透明な花
泣く必要などないのだ。ただ幸せになり、ただ、安全な部屋で笑ってればいい。
その為に俺は全てに手をかけ全てを用意してきた。
「アルフェ」
「…要らない」
小さな君は食事も取らず震え首を横に振る。大きな目に涙を浮かべそして決まって言うのだ。
「もう、止めてグレン」
止める。とは。
諦めるということ。
小さな頃から共に育った。山を歩き釣りをし食事を取り歌を歌った。アルフェの歌はとても綺麗で、アルフェもとても綺麗で。
僕とアルフェの関係は分からない。兄弟?幼馴染み?恋人?
どれも分からない。だって僕らにある記憶は二人で生きたという事だけで、好きだと口にしたことは互いになく。それが当たり前だったのだ。
「止めて、ね? もういいんだよグレン、もう止めよう」
「君は……僕が嫌いなの?」
ポロリと口から零れた言葉にアルフェが息を飲む。自分の口に手を当て瞳に揺らぐ涙をついに零し、首を横に強く振る。
細い首が左右に振られるだけで折れてしまいそうに感じるほどアルフェは儚く透明だ。黒い髪に青い瞳が良く似合う。どこまでも美しいアルフェ。
「グレンを私が嫌いになるはずないでしょう…っ!」
「なら何故っ、何故そんなこと口にできるんだっ」
止めろと。
諦めろと。
何故?
「だって仕方ないことでしょう!グレン!」
「仕方ない事なんかあるか! 絶対に諦めない!」
仕方ないと片付ければ済むのかもしれない。そっちの方がきっと楽で、平和で、悲しみを乗り越えれるのかもしれない。でも。
「君を…君を失ったら僕はどう生きればいいんだっ」
「グレン…」
初めてアルフェが血を吐いた。毒だと言う。その毒は誰にも治すことの出来ない毒で、なぜその毒が体に入ったかも分からない。何かに噛まれたのか。何か良くないものを食べたのか。
調べても変わらずどれだけ求めても救いの答えは出なかった。
「グレン…もう、無理よ」
「ダメだ」
「貴方も私も…もう限界なの」
「そんなこと…そんなこと認められるはずないだろう!」
ずっと共に居た。戦争が始まっても共に隠れ共に生き延びた。狩りをし、歌を歌い、共にあった。
けれど毒におかされていくアルフェは次第に体力が落ちていき、旅が出来なくなる。ならばと住む町を決めその町でのし上がり、知識を貪欲に求めた。
アルフェを救う手段を求め続け、地位と金を手に入れた。実験を繰り返し、アルフェの毒を解くためになんでも手を出した。
自分の体を実験台にしても。
「グレンが死んだら意味ないでしょう!」
「アルフェ居ての僕だ、君がいない僕がグレンであるはずがない」
なぜ分からない? 昔から僕の中にはアルフェが居たんだ。二人で山を駆け、山で学び、山で成長した。
家族が居ないのかと聞かれればアルフェを思い浮かべた。
恋人が居ないのかと聞かれればアルフェしか浮かばなかった。
友は居るのかと聞かれればアルフェしか居ないと確信した。
「アルフェ、君にとっての僕は何?」
「…誰よりも愛しく変え難い人よ」
「僕もそうなんだと分からない?」
「貴方が思うように私も貴方を思ってる…ねぇっ、だからもうやめて」
震えながらそう口にするアルフェに僕はゆっくりと首を横に振る。彼女が先程したように。
「なんでっ」
「アルフェ、僕は君を一人にしないと決めたんだ」
「っ」
「君への好意の名が分からなくても、君を一生大切にすると決めていた」
ねぇアルフェ。
「僕は君が好きだよ、大好きなんだ」
「…わた、しも好きよグレン」
「うん、分かってる」
君ならそう言ってくれると分かってた。
だからこそ諦められない。
ほそい腰を抱き寄せて肩に頭を預け嗅ぎなれた匂いを嗅ぐ。それが酷く懐かしい。子供の頃はアルフェの方が身長が高く、辛いことがあれば肩を借りていたものだ。
それもいつからか追い越し、アルフェもこんなに痩せてしまった。
「…グレン、泣かないで」
