Chapter1-4 知らない天井と猫娘と
「なーんじゃそりゃあーっ!!」
悠人が叫びながら目を覚ます。彼はベッドの上で勢いよく上半身を起こし、呼吸を荒げながら、そのまましばし放心状態となった。
見知らぬ天井、見知らぬ壁、覚えのない匂い。彼の意識下において前後の辻褄と全くかみ合わない情報が雪崩のように飛び込んでくる。ついさっきまで悠人が立っていた、宇宙船の内部とは全く違う景色が今は彼を取り囲んでいた。
――ふー、落ち着け、落ち着け……。
常人ならば取り乱してしまうようなこの状況において、悠人はゆっくりと呼吸を整えるよう努めた。
この短い間に彼の想定の及ばぬ出来事が立て続けに起こったためか、事ここに至って悠人は、目の前で起きた事柄に対して深く考えることをせず、ただそのまま「そういうもの」として受け入れることができるようになってきていた。
まず、悠人は今ベッドの上に座っている。どうやら先ほどまで、意識が無いままここに横たわっていたようだ。はだけた薄い生地の掛布団、タオルケットに近いものが彼のお腹から足にかけてかかっている。いつの間に意識を失ったのか、悠人にはさっぱりわからなかった。彼の感覚では、宇宙船の中での男との会話から今まで意識が途切れるようなことはなかったはずだった。
悠人は辺りを見回してみた。
薄暗い室内。自分がいる広い空間の他に、のれんのようなもので細い入り口を仕切った小さな部屋があるのがわかる。今いるこの場所は、リビングにあたる場所だろうか? 天井には灯りが取り付けられているが、点いている様子は無い。しかし部屋に取り付けられた大きな窓が外からの明かりをよく取り込んでいるようで、室内は薄暗いもののよく見通すことはできた。
部屋の外というものを意識した途端に、悠人の耳は様々な音を捉えだした。鳥の鳴き声、人々の喧騒――悠人はこの時ようやく、自分が全く見知らぬ世界にいるのだという実感を覚えた。
――起きてみないことには、何もわからないよな。
悠人はひとまずベッドから起き上がろうと、ついていた手に力を込めた。
……むにゅ。
何か柔らかい感触が彼の手を伝う。
「うわっ!」
妙に暖かいそれに驚き、悠人は思わず飛び上がった。
彼はベッドから脱出すると、すぐさま振り返り、自分の置かれている状況を確認しようと試みる。
彼はまず、離脱したベッドを見て気づく。
今まで彼がいた場所の真横、つまり自分の隣に別の人間が眠っていたのだ。
悠人は静かに相手の顔を覗き込む。
――女の子だ。
その幼い顔立ちから、自分よりもいくらか年下だろうということがわかる。頬は赤く生気に満ち、胸元はすうすうと立てる寝息でわずかに上下している。窓から差し込む光が、彼女の顔にかかると、彼女はそれを嫌ったのか、何かに抵抗するような声を漏らして静かに寝返りを打った。
「ん、んう……」
彼女の髪の毛が揺れる。少女の灰色の髪は光に照らされて、艶のある銀色に輝いていた。
ここまで理不尽な出来事に慣れつつあった悠人の心は、またにわかに取り乱しつつあった。少女の体はタオルケットに包まれている。が、今しがた彼女が寝返りを打ったことでそれが少しはだけてしまったのだ。はだけたところから、彼女の白い肌が覗く。
まさか、と悠人の脳裏にある考えがよぎった。今目の前で眠っている彼女は、何も身にまとっていないのではないか?
この状況がどういった展開の上で成り立っているものなのかは未だにわからなかったが、少なくとも見知らぬ少女のあらぬ姿を目撃していい理由はないはずだ。悠人は心の内で考えをめぐらせた。
「――うん?」
うろたえていた悠人であったが、あるものが彼の目に留まった。何か違和感を覚えた悠人は、音を立てぬように恐る恐る少女に近づいていく。
少女には「耳」がついていたのだ。
「ね、猫耳?」
その耳は、およそ人間についているはずがないものであった。髪の毛とそっくり同じ色の毛で覆われているため初めに見たときはわからなかったが、彼女の頭には、猫のような耳がぴんと立っていた。彼女の寝息に合わせて時折ひょこひょこと動いているそれは、カチューシャなどの髪飾りを加工したものにしては、やけにリアリティがある。
そもそも本物の猫耳など悠人は見たこともなく、それがどういうものかわかるはずもなかった。しかし、毛の流れや頭部との境界の違和感のなさから、まるで本物の猫の耳が少女の頭から生えているように思える。
少女が再び寝返りを打ったのはその時であった。悠人の顔のすぐ前に少女の顔がくる。そして悠人の目の前で少女の閉じていた瞼がゆっくりと上がっていった。
「あ」
悠人が声を漏らす。少女の目は悠人の顔を見つめたまま動かない。
「はると、おっふぁよ~」
「ちょ、ちょっと!わっ…」
大きな欠伸とともに間延びした声で少女はそう言い、体を起こして悠人に抱き着いた。まとっていたタオルケットがはだける瞬間、悠人は何よりも優先して目の前の少女から顔を逸らしたので、結果少女の抱擁を避けることができずに、体の前面全てで彼女を受け止めることになった。
「んーっ、この匂い…く、く、たまらん……」
「おい、ちょっと、君、あっ、そんなにひっつくなってば……」
首元に少女が顔をうずめてきて、くすぐったそうに悠人は身をよじる。
「って今、僕の名前!」
悠人が言うと、少女は不思議そうな顔で首を傾げた。
頭に着いた猫耳がぴくぴくと揺れる。
――自分の名前を知っている、少女。彼女の頭には不思議な猫の耳がついている。猫の耳、というか猫。まさか。
ここまで悠人は理解の及ばぬ出来事に触れ続け、その思考は変容し、今となっては「起こりえない」と断ずることのできることなど何もないという気持ちになっていた。そのせいか、普段の自分では思いつくことすらない荒唐無稽な予測を立てることができた。
「なあ、君。まさか君の名前は――」
「うん!ミーシャだよー」
あっけらかんと謎の少女、改めミーシャが笑う。そうして彼女は再び悠人の首元に頭をうずめた。
――そうか、野良猫は服なんて着ないよなあ。
まずは部屋の中を調べて服を探そう。
悠人はそう心に決め、目下の目標を定めた。
次回更新日が固まり次第追記します。