52 救われた命
「くそっ!! 一足遅かったか!!」
キースら一行が見張場へ辿り着き、急いで現場の兵に話を聞こうとした時、現場が慌ただしいことにキースは気がつく。いったい何があったのか。嫌な予感を振り払い、近くの兵に声をかけようとした時、キースの姿を見つけた兵の一人がキースの方へと駆け寄ってくるのが見えた。そこでその兵に話を聞くと、シャルティエルらしき人物が今しがた一人で見張場の門を出ていったというのだ。
「なぜ門を通したんだっ!!」
ここから先はもう王国の領土ではない。そして人が生きる世界でもない。そんな場所に一人で送り出すなど見殺しにしたようなものだ。
目の前の兵に詰め寄るキース、だが、そこを別の兵に止められる。
「落ち着けキース」
「トーリっ!!」
衛兵のトーリがキースと兵の間に割って入る。
「ここで責めても仕方がないだろう。それに俺らには、彼女を止める手立てはない」
「何言ってるんだっ! この道を一人で通すなんて危険すぎる! それを止めるのが衛兵の仕事だろうが!」
「だから無理なんだ」
「何そんなこと言って――――」
「相手が貴族だからだ」
「っ!?」
「あの人が貴族の証を提示した。それを止める権限など俺らには無い」
最悪だ。キースが懸念していたこと、それが実際に起こってしまった。シャルティエルが貴族出身だとキースは薄々感づいていた。だがセルバもシャルティエルもそうだとは一言も言っていない。だからあくまで帝国から来た、ただの平民としてキースは扱っていた。だが向こうが貴族として接してくるのであれば、こちらは相応の態度で、相手を貴族と見なして応えなければならない。
「貴族名を出したのか」
「ああ、証と共にその名を出した。彼女は自身を【シャルティエル・ララ・オルティ=マルス・イスティアノ】と名乗っていた」
トーリから聞かされた名を耳にし、キースは驚愕する。
イスティアノ、帝国においてその名は誰もが知っている大貴族の家名だ。貴族に疎いキースですらその名を知っている程であり、その権力は他国においても絶大な力を持っている。
キースはセルバの方へ顔を向ける。その真意を確かめるためだ。それに気がついたセルバは、顔を伏せ少しの沈黙の後、その重い口を開いた。
「――――はい。シャルティエル様は……イスティアノ侯爵令嬢にあらせられます……」
まさかそれほどの大貴族の令嬢だったとは。だが今は驚いている暇はない。今やるべきことは彼女の家名について考えるのではなく彼女の身の安全を確かめることだ。
「くそっ! トーリ、俺たちはすぐにシャルティエルさんの後を追う。出国手続きの方は任せる」
「了解した。一応公爵令嬢の後をうちの兵が一人付いている。だがあくまで後ろから見張っているだけに過ぎん。向こうが追従を拒否しているからな。それ以上のことは立場上出来ない。だからもし万が一の事が起きた時、間に合わない可能性もある。急いだほうがいい。それと、これからイデアランへ早馬を出す。上に報告しておかなければならないからな。何か伝えておくべきことはあるか?」
トーリの言葉を受け、一瞬考えた後すぐに決断する。
「セルバさん、貴方は此処に残っていて下さい。シャルティエルさんの後は俺とイグナスが追います」
「なっ! 何を言っていらっしゃるんですかキースさん! 私もお嬢様の後を――――」
「聞いて下さい。ここから先は危険です。貴方を守りながら移動しては無駄に時間を費やしてしまいます。だから俺とイグナスで一気に駆け抜けます。そしてセルバさんにはここに残って状況説明などを行なって頂きたい。場合によってはイデアラン領の貴族にまで話がいくかもしれません。それらの手順は俺らでは出来ない。だからこそセルバさんにお願いしたいんです」
公爵令嬢ともなれば、王国側も無下にすることは出来ない。おそらく領主にまで話が行くだろう。だからこそ、イスティアノ家の執事であるセルバには、ここに残ってもらわなければならない。それを理解したのだろう、セルバは渋い顔をしながらも、納得した表情をみせる。
「……承知しました。キースさん、イグナス様、お嬢様をよろしくお願いいたします」
「出来る限りのことはします」
「セルバさんはここで待ってて下さいっ! 俺とキースさんでシャルティエルさんを無事連れ戻してきますからっ!」
深くお辞儀するセルバにイグナスは努めて明るく振る舞い笑顔で応える。
「よしっ、それじゃあ行くぞ」
「はいっ!」
急いで馬に跨り、キースとイグナスは見張り場の門を通り抜け、渓谷へむけて馬を飛ばすのであった。
深い森を抜け、山脈を切れ目ともいえる地形に差し掛かり、岩肌が多く見られる渓谷を馬で駆け抜ける。渓谷沿いの小さな道、そのすぐ左は深い谷となっており、落馬しようものなら真っ逆さまになるであろう。そんな危険な道を馬で慎重に進んでいると、前方に人影のようなものを発見する。
「キースさん! あれっ!」
「ああっ!」
その影には見覚えがある。甲冑に身を包み脇には剣を携えている。王国の衛兵だ。そしてその少し先にもう一つ影が。その人物を確認したキースは、馬を降りてゆっくりと近づいていく。
近づくキースに気がついた兵士がチラリと視線を向け、状況を説明する。
