表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
アレグロ・マ・ノン・トロッポの章
5/58

04:ロンギング

 このころからわずか数ヶ月もしないうちに、近田洋瑛少年は宿業の扉を開くこととなるが、彼を知ってもらうにはなかなかの時間を要する。


 なるたけ手短に伝えたい。


 洋瑛の父――近田洋次郎少佐は高速運動トランセンデンスであった。


 このことを洋瑛が知らないでいるのは、さまざまな理由がある。


 まず、子の洋瑛が父の仕事ぶりに興味を持つ前に、近田洋次郎少佐は死んだ。正確には、死んだとされている。


 洋瑛が5歳のときである。ある日、突然帰ってこなくなった。


 洋瑛はこのころの何もかもを忘れている。父の葬儀が遺体のないまま執り行われたことなどまったく覚えていない。


 2つ目の理由に、洋瑛が夜目のトランセンデンスであるからだ。


 トランセンデンスの子はトランセンデンス。超越能力も親から引き継がれる。というのが統計から弾き出された定説である。


 無論、専門兵学生の洋瑛はこれを知っている。ゆえに父親は夜目のトランセンデンスであったと勝手に思い込んでいる。


 ちなみに洋瑛の母は、動体視力に優れたトランセンデンスである。


 では、なぜ、両親がそれぞれ違う超越能力であるのに、洋瑛が夜目のトランセンデンスなのかというと、わからない。突然変異とでしか済ませられない。


 3つ目は単純明快である。誰も近田洋次郎少佐が高速運動のトランセンデンスであった事実を洋瑛に教えなかったからである。


 むしろ、近田洋次郎少佐の詳細は極秘となっている。


「夜目の親父は調子に乗って夜の天進橋の手すりで曲芸をして、足を踏み外して真冬の放水路に落ちて溺れ死んだんだ」


 と、悪友の雪村章介に言ったことがある。無論、妄想だ。


「おれは親父のカタキで、天進橋の手すりを夜間走破するぜ」


 とんでもない法螺吹きであるが、それを法螺だと指摘する人はまずいない。近田洋次郎少佐の詳細は機密事項だからだ。ゆえに、洋瑛は正体不明の亡き父を法螺でとぼしめた。


 それは怒りからだ。


「何がSGだ」


 その言葉をつくようになったのは、父が突然帰ってこなくなったあと、5歳のころからである。




 洋瑛の成長には彼の幼なじみたちも多大な影響を与えた。


 荒砂山の22期生の中には洋瑛の幼なじみが4人いる。


 1人は葛原千鶴子くずはらちづこ


 この女狼と双璧をなしていた、やはり不良少女あがりの葛原由紀恵くずはらゆきえという兵学生。彼女も洋瑛とは幼いころからである。


 千鶴子と由紀恵。姓は同じであるが、縁戚関係はない。


 洋瑛と同じ釈迦堂市の国防軍官舎の出身である。


 葛原由紀恵については、洋瑛の悪友の雪村章介がこう言ったことがある。


「近田は由紀恵ちゃんと幼なじみだろ。お近づきになりたいから、仲を取り持ってくれよ」


「は? お前、あんな奴のどこがいいんだ?」


「可愛いだろうよ。クールな感じもいいし。けど、どこかちょっと陰を帯びているようなところ。あとポニーテール。俺、ポニーテールが好きなんだよ」


「バカだな」


 洋瑛は一笑した。


「中学のとき、あの2人は悪さばっかりしていてな、釈迦堂の風神雷神って悪名をとどろかせていたんだぜ」


 不良少年少女たちが付けそうな安易な異名であったが、言い得て妙なのは、風神の千鶴子は声量を圧力にしてしまう謎のトランセンデンスだった。


 一方、雷神の由紀恵は、瞬発力と治癒力という2つの超越能力を併有する、デュアルトランセンデンスである。


「おいユキ」


 と、洋瑛はもちろん呼び捨てる。亭主関白が女房でも扱うような権高けんだかなイントネーションである。


 由紀恵は亭主風情に呼びつけられると、厚ぼったい唇をむっと閉ざして、三白眼で静かに睨めつけてくる。


 洋瑛が次の言葉を発するまで口は開かない。元来、口数が少ない。


 ほとんどの時間を千鶴子と共にしている由紀恵は、威風を押し出すような千鶴子とは対照的である。夕暮のさざ波のような静けさでいる。163cmのすらりとした体を、胸の豊かな女狼の影に添わせている。


