01:異端者
トランセンデンス。
と、彼らは総じて称されている。
彼らの身体能力は人並みを「超越」している。人の平均を越えている、あるいは、人の想像を超えた。
たとえば、穂積杏奈という名のトランセンデンスがいる。彼女は握力・腕力だけが人を超越している。
この国家の成人の握力は50kg弱とされており、トランセンデンス出現前までは、200kg弱が人類の限界値であった。
穂積杏奈の握力は200kgを超越し、特殊機器により1000kg以上を計測した。
しかしながら、穂積杏奈は人の骨を「くだき潰す」のは容易でも、「打撃して破壊する」という点においては、人を超越していない。彼女は間違いなくアームレスリングのチャンピオンになれるが、ボクシングのチャンピオンにはまずなれない。
穂積杏奈が超越しているのは、握力・腕力のみである。
一方で、田中良太郎という名を持つトランセンデンス。彼はボクシングのチャンピオンになれる。彼は「打撃して破壊する」という身体能力に特化している。
穂積杏奈や田中良太郎のようなトランセンデンスだけではない。
種類はさまざまである。「走ること」であったり、「跳ぶこと」であったり、また、「遠くまで見える視力」、「聞き取る聴力」、「記憶力」まで図抜けている者もいる。
これら超越能力は、神のしわざか、それとも、人の進化の形が導き出した答えなのか。それはわからない。科学的にも学術的にも解明されていない。
とにかくも、こうした人々はトランセンデンスと呼ばれた。
現状、トランセンデンスはこの国家にしか出現していない。不可解な事象である。
「トランセンデンスがこの国にしかいないのはな、俺たちが高等民族だからだ」
こんな暴論を発する国民もいるにはいる。
しかし、トランセンデンスの出現には説明がつかないのでいたし方ない。むしろ、そちらの暴論のほうが説明がつくようでもある。
この国家の国民の環境、民族的特徴、ほか、さまざまな条件が折り重なった結果として、進化の過程――突然変異に結びついたと考えるのはたやすい。
なにせ、この国家は島国であった。陸続きでないだけ、血統が純粋培養され、限りなく単一種のようであった。いや、国民の大部分がそうだと思い込んでいる。
トランセンデンスの出現は謎だ。謎だからこそ、神秘性もある。人々は自分たちの民族からこうした「超越」が次々に出現してくることを誇りに思ったのだった。
国防軍がそうさせた。
国防軍がトランセンデンスの出現を歓喜とするのを国民に植えつけた。
トランセンデンスの出現からまもなくして、国防軍は彼らを片っ端から囲い始めている。
また、トランセンデンスの産んだ子供が高い確率でトランセンデンスとなると、軍はその圧倒的情報網によって、把握できているトランセンデンスを監視下に敷く。そして、彼らトランセンデンスを好待遇で国防軍に入れた。陸軍にトランセンデンスだけの専門部隊を組織した。
特別防衛隊が結成されたのは、今から約30年前である。
ここの隊員たちは「SG」と略称された。
国防軍はSGの喧伝に精力的であった。予算を削って大小マスメディアに巨額の資金を投した。
テレビ番組ではコメンテーターがSGを称賛した。新聞や雑誌では名だたる評者がSGの重要性を説いた。
トランセンデンスの出現、すなわちSGの結成は、国威発揚にも結び付けられ、SGに関する数ある書籍の中には、「SG=選ばれし者」という見出しが躍るのもあった。
最たるものは、映画興行であった。題してタイトルは「SG」であった。時のスター俳優たちを並べ、時の最先端映像技術を駆使し、SGのありもしない活躍ぶりを全国映画館のスクリーンにぶち上げ、国防軍渾身のプロパガンダは、空前の大ヒット作となって実った。
もちろん、SG、あるいはトランセンデンス出現について鋭く調査する者、あるいは、否定的な論者もいた。
国防軍はそれらを、秘密裏に消し去っている。
怪しい煙が立つようになってから、歳月が経ち――。
専門兵学校22期生の近田洋瑛は17歳となっていた。
あんなやつがSGになるのか――と、彼の中学の同級生たちは、呆れた思いであった。
