05:虚構
特殊保安群。
かつては、国防陸軍隷下にあり、特別防衛隊の名称であった。
今は国防大臣直轄部隊となっている。特殊保安群の名称となったのも、大臣直轄となってからだ。
幹部は国防陸軍の将校である。SG生え抜きというのはいない。トップの群長も陸軍大佐であるし、教育部部長も陸軍の中佐。森姫山、荒砂山、来間山の、各兵学校の学長も陸軍少佐である。
荒砂山兵学校の学長は、大牟田実義という少佐である。陸軍士官学校を卒業したあと、国防陸軍第六師団に配属されたが、特殊保安群に移り、また陸軍駐屯地を異動し、また特殊保安群にやって来た。
特殊保安群の役職は陸軍士官たちの出世街道の1つとなりつつあるが、この部隊の物騒な性質からして、将校は陸軍と特殊保安群を行ったり来たりしてきている。
「近田一等兵学生が――」
大牟田少佐は頭が禿げている。ので、すべての髪を剃り上げている。生来、地肌が浅黒く脂質なので、おむすび型の頭形でもって、網の上で醤油を垂らしている焼きおにぎりのようである。
「高速運動トランセンデンスだというのは、門外不出だ」
「教育部にも報告せずにですか」
SGの田中中尉はいぶかしがる。陸軍の大牟田少佐はトランセンデンスの若僧をじっと睨みつける。
「彼の入学前から、99パーセントの仮説に基づいて、国防軍のあらゆる人間が彼を高速運動だとほぼ断定していたのを、田中中尉も知っていたろう?」
田中中尉は視線の先を伏せるのみで、何も答えない。
99パーセントの仮説、というのはオカルトである。というのも、トランセンデンスの超越能力は親から引き継がれるのが定説であるが、洋瑛のようにまれに突然変異が起きる。
しかしながら、この突然変異のトランセンデンスは、国防軍がこれまで積み重ねてきた統計からして、必ずデュアルトランセンデンスなのである。突然変異の超越能力とともに、親からも引き継いでくるのである。
しかし、「必ず」というのは99パーセントの概念だった。残りの1パーセントは、そのからくりが解明できていない、かつ、対象者が少なかったためであるのを表している。
このオカルト感がいなめない仮説からすると、夜目が認められた洋瑛はデュアルトランセンデンスのはずであった。父の高速運動か、母の動体視力を受け継いでいるはずであった。
過去、洋瑛に動体視力のテストをさせてみたところ、一般常人と変わらなかったので、高速運動であるのが濃厚となったのだが――。
その確率は99パーセントである。そうではない確率が1パーセントである。
オカルトだが。
無論、父の近田洋次郎少佐は高速運動の方法を国防軍に残していっていたのだが、それは指を鳴らすというものではなかった。
とにもかくにも、このとき、洋瑛が指を鳴らして高速運動化しているとは誰もが知らない。
大牟田少佐は続ける。
「近田一等兵学生の疑わしきところは、現状、荒砂山だけにとどめておく。でなければ、利用されかねない」
「利用、とは」
「中尉が知る必要はない。教え子を苦しめたくなければ伏せろ。もちろん、彼との接しようもこれまでどおりだ。詮索も刺激もするな」
特殊保安群の存在意義について説明しておかなければならない。
なにしろ、洋瑛を取り巻くこの因果はあまりにも巨大であり、怪奇すぎる。説明ばかりが長くなってしまう。
結成当初から今現在に至るまで、この特殊すぎる部隊には切っても切れないものがある。
いまだかつて、SGは戦争に投入されていない。
「G地区」
という隔離地域に生息する、
「ウィアード」
と呼んでいる猛獣たちと戦うためにSGはいる。
このウィアードをG地区に閉じ込めているのが、G地区北方を取り囲むようにして連なっている3,000m級の山々が連なる連峰と、
