53 静かな焚き火
パチッ パチッ
静かな森に鳴り響く焚き火の音。音と共に舞う火の粉が炎と共に辺りを淡い光で照らしてゆく。熱せられた空気は周囲を暖かくし、森の中でありながらその場所だけ肌寒さかを感じさせない空間へと変わっていた。
「……ん……んぅ……」
焚き火の小気味良い落ち着いた音を耳にして、その重い瞼をゆっくりと開いていく。
「………んんぅ……」
まどろむ頭がゆっくりと覚醒していき、ぼやけた視界が少しずつ鮮明になってゆく。
「……ん……此処は……」
「――――気がついたかい」
「……」
ゆっくりと首を動かし言葉がなげかれられた方へと顔を向ける。
「………っ!!?」
勢いよく身体を起こす。そして周囲を見渡し、現状を把握するために頭を働かせていく。すでに意識は完全に覚醒し、今どのような状況にあるのかを少しずつ整理していく。
しかし、何故……
「……どうして……」
自分は確かに崖から落下したはずだ。なのに何故生きている――――
「いきなり動かないほうがいい」
目の前の人物が、再び声をかけてくる。何故この人が此処に…………いや、違う。
不明瞭な記憶を呼び起こす。
そこには自分と一緒に崖を落下している人物の姿が……
「大丈夫か?」
「……何故…」
「なに?」
「……何故助けようとしたんですか……」
一緒に崖から落ちるなど正気の沙汰ではない。目の前の人物が何を考えているのかシャルティエルには理解できなかった。いや、理解したくもなかった。
それよりも、なによりも……
「……何故死なせてくれなかったんですか……」
助かりたくなかった。
潔く死にたかった。
生きて苦しみを味わい続けるぐらいなら、死んだほうがマシであった。
なのに、なぜ死なせてくれなかったのか。
火を絶やさぬように焚き火に木の枝を焚べながら、キースはシャルティエルの問に応えようとするも、言葉を発するのを止めてしまう。二人共無言となり、辺りには焚き火の木が燃える音のみが聞こえるだけとなる。
二人が無言でいる中、シャルテェルはキースへと視線を向ける。
「…………」
シャルティエルは貴族の令嬢として様々な教育は受けてきた。今はこのような見るも無残な姿になってしまってはいるが、元は帝国でも一目置かれる存在であった。容姿端麗とはまさに彼女を現す言葉であると謳われるほどに。そしてその容姿に見合うだけの素養を、知性を彼女は持ち合わせていた。
キースの姿を確認する。身体の至る所に打ち付けたような傷跡があり、所々服が擦り切れている。そしてキースの左足、そこには木の枝で作られた添え木が布で巻きつけられていた。
自分の現状はどうだろうか。所々服のスレやほつれはあるが、身体はどこも傷ついていない。あの高さから落ちたのに、何処にも――だ。
シャルティエルは馬鹿ではない。
いや、どんな馬鹿でも気がつくだろう。
キースに庇われたのだと。
イデアラン町民からもたらされた情報によると、キースは他者の傷を癒せる能力を持っているらしい。それがどのような能力なのかはシャルティエルにはわからない。だが、その能力を使ってシャルティエルの傷を癒やしたのは間違いないだろう。
それがシャルティエルを苛立たせた。
あれだけ頼んだのに火傷の痕は治療してくれなかった。それなのに、今度は頼んでもいない傷を治療する。そんなキースの行動にシャルティエルは苛立ちの感情を抑えることが出来なかった。
無論これは逆恨みだ。キースには何の落ち度もない、悪いのは自分だ。それは頭では理解出来ている。だが感情では受け入れる事ができない。
負の感情を抑えられない。そんな自分がたまらなく嫌だった。見た目だけではなく、心までも醜く卑しく汚らわしい。存在そのものが不快だ。そんな自分がまだ生きていることが許せなかった。
未だ無言でいたキースがゆっくりと立ち上がると、焚き火の傍に干してあったタオルのような物の元へと歩いていく。
「幾らかマシになっただろう」
キースはタオルを掴み取り、それをシャルティエルへと手渡す。
「焚き火で温まっているとはいえ、いつまでも濡れたままだと風を引いちまう」
シャルティエルは自身の身体を確認する。全身水濡れの身体を。渓谷から飛び降りて川へと落下したのだ。当然である。だからこそキースは焚き火をしてシャルティエルの身体が冷えぬようにしていたのだ。
だが焚き火で身体を暖めることは出来ても、濡れたまま着ている衣服などはどうすることも出来ない。だからとりあえずかさばるローブだけを脱がして焚き火で温めていたのだろう。
シャルティエルはキースの姿を確認する。シャルティエルよりその姿は濡れていないように思える。おそらく一度衣服を脱ぎ水を絞ったのだろう。
「とりあえず俺は向こうへ行っているから、濡れた身体を拭いておくといい。もし何かあったら大声で知らせてくれ」
そう言うとキースは、左足を引きずりながらゆっくりと茂みの向こうへと姿を消すのであった。
――――――――――――――――――――
森の中周囲を警戒しているキースに、茂みの向こうにいるシャルティエルから声をかけられる。拭い終えたのだろうと思い、キースはシャルティエルの元に戻ろうと茂みをかき分け進む。そこで目にしたものにキースは眉をひそめる。
「……なんの真似だ」
そこには服を脱ぎ、下着姿となったシャルティエルがいた。シャルティエルはなんでもないといった風に焚き火の前に悠然と腰を下ろしている。
