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男爵令嬢の下僕

「貴方のお名前は、ロイにしましょうか。遠くの国の古い言葉で、『王様』という意味があるの。髪の毛が、光に当たるとキラキラして、冠みたいでキレイだもの」


 ──彼女がそう笑いかけてくれたその瞬間から、名無しの孤児は、「ロイ」になった。


 ロイは、名も無い娼婦が産み捨てた子どもだった。歩くことが出来るようになるや否や、母は父に殴り殺された。程なくして父も、くだらない喧嘩が元でこの世を去った。


 同じような境遇の子どもたちと身を寄せ合い、ロイは七年を路地裏で過ごした。ロイは体格こそ小さいものの、それを生かした盗みが得意だった。子どもたちの中で、ロイはリーダー格として生きていた。


 そんなロイを救い上げてくれたのは、しがない男爵一家。ロイが七歳になった朝、共に暮らしていた仲間たちが、悪漢の憂さ晴らしに、ゴミのように殺された朝だった。ロイも息も絶え絶えとなり、このまま死ぬのかと、諦めかけたその時。


 綺麗なワンピースを着た令嬢が、駆け寄ってきたのだ。


 ロイは、コイツを利用してやろうと思った。いかにも世間を知らなそうな、扱いやすそうな娘だ。同情でも何でも引いて、怪我が治るまで隠れ蓑にしてやろうと思った。そして、金銭を奪えるだけ奪って、仲間を殺したアイツらを、今度は自分が殺してやろうと。


 ロイの思惑通り、令嬢は傷ついたロイと、辺りに転がる仲間たちの死体を見て、面白いくらいに同情した。両親に頼み込んで、死体を埋葬し、ロイを屋敷に連れ帰って治療することを求めた。


「でもねえ、メアリ……」


「今日はわたくしの誕生日プレゼントを買ってくださる約束でしたわね!? じゃあ、この子にします! この子をわたくしのボーイにください!」


 渋る両親に、令嬢は泣きながらそう言い放った。出血に薄れゆく意識の中で、血まみれになりながら自分を抱え、両親にそう啖呵を切る彼女が、ロイには、眩しく輝いて見えた。


 そうして十二の誕生日プレゼントに「ロイ」を得た彼女は、どちらが下僕か分からぬほど、ロイに尽くした。彼女と仲が良い女中のアリサが呆れるほどに。


 包帯がひとつ取れる度に喜びはしゃぐ彼女が毎日訪れるのを、ロイはいつしか、ベッドの上で心待ちにするようになった。


 殆どの怪我が治り、自由に動けるようになったその後も、ロイはメアリの屋敷を離れなかった。買い出しに出たあの街で、憎き悪漢共が野垂れ死んでいたのを見たからではない。


 ロイは、メアリのことを愛してしまった。


 五つ年上とは言え、メアリは驚くほど平凡で、特別大人びているわけでもなく、優秀なわけでもなかった。見た目も別段優れていることもなく、かと言って婚約者選びに難航するほど崩れてもいなかった。


 ロイが下僕となって一年、メアリが十三になったとき、とある男爵の息子がメアリの婚約者となった。その時に感じた狂おしいまでの激情に、ロイは彼女への気持ちを自覚したのだ。


 決して打ち明けられない想いを、けれど、アリサには気付かれてしまった。聞けばアリサも、メアリへの「プレゼント」なのだという。アリサもかつては令嬢として生きていたらしいが、悪漢に襲われ、純潔を失い……実家から放り出されてしまったところを、ロイと同じように拾われたとのことだった。


「だから、アンタの気持ちは、よくわかるつもりだよ。アタシも、……メアリを愛してるから」


 婚約者同士の顔合わせに召使いとして同席した時、ロイとアリサは、血が出るほどに唇を噛み締め、未来の夫に挨拶をするメアリを眺めた。


 決して手に入らないと分かりながら、それでもメアリから離れることが出来ず、二年が経った。凡庸だが平穏に、メアリは婚約者と関係を築いている。このままなら問題なく、メアリは彼の家に嫁ぐだろう。アリサは女中として付いていくと決めているようだが、そうなったらロイは、ひっそり姿を消すと決めていた。


