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俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
スピッカートの章
30/58

06:モノクローム

 ブラッディレイ作戦の扇のかなめである洋瑛に高速運動トランセンデンスであることを白状させるか突きつけるか、もしくはこのまま見過ごすかで、当初作戦室は紛糾したが、盗撮と盗聴で洋瑛が殺意のかたまりになっているのを知った作戦将校たちは、訓練を一任している峠大尉を責めた。


「どうする気だ。このままだとSGは壊滅させられるぞ」


 徐々に成長しつつある作戦隊員たちによって、洋瑛の殺意もまた方向が変わっていくとし、彼らの自主性に期待している峠大尉であったが、作戦室長の刈谷少佐は言った。


「作戦隊員たちに作戦の主旨を伝えろ。これでは連中は何もわからないまま一方的に虐げられているだけだ」


 峠大尉はこれに反論した。


「今、伝えてしまえば、不信感をますます募らせます。SGが作戦部隊にならず、なぜに自分たちが作戦部隊なのかと」


 峠大尉以下、田中中尉や笹原少尉の現場組は同じ意見であった。今、洋瑛にそうしたことを伝えてしまうと、殺意がSGすべてに向いてしまい、それこそ時限爆弾が爆発してしまうと。作戦将校たちは渋ったが、自分たちの命も危ういので納得せざるを得なかった。


「しかしだな、近田洋瑛を制御するための編成なのだ。やつを制御できるような人間には伝えろ。言い方に語弊はあるが、こちら側に取り込むんだ」


 刈谷少佐はそこだけは譲らなかった。


 峠大尉、田中中尉、笹原少尉に加え、ラットローグとブルースカーは協議した。洋瑛を制御でき、なおかつこちらの意向に従い、利発的に立ち回れる者は誰かと。


 笹原少尉が候補に上げたのは有島であった。


「有島は頭もいいし、気も優しいし、近田も有島を悪く思ってません」


「赤い爪の作戦隊員の娘である有島を近づけすぎるのは危険だ」


 と、峠大尉は却下した。


 ラットローグはバッドガールこと千鶴子を推薦した。幼なじみであり、気が強いからと。


「バッドガールが俺たちの言うことなんぞ聞くはずがないだろうが。近田と結託するに決まっているだろうが。ラットローグ。お前の好みを訊いているんじゃねえんだぞ」


 ブルースカーは雪村であった。


「今は仲違いしているみたいですけど、もっとも気心が知れているんじゃありません? マエガミくんはなかなかどうして細やかな子ですよ? 隊長も雪村をリーダーにしたのはそういう意図からなのでしょう?」


 田中中尉は杏奈だった。


「穂積はプレッシャーに押しつぶされてしまうかもしれませんが、近田に気があるようですし、近田も穂積にはわりと。1人で抱えさせるのは気の毒ですが」


 峠大尉は机に肘を立てて顔を覆い、珍しく部下の前で悩んだ。


「マエガミとカピコか――」


 気が進まなかったが、洋瑛の殺意が収まったことを証明しなければ、作戦本部が現場に介入してくるかもしれない。SGではない彼らに隊員たちの指揮を取らせると間違いが起こりそうである。峠大尉はそう危惧していたのだった。





 むやみに狙撃されることもなくなってきており、訓練も終われば学生隊員たちはようやく心の休憩場所を作れるようになっていた。


 荒砂山のときのように娯楽的な話題に時間を満たすものでもないが、夕食後の洗濯にしても、道具の整理にしても、ベッドルームで共同で作業していたり、荒砂山の寮から持ち出してきた私物に興じてみたり――。


 二段ベッドの上段が唯一のプライベートスペースである杏奈は、ベッドにうつ伏せになりながら、今までに撮り溜めて現像していた写真を眺めた。一眼レフカメラは一時没収とされてしまったが、天進橋兵学校を卒業・・したときに返却すると笹原少尉は言っていた。