法律上、トランセンデンスは中学までの義務教育を終えるとSG養成学校ともいえる、専門兵学校に配属させられる。
幼いころにトランセンデンスと認められた洋瑛は、物心のつかないうちからSGの道が決まっていた。靴紐も結べないうちから英雄の卵であった。
しかし、「あんなやつ――」だった。
彼はやることなすことが奇異であった。
中学のとき、昼休みになると洋瑛は必ず小便をした。奇異であるのは、便所に誰もいないのを見計らうと、必ず便器から2、3mほど離れて尿を飛ばす。
どうして離れているのか、と、洋瑛の小便の様子を発見したクラスメートが訊ねた。
「新記録を狙ってんだ」
1日1日、徐々にその距離を広げているという。
クラスメートが言う。
「なんのために」
「じゃあ、お前はなんのためにションベンをしてんだ?」
「ションベンがしたくなるから」
「俺もそうだ。記録を出したくなるからだ」
尿を便器から外すことは多々あった。男子便所が尿臭いと話題になったときには、すでに洋瑛の奇行は知れており、彼は糾弾された。奇行は女子生徒たちにも一挙に広まった。
「俺はそんなことやってねえ」
顔を真っ赤にして言い張った。目撃者がいるにも関わらず、担任の教師に問い詰められても、頑として容疑を否認した。
しかし、それから卒業まで、洋瑛は小便飛ばしのあとは必ず便所掃除をしている。便器からはずさなくても自主的にだ。罪悪感からでもアピールでもない。
(少しでも匂いがしたら俺のせいになる)
と、懸命にデッキブラシで床をこすっていた。
奇異である。
やはり中学時代のある日、洋瑛は教室に水槽を持ってきた。勝手にクラスの共有部分に置いた。何かするたびに奇行であるから、クラスメートたちも担任の教師もいぶがしがり、その理由を洋瑛に問いただした。
「生物の観察で」
プランクトンの細胞の成長などを観察したい、授業に活かしたい、と、洋瑛は答える。自宅では日当たりが悪いので、教室に置かせてくれと。
担任の教師は了承した。なにせ、理科の教師であった。
それに、洋瑛の奇行というのは、周囲からすれば何を考えているのかわからない。わからないから奇行であるのだが、しかし、教師は逆説的に思った。もしかしたら、洋瑛が本当に心の底から「細胞の成長を観察したい」のかもしれないと。何しろ考えていることがわからないのである。
次の日、洋瑛は水を入れた。その次の日、オタマジャクシを入れた。その次の日もオタマジャクシであった。
奇異であったのは、1匹2匹ではないことだった。大量のオタマジャクシが水槽を埋め尽くしているおぞましい光景となった。
クラスメートから非難轟々となり洋瑛はあきらめた。泣く泣く教室から水槽を持ち帰った。
あの水槽を洋瑛がどこでどうしたのか、クラスメートたちは知らない。
「あんなやつがSGに――」
SGは国家の英雄である。国民を守る英雄である。
待遇がすさまじい。3年制の兵学校に入学したときから給料が支払われる。
手取りにして、およそ、30万円である。さらに、兵学校を卒業し、SGに所属すれば、さまざまな手当てがかさ増しされて、18歳にして50万円以上の月給を手にする。
また、兵学校の学生は、学生の身分からすでに国防軍の階級を持っていた。1年目は二等兵、2年目は一等兵、3年目は上等兵、と。
洋瑛は2年生とは呼ばれず、一等兵学生という身分である。
だが、しかし、トランセンデンスと一口に言えど、中には明らかに役立たずと疑わしいトランセンデンスもいる。
一等兵、近田洋瑛は役立たずと疑わしい。
洋瑛は、夜目、である。森に住むフクロウと同じである。フクロウと違うのは昼間でも眩しくないというもので、昼夜を問わずの目、というほうが正しいかもしれない。
この夜目というだけで洋瑛は国防軍の一等兵である。国民からは英雄の一味にも数えられる。洋瑛を嫌う者は(かなり多いが)首をひねってしまう。
暗視装置のある現代だ。洋瑛の夜目など国防軍が重宝するはずない。しかし、れっきとしたトランセンデンスであるから、れっきとしたSG候補生なのである。
洋瑛は兵学校入学後、同期生に言った。