「玄福放水路」
という大河である。
この大河、人類史に登場してきて日が浅い。
30年ほど前、国防軍の立案により、ときの政府官僚たちの合意のもとに空前絶後の大土木工事がおこなわれた。
山々から流れ出てくる大小の河川を付け替えては、合流させ、付け替えては合流させ、最後には川水は玄福灘への大海になみなみ注がれていき、G地区を山と海と大河で囲んだのである。この国家史上、これほどまでに地形を変えてしまった例はないだろう。
この玄福放水路に唯一架けられた橋がある。
「天進橋」
天に進む橋、と、誰が名付けたか。
橋の全長426m、支間長219m、路面からの最大高さ53mに及ぶ巨大な橋げたである。
隔離地域に橋を渡したのはなぜか。理由があるが、洋瑛が二等兵学生(一年生)だったとき、田中中尉が読み上げた教書にはこうある。
「放水路の防衛線を要して敵の侵入を防ぐにあっては万が一もあり得る。放水路に唯一天進橋を架けるにおいては、ウィアードを天進橋に集中させるためである」
それは建前にすぎないが、当然、教書は真実には触れない。
ウィアードが集中する橋に設けられた基地が、
「天進橋駐屯地」
である。
G地区の北西には牛追坂駐屯地、北東には黄羽駐屯地があるが、陸軍の基地である。大臣直轄となった現在、SG部隊の一部が間借りしている状況である。
SGのほとんどが天進橋駐屯地に所属している。
教書にはこうある。
「天進橋に特殊保安群基地を設けたのは、ウィアードをここに撃退するためである。天進橋駐屯地は、特殊保安群の前線である」
SGと切っては切れないもの、それはG地区である。
G地区にひそむウィアードは、映画「SG」にもCGで登場している。
映画「SG」に登場したウィアードは、さまざまな種類の二足歩行の化け物であった。エイリアンめいている。緑色の皮膚であったり、目玉が異様に巨大であったり。
映画「SG」の化け物描写は少々間違っている。
天進橋にはさまざまな種類のウィアードが現れるが、すべて四足歩行の動物である。イヌの形をしていたり、ネコのようであったり、イノシシみたいなものであったり。
ただ、すべて凶暴であった。凶暴かつ、人知を越えた身体能力も持ち合わせていた。体躯も図抜けて巨大な種類もある。速度が目にも止まらない種類もある。トランセンデンスのように、治癒能力を持っている種類もある。
トランセンデンスがヒトを超越した人ならば、ウィアードはケモノを超越した猛獣であろう。
「G地区はウィアードが跋扈する地域であり、SGはウィアードを外部に進出させてはならない」
と、教書は兵学生たちに教える。
違和感がある。
「でもよ――」
と、藤中翔太という、洋瑛のもう一人の悪友が、坊主頭のうしろで手を組みながら言ったことがある。
「天進橋で守ってんじゃなくてよ、G地区に入ってウィアードを駆除すれば済むことなんじゃねえべか。映画のSGはG地区に入ってたべさ」
洋瑛はあくびをかいて、興味がない。
もう1人の悪友の雪村章介が言った。
「めちゃくちゃ強いんだろ。そのへんの野良猫を駆除するのとは訳が違うんだろ」
藤中が覚えたほのかな違和感はその通りであったし、雪村が諭した内容も間違ってはいない。
ただ、虚構なのである。
やがて、藤中も雪村もそして洋瑛も、これが虚構であるのを知ることになるが、その虚構の真実は、舌を吐くようにめらめらと燃えさかる業炎の中にあった。
今はまだ知らない。
悪魔がひたひたと忍び寄るようにして、荒砂山22期生の宿業が始まろうとしているのを今はまだ知らない。