「カピバラさん、何やってんの?」


 と、はしごを登ってきたワイルドキャットが猫顔をひょっこりと覗かせてくる。物応じしない性格のワイルドキャットは、暇になるとこうして誰の前にでも顔を出してくる。「アリシア」と言って嫌っている有島にも、ワイルドキャットを嫌っている真奈であっても。


「写真見てるの」


 杏奈は洋瑛を明るくさせたようなワイルドキャットが嫌いじゃない。笑みを浮かべながら、撮った写真の1枚を見せてやる。「なにこれ」とワイルドキャットが眉をしかめるので、自分は風景を撮影するのが好きなのだと教えてやる。


「ふーん。なんか、つまんない。誰か入っている写真はないの? 荒砂山のイケメンとかが写っているのとか」


「あんまり人は撮ってないしなあ。あ。でも、あったかも」


 写真の束をめくっていくと、目当ての1枚が出てきたので、はしごに立っているままのワイルドキャットに手渡す。


 クリスマスイヴの前日、洋瑛や吉沢とともに荒砂山を下りたときに撮影した写真だった。


「げっ。お兄ちゃんじゃんっ。えっ。カピバラさん、なんでにやにやしてんの。お兄ちゃんのこと好きなのっ」


 他のベッドには女どもが皆いるというのに、ワイルドキャットが声を張り上げてしまうのだから、杏奈は顔を真っ赤にして否定する。


「そ、そんなんじゃないよっ。ただ、このときは楽しかったから。うん」


「ふーん。ま、どうでもいいけど。てか、この坊主のイケメンくんは誰? ハゲナカ君じゃないよね?」


「それは吉沢さん」


「ふーん。イケメン君の吉沢さんはどこに行っちゃったの? 牛追坂? 黄羽?」


「う、うん……」


「えー? 私、このイケメンくんに会いたいなー。お兄ちゃんに紹介してもらおっと」


 ワイルドキャットが写真を持ったままはしごから飛び降りてしまう。


「あ、ちょっと」


 杏奈があわてたが、ワイルドキャットは鼻歌を口ずさみながらベッドルームを出ていこうとする。


 奔放猫を引き止めたのは千鶴子だった。


「やめろ久留美。ヒロにあいつの名前は禁句なんだよ」


「へ? なんで?」


 しばしのあいだ、女どものベッドルームには沈黙が下りた。ともに地べたに座ってブーツを磨いていた有島と二本柳は揃って手を止めている。


 真奈は、ワイルドキャットが駄々をこねて笹原少尉から借りてきた化粧水を顔に塗りたくっており、素知らぬ顔で手鏡に向かい合っている。


「クルちゃん」


 と、由紀恵がワイルドキャットを手招く。


 ワイルドキャットはお姉さんに呼ばれた幼女みたいにして歩み寄っていく。由紀恵が掌を出してくるので、ワイルドキャットは写真を渡す。


 そして、写真は由紀恵の手から杏奈に返ってきた。


「なんで?」


 ワイルドキャットはまだきょとんとしていた。


 有島が説明した。事情を知ったワイルドキャットは「ふーん」とたいして興味なさげにうなずくと、真奈のベッドに歩んでいって、化粧水をあまり使うなとわめいて奪い返す。


 ワイルドキャットと真奈のわめき合いをよそに、杏奈は手に戻ってきた写真を見つめた。


 抜いて果てない青空の下、瓜実顔の洋瑛と坊主頭の吉沢が、互いの顔を見合わせながら笑っている。


 見ても見飽きぬほどに杏奈は胸苦しい。


「力持ちアンちゃん」


 と、呼ばれ、杏奈は幼少のころから下町のオジさんオバさんたちに可愛がられてきた。


 母は2歳のころに癌で亡くなり、父もやはり癌で4歳のころに死に、はるか遠くの首都に宅を構えている父方の大叔父夫婦に引き取られた。


 杏奈は大叔父に連れられて小さい頃から町内会の催事にひっきりなしに参加し、大人たちの力仕事を手伝っていた。杏奈を知らない人はその怪力ぶりにびっくりする。ところが杏奈がトランセンデンスだと知っても取り立ててあげつらうことはない。むしろ、可愛がった。