「クズセン」


 と、千鶴子は同期生たちから呼ばれている。刺のこもった声音である。


「由紀恵ちゃん」


 と、由紀恵は親しみを込めて呼ばれる。


 由紀恵はクズセンの相棒に違いないのだが、殺気めくのは洋瑛と向かい合うときだけである。普段はおとなしくて、どこか、はかなさを漂わせている。誰かが冗談を言えば教室の隅でまれに唇を緩めている。


 由紀恵が同期生たちから一目置かれているのは、デュアルトランセンデンスのためでもあろう。


 オレンジ色のさざ波のような彼女だが、雷神の異名にたがわぬ猛者でもある。


 中学時代、たむろする不良に友人が金を巻き上げられたとでも知れば、女狼の千鶴子が乗り込む。由紀恵がくっついてくる。千鶴子が怒鳴りこむ。千鶴子が怒鳴り声を風圧に変えて、不良を飛ばす。そのあと、由紀恵が不良に飛び込んでいき、ナイフを無言で首元に添える。そうして「詫び入れろ!」と、千鶴子が大喝するのが、風神雷神の仕組みであった。


 洋瑛は幼なじみの風神雷神に殺されかけたことがある。しかも荒砂山一等兵学生になってからだ。




 その日、洋瑛は買い溜めていた菓子の一部を寮の自室で家畜小屋の豚のように食い散らしていたが、ペットボトルの飲料水で喉を潤しつつ、175cm68kgの豚は思った。


(氷が欲しい)


 学生の部屋に冷蔵庫はない。必要ない。洋瑛は餌を天井裏にすべてを隠し保管しているだけである。


 寮の中央の食堂棟にやって来た。食堂の中を覗きこんでみる。兵学生たちの唯一の憩いの場として、普段なら10数人がたむろしているのだが、しめたことに人影はない。


 しかし、彼の死角には、千鶴子と由紀恵が座っていた。


 洋瑛の抜け目はこの辺りである。引き戸を開けると真っ直ぐに厨房に入っていく。食堂に足を踏み入れてからも目を見張るべきなのに、SGという特殊部隊の候補生としてちょっと有り得ない。


 時間を(・・・止めないのも・・・・・・、疲労が溜まるためである。逆に時間を止められるからここにおいても今後においても足元をすくわれるようになったのかもしれない。


 地元の町から雇い上げているパートタイマーの調理員たちは、20時きっかりに帰っている。


 千鶴子と由紀恵は、大胆不敵に業務用冷蔵庫の扉を片っ端から開けていく洋瑛の様子を眉をひそめながら眺めていた。


 ちなみに2人はオセロをしていた。彼女たちはオセロなど小学生のころにやったきりである。「やろうぜ」と千鶴子が言い出した。由紀恵は浜辺の夕日のようにして千鶴子の背中にどこまでもついていく。


 彼女たちが食堂を占拠したために同期生の姿がまったくなかった。千鶴子はオセロを目的に食堂にやって来たというより、食堂を憩いとしている同期生たちを散らせるために意地悪くやって来たのだった。


 千鶴子が同期生たちに当たるわけでもないのだが、ナイフのような孤狼の不良がやって来ると、急に場の雰囲気が冷め切ってしまうあれである。千鶴子はそれをわかっていてこういうことをやる。「クズセン」と刺のこもった声音の略称で同期生たちから呼ばれるような女である。 


 ただ、同期生たちを茶化すような千鶴子でも、洋瑛だけは茶化さない。いや、洋瑛の奇行癖は存分に承知している。


「何やってんだよ、ヒロ」


 トカゲがちょろちょろとしているような洋瑛のさまを、千鶴子は幼いころから何度も咎めてきた。


(なんだよ、いたのか)


