双璧
もうちっとだけ続くんじゃ。
1(承前)
法水好介はこのカウンターまで鳴りを潜めていた。
それまでの彼のプレイといえば、その駿足を駆ってのプレス、そしてサイドに流れてつなぎ役といったところ。
とてもではないが出色の出来とは言い難い。
簡単なプレイに徹し、今のようなスピードを活かすサッカーはあまり現れない。代表は隙をつくらないし、サイドで一人二人をぬいてもゴール前ではね返されてしまうだろう。
このチームには得点力ある二列目・三列目がそろっており、それらに頼ったほうが法水の我をとおすよりも効率的なのだ。
「ボールを散らせ、もっとチャレンジしていい!」これは熊崎監督の声。
外の声は頼りになる。もっと熱くなっても構わないのだと教えてくれるからだ。
法水が右に、米長が左に流れる。
DFに誰をマークするべきか迷わせるため。
空いた真ん中のスペースにウィングとボランチがはいりこむ。
中央の黒髪に左のウィングがパス。そのままウィングが近寄ったのは誠実がボールを失ったかに見えたからだ。
違う。
誠実は二人のDFにマークされながら反転し(パスをだしたウィングに)ラストパスを送ろうとしていた。パスが出せなくなった誠実は潰されボールは大槌に。
大槌から中盤に下りてきた倉木に。これをワンタッチで味方にはたく。
後ろからマークしていた木之本は何もできない。もっとも簡単でかつ最高のプレイだ。
倉木が味方を使った。これで次から守る側に迷いが生じる。
だが代表のファーストブレークを止めることには成功した。
ボールはこぎみよく動きアカデミーは振り回される。
代表はともかく走る。
パスがくることを信じているから走れる。
味方が有能であることを疑わないから走れるのだ。
倉木以外の選手はみんなそう。倉木は一人ただ歩き回り周囲を見渡す。
彼を抜きにしても代表の攻撃は完結しえる。
ボランチが見えないスペースを刺した。スルーパス。スピードがあるボールはゴールラインを割りそうになるがしかし、
バックスピン、走りこむFWとGKの間で止まる。
FWのシュートはわずかに外れた。
キーパーはボールパーソンを急かした。
早い再開。
左サイドの米長が左足でボールをトラップ。その前を法水が走る。
DFはそろっている。鬼島も残っていた。
法水が振り返りアイコンタクト、
米長へのマークは執拗だった。さきほどスルーパスをだしたボランチ。ボールを奪いにはこないが消極的な守備をしているわけではない。
姿勢が良い。相当なスピードで米長の前を塞いでいるが腰を少し落としたまま走っている。広い視野を確保しどのプレイを選んでも楽に対応できるだろう。
前線にあの足を持つ法水がいる以上、米長の選択は彼へのパスのはず。どの距離からでも通せる。これまで何度もみせてきたコンビネーションだ。
並走する味方が手を挙げる。
米長は首を二度振って味方を探すフェイント。
背後から自陣に戻ったFWが肩をぶつけ奪いにくる。
倒れない。FWのほうが逆に吹っ飛ばされた。
体勢を立て直したその選手が今度はスライディングをしかける。
足につまずきながらMFは義務を達成していた。
米長には見えている。
法水へのパスコース。
最終ラインはまだゴールからかなり離れている、しかしDFを一度ふりきった法水が長い距離を独走できることは分かっていた。
右足からのグラウンダーのパスは足を止めたDFの裏を抜く。
ほとんどの選手が米長の一連のプレイに釘づけだった。
……ペナルティエリア外で勢いを失ったボールを短髪のキーパーがつかむ。
マリオ・マルコーニ。
母親がイタリア人のハーフだが、容姿は普通の日本人と変わりがない。あえて指摘するのならばやや面長で唇が厚いことくらい。
マルコーニはセンターバックにボールを投げ渡した。主審が法水に起きるよううながす。うつ伏せから爪先立ちの正座になった。
「ユニフォームが欲しければ」
米長がパスを出す寸前、DFが法水の背中を押しファウルになったのだ。
主審は注意したがカードは出さない。ゴール前での直接FK。
「言ってくれれば良かったのに」
米長が手を伸ばしてやる。
いつもの儀式だ。互いに手首をつかみ引き起こす。身長も体重も法水のほうがあるのに、米長は力をこめた様子もない。
後ろからのチャージに米長は倒れなかった。
彼には法水ほど速さがない。
そしてポディションはトップ下。当然ボールをもてば全方位からプレッシャーがかかる。
相手からの接触を前提にして練習していた。
ボールがセットされたのはペナルティアークのすぐ手前。
ボールの前に立つのは米長だ。
直接狙える。
壁ができるまではボールの前に佐伯が立ち、意表をついたリスタートをさせないようにしていた。
代表の選手が一列に並び壁を形成する。
攻めるアカデミー側から見て一番右、大外に一番背が高い大槌が立つ。壁を超えるシュートを蹴らせないためだ。
審判がもっと距離をとるよう注意する。選手達は跳ぶかとばないかで口論になっていた。
木之本や他のチームメイトはこぼれ球にそなえ壁から離れて立つ。