 元より、綺麗な人間では到底無いのだ。メアリには知らせず、共犯者のアリサにすら告げず、人生すら終わらせる……つもり、だった。


 メアリに、義妹が出来るまでは。


 ノアと名乗ったその女は、メアリの遠縁に当たる娘だった。事故で両親を亡くした彼女は、メアリの家に養子として入ることになったのだ。平凡なメアリと比べれば格段に麗しく、見目の整った彼女は、その同情すべき境遇も相俟って、あっという間に家を征服した。


 まずノアは、メアリの婚約者に目を付けた。愛らしいノアに言い寄られては、婚約者は考えもせずノアに傾いた。ロイが心安らかでいられたのは、その瞬間までだ。


 ノアが怖いと言えば、どれだけ長く務めた召使いでも、すぐに首を切られるか僻地に左遷された。馬鹿な男爵夫妻は気付いていないが、ノアが嫌うのは、決まってメアリと懇意にしている召使いだ。日に日にメアリが憔悴していくのを、アリサとロイが見つめられたのも、ほんの少しの間のこと。


 先にアリサが、夫妻からの圧力で、手酷く放り出された実家に帰ることになった。疵物な上、適齢期を過ぎてしまったアリサが、辿る道など決まっている。最後に彼女は「メアリには本当のことを言わない」とロイに約束を取り付け、三倍近く年上の子爵に嫁いでいった。


 それでもメアリの傍に居続けたロイは、ある日突然、身一つで外に放り出された。理由はノアが、ロイが街で人を殺すのを見たと泣いたから。嘘泣きを見抜いて、ノアを睨んだのが良くなかった。夫妻の怒りを買ったのだ。


「やめて! そんなことあるわけないわ! ロイはっ、ロイはまだ子どもなのに!」


 この時ばかりはメアリも泣き叫んで抵抗したが、すっかりノアに染められた新しい下僕共がメアリを抑えつける内に、ロイの目の前で屋敷のドアは閉められた。


 メアリが泣いて自分を求めていたという、仄暗い喜びを、ロイの胸に残して。


 諦めて命ごと殺すつもりだった恋心が、どす黒い炎で再び燃え上がった。こうなっては、もう、ロイ自身にも止めることは出来ない。全てを振り切ったロイは、すぐに行動を開始した。


 まずは、街の孤児たちを味方につけた。警備の薄いところなど全て頭に入っていたので、度々メアリの屋敷に忍び込み、ノアに買い与えられたドレスや宝石を盗んでは換金して路地裏に配った。


 自由に動ける子どもを何人も従えたら、次は情報収集だ。時にはロイも乞食の振りをして、貴族たちの情報をとにかく集めた。醜聞を撒き散らすのには、ノアも一役買ってくれた。彼女のハーレムに加わっていくのは、誰も彼も嫡男や末子の馬鹿ばかりだ。ノアが欲しがっているものをそいつらに流して、家の金を湯水のように使い込ませた。


 勿論、互いへの確執を引っ掻き回すことも忘れない。馬鹿にあることないこと吹き込んでは、潜り込めない社交界でそれを拡散させた。同時にメアリを害した人間を、一人残らず記憶していく。メアリの敵は全て、ロイの敵だ。


 そうして近辺の貴族たちの関係を入念に壊した所で、一帯で最も裕福かつ、位の高いルートヴィヒ公爵家に潜り込んだ。ルートヴィヒの当代は初老の男性で、警備の目を縫って自分の部屋まで辿り着いたロイを見るなり、大口を開けてゲラゲラと笑った。


「はてはて、小さな客人よ。さてはここ最近、辺境の男爵家の養女を中心に、社交界がさざめいておるのも、君の仕業かな」


「よく言う。捨て置いているくせに」


 ロイはルートヴィヒ公爵の執務机の上に、一束の資料を投げ捨てた。一枚目にザッと目を通しただけで、公爵の顔つきが変わる。そこには一帯の貴族……それこそ公爵から末端の男爵に至るまでの家々の資金繰りが、銅貨の一枚に至るまで微細に記録されていたからだ。


