02:くるったあめ
天進橋に連行されてから2日目、同じように体を痛めつけられるだけの訓練が続き、長かった1日が終わってのベッドルームで千鶴子が言った。
「SGを殺すぞ。でも、今はまだだ。あいつらの訓練を受けたあとに全員でぶっ殺す」
彼女が言うに、理由は不明だが自分たちはレンジャー訓練のようなものを受けており、今は体力訓練だが、いつか戦闘訓練に移行される。そのときが教官たちを殺害するチャンスである。
「訓練中に間違って殺したことにすればいいんだ。あいつらうちらを半殺しにする。うちらは本気でかかる。それで間違って殺しても、なんのお咎めもねえ」
「私が八つ裂きにしてあげるから」
と、ワイルドキャットが笑いを含めながら言う。しかし、賛同したのは由紀恵だけである。
山田真奈が言う。
「そんなの無理に決まってるじゃん。余計なことしないでよ」
「は?」
ワイルドキャットがベッドから体を起こす。
「真奈オバサンさ、悔しくないの? 何発撃たれたと思ってんの? 真奈オバサンも何発も撃たれてるじゃん。ぶち殺してやりたくないの?」
「ワイルドキャットが勝手にやればいいでしょ。私を巻き込まないでよ」
「じゃあ、真奈オバサンも殺すね」
「何言ってんのっ!」
「久留美やめろ」
と、千鶴子が唸る。
「真奈に謝れ。冗談にもならねえだろ」
ワイルドキャットは唇を尖らせて黙っていたが、「謝れ!」と千鶴子に怒鳴られて、しょんぼりと頭を垂らす。
「ごめんなさい。真奈オバサン」
「オバサンって何? 私のほうがあんたを殺したいんだけど」
「なあに、その言い方」
「やめろ久留美。お前がちゃんとすればいいだけだろ。てか、お前はもう黙ってろよ」
「もう寝てよっ!」
と、二本柳が発狂した。彼女がわめき散らすなどかつてなかった、むしろ、わめき散らすような女にはとうてい見えないので、女どもは口を閉ざした。二本柳を知らないワイルドキャットだけが、
なあに? ヒステリー? うるさいなあ……
と、ぶつぶつ呟くだけだった。
二本柳葵は掛け布団を顔に押し付け、喉から漏れてくる嗚咽を殺した。鼻の穴から垂れてくる涙水で掛け布団を濡らした。穴倉の中で震えるシマリスの赤子のように肩を小刻みに揺らしていた。
「葵ちゃん――」
と、静まった気配に遠慮するような有島愛の声だった。二本柳が嗚咽の声を殺したままでいると、有島はベッドに入ってき、二本柳を掛け布団ごと抱き寄せながら、もう一度、二本柳の名を呼んできた。
「大丈夫だから。一緒に寝よ」
二本柳は抱きしめられるままに有島の胸にうずまり、彼女の長い腕の中にくるまれる。
SG。
アニメのキャラクターを綺麗に模写する以外には取り立てて優れた長所もない二本柳の中では、SGとは唯一他人から認めてもらえる取り柄だった。
兵学校の教練が普通の高校生のものではないことぐらい、入校前から存じていたし、小学生のころから世話になってきた叔父叔母の夫婦も、二本柳が兵学校の教練に付いていけるかどうか心配しながらも、期待もしていた。入校前に二本柳のもとに集まったのは、叔父叔母だけではなく、誰だか知らないような遠縁の人までやって来た。
オジさんたちは言った。頑張れ、と。オバさんたちは言った。いつでも電話してきなさい、と。
荒砂山にやってきて、最初の一ヶ月はつらかった。きついことだらけだった。寮生活は誰も彼もがトランセンデンスという誇大した自信を押し出している、ある種のならず者ばかりだった。
けれども、二本柳はSGにならなければ二本柳ではなかった。行く場所も帰る場所もSGだった。
二本柳の親代わりの叔母さんは受話器越しに言ってきた。SGになって、お父さんとお母さんの仏前に報告しよう、と。