ボールの前には米長、その隣には法水がいる。
法水はさきほどのファウルで痛めた鼻を押さえて言った。「どせなら女の子にやられれば良かったのにぃ」
米長は手で追い払おうとする。「はよいね」
「東京もんがなぜに関西弁使うんけ?」
「どこの方言だよ千葉弁喋れよ千葉県民」
「僕のトップシークレットを気軽に話さないでくれよ。ところで『ハック・ア・シャック』って知ってるぅ?」
「……聞いたこともねぇ」
「NBAにシャキール・オニールというセンターのスタープレイヤーがいたのさ。彼の弱点がフリースローの成功の低さ。それに目をつけた対戦するチームのコーチは、のちに『ハック・ア・シャック』と呼ばれる作戦を選手に実行させた。まぁ単純に、その選手の攻撃をファウルで止めさせ決まらないフリースローを強制させたってことだけど」
「サッカーでは」ファウルが発生すればFKを。「誰でも蹴れる」
「そう、君がキッカーだ。これもあっちが予測できたことではあるけれど」
法水はチームメイトらの前でこう言った。「我々が対代表戦の対策をとるように、相手も対アカデミーの対策をとるだろう」
選手達もこれまで、公式戦の前に対戦相手のヴィデオをロビーで見てきた。
監督が簡単な解説を添え、それぞれのポディションでどんなことを狙ってプレイするかを伝える。
その言葉を咀嚼しピッチの上で表現するのは選手達だが。
クラブのリーグ戦にしても代表での試合にしても、これから対戦する相手がまったくの未知の存在であることはまずない。
何十年も前から衛星放送が開始されゲームの情報はリアルタイムで世界中を駆け巡る。
新しいスター候補はすぐにその名を知らされ、スーパープレイはテレビやネットで何百万人の眼に映る。
そういうことで漫画的に『秘密兵器』や『まったく新しい戦術』に振り回されることはない。
少なくともプロリーグでそんなことはないはずだ。スカウティングする必要すらない。
カメラが試合を撮ってくれる(そして試合の映像のみが有用なデータだといっても過言ではない)。
よく知っている選手がよく知っているプレイをするのが基本だ。
情報をそろえていない観る側の人間は驚くのだろうが。
だからコーチ達がアカデミーチームの弱点を代表スタッフに説明したとしても、それは不正ではない。対戦相手のことを熟知しているのがこのレヴェルでは当たり前なのだから。
このチームにとって問題になる事実はこの数カ月試合でたくさんのゴールを奪いながら、PK以外のプレースキックを直接一本も決められなかったことである。
アカデミーのFKが脅威でなかったら、ペナルティエリアのすぐ前でファウルを犯すことが怖くなくなる。
法水はボールから離れペナルティエリアの脇に。
鬼島がマークに近寄る。
米長を見てつぶやいた。「士別れて三日なれば、だよ」
鬼島はわずかに浮かぶ額の汗をぬぐった。「言うじゃねえかよ」
正GKは渋い顔をしている。
マルコーニはリーグの旧支配者、FC東京ユナイテッドのジュニアユースに所属。生まれも育ちも立川だ。
広い肩幅、長い手足。身長は十五歳にして183センチ、ウィングスパンはそれ以上だ。
だが身のこなしは俊敏そのもので人にサイズの大きさを意識させない。
その身体能力は特に対ミドルシュート、対プレースキックに効果を発する。パントキックもうまく試合でよくゴールにからむ。
シュートストップに絶対の自信を持ち、かつ攻撃的な性能も持ちあわせた『絶対』に限りなく近いキーパー。
壁をつくる味方に大声で位置を修正させている。
これが彼にとってこの試合ほぼ最初のプレイ。
やりにくいはずだ。チームメイトが攻撃している間も体を動かしそなえてはいるだろう。
だがまだ試合に参加しているとは言い難い。この場合についてはアカデミーの拙攻がかえって都合の良い流れをつくっている。
前半三十一分先制。
背番号8の思うままになるのか?
再開の笛はとうに鳴っている。
マルコーニは小刻みに跳びシュートを待つ。
米長は毎日最後まで練習を続け直接フリーキックのトレーニングに時間を割いている。
練習機の人形ひとつひとつの名前を憶えているくらいだ(つけたのは法水である)。
助走の短いキックはタイミングを読みにくい。
米長の狙いはニア。壁のある側に蹴りこむ。
蹴った瞬間、壁になった選手は手で股間を守りジャンプする。
彼らの足元を抜くシュートを放っていれば、あるいはネットを揺らすことができた。
米長の選択はそれではない。壁の頭上を越すシュートでもない。
外から巻いて枠内にはいるコース。
倉木ほど強い回転をボールにかけられない。
しかし速さは相手の10番よりもある。
速度があるため空気の抵抗が大きく、ゆえに変化も鋭くなる。
大槌の左足がわずかに反応するが触れられない。
ゴール右下。マリオからは一番遠い位置。
その一点に彼の右手が間にあう。
掌中でボールを押し、駆け出していたアカデミーの選手より先にこぼれたそれを拾い抱える。
米長はしとめられなかったことを歯噛みし悔いる。
GKにコースを読みきられた。