「きな臭いことをしている奴がいる。その『養女』の気を惹くための贈り物合戦で、明らかに実家の資産以上の物を手に入れてる奴がいるんだよ」


「ほ、ほ、ほ。こりゃあ面白い。これがあれば、儂ら貴族の力関係は引っくり返るか」


 身に余る資産の出処は、路地裏の子どもが突き止めてくれた。外国との、人を商品とした裏貿易。そして、それらに関わる家々の情報を、ルートヴィヒ公爵家が探っていることも。


「確かにこりゃあ、儂らが欲しがっとったもんだの。さて小さな客人よ、それでは君は、儂に何を求める? 君も『養女』が欲しいのか……っと、すまん。睨まんでくれ」


 最も憎らしい女を欲しがっていると思われたのが、ロイには耐え難い屈辱だった。幼い顔に一瞬で迫力を孕ませた少年を見て、公爵は笑って両手を上げる。


「二度と言うなよ糞爺。こちらの要求はひとつ、お前の家名を僕に寄越せ」


 一瞬おいて、公爵は今日一番の笑い声を上げた。ロイは不機嫌そうに眉をしかめたまま、それでも黙って公爵を見ている。やがて笑い声は収まり、老いて窪んだ鳶色の目が、ロイをピタリと捉えた。


「良いじゃろ。坊、名をなんと言う」


「ロイ」


「そうか。良い名じゃないか」


 公爵がそう言うと、ロイは満足げに笑った。当たり前だ。世界でただ一人、欲しいと思った女に貰った名前なのだから。


「よかろう、坊。今日から貴様は、ロイ・ルートヴィヒじゃ。よろしくな、我が息子」






 待ちに待った社交界デビューの日、ロイは心からワクワクしていた。聞き及ぶ限り、ノアの行動は収まるどころか、どんどんエスカレートしている。この計画で最も懸念していたロイ以外の「メアリの味方」は、ついぞ現れることは無かったらしい。


 公爵がのらりくらりとロイを連れ回したせいで、ロイが屋敷を追い出されてから、二年も経ってしまった。時には屋敷を離れて公爵家の跡取りとしての勉強をしていたこの二年、ロイはメアリに他から手が伸びないかと気が気でなかったのだ。


 街の子ども達を代わる代わる見張りにつけていたが、メアリの周りは馬鹿ばかりだったらしい。メアリが誰からも目を向けられず幽霊のように扱われているのを聞いて、ロイは言い知れぬ幸せと怒りが、自分を満たすのを感じた。


 叩き込まれた笑顔の仮面を貼り付けて、次々に訪れる令嬢の隙間から、ノアに引き連れられたメアリの姿を見留めた途端、ロイは全身の血が沸騰するかのような興奮を覚えた。


 可哀想に、すっかり窶れた彼女は、恐らく二年間一度も新調されていないのだろう型遅れのドレスを着て、フラフラとノアの後ろを歩いている。時折ノアに引きずられる形で前に出て、ノアに何事か言葉を浴びせ、その数倍の罵倒を受ける。


 この大勢いる舞踏会の中で、彼女の味方は、真実、自分だけだ。


 二年ぶりに近くで見る愛する人の姿に、ロイはうっとりと見惚れた。そうするうちに、ノアとその取り巻きがこちらに向かってくる。彼女の傍若無人ぶりは既に誰もが知るところであったから、自然と人垣も割れた。


「きゃあん!」


 ノアは転んだ。いつものように。そして涙をたたえた瞳で、自らの義姉を振り返る。足りない彼女の頭ではロイが二年前まで自分の屋敷にいた人間だと気付くことが出来ないようだが、メアリは違う。


 メアリと目があった途端、ロイはまさしく、天にも上る気持ちだった。


 間違いなく、メアリは、自分に気付いている。二年前に泣きながら手を伸ばした、かつての自分の従僕なのだと。無様に這いつくばるノアには一瞥もくれず、ロイは導かれるようにメアリに歩み寄る。静まり返ったホールは全て、この瞬間を演出するステージのようだ。


 久しぶりですね、と、唇を動かしたが、興奮のあまり声は掠れ、うまく発声できなかった。耐えきれず握った手は二年前のような瑞々しさはなく、骨ばって荒れていた。


 構わず彼女の手を握り、そのままダンスへと雪崩込んだ。二曲連続で踊るのは、その場にいる全員に、自分が誰を選んだのか見せつけるためだった。メアリにもその意味が分からない筈はないが、突然のことに彼女は、そんなことを気にしている暇などない。


