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青いくらい、透明。  作者: 涼
1/1

一話

 

 ふらふらとおぼつかない足で歩く。霞んでゆく視界の端から、突き抜けるように青い空が見えた。 

下腹の辺りにぐわんと穿つような鈍い衝撃残っていた。蹴られ、殴られ、どのくらいの時間が経っただろう。口の中にまったりとコクのある血の味が広がっては喉を下る。

消えそうな意識をなんとか保とうとしているのに、カンカンカンという赤い警報機の音が容赦なく頭の中を叩いて煩い。


くらりとした眩暈が、どこからともなく流れてきた金木犀の香りに連れ去られていった。




◇               ◇              ◇




 10月に入り、学校の制服が冬の装いへと変わっていく。

中野翔太は部屋の鏡の前に立ち濃紺のセーラー服に袖を通した。茜色のスカーフをきゅっと結ぶと一気に気持ちが高揚する。しかし無情にも、ひらりと可憐に揺れるスカートから覗く足は筋張っていて育ち盛りの男子のものでしかなかった。

はぁっと行き場のないため息をつくと、翔太は姉の部屋からこっそり持ってきたセーラー服を脱ぎ自分の学ランを着た。鏡に映る自分は視覚的に先ほどよりもずっとそれらしいはずなのに、心の方はしっくりこない。翔太は振り払うことのできない矛盾をごくりと飲み込み、スマートフォンを手にとった。

唯一自分らしく居られる場所、それがネットの世界だ。翔太はネットの世界では「メイ」という少女であった。どうしようもない心の葛藤に逃げ場を作り、自分らしくした結果そうなった。メイでいる時はなんでも素直に話せた。好きなファッションの話、芸能の話題やおいしいスイーツのこと。

そして・・・好きな人のこと。


顔も名前もわからないネットの世界ではどこまでも自由だ。自分の素直な気持ちをつぶやき、人々が反応してくれる。メイに向けられる彼らの言葉ひとつひとつは翔太の気持ちを一喜一憂させるものである反面、顔が張り付いていない分なんの重みもない。けれど、それでいいのだ。

例えば


「自分は男だけれど、そのことに違和感を感じていて学校でも家でも本当の自分を表に出せる場所がない」


なんて、そんな重たい話をして憐れんで欲しいわけじゃないし、そういう風に自分を分かってもらおうとも思っていない。上辺だけの関係で、ああでもないこうでもないと他愛もない話をするのが好きなのだ。

今日も翔太はひとこと


「おはようみんな:)」


とつぶやき、誰にも打ち明けることのない秘密の自分をスマートフォンの中に閉じ込めて、ポケットに放り込んだ。

 


 香ばしいパンのにおいに誘われて1階に下りると、リビングのテーブルで大学生の姉が先に朝食をとっていた。姉の薫は翔太の5歳上で、美人で頭もよく両親の自慢だ。引っ込み思案な翔太とは違って薫はどんなことにも積極的で友人も多い。同じ家庭環境に育ったはずなのになぜこんなにも正反対な人間になるのか翔太は長らく不思議に思っていたが、おそらくこの姉の存在こそが翔太の中に大きな劣等感の塊をつくり燻っているからだと最近納得した。


「翔太、おはよう!」


薫がパンを頬張りながら明るく声をかけた。

毎朝のやりとりではあるが、翔太はいつも薫の笑顔に朝の体温が追いつかないまま、おはようと気のない

返事を返すのがやっとだった。


「ねぇお母さん、今日授業のあとバイトだから帰るの遅くなるね」


薫がオレンジジュースを手に取り、コップに注ぎながら言った。


「あんまり遅くなるとお父さんが心配するからね。出来るだけ早く帰っておいで」


母が眉を下げ心配そうに言った。

父は仕事に一途な人間で、あまり家庭のことをとやかく言う方ではないが、子供達の手前一応それらしいことを言っては威厳を保とうとするのだった。そんな父の態度を見て育った翔太と薫も、父が本心で自分達を心配したり思いやったりしているのではないことを見抜いていた。父は子供である翔太と薫を深く知ろうとはしないくせに、世間体ばかり気にするので彼らが普通と違った道を歩んでいないかだけは常に気にしていた。

薫の帰りが遅くなるのだって、本人のことを心配しているのではなく若い娘が夜遅くまで出歩いているなんて近所の人に見られたらどう思われるか気にしての言葉であろうと翔太は思った。

薫は先ほどの母の言葉を振り切るように


「行ってきまーす!」


とわざとらしく大きな声を響かせ出て行った。

その姿を見送る母の目はどこか哀しそうにも見えたが、翔太が見ているのに気付くと母は一瞬で表情を変え優しく微笑んだ。


「翔太、早く食べちゃいな。遅刻して走って行くと危ないからね」


そう言うと母は洗い物をするために腕まくりをしてキッチンに入っていった。

父とは打って変わって、母は昔から子供たちと真剣に向き合い彼らの本質に目を向けようとしていた。また、子供達もそれを分かっていて母にはなんでも話した。学校であったことや日々感じていること、テレビや映画をみて思ったこと・・・。

母は子供たちの感受性を否定したことはなく、なんでも優しく受け止めた。翔太はそんな母を尊敬しているし大好きだ。

だから、どうしても打ち明けられないもう1人の自分が、常に母への後ろめたい気持ちを抱えてもがいているのだった。

翔太がパンを飲み物で流し込もうとしている時、スマートフォンの通知音が鳴り先程のメイのつぶやきへの返信を知らせた。

すかさず画面を暗くしてメイを隠した翔太は母の背中を見て、いろんな想いがぐるぐると混ざり合うのを押し込めるように口の中の物を飲み込んだ。


「行ってきます」


そう言った翔太に母が笑いかけると、無理に嚥下した食べ物かそれとも罪悪感か分からない何かに、翔太は胸が詰まった。



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