「……キースか。……見ての通り、かなりまずい状況だ」
「ああ、そのようだな……」
額に汗を流し渇いた声を出す兵士、その表情はすぐれない。だがこの状況であればそれも仕方がないだろう。実際キースも背中に嫌な汗が流れているのを感じている。だかそんなことをおくびにも出さずに、キースは目の前の人物に声をかける。
「シャルティエルさん、そんな所にいては危険です。さぁ、こちらに」
手を伸ばし、こちらへ来るように促す。しかしシャルティエルはそんなキースをまるで無視するかのように前を見つめている。いや、正確には目線を下に向けて、だろう。その視線の先には深い谷底。シャルティエルは崖の淵に身を乗り出すように立っているのであった。
一歩足を踏み出せば真っ逆さまに落下していく、そんなぎりぎりの場所で、シャルティエルは谷底をただただ見つめていた。
「シャルティエルさん」
シャルティエルを刺激しないようキースはゆっくりとした足取りで近づいていく。
「……近寄らないで下さい」
シャルティエルが口を開く。そこには明確に拒絶の色が見えた。キースは足を止めシャルティエルを見据える。
「シャルティエルさん」
「…………」
「危険ですからじっとしていて下さい。俺がそちらに向かいます」
キースがゆっくりと動き出す。シャルティエルまであと数歩。そこまで近寄った所で再びシャルティエルが拒絶の意を示す。
「……来ないで下さい」
「……わかりました。これ以上近寄りません」
キースは足を止める。これ以上進むのは危険と判断したからだ。
「シャルティエルさん、一度屋敷にもどりましょう。セルバさんも心配していますよ」
「…………」
長い沈黙。
シャルティエルが何を考えているのかはキースにはわからない。上辺だけの言葉など彼女には響かないだろう。だからキースも、ただ黙ってシャルティエルを見つめることしか出来ない。シャルティエルの判断に頼るしかないのだ。
しかし、黙って見過ごすことの出来ない状況というものもある。
「…………シャルティエルさん、それは駄目だ」
キースはシャルティエルに話しかけ一歩前へ進む。今はあまり刺激したくはない。だがそれでも動かなければならなかった。
シャルティエルがさらに半歩、崖へと身を乗り出したからだ。足先が崖の外へと飛び出している。あともう少し身体を前へ傾ければ崖下へ転落するだろう。ほんの少し風が吹いただけでも谷底へ真っ逆さまだ。
「それ以上はいけない」
「…………」
「命を無駄にしちゃ駄目だ」
キースの言葉にシャルティエルが反応する。
「……命…」
振り向いてキースへと顔を向ける。
「……命なんて……こんな私に生きていて何の価値があると言うのですか……」
「シャルティエルさん――」
「……私の命なんて、誰も必要としてません」
「そんなことを――」
「こんな醜い私なんて……だから不要な人間だと捨てられたのです。オルレアン侯に捨てられ、お父様からも見放され。そんな私に、生きている意味などありません……」
シャルティエルはじっとキースを見つめている。その瞳にどんな感情が含まれているのかキースにはわからない。そして、それら全ての感情は、最後に諦めというものへと変わっていく。
「キースさん、貴方も仰っていたではありませんか。……これは治らないと。だからもう、生きている意味なんてないんです」
「……貴女が死ぬと、セルバさんは悲しみます」
「……セルバですか」
「そうです。彼は貴女のことをとても大切に想っている。彼がどれほど貴女のことを――」
「……セルバも思えば可哀想な人です……」
「なに?」
「こんな私なんかのせいで、イスティアノ家から追い出されてしまったんですから……。知ってましたか? セルバは元々イスティアノ家……当主直属の執事筆頭だったのですよ。侯爵に仕える執事のはずなのに、それがこんな私を押し付けられて……。きっとセルバも心の底では私のことを憎く思っているはずです……」
シャルティエルは悲しい表情をして谷底を見つめている。そしてゆっくりと動き出す。
「……もういい加減……彼を解放してあげた方がいいですね。そうすればお父様の元に戻れるでしょう」
「いけないっ!!!」
シャルティエルは身を乗り出す。
そこに一切の迷いはなかった。
ただ重力に身を任せ、ゆっくりと、静かに身体を傾ける。
「くそっっ!!!!」
シャルティエルまであと数歩、だがその数歩が絶望的なまでに遠い。
シャルティエルの元まで駆け寄る。しかしそのたった数歩が間に合わない。
重力に逆らうことなく、その身体は谷の底へと吸い込まれる―――――
「っそがぁぁーーーー!!」
手を伸ばしたキース。その手はシャルティエルの身体を掴み、そして抱きかかえる。
シャルティエルの身体を引き寄せ、包み込むようにその胸に強く抱きしめる。
決して離さぬよう、決してこぼさぬよう。
「キースさんっっ!!!」
イグナスの叫びが谷底へと吸い込まれていく。
こだましたその叫びはやがて小さくなっていく。
小さなこだまが完全に聞こえなくなり、そしてその場に静寂が訪れるのであった。
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