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俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
アレグロ・マ・ノン・トロッポの章
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03:高速運動

 国防軍はすべてのトランセンデンスを把握しきれていない。


 なぜなら、その者をトランセンデンスと判定するには、その能力を第三者が確認したり、計測器で測定する以外に手段がないからだ。


 穂積杏奈ほづみあんなに再び例を取る。


 兵学校入学時、杏奈は握力が1,015kg、背筋力が1,980kgであった。


 当然、丸太のような太い腕の持ち主と考えるはずだ。筋肉のかたまりであるはずだ。


 ならば、穂積杏奈はゴリラがそのまま人間になってしまったかのようなものである。


 ところが、杏奈の姿形はまったくゴリラではない。身長が152cm、体重が43kg、洋瑛よりも腕の細い女である。


「カピちゃん」


 と、呼ばれている。カピバラみたいにおっとりしているからという理由である。22期生の誰かがアダ名を付けた。ゴリラどころかカピバラなのである。


「カピちゃん」


 ましてや、面食いの洋瑛がでれでれと鼻の下を伸ばすような女である。


 なんの先入観もなく彼女と初めて会った者は、杏奈がカピバラの怪物だと気づかないはずだ。測定器で計測しなければわからないのだから。


 ただし、杏奈は産声を上げたときから国防軍の監視下にあった。


 杏奈の両親がトランセンデンスだったからである。杏奈が2歳になったときに特注の計測器を握らせてみれば、すでに桁外れの数値を出しており、案の定、母親と同じ怪力の持ち主であったのだ。


 杏奈のような華奢な女がなぜ怪力なのか。誰も説明できない。


「あらゆる人間は、生涯において、あらゆる能力を数パーセントしか発揮していない」


 のでトランセンデンスはそれを解放している、という根拠のないオカルトに頼らざるを得ない。


 ともかくも――。


 トランセンデンスの子はトランセンデンスであり、子供は親のトランセンデンスを受け継いでくる。そのデータだけを基本にし、国防軍はトランセンデンスを選抜していく。


 しかし、厄介なことに、そうした実にアナログなデータの範囲外からトランセンデンスが現れることもある。


 これは自己申告してくるのだった。


 SGが英雄化されている現状、高給取りでもあるから、申告者の中には箸にも棒にもかからない者が多い。しかし、まれに引っかかるため、国防軍は網の目を粗雑にするわけにもいかない。


 要するに見た目ではまったくわからず、最後には自己申告となってしまう。中には申告しない者もいるであろう。自分自身がトランセンデンスであることに気づかない者もいるであろう。


 洋瑛のように。


(おれはデュアルか――)


 洋瑛は新たに発見した超越能力を申告しなかった。教官どころか、同期生の誰にも喋らなかった。


(時間を止めるトランセンデンスだなんて、軍の研究者のモルモットにされちまう)


 これは妄想でしかない。モルモットにされたトランセンデンスが存在したかどうか、そもそもこの少年が知るよしもない。


(生まれたときからおれたちの周りをうろつき回る。軍はそういう気持ち悪い奴らだ)


 それは当たっている。


 洋瑛が申告しない理由には、モルモット以外にもあった。


 いつでも寮を脱走するためだ。


 夜、指を鳴らし、赤外線センサーが張っているのもいとわずに、堂々と鉄柵門をよじ登って越えていく。


 22期生の寮は、荒砂山あらすなやまという標高200m程度の小山の頂上にある。学舎や教練場はふもとにある。


 洋瑛は再び指を鳴らして時間を解放(と、洋瑛が勝手に思っている)すると、アスファルトの道は選ばずに、山を生い茂らせる木々の中に身を隠す。


 己の夜目を活かして草木をかきわけていき、獣道を行けば、1年半の訓練で培った体力で切り立った崖をよじ下りていく。


 目的は、山を裏手に下りてから、1kmほど先にあるコンビニエンスストアであった。黒ずくめの登山服に身を包んでいる洋瑛は、ここで菓子や炭酸飲料を大量に買い込む。兵学生生活において食事を管理されているためである。


 私物のリュックサックを欲望にぱんぱんに膨らませ、来た道を辿る。来た崖をよじ登る。


(今度からロープを張ったほうがいいな)


 そこまでしてやるものなのか。そういう疑問は起こさない。洋瑛ならずとも、そこまでしても刺激的な味覚を得たいものである。


 寮まで来ると、指を鳴らす。鉄柵門をよじ登って越えていく。自室に戻ったのちに指を鳴らすと、スナック菓子に炭酸飲料にと食いあさる。


 脱走しても、その程度で済ませてしまうのが近田洋瑛の人生観だった。外の空気を浴び、コンビニエンスストアの陳列棚のまばゆさにときめいても、犬ころのように戻ってくる。


 さらに遠く、さらに遠くを目指さない。


 理由もある。


(軍が地の果てまで追いかけてくる)


 そういう者を見たことがあった。かといって、軍の束縛を打破しようとする野望も持たない。これほどのトランセンデンスであれば、持ってもおかしくはないが、洋瑛にはちっとも芽生えない。


「何がSGだ」


 と、ときに洋瑛は鼻で笑う。


 しかし、SGになるために生まれてきた洋瑛は、知らず知らずのうちにSGになるための教育を受けてきており、SG以外の選択肢がこの生涯にないのを、無意識のうちにも、自意識のうちにも受諾しているのだった。


