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俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
アジタートの章
16/58

01:迷妄よ、眼の呪縛を解け

 英雄。


 その行く先は、すべての人たちと等しくして墓場だ。


 1月4日。すべてが始まった。


 ある者からすれば、野心の始まりであった。また、ある者からすれば、絶望の始まりであった。怒りでもあった。悲しみに暮れるようにもなった。破壊でもあった。


 総じて、悲劇であった。


 しかし、荒砂山専門兵学校22期生たちは明日を疑わなかった。思い思いの正月休みを過ごしたあと、この山にぞろぞろと帰ってき、再会した仲間たち同士、土産物を交換しては旅の話を語らい、やがては「また明日」と笑顔で別れて解散し、眠りについたのだった。


 そして、いつもどおりの朝だった。起床ラッパが構内放送に鳴り響く朝だった。教官の監視のもとに点呼を取っては身が引きしまり、夜も明けきらぬうちから体操に励み、食堂に集合すれば、朝食の温かさを体に染み渡らせた。


 ふもとの学舎に下り教室を埋め尽くせば、大牟田学長の新年の訓示も手短に済んで、田中中尉が教書を手にする。


 また再び1年。いつもどおりの朝が始まる。


 9時17分、宿業の門戸が開かれた。


 洋瑛に吹っ飛ばされた二本柳葵という女がいる。引っ込み思案の彼女は22期生の中でも影が薄く、その将来も期待されていない。しかしながらこの存在感の薄い英雄は、とある獣の息遣いを聞いた。彼女は音のするほう、教練場に眼鏡レンズ越しの視線を向けた。


「きょ、教官……」


 と、二本柳はつぼみのような唇を震わせながらつぶやいた。田中中尉は教書を読むのをやめる。彼女が挙手しなかったので、眉をひそめている。刺のある声だった。


「なんだ」


「あ、あれは……」


 蒼白してしまっている二本柳の視線の先を田中中尉は瞳を動かして追っていく。


 転瞬。


 田中中尉は目を疑った。驚愕のうちに瞼を大きく広げた。瞳孔が揺れた。錯覚か、幻想か、しかし現実だとは信じたくないという悲愴な表情でおもむろに駆け出し、窓枠に両の手をついて確かめる。


 現実である。


 教練場を取り囲む枯れ木の林の中から、ウィアードがぞくぞくと現れてきたのだった。


 のちの調査団によると、


 ブラックスクロファが10体


 ファルモスが12体


 であった。


 一部の兵学生はすでにブラックスクロファの実物を見ている。頭胴長が200cm弱、体重が平均80kg、黒い毛並みに覆われた巨体を最高時速60kmで揺さぶる。


 ファルモスはサル目の動物に似ている。チンパンジーほどの体格である。四足歩行と二足歩行を使い分ける。身体能力自体はサル目の動物並みだが、ウィアードである点は、その凶暴性にあった。好戦的かつ、獰猛で、使命を与えられているかのように人間を襲おうとする。


 そして、このファルモスはブラックスクロファにまたがっていた。


(バカな――)


 これらウィアードが放水路を泳いで渡ってき、誰の目にも留まらずに荒砂山に到着するなど不可能である。天進橋のSGが見逃したはずもなければ、放水路から荒砂山までの道のりは無人の荒野ではない。以前に出現したブラックスクロファのように、1体なら、どこかをすり抜けて、万が一にもあったかもしれないが。


 しかし、田中中尉に推理の時間はなかった。ぞくぞくと溢れ出てくるウィアード――ファルモスを乗せたブラックスクロファが、1体、また1体と教室に向かって駆け出してくる。


 ブラックスクロファは、その嗅覚で人の在りかを読み取る。


「なんだよあれっ!」


「うぃ、ウィアードっ!」


 姿形は豆粒ぐらいにしか見えなかったが、教室は騒然とした。皆が立ち上がっていた。立ち上がっていないのは洋瑛ぐらいのものだった。彼はうたた寝していたところ、騒ぎに目を覚まし、亡霊のようにして窓の外へと顔を向けていった。


(なんだあれ?)


「全員、迎撃態勢を整えろおっ!」


 田中中尉が吼えた。洋瑛はびくっと体を起こし、訳のわからぬまま立ち上がる。とはいえ、迎撃態勢を取る訓練は受けていても、ここは教室である。学生たちはうろたえてしまう。


「小銃を取れっ! さっさとしろっ! 死にたいのかっ!」


 一斉にうしろのロッカー目がけて駆け出した。ある者は机の角に太ももをぶつけた。ある者は椅子をひっくり返した。


「落ち着けっ、落ち着けよっ」


 カーキ色の軍服で押し合いへし合いながら、それぞれがロッカーの扉を開けていく。


「俺のも取ってくれ!」


 震える手で小銃を持つ。震える息で戸惑う。


「押すなっ! 出れねえだろうがっ!」


「A班はガラスを叩き割れっ! B班、射撃用意っ!」


 田中中尉の指示にしたがって、錯乱するままながらも菊田雄大や有島愛などのA班が、ためらいながらも、ためらいつつも、決死の形相で窓ガラスを蹴飛ばし、あるいは椅子を叩き込む。


