の面倒になった。せとのおばば、と呼ぶくらいの間柄になり、今でも有紗は定期的に瀬戸の元を訪れていた。


 その瀬戸が、おぼつかない足で駆け、有紗のことを止めようとしてきた。さすがの有紗も世話になった瀬戸の話を聞かずに海に飛び込むわけにはいかなかった。水着姿で海に向かっていく有紗を見て、瀬戸は感づいていた。彼女がそうしたいのなら私に止められる義理はない。でも、せめて、せっかく仲良くなれたのだから、いくら生活が厳しくても、生きづらくても、生きているのだから会えなくなるのは寂しい。そう言って、有紗を小型船に乗せた。


 せとのおばばはきっと、私が島に戻って帰ってこないと思ったのかもしれない。


「この船もね、小笠原がくれたんだよ」

「え、どうしてですか? 海釣りとか好きなんでしたっけ?」

「違うよ、ばか娘」瀬戸は有紗の頭を叩いた。「やっぱりツンデレなんだよあの男は。まあ、あの島を作るような男だから、打算は数えきれないくらいしたんだろうね」


 あまり島に近づきすぎるといけないようで、島の浜辺が見えるくらいの位置で船は止まった。島を見るのは島を抜け出して以来だった。有紗は浜辺の奥に見える鳥居や凱旋門のようなものを見つけ驚く。そうか、どうりで……。狼の住むあの辺りに、島の人間は近づかない。そういうところも配慮しているのだな、ツンデレ男は。抜け目ない。


 逆に手間が省けた。


 背中に手を回し、紐をほどく。腰に手を回し、蝶結びで垂れたひもを引っ張った。


「あんたいい身体してんね」


 違和感はなかった。あの島から抜け出してもう一年になる。最初は服を纏うことに抵抗があったが、慣れとは不思議なもので、いつの間にかそれが最初からそうであったように馴染み始めた。


 今、身ぐるみをすべて剥ぎ、思う。風呂に入るときに裸になるのとは違った。揺れる船の上、潮風に靡かれ、地上の空気を全身の皮膚に浴びる。


 服を着ることにいくら慣れても、服を着ていない生活のことを忘れられないみたいだ。対極にあるはずの事柄が、まるで、標準語に慣れ親しんでも地元に帰れば(なま)るかのような、その両方ともが当たり前のことで、その両方があなただから、と肯定されているような気分だった。


 肩に掛かる髪が、へばりつくような、少し重みのある、それでいて軽く吹き抜けていく潮風に靡く。


 瀬戸の言葉に、「当然でしょ」と、有紗は振り返る。


「これが私の一張羅なんだから」


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