「何の真似と言われても、私にはどうすることも出来ません」
シャルティエルはゆっくりとした動作で自身の左腕を持ち上げる。
「こんな状態ですから、満足に身体を動かすことすら出来ません。この腕でどうしろと言うのでしょうか」
シャルティエルの発言に、キースはバツが悪そうに頭を掻き、そして頭を下げて謝罪する。
「確かに配慮が足らなかった。申し訳ない」
「構いません。それで、先の続きですが、私は手に力を込めることすら出来ません。手伝って下さいませんか」
困り顔で逡巡したキースであったが、やがて観念したのかため息をつきながら了解の意を示す。
焚き火の前で暖を取っているシャルティエルを背に、キースは彼女の衣服を絞り水気を切っていく。そしてそれらを順次木の枝に引っ掛けて焚き火の周りに干していく。キースの服とは違いシャルティルの衣服はかなり上質な物を使用しているのか、全くと言っていいほど質感や手触りが異なっていた。力を入れすぎで傷つけやしないか不安になりながら、キースは全ての服を干し終える。
「ありがとうございます。次はこちらをお願い出来ますでしょうか」
シャルティエルはキースに自身の髪をふわりと揺らし催促してみせる。
「……自分で出来ないのか」
「腕を高く上げることが出来ませんので。普段であればタオルなのでゆっくりと乾かしてゆくのですが、それもできません。お願いできますか」
こちらを振り向くこなく、シャルティエルは背を向けたまたキースにお願いしていく。それを受けキースは彼女の髪を手にとりゆっくりと髪をとかしてゆく。
手にした手ぬぐいで髪を包むようにして水気を切っていき、そして手ぐしで髪をとかしてまた手ぬぐいで髪を拭ってゆく。
「意外と手慣れていますのね」
「……長く生きていればそれなりにな」
パチッ パチッ
薪が燃え火の粉が不規則に弾けてゆく。
静かな森の中、そんな音がただただ流れてく。
髪をすき、水気を拭っていく。
ゆっくりと丁寧に。
「……言葉」
「ん?」
「……言葉使い、変わりましたのね」
「ああ、それか……」
髪をすきながらも、キースはシャルティエルの言葉に応えてゆく。
「まぁ、あれだ。単なる意趣返しだ」
「意趣返し、ですか」
「ああ。君が粗末に命を投げ出したことへのね。正直君の軽率な行動に俺は怒っている。だからそれに対しての俺なりの仕返しだ。まぁ、つまりあれだ。ただの稚拙な当てつけだ」
「……なんですかそれ」
「だから言っただろう稚拙な当てつけだと。そこに意味なんてありぁしない」
「意外と稚いのですね」
「なんとでも言ってくれ。俺はそこまで人間出来てないんでね」
自分で言っていてなんだが本当に下らない。いい年したおっさんが何を言っているんだと。思わず苦笑いをするキース。そんなキースにシャルティエルも乾いた笑いをもらす。
「ただの平民として接している時には丁寧に、貴族だとわかったら横柄に。やることがあべこべじゃないですか」
「本当そうだな。自分でもどうかと思ってるよ。まぁ、気に食わないと思ったら不敬罪でもなんでも問えばいいさ」
「その為には生きて生還しなければ……ですか? 案外掻き立てるのが下手なんですね」
「……そこは察するのが出来る大人の所作ってもんだぞ」
「生憎私はそのへんは疎いものですので」
「さいですか」
会話の間もキースはシャルティエルの髪をとかしていく。長くそれでいて綺麗で艶のある髪の毛。庶民のキースでは考えられない髪質である。こういった部分でもシャルティエルは良い所出のご令嬢なのだと思い知らされる。
「第一、そんなことで不敬罪なんて出来るわけないじゃないですか。皇族の方々じゃあるまし。それいつの時代の事ですかって話ですよ。少なくとも、今の帝国には、そんなことで平民を斬り捨てる貴族はいませんよ。もしいたら器量狭しとみなされるでしょうね」
たしかにシャルティエルの言うことももっともだ。乱世の世ならそういった横暴もありえるのかもしれないが、今は比較的安定した時代だ。複数の国を巻き込んだ大規模な戦争もここ数年起きていない。言葉遣い程度で処刑しまくっていたら領地の安定もあったものじゃない。
「俺みたいな庶民からしたら貴族ってのはどこか別の所にいる存在だから、どうも凝り固まった人物像を想見してるみたいだな」
「それが不敬罪で処刑ですか。私がそんな人じゃなくてよかったですね」
「まったくだ」
クツクツと笑いながらキースはシャルティエルの髪をとかしていく。キースの笑いにシャルティエルも少し釣られるように小さく笑う。
しかし次の笑いはすこし種類が違っていた。
「――――――それにもう貴族ではないですしね……」
ボソリとそう呟き、シャルティエルは自傷じみた乾いた笑いをうかべるのであった。
「…………どうしてか理由を聞かないんですか」
「聞いてほしいのか?」
「………」
「話したくないなら言わなくていいさ。だが、もし話したいのなら聞いてやることは出来る。それで君の気持ちが軽くなるならな吐き出せばいい」
シャルティエルは口を閉ざし、そしてキースも無理に言葉をかけることはしなかった。
焚き火が辺りを照らし空気を温める。パチパチと木が燃える音が森に鳴り響く。
静かでゆっくりとした空気が流れる。
焚き火の音が鳴り響く中、キースはシャルティエルの髪を、ゆっくりと丁寧にとかしてゆくのであった。
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