 それが、田中中尉の言う「虚無感」になっているのかもしれず、すると、洋瑛はこの虚無を覆い隠すすべを身に着けてもいた。奇行であり、また、こうして犬ころになることである。


 この、ある種の欲望の天才からすると、唯一無比の超越能力も、鉄柵門を乗り越えるだけの手段でしかなかった。




 だが、時間が止まっているというのは大間違いであった。


 洋瑛は鉄柵門を越えるとき、赤外線センサーを気に留めていない。時間が止まっているので、赤外線センサーは働いていないという怪しい理論を自信にしている。


 しかし、センサーは作動していた。時間は止まってなどいなかった。


 22期生に脱走した者がいないため、この仕組みを学生は知っていないが、センサーが感知したからといって、大袈裟な警報が鳴るわけでもなし、寮に住み着いている寮母が飛び出してくるわけでもなし、ブザーが宿直教官の部屋で鳴るだけである。


 ブザーが鳴って、田中中尉はのそりと起き上がり、ディスプレイの前に座る。


「また野良猫か」


 などと溜め息をつきながら、マウスを分厚い手で覆い被せ、鉄柵門付近のカメラの映像に切り替える。


 なんら、物体の影がないので、3分ほど前からの録画映像に切り替える。


 それでも、物影がセンサーに触れた様子がない。


「誤作動か」


 約1時間後、ブザーがまた鳴った。例のように映像を確認するが、相変わらず物影は見当たらない。


 舌打ちした田中中尉は、天進橋駐屯地にある特殊保安群教育部に、誤作動を起こしたので対応願いたい旨を依頼した。翌々日、天進橋駐屯地から、情報部の通信システム科が来た。


 兵学校の寮ごとき――と、言いたげな顔つきで調査に回り、「異常ありません」と、通信システム官は天進橋駐屯地に帰った。


 ちょうど、1週間後、ブザーがまた鳴った。


「あの憎たらしい野良猫のほうがまだいい」


 眉間に皺を集めながらマウスを分厚い手で覆い被せ、映像を鉄柵門付近のカメラに切り替える。


 物影はない。録画に切り替えても同じく。


 約1時間後、やはりまた鳴った。先週と同じ結果であった。


「なんなんだ」


 通信システム官の億劫そうな顔に引け目を感じ、田中中尉は天進橋の教育部に報告しなかったが、翌日、副教官の笹原京香ささはらきょうか少尉に、こんなことがあったと話した。


「ねえ。それってさ、こう考えられない?」


 笹原少尉は、兵学生時代、田中中尉と同じ18期生である。自然、2人きりのときは、階級に差はあれど、上官への畏敬はおくびにも出さない。


「高速運動のトランセンデンスがセンサーを越えたらって」


「まさか」


 と、田中中尉は笑って済まそうとしたが、笹原少尉は厚化粧に余念がないわりに、黒縁の瞼を生真面目に据えてくるのであった。


「念のため、調査しておいたほうがいいんじゃない? 万が一、そうだとしたら、ここだけで済ませられる話じゃなくなってくるんだから」


 そうなると、


「やはり近田か」


 田中中尉は溜め息をついた。誤作動や故障であってほしい気持ちががぜん強くなった。


「仮に高速運動で脱走しているとすると――」


 笹原少尉が言う。


「近田がそうだとしたら簡単でしょ。道路のカメラにも脱走者らしき影はない。けど、近田は夜目のトランセンデンス。森の中に入ってもすいすい進める。だとすると、1度目のブザーが鳴ってから2度目のブザーが鳴るまでの1時間のあいだに近田が何をやっているかってこと。私は近田がコンビニでアダルト雑誌を買っていると思う。仮に近田だとしたらね」


 教官たちは荒砂山のふもとのコンビニエンスストアに出向いた。オーナー店長にSGを名乗り、昨晩、高校生ほどの少年がやって来なかったかと、洋瑛の写真を見せながら訊ねた。


「ああ、彼ね。来ましたよ。お菓子やジュースをたくさん買っていったから覚えていますよ」


「よろしければ、カメラを見せてもらえませんか」


「いいですよ」


 特殊保安群から地元対策費の恩恵を得ているオーナーは、捜査権もない教官たちに快く映像を見せた。


「これ近田でしょ。この上下が真っ黒の服。ニット帽子まで被っちゃって」


「笑い事じゃないだろ。寮のカメラには映っていない。だが、ブザーは鳴る。ということは、こいつは高速運動のトランセンデンスだ」


 どうするか、教官たちは協議した。


 申告をしてきていない。教官たちの誰かが実際に見たわけでもない。無論、兵学生たちも。


「俺たちだけでは処理しきれん。教育部に報告しよう」


 かつて、高速運動のトランセンデンスはSGに1人だけいた。この者にはどんなトランセンデンスも太刀打ちできなかった。消えてしまうからである。録画映像をどれだけスロー再生させても、捉えきれないのである。


 なぜ、彼が史上初めての高速運動のトランセンデンスかと判明したかは彼自身が申告したからだ。


 彼の名は近田洋次郎ちかたようじろう


 最終階級は大尉。殉職して少佐となった。


 父が高速運動のトランセンデンスであったことを洋瑛は知らない。



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