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俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
アレグロ・マ・ノン・トロッポの章
3/58

02:指鳴らし

 2つの超越能力を持つトランセンデンスは、デュアルトランセンデンスの呼称だった。


 デュアルトランセンデンスは、全トランセンデンスのうちの1割も確認されていない。


 22期生にも34人のうち、女子が2人だけである。


 俺もデュアル――などとは、洋瑛は夢にも見たことがない。


(俺はデュアルトランセンデンスなのか――?)


 そう気づいたのは、洋瑛が専門兵学生となって1年と半年ばかりが過ぎたころ。


 その日の昼休みも、洋瑛は男子便所で小便飛ばしの記録を狙っている。日課を済ませて教練室に戻ると、悪友どもとトランプ賭博を始めた。これも日課である。


 ブラックジャックという数合わせのゲームだ。最高数字は21である。2枚もしくは3枚のトランプの合計が21となると勝者である。


 数ゲーム目のことだった。


「21だ」


 と、雪村章介ゆきむらしょうすけという前髪がやたらと頬までに長い背高の少年が、手持ちのトランプを開くとともに、そう言ってほくそ笑んだ。ついでに、最高数字を叩き出したものだから、右手の親指と人差し指を擦り合わせ、


 パチン


 音を鳴らした。


「は?」


 洋瑛は賭博に負けたのもあって、挑発的な音色にいらだった。


 こういうとき、ニヒリストでもなんでもない単細胞生物であった。


「なんの真似だ」


 と、眼球に火がついていた。


 ただ、雪村章介は1年と半年もこの生物と悪友をやってきただけあって、御し方もとぼしめ方も心得ている。


「何をいかってんだよ。近田もやればいいだけだろうが」


(それもそうだ)


 洋瑛は眼球から火を消す。同じ侮蔑を与えてやろうと胸のうちで燃え立つ。


(けど、おれは指をパッチンってできんのかな)


 試しに右手を机の下にひそめる。やり方がよくわからない。


「雪村。指パッチン、もう一回やれ」


 しかし、雪村は洋瑛をじいっとして見つめ、洋瑛の意図を察して、口端をねじ曲げた。


「やだね」


「このカス野郎」


「やりたかったら訓練してこいよ」


 本当に訓練した。


 幼なじみに葛原千鶴子くずはらちづこという女がいる。


 中学時代にはトランセンデンスに物を言わせて暴れ回っていた不良上がりで、しかし、兵学校の厳しい教練指導で改心したわけでもなく、眼光は今も刃物のようである。自然、同期生たちから煙たがられている。


「チヅ」


 と、洋瑛だけがこの胸の膨らみの大きい女狼を呼び捨てている。


「なんだよ」


 ボブヘアながらパーマを当てたような縮れ毛の千鶴子は洋瑛を睨みつける。洋瑛と千鶴子は揉め事を起こしたことがある。洋瑛は大して気にも留めない性質――ある意味で無かったことにしまっているが、千鶴子は謝罪を聞かない限り洋瑛に笑みを浮かべたりしない。


「お前、指をパッチンってできるだろ? なあ? どうやってやるんだ? なあ?」


 洋瑛が千鶴子に近づいた理由は、千鶴子が幼なじみだからではない。親しかったのは幼いときだけである。


「お前はクラブだのなんだのに行っていたから、できんだろ」


 千鶴子は怪訝に細眉をしかめながらも指を鳴らした。


「もう一回」


 何度も頼んだ。指のこすらせ方を観察した。その眼差しは熱中していた。これしきごときに滑稽であった。しかし、洋瑛のそれは愛嬌にもなった。母親似の瓜実顔は、おとなしくしていれば転がっていくような可愛げがある。


 チッ、と舌打ちしながらも、千鶴子はそこは幼なじみで、何度も指を鳴らしてやった。


「サンキュー、チヅ。完成したらお前にも見せてやるからな」


 生来、乾燥肌の傾向があるので、毎朝毎晩必ずハンドクリームを塗りたくった。風呂上がりには指関節の柔軟体操に取り組んだ。


 教室で授業中であっても、机の下で常に指を擦り合わせるという努力家ぶりであった。


 午後の訓練、田中中尉の眼光がすみずみにまで光っているときも、小銃を肩に立てかけつつ、指を擦り合わせた。


 やがて、甲斐も実り、ある日、パチン、と、鳴った。小気味良い音色ときたらこの上なかった。


(これであのカス野郎の泣きっつらを拝められる)


 洋瑛は笑いをこらえるのに必死だった。雪村章介の席に振り返りたくて仕方なかった。教練室で教書を広げての授業中である。


 静かだった。


 鬼教官が取り仕切る授業なので当然ではある。


(やべえ……)


 洋瑛は、この異質な気配を感じ、隠れるようにしてうつむいた。授業中に音を鳴らしてしまったものだから、


(教官がブチ切れている……)


 と、思っていた。睨みつけられていると勘違いしていた。平手打ちは当然であろう。もしかしたら、拳を食らわされるかもしれない。田中中尉は打撃力のトランセンデンスである。万が一、加減を間違ってくれようものなら、即死である。


 違う。


(あれ――)


 いつまで経っても、田中中尉が咆哮してこないので、洋瑛は顔を持ち上げた。


 海岸に張り出す巌のような体躯の田中良太郎中尉は、生真面目な顔つきで口を開けたままでいる。手に教書を持ったままでいる。視線を据えたまま、固まっている。


 洋瑛は眉をしかめた。焦った。すぐに辺りを見渡す。


「お、おい。チビけい――」


 隣の席の幼なじみに声をかける。チビの幼なじみはシャープペンシルを右手に握ったまま、瞳の動きはまるでない。


「おいっ!」


 同期生たち皆が彫像のようになってしまっている。


 カーキ色の軍服を身にまとう男女皆々が、テキストにうつむいたまま、あるいは黒板を見つめたまま、あるいは田中中尉に視線を向けるまま。


(墓場か?)


 夢、ではなくて、墓場としてしまうあたりが洋瑛らしい。


 なるほど、彼の焦燥に満ちた表情は、1人取り残されて、死の世界をさまよっているような顔つきである。


 そして、窓の向こうの教練場に目をやっても、紅葉した木々、青空を泳ぐいわし雲、これら秋の気配すべてが無であり、洋瑛が固唾を飲み込む音は、ひたすら虚しい。


(ま、まさか)


 ようやく推理した。


(俺が指パッチンしたからか? 俺は、時間を止めるトランセンデンスだったのか?)


 時間を止めるトランセンデンス。


 そんな超越能力を持つ者が存在するなど、洋瑛は聞いたことない。


 どのような種のトランセンデンスがあるか、この兵学校ですでに習っている。


(そんなバカな)


 と、洋瑛は笑ってしまう。


(俺はとうとう頭がおかしくなっちまったらしい)


「だいたいだな」


 1人で会話も始めてしまう。


「指を鳴らして時間を止めるだなんていう漫画みたいな話があるもんか」


 しかし、この現象は一体なんであろう。


「フン」


(もし、漫画みたいな話だったら、もう一度指を鳴らせば時間は元通りになるってことだ)


 洋瑛は皮肉っぽい笑みを浮かべながら、右手を自らの顔の前に上げ、親指と薬指を擦り合わせる。


(元に戻らなかったら、俺の頭がおかしくなっただけだ)


 パチン


 と、鳴った。


「であるからして、このとき特殊保安群は天進橋駐屯地に特別警戒態勢を敷かねばならず――」


 田中中尉の野太い声が響き渡り、秋の柔らかな風が窓辺にくくられたカーテンをふくらませた。


 洋瑛は彫像のように固まった。




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