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俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
アレグロ・マ・ノン・トロッポの章
8/58

07:ブラックスクロファ

 当然のことだが、洋瑛が想像するような、反SGの団体は存在しない。


 左翼団体の過激派などが、こんな田舎の片隅の、ましてや兵学生を囲う荒砂山に押し寄せてくるはずはなく、笹原京香少尉が構えている相手は、


 ウィアードであった。


(なんで――?)


 洋瑛は呆気にとられる。


 妄想上の過激派左翼よりも驚愕すべき事態である。


「あ、あれは――」


 と、吉沢が洋瑛に追いついてきていた。息を切らしながらつぶやいた。


「ブラックスクロファ」


 その4つ脚の化け物は、一定の距離を置いて笹原少尉と対峙していた。


 目鼻立ちはハイエナに似ている。つぶらな目をしている。ネコより鼻が長く、イヌより首が長い。耳は丸い。


 体躯は丸々とブタのように肥えている。それを支える4本の脚もまた太い。


 このブラックスクロファという化け物。数ある種類のウィアードの中で天進橋にもっとも出現する種である。そのため兵学校の教書にも写真付きで掲載されている。


(でけえ)


 写真と実物では大違いであった。4本の脚で支える体躯は、笹原少尉の腰高まである。背高もさることながら、ぱんぱんに太った胴体が、大きさをことさら引き立たせていた。


 灰色に分厚い雲と、灰色に沈黙的な道路のあいだには、真っ赤なリンゴが多数散乱している。見るもあざやか、収穫の宝石が散りばめられている。中には、衝撃で割れたかして、みずみずしく蜜を垂らしている。甘さがはげしく匂いたっている。


 濃厚な果実に囲まれて、7人の兵学生たちは尻もちをついていた。もしくは体を寄せ合っていた。あの気の強い山田真奈も瞳孔を開け広げて立ちすくんでおり、藤中翔太は後ずさりしていた。


 笹原少尉だけがトレンチコートの裾を垂らしながら屹立している。しかし、黒縁瞼の中の目は泳いでいる。射撃の構えもどことなくおぼついていない。


(変な奴だ)


 洋瑛は遠目に眺めそう思う。ブラックスクロファはじっとして笹原少尉の表情か拳銃かを見つめているだけである。唸りもせず、歯も剥かず、黒々としたつぶらな瞳で、思案しているかのように敵対者を見つめている。


 洋瑛は好奇心も手伝って、1歩、そろりと歩む。


「やめろ」


 すかさず、吉沢が洋瑛の腕を手に取って引き止めた。


「ブラックスクロファの知覚は鋭敏だ。目はあっちを向いていても、鼻と耳で常に360度を警戒している。それに、奴は素早いし、動きは変幻自在。顎の力は一瞬で骨を噛み砕く。近づいたら即死だぞ」


「詳しいですね、先輩」


「教書の64ページ。ウィアード一覧とその対策、第二項目に掲載されている」


「ふーん。絶対記憶ですか。じゃあ、対策はなんですか」


(どうして、こいつ、こんなに平静でいるんだろう。やっぱり、あれなのか――)


 と、吉沢はいぶかしんだが、呑気な瓜実顔の洋瑛に説明してやる。


「動体視力トランセンデンスのカバーアタッカーに狙撃させるか、もしくは瞬発力トランセンデンスのアタッカーを先頭にし、コラボレーターが小銃で援護する――」


「A班はここにはいませんよ。笹原教官の拳銃チャカじゃ殺せないんですか?」


「ブラックスクロファは銃弾をかわす」


(そんなバカな)


 と、洋瑛が思った矢先、笹原少尉が発砲した。


 と、同時に、ブラックスクロファは影となった。黒い影は笹原少尉へ鋭く伸びていく。


 一瞬のこと。


 笹原少尉の脇をすり抜けていった影は、再びブラックスクロファの形となってそこに着地した。真奈や藤中たち、おびえる学生たちの前に躍り出ている。


 笹原少尉が表情をゆがめながら、その場に片膝をつく。笹原少尉の手には拳銃がなくなっている。いや、右手そのものがなくなっている。


 ブラックスクロファがくわえていた。


「いやあっ!」


 女どもが叫び上げ、皆が皆、硬直してしまって動けない。


 そして、ブラックスクロファは尻尾を振っていた。


 洋瑛は瞳孔を大きくして驚愕する。


(あいつ――)