 雪村章介が叫んだ。


「教官! た、弾がっ!」


「あるっ! 穂積っ! 来いっ!」


 穂積杏奈はあわてふためく同期生たちの肩や背中に押し潰されそうながらも、なんとかかいくぐって田中中尉のもとに駆け寄り、


「はいっ! 教官っ!」


「この一番下の引き出しをこじ開けろっ」


「はいっ!」


 小銃をベルト伝いに背中にひるがえした彼女は、机の引き出しの取っ手を掴み、机を押さえつける田中中尉をかたわらにして、怪力で鍵を壊した。


 田中中尉は引き出しの箱を机の上に叩き置く。中には大量の弾倉マガジンが詰められている。


 中尉はめったやたらに放り投げ始めた。


「拾えっ! 拾えっ! 見つからない奴は取りに来いっ! 男は装填しろっ! 弾が切れたら女が渡せっ!」


 B班の男子たちは転がり滑ってきた弾倉を手に取る。足で止める。あるいは女子から受け取る。もしくは箱から掴み取る。


 誰もが何がなんなのかわかっていない。バリッ、バリッ、とガラスを破る音、早くしろなどと飛び交う怒号、迫り来るブラックスクロファ、すべてが初めての中で、彼らは喧騒の流れで動いている。押し出されるようにして動いている。呑み込まれるようにして呑み込まれている。


 洋瑛も呑み込まれていた。彼は想定外すぎるここにあって、好戦家でも猟奇的でも傍若無人でもなかった。巣から落ちたひな鳥が巣に戻ろうとして懸命にもがいているのに似ていた。自分よりも巨大な天敵の襲撃に恐怖しながら、飛ぶことにまだ未熟な羽を必死にばたつかせているのに似ていた。


 このときはまだ1人の少年であった。誰をも凌ぐ超越能力を有していながらも、自分自身の使い方という点で、知力も精神力も伴っていなかった。


 洋瑛も床に散乱している弾倉を手当たり次第に拾っていく。軍服のポケットというポケットに押し込んでいく。吐息が小刻みに揺れていた。動悸が激しく波立っていた。


 弾倉を小銃に装着しようとしたが、手が震えてはまらなかった。わかっていてもわかってくれなかった。何がわかっていて何がわかっていないのかわからないから、頭の中身は混乱していた。


「どけっ!」


 洋瑛は肩で跳ね飛ばされた。洋瑛をよろめかせたのは千鶴子だった。A班のはずの彼女は田中中尉の命令を無視し、弾倉を装着していた。


 彼女の状況判断力と精神力は目覚ましいものがあるといえよう。反社会勢力のならず者とも対峙した経験のある彼女は、恐怖心をどこかべつのところに据え置く手段を知っていた。混乱がうずまく教室を見て取ったとき、一瞬で、今、己が何をやらなけらばならないかを把握していた。


「どけっ!」


 ガラスを叩き割っていた連中も小銃で押し込んで飛ばしてしまう。がっ、と、鉄板入りのブーツの右足を窓枠にを乗せ、銃身を構える。


 千鶴子の左手は被筒フォアグリップを握り込んだ。千鶴子の幅広の肩は銃床を受け止めた。


 この闘女、1つだけ抜けている部分がある。照準を定めずにぶっぱなした。


「ぶっ殺してやるっ!」


 怒号を声圧にしてブラックスクロファの群れを足止めさせると、引き金を引き続ける。


 轟音が立て続けにけたたましく響き渡り、排莢口から薬莢が次々と弾き出される。銃口をスライドさせていってはめったやたらに銃弾を浴びせていく。


 ブラックスクロファの一部はひとかたまりとなって、広々とした校庭の半分までを突き抜けてきたところだった。千鶴子の声圧によって、若干ながら、足を止めかけた。


 乱雑に掃射しているうちの銃弾の1つが、ブラックスクロファにまたがっているファルモスを青空への赤黒い血しぶきにした。


「フォーッ!」


 と、緊迫が極まって、片岡進之介が歓声を上げている。


 田中中尉が叫ぶ。


「葛原っ! 吼えろ! 吼えまくれ!」


「わかってんだよっ!」


 しかし、千鶴子の声圧は山々の木々を薙ぎ倒すようなハリケーンとは違う。ブラックスクロファも動物的感覚からして千鶴子の声圧の軌道をかわすように分散し、蛇行も始めた。


 銃弾が土埃をはげしく立ち上らせていくものの、それらをかいくぐってくる黒い軌跡は大海の波間を泳ぐシャチのようでもある。


(くそったれ)


 田中中尉はグローブをはめた。彼は教官になる前、天進橋で何度もウィアードと遭遇している。


(やはり、はぐれウィアードなんかじゃない――)


