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瞳に映る本当の色

作者: 西空 数奇

目の前にチャイムがある。いたずらとかではなく仕事で来たので堂々と押すべきなのだが、押すのを躊躇ってしまう。しかしそう思っていても始まらないと覚悟を決めて私はチャイムを押した。すると程なくして扉の奥から何やら物音が聞こえてきた。

「何か頼んでたっけ、まあいいや」

そんな独り言が聞こえてくると、すぐさま扉が開いてこの家の主である金井沢摩美がダボダボのスウェットにボサボサのロングヘアというラフないかにも寝起きといった様子で出てきた。話に聞いていた通り研究に尽くして生活リズムが崩れているのか本来なら若く綺麗な顔が酷いクマのせいで実年齢である24歳よりも老けてみえた。とそんな事を考えてしまったが故に前もって考えていた言葉が飛んでしまい二人の間に一瞬、謎の沈黙が生まれてしまった。だが黙ったままではいけないと思い気を取り直してとりあえずあいさつをしてみることにした。

「初めまして、こんにちは!」

「ええ…。そんないきなり言われてもねぇ…。どちら様です?」

「あそっか。いきなり失礼しました!私は視覚効果研究センターの津々井沙知子です!」

「あ、そう。私忙しいからそれじゃあ」

そう言うと彼女は扉を閉めてまた家の中に戻ろうとするので大声を出して何とか引き止めることにした。

「ってえええ!ち、ちょっと待って下さい!」

「何?貴方の声うるさくて耳がキンキンするんだけど」

閉まった扉越しからでも伝わる程、気だるげな声色だった。

「あのー摩美さんのお母様である金井沢弓美子さんから依頼されて来たんですけど」

「私の母から?今更一体どんな用件で?」

母親の名前を出した途端、摩美さんの態度は一変した。

「摩美さん、貴方を外に連れ出して欲しいと頼まれて来たんです」

「はい?何で外に出なきゃいけないのよ。それに最初に私をこの部屋から出ないように言ったのは母だったんだけど」

「その話はお母様から聞いています。小さい頃、事故に遭い幸い一命は取り留めたものの脳に後遺症が残ってしまいそれ以来、色が白と黒しか認識出来なくなってしまった為に実社会での日常生活を送るのが困難になったので自分の部屋に引きこもるようになってしまったと、そう聞いています。その後、13歳くらいから視神経研究の第一人者であった弓美子さんのお手伝いをする為に研究所兼事務所として弓美子さんが借りていた人里離れた今のこの一軒家に住むように言われてその中で色々な資料を見たり作成したりしているんですよね」

「そうね、その感じから察するに母は気持ち悪いくらい私のことベラベラと言いふらしてた感じするわね。でも何で今になって急に」

「それは…」

想定内の質問だった。だったがいざ言おうとするとスムーズに言葉が口から出てこず再び二人の間に沈黙が生まれてしまった。

「別に気にしないから言えばいいじゃない」

すると意外にも摩美さんの方から会話のパスを出してきた。

「…そうですか、では落ち着いて聞いてください。つい先日なんですが…弓美子さんが亡くなったからです」

「…え?」

「弓美子さんが生前の遺言で自分が死んだら摩美さんを外に連れ出すように言っておりそれを実行するために本日参りました」

「…なるほど、そういう事だったとはね」

「なので改めて言います。摩美さん、お母様である弓美子さんの遺言に則って本日、この家から出ましょう!我々、視覚効果研究センターの者共も今後の生活を含めて全力で摩美さんのお手伝いをさせていただきますので!」

「でも今更この慣れ親しんだ環境を手放すのは辛いわね。ここにいれば衣食住に困ることないもの」

「確かに生活する分には充分な空間のある一軒家。一定周期で届く長期保存の出来るベースブレッド型の栄養食、服も1週間おきにクリーニング業者が取り替えてくれるとなると多くを望まなければわざわざここから出るなんて選択肢は無いですね…」

「わざわざ丁寧に解説してくれてどうも」

「でも外に出てみて色のついた世界を見てみたいと思いませんか?」

「貴方ふざけてるの?さっき貴方が言った通り今私には白と黒の二色しか見えていないのよ?色のついた世界ってどうやって見るのよ」

「…それは…」

「それに色って言っても結局、物体に反射した光の微妙な違いが網膜に伝わることによって色んな色として見えてるだけって話でしょ?別に見えなくても想像出来るから良いって」

「理屈はそうですが」

「さっきから何?こっちは忙しいんだからさっさと帰ってよ」

扉の奥からでも分かるほど機嫌を損ねてしまった。このままのこのこ帰っても良いがまた先輩に怒られてしまう。そうなってくると初日からヘマばかりしている私の立場が危うかった。こうなれば隠していた切り札を使うしかないと心に決めて再び話し掛けた。

「怒らせてしまったようで申し訳ありませんでした。…ちょっと…全く話は変わってしまいますが一応、研究者の端くれとして質問したいんですが視覚から入ってきた認知情報を歪ませてしまう程の『認知バイアス』って摩美さん的にはあると思いますか?」