いつのころからだろうか、なんの取り柄もなかったはずの二本柳でも、荒砂山の日常は単なる日課になった。たしかにほかの同期生たちと比べれば劣っていた部分は多々あった。しかし、二等兵学生のときの盆休みの初めての帰省で、叔父さん叔母さんは二本柳を一目見て驚き、涙をこぼしたのだった。制帽を被り、制服を羽織り、控え目の静かなたたずまいながらに、芯の強さを眼光に宿している二本柳を見て、見違えた、と。
先日の正月休みに帰ったときは、4歳年下で中学二年生の弟は、思春期の照れからなのか、姉を前にしてうつむいてばかりでいたが、しかし、ときどき二本柳に寄越してくる視線は、英雄を望む眼差しであった。
ところが、地獄である。
筋トレの回数と時間は兵学校のときの10倍以上はやらされているのではなかろうか。
まして、銃撃される。殴られる。蹴飛ばされるのである。二本柳は兵学校のときには1度も殴られたことがない。銃撃されるだなんてとんでもない、同期生の1人もそんな目に合ったことはない。
泥水をいっぱいに含んだボロ雑巾のような体を引きずり回されていけば、叫ばされる。親知らずを抜いていけ、と。天進橋にやって来て、一瞬はときめいたエンジェルワッペンも、今や、刺繍は何を模しているのか不明なほどに泥まみれの血まみれである。
(死にたい)
逃げたいと思ったことならままあるが、自決したいと思ったことは初めてであった。
(死んで楽になりたい)
「葵ちゃん、大丈夫だから」
しかし、有島は慰めてくれるのであった。同じグループでありながら、取り立てて仲が良かったわけでもない有島が――、ただの一輪の花だった有島がこんなことをしてくるものだから、二本柳は泣くしかなかった。
訓練3日目、さらに地獄度が増した。
朝の6時に教官がベッドルームに乗り込んでくる。笹原少尉が若干の甘さを残しているために、3日目からは小須田由衣曹長という女教官が新たに付けられている。
小須田曹長はブルースカーという愛称で呼ばれている。顔半分が火傷の跡で美貌が損なわれているこのブルースカー曹長は、起床ラッパとともにベッドルームに乗り込んでき、けらけらと笑い立てながら小銃をぶっぱなし始めた。
「ほらほらほら! 死にたくなかったらヘルメットをかぶりなさい! 匍匐でベッドから這い出してきなさい!」
狂気である。命からがらベッドから這い出てくると、兵学校と同じく体操をし、朝食をとり、すぐさま体力訓練である。
冷たい雨が降りしきる中、二本柳は仲間たちとともに腕立て伏せをしていく。
(いつまでこんなことを――)
すると、そう考えたからなのか、ブルースカー曹長が二本柳に歩み寄ってき、二本柳の背中に剣山を逆さまに置いた。
「ヤナギ! たるんでいると踏み潰しますよ!」
二本柳は何を置かれたのかわかっていない。やがて、いつものように腕が耐え切れなくなって潰れてしまうと、ブルースカー曹長が背中をブーツの裏で踏んできた。剣山が二本柳の背中を刺した。
絶叫した。
ブルースカー曹長はけらけらと笑い立てる。笑い立てながらブーツをぐりぐりとねじ回してくる。剣山の針が背中の肉をもてあそぶ。
「ほらほらほらっ! 踏まれていますよ! 腕を立てないと踏まれますよ! はいっ! 腕立て! はいはいはい! 腕立て!」
二本柳の頭の中は痛みで真っ白になり、涙を流すままに震える腕を突き立てていき、腕立て伏せを再開する。
すると、ブルースカーは剣山を二本柳の顔の下に置いた。二本柳だけではなく、全員の顎の下に剣山を並べた。
「体勢が崩れた人は可愛い顔にぶっ刺さりまーす! 私が頭を踏み潰しまーす! 私と同じ醜い顔になってもらいまーす!」
ラットローグもブルースカーに負けじと暴力嗜好を全開にさせて学生たちを蹴ってくる。殴ってくる。
「おらあっ! さっさとやれやっ!」