 それに何よりロイが、蕩けるようにメアリを見つめている。それは誰が見ても明らかに、メアリに懸想する顔だった。


 ロイは二年の間に、「公爵家の将来有望な一人息子」としてその名を轟かせている。今日の社交界デビューも、未だ婚約者を持たない自分を狙った令嬢が多くいることも理解していた。だからこそ全員に分かる形でメアリと踊れたのは僥倖だった。


 一つの心配はメアリが萎縮してしまうことだったが、久方ぶりだろうダンスにも関わらず、完璧なステップで自分についてきている。更に、会場中から受ける羨望の目線が、優越となってメアリに快感を与えているのが、頬の高潮からわかった。


「お会いしたかった。ずっと」


 踊りながらロイは、それだけをやっと絞り出した。メアリはまだ自分の下僕が公爵の一人息子として自分と踊っている状況を飲み込めていないのか、曖昧に頷く。けれども、嫌がっているようではない。それさえ分かれば、十分だ。


 三曲目を終えて、メアリの脚がぱたりと止まった。流石に疲れたらしい。幾許か下心を持ちながらメアリの腰を支えてやっていると、こちらにノアが駆けてくるのが見えた。


「わたくしとも、踊ってくださりませんか?」


 これでもかと目を開いて腕を掴んでくるノアに、メアリの腰が離れる。まさかとは思うがこの期に及んで、メアリはまだ身を引き、ノアに譲るつもりらしい。


 それがこの二年で染み付いたメアリの癖だと気付いた瞬間、ロイは燃え上がる怒りに、思わずメアリの手を握る力を強くした。ついでに腕に絡みつく不快な女は、必要以上に力を込めて振り解いておいた。メアリは驚いたようだが、結果的に離すつもりがないことが正しく伝わったようで何よりだ。


 衝動のまま、細い体を抱き寄せる。二年前は頭一つ分開いていた身長差が、僅か一寸まで縮んでいた。自分を落ち着けるために深く息を吸うと、二年前は当たり前に側にあった香りが鼻腔を満たす。


「あっ、の、ロイ、ええと、ルートヴィヒ……様」


「ああ、申し訳御座いません。急にこのようなことをして」


 なんと声を掛けるか迷っている様子のメアリを離して、ロイは得意の笑顔でにこりと躱してやった。子どもらしい表情には誰もが弱い。案の定メアリも、何も言えず口を噤んだ。本来公共の場でこのように触れ合うのは、貴族としての礼節に反するのにも関わらずだ。


「あの! わたくし、お話しているのですけど!」


 甘い雰囲気に、黙っていなかったのはノアである。めげずに触れてこようとするので、そちらは体を捻って避けた。それから今はノアの婚約者である、メアリの元婚約者に目線をやる。木偶の坊となって立ち尽くす彼を呼ぶと、身を竦ませたのも一瞬、何とかこちらにやってきた。


「婚約者の行動は、制限してもらわなくては困りますね」


「……申し訳、御座いません」


 彼はメアリの家よりは少し位が高い男爵家の出だが、それも所詮男爵家だ。公爵、それもルートヴィヒの家に逆らう権力など持っていない。


 信じられないという顔で固まるノアの腕を引いて、少し乱暴に、婚約者の男はノアを下がらせた。改めてメアリに向き直ると、メアリは居心地が悪そうに、目線を控え目に巡らせている。


「メアリ様」


「あの、そんな、わたくしに、そんな……」


 元下僕とはいえ、今はルートヴィヒの養子となったロイに敬称を付けられるのを、メアリは控え目に否定した。そんな姿も、いじらしくて愛らしい。同時に目の下に刻まれた隈や、化粧で隠し切れていない顔色の悪さが、ロイの心を酷く痛ませた。


 もう二度と、彼女を害させない。


 公爵から男爵まで、様々な貴族の人間が集まるホールの真ん中で、ロイは優雅に膝をついた。愕然と固まるメアリの手をそっと取って、その顔を見上げる。


「僕と、婚約してください」

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