俺のターン
やっと主人公が働きます。
1(承前)
アカデミーのゴールキック。法水好介は味方を追い抜きながら前線にもどるチームメイトに言い聞かせた。
「いつもとやり方を変えるつもりはない。『なるべく早く』何するんだ?」
続きをうながされてしまった。
「『シュートを撃って落ち着かせる』ですね?」と木之本。
「それにこっちにもできる奴がいるとアピールしないと。このメンバーならどんな相手でもやれる」
そのプレイを見せられたのは前半二十分を過ぎてからのことだった。
代表のCK。FFAは全員が戻っての守備。
攻める代表から見て左サイド、チーム最高のキッカーである倉木が任されている。
普通に蹴った。
ゴール前で急激に落ちてくる。
キーパーが飛びだしたくなるコースだ。このボールを蹴れる選手はそう多くない。
キックの種類が多いことも学習済みだ。
木之本は落下地点を読みきり相手選手の前で先にジャンプ。
二年生ボランチのヘッドはジャストミートせず横に流れ法水に。法水は前へ。
危険なエリアを脱出する。
彼の前には誰もいない。
法水には倉木にないものがある。脚力。彼はとてつもなく足が速いのだ。
ピッチ上を滑空するように走る。駿馬が跳ねるように走れる。チーム最速の選手だ。
だが相手チームを含めてそうであるかはわからない。
法水は踏破を始める。
後方に控えていたボランチの佐伯が前にふさがる。アクションをとるのは法水。
右から抜く、とみせかけ左を。
佐伯はかろうじて反応。相手の青いユニフォームに右手をのばす。
カウンターを止めるための選択。怪我をさせようとはしていない、審判の眼を免れようとはしていない。
法水が倒れアピールすれば成立するプロフェッショナルファウルが狙い。だが。
法水も右手をだし両者の手がぶつかる。
ボランチののばしきった右腕はその衝撃を胴体に伝えゆさぶった。
体が入れかわる。
そして差をつける。
ボールを運ぶ法水が先を行き、
走るだけの佐伯が一歩いっぽ距離を広げられる。
ランウィズザボール。非人間的な速さだ。野蛮ですらある。
そのドリブルにフェイントもテクニックもない。
相手が追いつけないのなら一切の雑技は不要。
前方の敵は二人、鬼島とGKの二枚ただそれだけ。
鬼島は目付きと口が悪い男。獅子の眼、固く噛みしめられた歯が開かれた口からのぞく。
彼が現代表の最速屋。世代最高のアスリートである。
センターサークル手前、単独で法水と対峙する。
キーパーやベンチ前で立っているコーチが指示を出しているが鬼島は耳にしていない。
必要な情報はドリブルをしかけてくるこの優駿だけだ。
トップスピードでドリブルする相手を立ったままで待ち受ける。
この場合のセオリーはディレイ、ボールをとりにいかず相手の攻撃を遅らせる守備をすることだ。
少しでも遅らせれば追いかける佐伯が回りこみ二対一に。
そこからさらに足止めさせれば敵・味方が入れ混じり速攻ではなくなる。
法水のハンディはボールを守ることのみ。筋肉はまだ悲鳴をあげるほど酷使されていない。
トップスピードを維持できる時間が長い。この脚質を持つ日本人はそう多くない。
法水の視界のゴールは少しずつ大きくなっていくだろう。
鬼島はそこから一度消え、
すぐさま復活する。なめらかに反応し足を駆動させる。
スピードは同格。ステップは法水より細かく速い。半身になり近距離を維持する。
鬼島の間合いは相手FWに近すぎる。一度離されれば挽回することはできない危険な守りだ。
しかし鬼島の足ならば問題ない。この位置なら相手は眼を動かせなくなる。パスが出せない。ミドルシュートが撃てない。
法水は突進し続ける。
あと十メートルでペナルティエリア。
法水の上体を使ったシュートフェイントに鬼島はつきあわない。
鬼島に横のコースを切られた。法水はゴールエリアの左にむかって縦にドリブル。
シュートを撃ちにくい領域へ鬼島が誘導しているのだ。
後方からアカデミーの選手の声が聞こえてきた。
ほぼ『縦』を使い切った法水は時計回りに直角にターン。『横』をうかがう。
ゴールライン手前でGK、鬼島、法水が並ぶ。
鬼島は一秒後を予見する。
『11番は味方を使わない。ここで利き足の右にもちかえ、自分とGKから逃れるよう円弧を描くドリブルコース、ゴール正面からシュート』。
違うね、と法水。それを誘って二人の意識をゴールエリアから離させる。
狭いスペースに突貫し左足シュートが正解だ。
GKは後方で追いかけてくるチームメイトへのパスを予想している。
虚をついたシュートが右手をかすめゴールイン。これが狙いだ。
現実にキーパーをかわした法水はゴールを見ずにシュートを放つ、
いや放とうとしたのだ。直前鬼島のスライディングが正確にボールと足を刈った。
ゴールラインの外に弾き飛ばされる。
相手の動作を見てからでも鬼島ならば対応は可能。
先に立った鬼島はフィールド内に転がったボールを前方に蹴る。
法水は大きな呼吸で肺腑の空気を換え、ボールを追いかける。横目に鬼島の姿を捉えて。「人間にしては良くやるじゃないのよさ」
「試合中話しかけるなよ」と相手は言い返す。
法水の単独行は九十メートル続いた。
一度のプレイで法水好介は倉木一次と同じだけの存在感をしめす。
チームのエース。彼ら二人は独力で試合を決められる。
倉木はその総合力で、法水はそのスピードで。
この試合中再びこんな絵に描いたようなカウンターのチャンスが得られるとは思えない。
それでもだ。
法水と鬼島が持つスピード。サッカーにおいて足の速さは単純で一義的な意味をもつのだ。そんなことは誰だってわかっている。
鬼島以外の選手ならばファウルでしか法水を止められない。あるいはそれでも止めることができない。そう相手は認識する。
法水を他の十人の選手と同列にあつかうわけにはいかなくなった。