「力持ちアンちゃん」が「ぶりっ子杏奈」と呼ばれるようになってしまったのは、小学校高学年のころからだろうか。オジさんオバさんたちの目を細めさせる彼女の可愛げが、ませた女の子たちには気に入らなかったらしい。


 釈迦堂とは違い、首都の下町にトランセンデンスがいるのも珍しいので、やはり、やっかみひがみもあったのかもしれない。


 ひとりぼっちでいることの多くなってしまった杏奈がカメラに興味を持ったのは、中学二年生のときである。図書室でその類の専門誌を見かけた。それなとなくめくってみると、投稿作品の入賞作だというカラー写真に釘付けになった。


 男性か女性か、小径を行く人の後ろ姿をとらえた写真であった。小径は鬱蒼と茂る木々に囲まれていた。小径の木々は黒かった。しかし、行く人の先には切り抜いた青空があった。小径も、行く人も、影に染まっているが、行き先は青く光り輝いていた。


 小径を行く人に自分が照らし合うようでいて、胸打たれた杏奈は、カメラに興味を持った。大叔父夫婦にデジタルカメラを買ってくれと言って、生まれて初めて物をねだった。


 中学を卒業すると、喧騒ゆたかな首都の下町から、一転、辺境のような田舎の荒砂山にやってくる。


 ここに来ても相変わらず「ぶりっ子」の陰口を叩かれ、行動を共にしてくれる友人はできたものの、その2人の友人たちもやはり陰口をひそかに叩き合っていたのを杏奈は知っている。


 何も変わらなかった。むしろ、田舎すぎて、より寂しくなった。


 欲しかった一眼レフカメラを購入できたのは荒砂山にやって来て3ヶ月目であった。休暇日には荒砂山をめぐってシャッターを切り続けた。


 ふと、杏奈は構えていたカメラを下ろし、延々と広がる田園風景をしばらく眺めた。


 その日は夏のいただきだった。荒砂山に油蝉はかまびすしく、真夏の形に膨らんだ雲が空をゆうゆうと泳いでいる。蒸した風が青々と盛んな稲をなびかせて、しかし、夏の日の静寂は光の白いもやに包まれる果ての果てまで続いていた。虫の声も、草葉の鳴りも、杏奈には遠くのさびしさに聞こえた。


(どうして、こんな気持ちになるんだろう)


 涙ほくろを携える瞼を細め、杏奈は地平線の果てを見つめた。首のうしろで切り揃えている髪が揺れ動いていた。


 孤独だった。「ぶりっ子杏奈」と陰口を叩かれて得るような孤独とは、また別種の孤独だった。この広大な空と緑の間で、ちっぽけに孤独だった。胸底から涙が溢れでてきそうな狂おしさだった。


 そうして、ふと思い出す。切り抜かれた青空に向かって、真っ黒な小径を行く人を思い出す。


(私はどこに行くんだろう)


 と、そのとき、杏奈の前を、妙なものが通りすぎていった。杏奈が立っていた場所は、ちょうど裾野を見晴らせる曲がり角だったのだが、この急な曲がり角を洋瑛がローラーブレードを滑らせ、腰の引けた態勢でゆっくりと抜けていったのだった。


「あっ、近田くんっ」


 杏奈は洋瑛をそう呼びかけた。すでに荒砂山の嫌われ者の彼だったが、杏奈は洋瑛が好きだった。恋愛対象としてではなく、何事も無邪気に謳歌している彼が杏奈にはとっつきやすかった。


 この日も洋瑛は無邪気に遊んでいたのである。杏奈が呼ぶと、洋瑛は膝をがくがくと震わせながら止まろうとしていたが、結局ひっくり返った。杏奈はびっくりして駆け寄っていったが、洋瑛はあぐらを組んで笑っていた。