 一方で。


 洋瑛は、千鶴子のうしろで片膝をついて苦戦していた。


(クソッ。何を焦ってやがんだ。やばくなったら指パッチンすればいいじゃねえか)


 と。弾倉がはまった。底を叩き上げる。充血しきったまなこでセレクタレバーを切り替えて安全装置を解除し、腰を上げておもむろに駆け込む。


「俺にもらせろっ!」


 と、千鶴子の脇に陣取る。千鶴子は早くも弾切れを犯しており、弾倉を交換している最中であったが、すでに雪村章介と山田真奈も銃弾を浴びせていた。洋瑛は彼らに続けて4番手、銃身を構える。槓桿コッキングレバーを引いて撃鉄を起こす。左手に被筒を握り込む。


 ブラックスクロファとファルモスの姿形は土煙の中にまぎれまぎれとなっていた。


 標的が定まらないので、洋瑛も千鶴子のようにしてぶっ放した。


 が。洋瑛がやりたかった連射ではなく、3発発射だけの3点バーストだった。小銃は、タタタン、と鳴っただけで、あとは静かになった。


「チックショオォッ!」


 と、己の動揺のさまに発狂する。情けなくなってくる。連射のつもりでいたら、興奮と混乱でセレクターレバーを切り替えきれていなかったのだった。


 その間。


 抜き出て速いものは押し迫ってきていた。突っ込むままに植木を破壊したブラックスクロファは、1体、2体、と、鯱が海面から飛び跳ねるようにして、教室目掛けて跳躍してきた。さらにファルモスがブラックスクロファの腰から屋根の上へと飛んでいく。


 しかし、雪村は照門を覗きこんでいた。焦りどおしの洋瑛をよそに、すでに2体のファルモスの頭を飛ばしていた。


 雪村は動体視力のトランセンデンスである。


(やれる)


 飛び込んできた1体のブラックスクロファの、そのつぶらな黒い目、長い鼻、尖った耳、雪村の虹彩はしっかと捉えている。


(1匹だけやれば、あとは田中教官が。アタッカーが)


 指先は相も変わらず震えていたが、引き金を引く。


 身を打ち震わせる銃身の響きとともに銃口が火を噴くと、ブラックスクロファの頭部から体躯までが宙に浮いたままで赤と黒に破裂していく。


「真奈先輩っ!」


 との声があったからでもないが、山田真奈は屈みこむ。ブラックスクロファの巨体がガラスの割れ残りを散らしながら飛び込んでくる。侵入してくる。その体もろともを砲丸のようにさせて、机から椅子から学生からを吹っ飛ばしてくる。


 田中中尉が駆け込んでいた。すっくと起き上がったブラックスクロファの頭部へ右拳を叩き込んだ。転瞬、黒い巨体は、へ、の字に折れ曲がる。田中中尉の殴打の衝撃でもって、へ、の字のまま吹っ飛び、壁に叩きつけられ、四つ脚をだらりと垂らして息絶える。


 続けざま田中中尉は叫んだ。


「射撃やめっ! アタッカー!」


 アタッカーはA班の中でも、より格闘に長じている者たちであり、それは菊田雄大であり、葛原由紀恵であり、有島愛であった。


「反撃っ! 化け物に飛び込めっ!」


 葛原由紀恵が小銃を投げ捨てた。


「やめだやめっ! 射撃やめろっ!」


 田中中尉の声に銃声が止むと、有島愛が窓枠に乗り上げて飛び出していく。続けて菊田雄大も小銃を抱えたままに窓を越えていく。


「射撃班、退けっ! 後ろに退けっ! いやっ雪村だけは構えろっ! 雪村は狙えっ! 藤中っ、負傷者救護っ!」


 田中中尉の判断のもとに学生たちは動く。ところが千鶴子と洋瑛が言うことを聞かないで銃身を構えたままでいる。


 千鶴子は叫んだ。


「援護するっ!」


「やめろっ! 出すぎだっ! 葛原っ! 近田っ!」


 そもそも、である。


(なぜ、高速運動化しない)


 という田中中尉の思いとは裏腹に、洋瑛は瞳孔を広げてブラックスクロファとファルモスを追っている。無駄撃ちはやめ、照門越しに狙い澄まそうとしている。


(モルモットにされたくねえ)


 この期に及んでそれであり、また、少々の落ち着きさを取り戻した彼は、ウィアードを射撃の的にしたくて仕方なくなっていた。


(近田に指示すべきかしないべきか)


 この期に及んでそれであるのは田中中尉も同じであった。22期生35人の命を守る教官として、しかし、特殊保安群のSGとして、瀬戸際の選択を迫られていた。


 ただ、田中中尉は見逃していた。田中中尉もまた冷静さに欠けていた。ファルモスが屋根に上がっていたことを忘れてしまっていた。


 屋根から飛び降りてきて、再度、学生たちの前に姿を現したファルモスが窓辺に飛び乗ってくる。獰猛な金切り声を上げながら、雪村の手から小銃を奪い取り、投げ捨て、彼の頭を殴り飛ばす。


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