のちに振り返ってみれば、凶兆と思われたその日、洋瑛は運命の人物と出会った。
朝の日差しが霧もやに吸い込まれている。22期生34名の全員がバックパックを背負い、鉄帽ヘルメットで頭を覆っている。
「いっちにいちにソーエイッ。いっちにいっちにソーエイッ」
掛け声を上げながらの3列縦隊で寮から荒砂山ふもとの教練場へ、舗装された道を駆け下りている。
「昨日の夜、新入生みたいなのが寮に入ってきたべさ」
と、藤中が洋瑛に囁いた。
「こんな時期におかしな話だべさ」
同期生が一所懸命に声を張らせていても、教官の目がないのをいいことに、悪たれの洋瑛や藤中はただ走っているだけである。
「俺らの下には来間山に23期生がいるんだから普通はそっちなんだし、だいたい中途入学はなしだっぺ。トランセンデンスの取りこぼしは、新しい期が結成されるまで引き伸ばしだべよ」
「新入生って女なのか?」
すると、洋瑛の左隣を走る女が切り揃えた髪を揺らすままに、ぷっ、と、笑いをふいた。
ぷっくらとした鼻の頭が、寒さからか、赤くなっている。餅のような肌に涙ほくろが目立つのは、カピバラの化け物の穂積杏奈である。
「女の子のわけないよ。藤中くんは男子棟で見かけたんだから」
「あっ、そ、そっか……」
「あ。残念がってる」
「ざ、残念がってなんかないよ」
「嘘つき」
「本当だってば」
洋瑛は鼻の下を伸ばした。
が。学舎の教練室の席に着くと机の上に頬杖をつき、白けた。
「吉沢琥太郎です。森姫山から移ってきました。よろしくお願いします」
藤中が言っていたような新入生ではなく、転入生である。
(落第じゃねえか)
森姫山兵学校には21期生がいる。洋瑛たちの1年先輩にあたる。つまり、森姫山から移ってきたのではなく、落第したのだと洋瑛は思う。
ちなみにであるが、3世代がそれぞれの山の学舎に分かれているのは、1つにかき集めてしまうと100人のトランセンデンスを抱えなければいけないからである。
100人もの超越能力が集まるのを恐れ、3箇所に分けられている。
それはともかく。
(いけ好かねえ奴だ)
吉沢琥太郎とやらは、洋瑛の好まない男子、すなわち、洋瑛とは真逆であった。吉沢は落第者とはとうてい思えない涼やかな容貌をしている。
痩せた優男である。頭は綺麗な丸刈りである。瞳は女のもののように大きく、鼻筋が通っていた。22期生たちの前に晒されていても、淡い唇の端にかすかな笑みをたたえている。
そして、吉沢をその瞳に映している幾人かの女どもは、口をほのかに開けて釘付けとなっていた。
男どもは、大半が洋瑛と同じような顔つきでいる。
「吉沢は本来なら貴様らの先輩ってことになるが」
田中中尉が言う。
「ここに来たと同時に22期生だ。何も遠慮することはない。わかっていると思うが兵学校には年齢は関係ない」
「田中中尉っ、よろしいでしょうかっ!」
挙手したのは、山田真奈という。彼女も、また、22期生ではあるが、年齢とすれば洋瑛たちより1つ上である。一般の高校生を1年生までやってから、兵学校に入った。
(うるせえな)
洋瑛は山田真奈が好きじゃない。容姿も好みではない。
「吉沢さんのトランセンデンスをお教え願います」
「記憶能力だ。こう言うと貴様らのことだから軽んじるだろうが、記憶力はたとえば物理構成図を一目見ただけで、それを死ぬまで脳裏に焼きつけていられる」
(フン。この前、習ったわ。教官は普通の記憶力もねえんじゃねえのか)
「みなさんの足を引っ張らないよう頑張ります」
新たな同期生が、自分と正反対みたいな男子なので、洋瑛の虫の居所は悪い。
ただ、やがてはこの吉沢琥太郎なる少年と洋瑛は、国家の趨勢を賭けた戦いにおいて、双璧を成すこととなる。