「カピちゃんがいるもんだからびっくりしちゃったよ」


「どうしたの、それ?」


「この前の盆休みにさ、墓参りに行くって嘘ついて、釈迦堂で買ってきたんだ。寮の中だけじゃつまんなくなってさ」


「教官に言ったの?」


「どうせ、ばれやしないって。今日の宿直は笹原教官だしよ」


 洋瑛はそう言いながらローラーブレードを外し始め、ふいに杏奈のカメラに目を向けてきた。いい写真が撮れたのかと訊いてくる。杏奈は苦笑しながら首を振った。


「今日はあんまり。なんか、何を撮っていいのかわかんなくなっちゃった」


「ふーん。じゃあ、俺が撮ってあげるよ」


 だから貸せと洋瑛は手を出してきた。さすがの杏奈でもカメラを渡すのは気が引けたが、断れない性格だった。


「うん、いいよ」


 洋瑛はカメラを首から下げると、ローラーブレードを手に持って坂道を登っていく。何をする気なのか杏奈が不思議に思ってたずねても、彼は「まあまあ」と言って意に介さない。


 やがて、寮の正門前まで登ってくると、洋瑛はその場に尻をつきローラーブレードを履き始めた。まさかと思って杏奈は表情をこわばらせた。


「ど、どうするの? 大丈夫?」


「大丈夫大丈夫」


 そうして、思った通り、洋瑛はカメラを両手で構えながら滑り始めた。杏奈は気が気じゃなくて小走りに追いかけた。大丈夫か、大丈夫か、と、しきりに声をかける杏奈の不安もよそに、洋瑛は滑りながらシャッターを切っていく。


「カピちゃん! これならきっと別の景色に映ってるって!」


 やがて、曲がり角に差し掛かってしまった。洋瑛はまったく速度を緩めずにレンズを構え続けている。


「危ないよ! 近田くん! 危ないよ!」


「だーいじょぶだいじょぶ! こっから曲がったあとの一発目の景色がさ――」


 カメラを構えたままの洋瑛はガードレールに真っ直ぐに激突し、そうしてくるりと1回転して崖下に落ちた。杏奈があわてて駆け寄っていき、崖下を覗きこむと、5mほど下で、洋瑛は木の幹にくの字になって引っかかっていた。


「近田くん!」


 声をかけてもぴくりとも動かないので、杏奈は笹原少尉を呼びに行った。寮母や食堂に居合わせていた同期生まで出てきて大騒ぎとなった。洋瑛は肋骨を折って失神しており、笹原少尉の手当てを受けて蘇ったものの、結局、彼らをロープで引っ張り上げたのは被害者の杏奈である。


 カメラも起動しなくなっていた。


「ごめんっ! 本当にごめんっ! 弁償するから俺のこと嫌わないでっ!」


 教官に丸坊主にさせられた洋瑛は、杏奈に土下座してきた。杏奈は悲しかったが、怒れる性格でもなかった。それに、1ヶ月後、洋瑛は壊されたカメラよりも何倍も高価なデジタル一眼レフのカメラを買ってきた。


 初めて自分の給料で買ったものと違って複雑であったが、


(いっか――)


 それに、洋瑛に特別な感情を持ってしまっていた。


 洋瑛と同じくして嫌われ者の杏奈には、洋瑛がわざと(・・・)奇行をしているのが理屈抜きでなんとなく感じられていた。自分がカメラで孤独を埋めているように、洋瑛も奇行で孤独を埋めているものだと。


 それに、洋瑛が無邪気な顔で言った言葉が胸にずっと残っていた。


 ――これならきっと別の景色に映ってるって!


 真意はわからない。ただ、自分が彼をなんとなくわかるように、彼も自分をなんとなくわかっていたのではないだろうか。だから、得意の奇行で――、杏奈を励まそうとしたのではないだろうか。


 洋瑛らしいのは、そのことをすっかり無かったことにしたのである。


「近田くんが買ってくれたカメラ、すごい性能が良くて」


「え? 俺が買ったカメラ?」


 髪が伸びかけの頭を掻きながら、とぼけていたのか、本当に忘れてしまったのか。


(バカ――)


「穂積――」


 と、声がして、杏奈はベッドから起き上がった。声の主は出入口のドアを開いてきており、笹原少尉であった。




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