「あのSGの映画はくっだらねえプロパガンダだ。夜目の奴は出ていねえし、夜目の奴が活躍したら、俺はヒーローだったんだからよ。金でも出せば誰だってヒーローだ」
ひねくれ者の洋瑛は、奇行ばかりの変質者でありながらも、そのねじ曲がった生い立ちからして、SGのきらびやかさが虚構であるのをすでに理解していた。
同期生たちがSGの在り方について肯定的な見地で熱く論争でもしていたら、
「何がSGだ」
と、鼻で笑ったりもする。
「近田、お前な――」
同期生は鼻息を荒くして洋瑛に迫る。
「落ちこぼれだからって腐ってんのか? お前みたいな奴がいると悪影響でしかねえんだよ」
「俺に影響されるほど、お前はしょうもねえ野郎なのか?」
たいがい、殴り合いの喧嘩に発展する。
洋瑛が所属する専門兵学校22期生は、男女合わせて34人いる。
兵学生たちはすべて寮に閉じ込められており、自由を束縛され、将来も束縛されている。午前には一般高校生も取るような教練であるが、午後はほぼ軍隊の訓練である。教官に殴られるのは毎度のことである。
この辺、ただの高校二年生とは違って、一等兵学生かもしれない。
ましてや、彼らの大半が生まれながらにSGという道しか選択できなかった。
いや、選択肢はなかった。
彼らの意識をより鋭くさせていたのは、「トランセンデンスは短命である」ということであった。
トランセンデンスの平均寿命は28歳である。
トランセンデンスの子はトランセンデンスである。
つまり、彼らの父母はトランセンデンスである。片親だけがトランセンデンスの者もいるにはいる。トランセンデンスを父母に持たず、祖父母に持っている者もまれにいる。
トランセンデンスの平均寿命は28歳。大半の兵学生はすでに親がいない。
すると、彼らの拠りどころは、国民から英雄視され、誰からもうらやまれるSGというものしかなかった。
SG。その燦然と輝く二文字だけが、彼らの生き様であり、あるいは信奉する宗教であり、あるいは健康な精神でいられる主柱であった。
「何がSGだ」
そういうことは言ってはならない。宗教の礼拝堂に集まった大勢の信者の中で、何が神だと言って痰を飛ばすようなものである。
「落ちこぼれだからって腐ってんのか?」
という同期生の声も、やがては彼らも洋瑛の奇行癖を知ることとなっていき、
「あいつは変人だ。関わらないほうがいい」
と、大勢のSG少年たちから煙たがられるようになっていった。
トランセンデンスの把握に務める国防軍統合参謀本部情報課は、3歳のころから15歳までの洋瑛を総括し、端的にこう表している。
「思想皆無。自己中心的。冷笑家。好戦家。残忍。傍若無人。奇行癖あり」
22期生の教官たちは、レポートに初めて目を通したとき、眉をひそめた。
「怪物じゃないか」
教官たちは洋瑛を警戒した。凶器にも兵器にもなるトランセンデンスの教育に細心の注意を払うのは洋瑛に限ったことではないが、これでは近田洋瑛という少年はサイコパスである。
もっとも、「残忍」な一面の洋瑛は、このころ、鳴りをひそめており、教官たちの目には認められていない。
「ニヒリストだな」
と、主任教官の田中良太郎中尉はそう見て取った。
常に人生に虚しさを感じているのだと。
洋瑛は兵学校に入っても奇行を続けていた。そうした奇行は、虚無感を覆い隠すために、わざと「無益なもの」を作り出し、そこに一生懸命になっているゆえであると。
怪物的な一面はすべて洋瑛の作り出した「無益なもの」であり、本当の彼は海底の奥深くで両膝を抱えてこじんまりとしているだけに過ぎない。
主任教官の田中中尉は、洋瑛の行動を見るにあたって、そう分析した。
が――。
ある日、このニヒリストに、役立たずの夜目とは別に、もう一つ、超越能力を有している疑惑がのぼる。
その疑惑は洋瑛が夜目のトランセンデンスと認められる3歳以前から――、誕生のときから慢性的にあったのだが、17歳にしてとうとう確証に近いものとなった。
兵学生から鬼教官として畏怖されている田中中尉であるが、洋瑛の疑惑の超越能力を受けて、同僚教官にこう漏らしている。
「俺たちだけでは処理しきれん」




