ぼくが可愛いので婚約破棄してください
「婚約を破棄していただきたいのです」
いつも通りの格好で、いつものようにおどおどオロオロしていた婚約者様は、そう言って深く頭を下げた。
「理由を伺いましょう」
顔を上げるように促す。
緩く編み込まれた髪が美しい。手入れに気を使っているのがわかる艶やかさだ。
「理由なんて、あなたが一番よくご存知だと思います」
はて。婚約してからの記憶をさらってみるが心当たりがない。
「私には心当たりがありませんね」
正直に口にしてみたところ、からかわれていると思ったのか彼は真っ赤になった。今日の彼のドレスの色の様だ。
私の婚約者はデザイナーだ。
幼い頃から可愛いものが好きで、美しいものが好きで、可愛いものを着たくて美しいものを着たくて、そして男性用のドレスをデザインするようになった。
今のドレスもよく似合っている。
男性と女性ではどうしても骨格や筋肉など出る所付く所が違う。
彼は女性用のドレスのデザインをそのまま男性用に転用することはなかった。
肩幅があってもエレガントに、厚い胸板はゴージャスに、硬質で平坦な腰から臀部のラインはスマートに魅せられるような、男性による、男性のためのドレス。
フォーマルなドレスに飽き足らず、最近ではツーピースの衣装に挑戦していると聞いていた。
「ぼくが婚約者であることで、あなたはずっと笑われて来たでしょう。変態につきあう、変わり者だと」
確かにそういった時期もあった。
幼い頃は母や姉妹の着せ替え人形扱いなのだろうと、彼の格好を苦笑してみていた人達も、彼が変声期を迎える頃になっても全くドレスをやめないことに苦言を呈しはじめた。
その頃には彼は母や姉妹のドレスのお下がりを、そのままではもう着られなくなっていた。
ぐんと背が伸びたし、体重も筋肉もついた。何より、鏡の前でかわいいドレスを自分にあててみて、入るかどうか試す前に似合わないと眉を下げていた。
「ぼくはどうしても、この服装を止められません。かわいいものが着たい。美しくありたい。化粧もドレスも女性のためだけのものではない、そう思って仕事をしています」
その言葉の通り、彼は精力的に活動した。
何度父親に殴られなじられようとも、母親に泣かれようとも、独力で布を入手し、縫製を学び、試行錯誤を重ね自分のドレスを作り続けどんな場でもそれを着た。
その為に私たちはそのうちどこの家のパーティーにも呼ばれなくなっていった。
それでも彼は諦めなかった。
「あなたにはこれまで、とても申し訳ないことをしてきたと思っています」
彼は謝ったことはなかった。これまでは。
「申し訳ないこと、とは?」
「本来ならいつ破棄されてもおかしくない婚約を、今まで無理矢理続けてきました。ぼくの婚約者であったことで、あなたからどれだけのよい出会いを奪ってきたか」
そういえば、彼の服の趣味がこうであると知ったうちの親が激怒していたことがあった。私が彼との婚約を破棄したくないと言ったから続いていたのだと思ったけれど、彼の家側からも圧力があったとは気づいていなかった。
膝の上で揃えられた指には、花が連なったデザインのリングがはまっている。私と彼と揃いで選んだ婚約指輪だ。彼が花のデザインに惹かれ、私は蔓と葉が絡み合ったデザインに惹かれた。
本来は男女逆のデザインだそうだが、快く作ってもらえた。その指輪は私の指にも今はまっている。
「今さらそんなこと、私は気にしません。そうでなければこれまであなたと一緒になんていない。婚約が破棄とならなかったのは、そこに私の気持ちが確かにあったからです」
彼の努力は実を結び、少なくない数の同好の士がいまや彼を支えている。
彼はかわいいものを愛する。美しいものを愛する。
そして男性だけでなく、もちろん女性だって似合うドレスを着て欲しい、と幅広く受け入れ、個人のコンプレックスを時に隠し、逆に活かしたドレスを様々に作っては顧客の信用を得ていった。
甲高さんや幅広さんの為の靴の開発が進み、スネ毛の剃り残し跡を美しくカバーする下着の開発が進み、短い髪でも身に付けられる髪飾りの種類が増えた。
今の彼を見て、ただの変態だという人はもう少ない。
大なり小なり、彼の関わった商品を手にしたことがあるのだから。
「結婚式だって、挙げようって決めたじゃないですか。みんなで着飾って、堅苦しくなく美しい、かわいいけれど崩れすぎない結婚式にしようって」
私のどれすも、でざいんしてくれるって
たのしみにしてたのに
と言う時には涙が零れていた。
どうして、急にそんなこと。
「だって、ぼくの方がかわいくなっちゃうんです!どう頑張っても!」
涙が引っ込んだ。
零れた涙も戻せることなら目に戻したくなった。
素っ頓狂な事を叫んだ愛する彼はいくつかのデザイン画を並べた。
「このところずっと、ぼく達の結婚式のドレスのことを考えていたんです。ぼくのドレスと、君のドレス。対のようでお互いの個性を出せるように」
左がぼくで、右が君ですと説明してくれる。
そして納得した。悔しいことに。
多分、これらのドレスのどれを着ても、私より彼の方が見映えがするだろう、と。
彼はプロだ。自分をかわいく美しく魅せることの。
幼い頃の言葉だけの婚約関係から、私と真実恋人関係になった彼は、私をかわいく美しくすることにも夢中になったけれどやはり年季がちがう。
私の魅力を誰より引き出せるのも彼だが、彼の魅力を最大限に引き出せるのもまた彼なのだ。
「一番かわいいあなたを結婚式で見てもらうって約束したのに!ぼくの力不足のせいでこのままじゃ約束が果たせません」
このままだと、ぼくの方があなたより可愛くなっちゃうんです。何枚デザインしても、どう直しても、ぼくが一番可愛くなっちゃうんです、と悔しそうに拳を握る。
「【 ぼくの隣に並んでもあなたが一番かわいくなるドレス 】をデザインできるようになるまでどのくらいかかるかわからない。これ以上あなたを待たせる訳にはいかない」
だから、婚約破棄して下さい、ともう1度彼は頭を下げた。
容赦なく叩くことにした。
「その喧嘩、買いました」
***
数ヵ月後、とある街で、とってもかわいい花婿ととっても美しい花嫁の結婚式が行われた。
参加者は1輪の花を持たされ、ドレスがより似合っている方に祝いの挨拶と共に花を捧げるという形式がとられた。
集められた花は花婿の分と花嫁の分、それぞれがブーケにされブーケトスとして投げられた。
花の量に大差がつかなかったことに花婿が拗ねたとか満足したとか。花嫁は満面の笑みであったとか。
悪役令嬢が男の娘だったら、というところからできた話。
悪役にならなかったし令嬢でもないし婚約も破棄されない。
自分メモが仕事しなかった。どうしてこうなった。