冷たい雨が涙を汗を流していく。瞳はもはや虚ろでいて、空っぽの精気だけが二本柳の体を支えている。体は限界を極めており、震えるばかりで動かない。しかし、動かさなければ鬼畜どもがやって来るのである。繊維がみしみしと軋むまでボロ雑巾を絞り上げるようにして、ただただ、精気だけで生きている。
死にたい、という思考さえ、破裂している。
昼食、箸を持つ手を動かせないでいると、ブルースカーが手づかみで口の中に押し込ませてきた。頭を鷲掴みにし、顎を無理やり動かさせてきた。
「ヤ、ナ、ギ! この御飯はあなたを育ててきた人たちが払ってくれている税金なんですよ! あなたはそれを残すって言うんですかっ? それを吐き出すって言うんですかっ?」
「食べられません――」
しかし、ブルースカーは頭と顎を両手で挟み込み、無理に顎を押してくる。
「じゃあ、どうして今まで食べてきたんです! 食べられなかったらさっさと死んでくれたほうがマシだったじゃないですか! あなたは国家の予算、国民の血税でご飯を食べてきたトランセンデンスなんですよ!」
さらに午後になると、二本柳だけが訓練から離され、
「ヤナギのためにお医者さんが来てくれましたよ」
付き添いのブルースカーが笑う。眼鏡からコンタクトレンズにしろと言う。兵学生時代の検査で二本柳のある程度の視力を把握しているから、それに見合ったレンズも揃えていると。
「戦闘で殴られ、眼鏡を失ったら不利です」
その目的は果たして戦闘なのか、訓練なのか。
生きた心地がしない。
コンタクトレンズを装着すると、再び訓練に戻される。仲間たちはすでに崖を登らされ、崖を渡らされていたが、ラットローグは二本柳を見やると、ガムを噛むのを中断して笑った。
「これで存分に俺に殴られるな、ヤナギ」
長距離走はもはや真っ白な世界をあてどもなくふらついている感触で、ただただ走る。
笹原少尉の笛が鳴らされて、前のめりになりながら全速力ダッシュを試みる。足がもつれてすっ転ぶ。
「ヤ、ナ、ギ!」
ブルースカーがにたにたと笑いながら駆け寄ってきて、二本柳の襟首を掴んで持ち上げる。耳元で騒ぎ立てる。
「仲間! 仲間仲間仲間! あなたがあと5秒で起きなかったら、あなたの仲間! 全員を後ろから掃射しますよっ!」
わっ、と、叫びを上げて、二本柳は走る。走るというより、引きずる。鉛のような足を引きずるようにして持ち上げる。
しかし、体はついていかずにすっ転ぶ。雨にぬかるんだ演習場の泥土を、二本柳は爪を立てて掻いていく。涙と鼻水を泥水に溶かしていく。
「葵ちゃん――」
と、踵を返して二本柳に寄り添ってきたのは有島だった。
「葵ちゃん、大丈夫。がんばろう」
顔を上げれば、有島もまた震えつつ、涙と汗で泥だらけだった。瞳も虚ろであった。しかし、かすかに笑うのだった。
「ア、リ、シ、マ!」
ブルースカーが有島に銃口を向ける。
「助けるならさっさと助けなさい! ウィアードの群れはすぐそこまで来ていますよ! 森姫山の先輩たちみたいに内臓ぶちまけられた死体になりたいんですか! はい! 5っ! 4っ! 3っ!――」
二本柳は有島に支えられ、しかし、二本柳が有島を支え、2人ともが立ち上がって、ぼろぼろの体を引きずって走り出した。
「愛ちゃん、ごめん……」
「ううん。大丈夫、大丈夫だから。がんばろ」
ブルースカーのわめき声が雨音響く演習場に響き渡る。
「仲間! 仲間仲間仲間! 仲間が1人死ねばあなたたちは全員死にます! 死にたくなければ仲間とともに走りなさい!」
(姓)二本柳/Nihonyanagi(名)葵/Aoi
現年齢:16
性別:F
血液型:A
所属:特殊保安群
階級:一等兵
配属:荒砂山専門兵学校
兵種:斥候 サポーター
トランセンデンス:聴覚
トランセンデンスクラス:C
反乱危険レベル:1
身長154cm 体重51kg