 諜報員の吉沢も息を呑んだ。


(あれは――)


 洋瑛も吉沢もブラックスクロファの様子を目の当たりにして、2人が似たようなことを同じくして思った。


 野生じゃない、と。


 ブラックスクロファは間違いなく笹原少尉を一撃で仕留められる。


 だが、拳銃だけを奪い取った。右手だけを噛みちぎった。尻尾まで振っている。なぶり殺しにするのを楽しんでいるのである。つまり、飢えていない。何かしらの知性もある。


 野生であればまず有り得ない行動であった。そして、野生とは思えないウィアードがG地区の外にあるのだった。


(どういうことだよ)


「近田くん。ふもとに下りよう。学舎に行って教官たちを連れてこよう」


「そんなことしたら、あいつらが殺されちまう」


 瞼の中身を澄み渡らせながら、洋瑛はブラックスクロファの丸太りの尻を睨み据えつつ、足を踏み出した。


(いや――)


 すぐにきびすを返した。


「先輩の言うとおりだ。そうしよう」


 吉沢はうなずく。ブラックスクロファを警戒しつつ、吉沢もきびすを返していく。完全に背中を返す。


 洋瑛は指を鳴らした。





 G地区の化け物が放水路の外に出現したことは、SGの沽券に関わる大事件である。


 無論、荒砂山兵学校だけにとどめておく案件ではなく、特殊保安群のトップである川島徹かわしまとおる大佐に報告された。


 が。


「今回の件、しっかりと詳細を把握しなければなりません。天進橋に機密調査委員会を設置します。報告が上がるまでは、一切、他言しないように」


 川島大佐は握りつぶした。


 川島大佐はSG部隊の長であるが、SGではなく陸軍将校である。暴挙である。


 ブラックスクロファがG地区外に出現した事態は、国防軍の制服組の頂点である統合参謀本部に報告しなければならない。調査委員会も特殊保安群内で設置するような事態ではない。


 川島大佐は特殊保安群に緘口令を敷いたのである。


「――で」


 と、川島大佐は眼鏡のレンズ越しに切れ細の瞼を研ぎ澄ます。彼の鋭利な眼光は、直に対面していない多拠点テレビ会議であっても、教官たちに息を呑ませるものだった。


「笹原少尉。噛みちぎられたという右手はどうなのです」


「はい。すぐに自身の治癒能力で蘇生できましたので、大事には」


「で、ブラックスクロファの息の根を止めたのは近田洋次郎少佐の子息ですか?」


 川島大佐はすでに察していたのだった。


 教官たちは荒砂山の会議室のテーブルを囲んでいる。笹原少尉は田中中尉をちらと横目にした。大牟田少佐にも流した。


 学長の大牟田少佐が答える。


「そうですが、近田一等兵学生は夜目のトランセンデンスであり、何がしかの・・・・・超越能力を発揮したわけでは」


「どういうことです?」


 鉄仮面の川島大佐の映像に、笹原少尉が答える。


「ブラックスクロファが急に態勢を崩したのです。それを見計らって近田一等兵学生は駆け飛んでき、何度も殴打しました。最後に私の拳銃を拾い上げ、それで射殺したのであります」


「なるほど」


 つぶやいたあと、川島大佐はしばしのあいだ沈黙した。


「承知しました。調査委員会の報告を待ちましょう」


 国防省内の首都本部、天進橋駐屯地、荒砂山兵学校を繋いでいたテレビ会議は、川島大佐のその一言で回線が落ちた。


(川島の奴……)


 大牟田実義おおむたさねよし少佐の動悸は震えている。


(独断で参謀本部に報せるべきか。いや、しかし、あの狂信者に火がついたとしたら、意にそぐわない人間は殺される――)