そう問いかけるが扉越しに返事はなかった。私は怒られることを覚悟して今日は戻ろうかと考えて玄関から立ち去ろうとしていると彼女の返事が聞こえてきた。

「全然あり得る話だと思うけど…」

「…やっぱりそうですよね!」

「いくら五感が正常に機能している人でも受け取る側の脳が処理する時に精神面や体調に何らかの問題を

抱えていればあり得ると思うけど。良い例としてお化けを見たって人は大方、状況や精神面で特異な状況に陥って一時的な暗示がかかってるから視覚情報が歪んでそういうモノが見えてくるんでしょ」

「特異な状況であれば例え視覚に異常が無くても受け取った情報が勝手に書き換わる可能性があるって事ですよね。さすが若き天才金井沢摩美さん。さらに例えばの話なんですけど幼少期から母親に色の認知機能が無いと言われ続け、白と黒しか見せないよう教育されたら色の概念や仕組みを分かっても白と黒しか認知出来ないようになるなんて事も大いにあり得るって事ですよね」

「…何よ、その私への当てつけみたいな例え…」

そこで何かに気づいたのか、摩美の言葉が止まった。

「…それが当てつけなんかじゃ無いんですよ。摩美さんは物心が付き始めた頃には事故で色がほとんど認識出来ない状態が分からないと言い聞かせられ育ってきたはず。ですがそれすらも研究者、金井沢弓美子の実験の一環だったみたいです」

「…そんな私、もしかして普通に色が分かるの?」

「実はそうなんです。それに摩美さんが事故にあった記録なんて存在してないんですよ」

「ってことは、全部母のでっち上げた嘘だったのね…」

「そうなりますね。摩美さんは弓美子さんからの小さい頃からある種、洗脳とも言えるような認知の歪みを強制させられ続けたことによって脳が白と黒しか認識出来ない状態に陥ってしまったと視覚効果研究センター側も考えております。いくらこの視覚効果の研究の第一人者であるにしてもこのような研究を止められなかった我々センターにも責任があります。なので改めてもう一度言います!摩美さん!今からでも遅くありません、適切な治療を施して普通の色彩がついた世界で暮らす為に外に出てみませんか…!」

しばらく静寂の時間が訪れた。きっと今摩美さんは考えているのだろう。今まで自分が見てきた偽りの景色、そしてこれから自分の見るべき景色を。私はふといつも通りの色合いを見せる空を見上げながら静かにため息を吐いた。すると扉を隔てた向こう側から声が聞こえてきた。

「貴方、仕事上仕方ないとしてもここまで偏屈な私に真摯に向き合ってくれるなんて凄いわね」

「…というと?」

「…ちょっとくらいなら出てみてもいいかもって今なってきてる。これって貴方の方便にたぶらかされたって事かしら」

私は既に気力を使いきってしまったのか空元気気味ではあったがそれを悟られてまいとさっきよりも一層声を張り上げて摩美さんに応えることにした。

「そんな人聞きの悪い事言わないで下さいよー!でも出てみたい気持ちになったのであればその気持ちが変わらない内に外に出てみましょ!今日は最初ですし周りの散歩くらいにして焦らずじっくり慣らしていきましょう」

「分かったわ、今着替えるから待ってて。それにしても貴方うるさいわね」

扉の奥からクレームが入ってしまったが不快な感じがするどころかむしろ私の存在を受け入れられた気がして嬉しくなってしまい思わず不自然な笑顔を浮かべながら返事をしてしまう。

「ってへへへ…、すいません」


十分ほど待っていると扉が開いてボサボサの髪の毛を多少整えて服装もダボダボのスウェットから黒のTシャツと黒のスラックスという黒一色の服装に着替えた摩美さんが恐る恐る出てきた。

「…調子はどうですか?」

「いやね、我ながらおかしい話だと思うんだけどさっきから白と黒以外の色が見えてきてる気がするの」

「え!早速じゃないですか!」

「貴方もさっき見た時より鮮やかに見えるわ。凄い若くて可愛らしいのね」

「ですよねー!私もそう思います!」

「ふふふ、やっぱりうるさいわね貴方」

そう言い放った彼女の顔は先程よりもずっと明るく笑って見えた。目に彩りが戻りつつある摩美さんを見ていると私の目もそうであってほしかったとふと考えてしまう。

「…ねえこの空ってこんなに青なのね。私この色が好きだわ!」

「…ええ、そうみたいですね」

「みたいですねって何よぉー」

「あー、空は見慣れていたので初めて色が見えるとそういう感覚になるんだと感心してました!」

「何よそれ、やっぱり貴方どこかズレてる人ね。でも面白い人でもあるのは確か」

そう言ってはにかんだ彼女の笑顔に白と黒しか見えない私の瞳でさえも鮮やかな色が垣間見えた、そんな気がした。

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