「っ泣いているのは君もじゃないか」
僕のともアルフェのものともわからなくなった涙がこぼれていく。
愛しいのに、大切なのに。ずっと大切だったのに。
「死なないでアルフェ」
「死なないでグレン」
同時にはいた言葉がなんと意味の無いことだろうか。残酷なほど無意味な。熱い湯のように煮えるこの感情が真っ白なアルフェにもあると思うとどうにもやるせなくなる。
アルフェはどんどん細くなっていく。血色が悪くなり、水しか受け付けない。だと言うのに透明な美しさは保たれていて。
僕はたくさんの毒を含んだ。毒を含んで、治し、含んで、治しを繰り返した頃。
毒が効かなくなってしまった。
「アルフェ…アルフェ」
眠る時間が増えたアルフェの髪を撫で付けると擽ったそうにゆっくりと微笑む。ああ、アルフェ、美しく透明な僕の唯一。
「何故独りでいこうとするんだ…」
「グレン…でも私は嬉しいわ」
「君なしじゃ生きれないと言ってるのに…」
君は僕を置いていこうとするのか。
二人でなく。好きだと告げたところで意味が無い。魔法があれば別だったかもしれないが魔法など存在しない。
転機がやってきたのはひとつの花を見つけた時だ。半透明なバラの花。
その花に見覚えがあった。記憶の奥底を思い返してみれば、彼女に半透明なバラの花を渡したことが一度だけあった。
あまりに幼くあまりに薄い記憶。あまりに軽率な過去の自分。自然と昔の彼女のした通り花を手に取り香りを楽しみ───気付いたのだ。
アルフェの香りとおなじ香りがすると。
アルフェと思わず口にした。涙が止まらず過去の自分を殺したいほどに憎む。
どうしてこんな花を見つけてしまったのだろう。どうしてそれをアルフェに上げてしまったのだろう。
幼い自分には気づけなかったであろう事でも僕はそう思わずにいれなかった。
「アルフェ…」
ベッドで静かに眠る彼女の手をとる。優しい彼女の香りが僕を宥めようとしているかのように思うが、これこそ毒の香りだったのだ。
「ぐ、れん?」
口が動かないのだろう。アルフェは間違いなく死へ向かっている。僕を一人置いて死のうとしている。
「僕のせいだったんだ、アルフェ」
愚かな自分が物珍しさから好意のままに渡したバラが長年アルフェを苦しませる毒となった。そしてその香りを嗅いだ自分にとっても毒となった。
「グレン…、もう、いいの」
何もいいはずはない。起き上がることすらままならないアルフェの手を握り、自分の頬に当てる。昔そうやって撫でてくれた時のように。
「アルフェ、死なないでくれ」
「グレン、ごめんなさい」
好きだ。好きなんだ。
親とも言える。姉とも言える。妹とも、恋人とも、幼馴染みとも、親友とも言える。
親しい間柄に向けられる言葉全てを向けたって違和感のないアルフェ。
「アルフェが死ぬなら…僕も死ぬ…アルフェ許してくれるね」
「グレン…貴方は生きなきゃ、もう、他の者が私のように死なない、ように…それに」
もう守るべきものは増えたでしょうとアルフェがゆっくりと笑う。透明で美しく儚い僕の最愛の人。
その最愛を守るために手を出し尽くした僕はいつの間にか領主としての地位を持っていた。
「君がいなきゃ意味が無い…っ」
「居るわ、ずっと傍に…ねぇだから、約束してね」
どうか貴方と私が生きたこの土地を守ると。そしてまた来世で出会ってくれると。
アルフェはそのまま事切れた。
言いたいことを言いきったように穏やかに。僕を当たり前のように置いていって。
「…アルフェ」
もう僕の体には半透明なバラの毒が入り込んでいる。ゆったりとはいえ体を蝕むこの毒をなくす方法が浮かばない。
けれど無くす方法を必ず見つけよう。次会う彼女に褒めてもらうために。
透明な美しく儚い、永遠の眠りについた彼女に、僕は初めて口付けをこぼし泣きながら笑って見せた。
「好きだよ、これからもずっと」
だから本当に透明になってしまっても僕の隣にいてね。