 指を鳴らした洋瑛は、自分自身の超越能力を誰にも悟られないよう、彼なりの注意を払ってブラックスクロファをほふった。


 洋瑛は止まった(と思っている)時間の中で、笹原少尉が腰に吊るしていた戦闘用刀子ファイティングナイフを取ると、それでブラックスクロファの目玉を潰した。脚も折った。洋瑛はこういう行為に慣れているので、躊躇せずにやった。


 刀子を笹原少尉の腰に戻し、元の位置に戻って、指を鳴らす。ブラックスクロファが、子鹿のような鳴き声を発して悶えたところ、


「な、なんだっ?」


 などと一応の大根役者を演じ、のち、ブラックスクロファに駆け寄っていった。皆が唖然とするのをよそに、ブラックスクロファを鉄板入りのブーツの裏で踏みつけ、蹴り飛ばし、むしろ愉快になって、化け物の体躯をしいたげた。


 最後に、路上に転がっていた笹原少尉の手首を拾う。ネイルアートの施された指から拳銃を外していき、手首はゴミのように放り捨てる。銃口を瀕死のブラックスクロファに向けると、ありったけの銃弾を撃ち込んだ。


 目の当たりにしていた藤中翔太は、この日の昼食後、悪友の雪村章介に述懐している。


「近田は笑いながらブラックスクロファを殺していたんだ。あいつはサイコだべさ。近田が怖くなってくる」


 ともかく、洋瑛がブラックスクロファを屠った。


 なぜ、ブラックスクロファが急に悶えたのか、同期生たちは謎に思ったが、まさか、洋瑛が高速運動トランセンデンスだとは思わず、洋瑛も整合性のない論理で押し切った。


「俺はあいつが着地したとき、変な態勢になったのを見た。お前ら腰抜けはビビっていてよく見れてなかっただろうけどな」






「キミの活躍がなければ前代未聞の一大事となるところだった。感謝する」


 洋瑛から直接に事情を聴き取った大牟田少佐はそれのみで済ませた。大牟田少佐も、教官たちも、洋瑛が高速運動を働かせたと、ほぼ確証していた。しかし、洋瑛をまったく問い詰めなかった。洋瑛のやりたいよう・・・・・・にやらせた・・・・・


「彼の前で、彼を高速運動トランセンデンスだと認めるな。当然、学生たちにもおくびにも出すな」


 と、大牟田少佐はかさねがさね教官たちに伝えている。


「諸君にあの残忍な少年を制御できる自信があるのなら、好きにすればいいがな」


 大牟田少佐も教官たちも、洋瑛が高速運動トランセンデンスだとほぼ確証している。だから、震える。たとえウィアードであっても、憎しみのかけらも持たないはずの相手をあそこまで虐げる必要があったのか。


 最初から射殺できたはずなのだ。それを余計に踏みつぶしているのである。


 洋瑛を制御できればSG最大の凶器である。しかし、狂気なのであった。


 彼ら特殊保安群、しいては国防軍からすれば、洋瑛は諸刃の剣であった。あるいは怪物であった。


 この諸刃の怪物を飼い馴らすことが彼らにできるだろうか。


 洋瑛には国家のために働くという思想が皆無である。決められたとおりのSGの道を歩んでいるだけである。


 SGの理念で押さえつけようとすれば、反抗心が芽生えるかもしれず、丁重に扱おうとするものならば、国防軍が自分に屈服したとみなし、すさまじい野心が点火するかもしれない。


 大人たちは洋瑛を恐れていた。野心に火がついたら何を仕出かすことか――。


 ただ、この怪物は今のところは殻の中ですやすやと寝てくれている。彼だけの小さな世界で満足してくれている。いたずらに目覚めさせることはない。


 しかし。


 G地区外にブラックスクロファが出没した。


 川島大佐に知れた。


 そして、吉沢琥太郎。


 洋瑛がすやすやと眠っていても、暗中の因果は、海底のヘドロがうごめくようにして、ひそかにゆっくりと結ばれていきつつあった。


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