 洋瑛は千鶴子に目を寄越したが無視した。


「おい。シカトしてんじゃねえよ。指鳴らせたのか。おい」


「暇人が」


 と、洋瑛は冷蔵庫を開け閉めしていきながら吐き捨てる。


「お前らみてえな厄介者がいるから誰もいなくて助かったけどよ、お前らはそうやって寂しがり屋だから誰かに突っかかりたくて仕方ねえってわけだ」


「寂しがり屋はヒロだろうが」


「フン。せいぜい言ってろ。このオシャレ豚野郎」


「もういっぺん言ってみろっ!」


「何度でも言ってやんよ。オシャレ豚の風神と、ネズミ女の雷神。な?」


 直情的好戦家、と、評されているように、洋瑛は悪口を叩き始めると止まらない。


「オシャレ豚とネズミ女がアイドルユニットを組むだなんて笑っちまうな。バカくせえ。国防軍に捕まらなくたって、お前らはどうせ地下の地下の地下でモグラみてえになっている地下モグラアイドルだったに違いねえ」


「アイドルじゃねえって何度も言ってんだろ!」


 彼女たちを怒らせるとたまったものじゃないのは洋瑛とて百も承知である。ただし、基本的に洋瑛は頭より先に口が回る。


 それに、近頃獲得した指鳴らしの能力で逃げてしまえると。


 千鶴子がドアを叩き開けて厨房のうちに乗り込んでくるも、洋瑛は悪口が饒舌すぎた。


「アイドルじゃなかったらなんだって言うんだ。コメディアンか。豚とネズミじゃアニメにもならねえ――」


 千鶴子の骨格の逞しい顔はいよいよ怒気をはらんでいた。


「ぶっ殺すぞ!」


 という千鶴子の怒号、風圧となった。風、というよりか、圧である。


(あっ)


 と、洋瑛がうろたえたころには、全身のすみずみにまで殴られたような衝撃があり、されるがままに体は持っていかれる。背中から大型冷蔵庫に叩きつけられる。


「バッカ野郎。いってーじゃねえか」


 冷蔵庫に背中を預けながら頭をさすっていたら、千鶴子はすでに憤怒の表情で洋瑛の目の前にそそり立っている。洋瑛の右手を掴み上げる。


「イテテテッ!」


「指パッチンなんかできねえように骨折ってやろうか?」


 千鶴子は握力の超越能力など有していない。馬鹿力である。


「詫び入れろっ!」


「何が詫びだ! バカが! 本当のこと言っただけだろうが! ブチ切れるぐらいだったら、部屋に帰ってしくしく泣いてろ!」


「詫び入れるまでやってやんよ!」


 洋瑛は右腕を掴まれたまま、厨房の外に、食堂に面した中庭に連れ去られる。芝生の上にぶん投げ捨てられる。洋瑛は指を鳴らそうとした。ところが、千鶴子の馬鹿力にやられて手首を痛め、指が鳴らせなかった。


(や、やべえ――)


 千鶴子が洋瑛を引きずり出したことで、由紀恵も中庭に出てきている。


 その日は朝から秋雨だった。ほのかに髪を濡らす程度のこまかさである。食堂からの光に浮かび上がれば霧のようでもある。


 雨粒は由紀恵のポニーテールの尾っぽも柔らかく濡らした。


 千鶴子に追い詰められて、洋瑛は尻をすべらせながら後ずさりしている。その様子を由紀恵は睫毛の先にしている。


(ヒロくん――)


 昔、彼らはすこぶる仲の良かった幼なじみたちであった。


 しかし、顔を合わせれば睨み合う仲になってしまったのは、中学のとき、由紀恵が洋瑛に将来の夢を語ってしまったことから始まっている。


 千鶴子とデュオグループを組んで、シンガーになりたいと。


「私、卒業したら首都に行きたいんだ。チヅちゃんも行くって言ってる」


 トランセンデンスの選択肢はSGにしかない。由紀恵とて千鶴子とてわかっていた。しかし、彼女たちは夢見る憧れの情熱でもってして道は切り開けると、そこだけ大人たちの綺麗事を真に受けていた。


「やめなよユキちゃん」


 と、由紀恵の熱情に対して、洋瑛はへらへらと笑った。


「俺たちはトランセンデンスじゃんか。SGになるしかないんだ。逃げ出したところで軍に捕まるだけなんだから。あきらめなって。俺たちはトランセンデンスなんだから」


 しかし、口数の少ない由紀恵は、洋瑛に知ってもらいたくて自分自身の思いを洋瑛にぶつけた。


 ごく一部の者だけしか知らないが、由紀恵と洋瑛は恋人同士であった。と、言っても、たった1度だけ口づけしたぐらいの。


 なので、由紀恵は洋瑛にだけはよく喋った。語った。思いをぶつけた。


 洋瑛は聞かなかった。由紀恵にしてみれば応援してくれればそれでよかったのだが、洋瑛はそれすらもしなかった。


 由紀恵はそういう洋瑛の態度に反抗するかのようにして、あるいは絶望し、中学の卒業を待たずに千鶴子とともに首都に逃げ出した――。


 3日間、行方不明となった。


 国防軍に補導されて生まれ育った釈迦堂市に連れ戻されると、洋瑛は態度を一変させている。


「お前の顔なんか見たくもねえ。失せろ」


(なんでわかってくんないの――)


 秋の夜長の荒砂山を霧雨が包む。


 千鶴子に追い込まれていく洋瑛は、立って、走って、逃げ出そうとした。千鶴子の声圧に吹き飛ばされ、退路は断たれた。


 由紀恵は、かっ、と、三白眼を広げた。風神雷神の仕組みだった。中学生の恋人のころだったらまだしも、1度、心が決してしまえば容赦ない。由紀恵は兵学校で訓練されている戦闘員である。


 瞬発力のトランセンデンスである。


 瞬発、と、一口で言うと大雑把だが、由紀恵の脳が足腰に指令を送れば、筋力が爆発的に飛躍する。地を蹴り出し、飛び込んでいく。と、一瞬で、洋瑛の前に着地している。


 足腰という点で、蹴りも凄まじい。繰り出した下段蹴りは、頭を抱えてとっさに丸くなった洋瑛の腕の骨を折り、かつ、衝撃でもって体を飛ばす。


 飛んでいった洋瑛をさらに追いかけ、わめいてのたうち回る洋瑛に馬乗りになり、


「バカヒロっ!」


 洋瑛の頬を殴りつけた。拳は超越能力ではない。オンナノコのパンチである。もっとも、鍛えられているので、ただのオンナノコではないが。


「どうしてヒロはそうやって!」


 何度も何度も殴りつけ、洋瑛に抵抗のすべはなく、さらにのそのそと歩み寄ってきた千鶴子が洋瑛の股間を踏み潰す。踏んづける。蹴飛ばす。


「詫び入れろっ! 詫びを入れろよ、オラァっ!」


 虫の息の洋瑛がたまらず「ごめん……」と漏らしたので、拷問は終わった。


 あとは、由紀恵の両手に顔を掴まれて、「バカ」と言われながら、殴られた箇所を治癒されていく。由紀恵は治癒能力も有している。掌から発せられる、体温か汗か何かが人体の損傷を回復させるのだった。


「ほっとけ、ユキ」


 千鶴子に肩を掴まれて由紀恵はうつむいたが、ややもして腰を上げた。


「う、腕も治してください、ユキさん」


 半べそで訴えてくる洋瑛に由紀恵は背を向ける。千鶴子が洋瑛の瓜実顔に痰を浴びせる。


「バカが。ナメてんじゃねえ」


 千鶴子と由紀恵は食堂へ入り、そのまま食堂からも去っていった。


(クソが……)


 激痛に耐えつつ腰を上げ、洋瑛はよろよろと食堂に戻る。半殺しの憂き目は戦闘訓練でもたまにある。


 食堂の隅の卓上にある内線電話機の受話器を取り外し、左手だけでダイヤルプッシュする。


「笹原教官スか? 近田ッス。食堂で左翼団体の過激派に襲われました。治癒能力で治してください」


<過激派なんてどこにいるの。侵入者は感知しますよ>


「いたんですって!」


<バカなことばっかり言って。いつもみたいに誰かと喧嘩して、いつもみたいに負けたんでしょ。あなたのほうから宿直室に来なさい>


 電話を切られたので、洋瑛は食堂を後にし、笹原少尉がいる管理棟の宿直室へよたよたとした足取りで向かう。


 一方、笹原少尉は食堂棟の騒ぎ声に気づいて、揉め事の様子を中庭を映すモニターで見ていた――。洋瑛が高速運動を使うと考え、葛原コンビに半殺しにされているのを放置している。


(わからない子ね……)


 ただただやられているだけの洋瑛を見て、首をかしげた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