チープトリック
週三、四回とはなんだったのか。
試合の前にFFAのチームにあったことが書かれます。
1(承前)
FFAの最高責任者である郷原が青野代表監督に依頼した。代表チームがアカデミーの施設を借りて合宿を組むことになるのだから、同じ場所で練習するFFAの生徒たちと練習試合をすることは自然なこと。
郷原は学生時代の先輩でもある青野に忠告した。
「ウチには法水というスーパーなエースがいるし、そいつを抜きにしても十分に強いチームだ。ベストメンバーでこないとU-15の初陣が散々な結果になってしまうかもしれない」
……一方U-15のメンバーには代表チームとの対戦を二カ月前に伝えていた。
法水はこう述べた。
「したらば早速、体制を築かないといけないね。やるこたぁただひとつ、二カ月先の代表戦を勝利で終わらせることさ。戦術は今までどおりのサッカー。必要なのは戦略、大戦略だよ、司令官はもちろん俺がやるけれど情報部部長はトモナ、お前だよおまえ。君ほどナドい存在はこの界隈にいないからねサッカーオタク」
木之本伴(通称トモナ/トモ/バン)は中学二年生。
普段はU-14チームでプレイしているがこの試合に限り特例でこのチームに参加している。
実力を持ちながら自分を過小評価する傾向がある。
特徴は伸びきった背の高さ。180センチとフィールドプレイヤーでは一番大きい。
だが顔つきは子供っぽい。縦に成長しすぎた小学生のようにも見える。鈍感で世間知らずなところがある人物だった。髪が重力に逆らって前にむかっている。
性格は実直で真面目。サッカーだけではなく学業も優秀でその点もアカデミーの大人達を安心させている。
性格の素直さは普段の練習にも現れる。
コーチのいうことをよく聞き、またチームメイトのサッカーを観察し自分のものにできる。U-14チームでも有力な選手だ。
「僕……ですか?」
木之本は目をむいた。
「他に誰がいる? オフは撮り溜めしたヴィデオを消化するのに忙しくサッカーについての知識について無双なお前、伴お前の頭がここでは必要だ。サッカー大好き人間のお前が」
「『大好き人間』って……」
サッカーをプレイする人達は知識としての『サッカー』についてはあまり興味がない。
サッカーとはプレイするものであって熱心なファンのように情報を集めたりはしない。
木之本は両方楽しめる口だ。法水が述べたように本や雑誌を集めるし暇があれば試合を見ている。
だいたいのリーグのクラブ、選手については把握している。何しろ自分の好きな分野なのだから知識はいくらでも吸収でき滅多に消失などしない。
チームメイトやコーチの人達もサッカーに関わる固有名詞が出てこない時は木之本を頼ってくるのだ。
チームの全員が食堂に集まっている。夕食のあとだった。
フローリング張りのさほど広くはない部屋。大人達や他の生徒達の姿はない。
よっつのテーブルを占有し法水と米長が端で並んでいた。木之本はテーブルの間に軟禁され視線を集めている。
サッカーをしている時以外はスポーツゴーグルを外し普通のメガネをかけていた。その縁に触れてから木之本は尋ねる。
「どんな情報が必要なんです?」
「なんだノリノリでないの。目的は予習なんだ。『あっ、ここ会議で出たところだ!』ってほんちゃんでなるのが理想。そだね、どんなサッカーしてくるか分かる? つか監督って決まってるの?」
「青野健太郎監督は四期目ですね。現U-17代表監督で次のU-15代表監督を務めることも決定しています。これで四期連続ですね。これまで二大会連続でベスト16以上の成績を残しています」
「それってすごいの?」と法水。
「本当に何もご存知ないんですね」
「ご存知ないよ。ほりゃさっさと有用な情報を提示しろ」
銃口を突きつけられた気分だった。法水だけではなく他の先輩方も木之本の言葉を待っている。
「え、あ、うう……たとえばどのような?」
米長が舌打ちしてから言った。
「選ばれそうな奴はいないのか?」
この時点で招集しアカデミーと対戦する選手達は発表されていない。代表チームは候補をピックアップしているが、その情報はおよそ一カ月間経過しなければ公表されることはない。
それでも木之本には数人、怪我がなければ二カ月後の合宿に呼ばれるであろう名前を挙げられる。
……米長は身長160センチ、木之本よりも20センチほど小さい。長めの前髪を左右におさえつけている。
彼はやぶにらみでこちらを見ていた。口の形は皮肉を言いたげに曲がっていて尋常のそれではない。
つまり悪人面なのがその性格は外見を偽らず不良のそれなのだ。その彼をこれ以上怒らせるのは得策ではない。他にも十数人の先輩方がまっている。
「どこのポディションの人を話します?」と木之本はうかがった。
「前の選手がいいね」答えたのは法水だった。「いっちゃん重要だよ」
「倉木一次という選手がいます。『一』に『次』で一次です」
「ぷくふぅ変な名前ぇ」
「好介なんて名前の奴が言うな」
と米長。
「まぁ大雑把にいえば同年代で世界一の選手です」室内沈黙。「三年前フランスで行われた国際大会で日本代表のガンズ大阪ジュニアユースを優勝させています。大会の最優秀選手が彼でした。ジュニアユースの年代ですが一年前から飛び級でユースでプレイしています。十八歳以下の高円宮杯にだってもう出場していて……関西だけで放送しているガンズのテレビ番組でやっていたのですが……」
「どうしてそんな番組を観ているのか」と法水。
「ガンズのトップチームの選手が質問されたんです。今注目している選手はいるか? と。他のクラブの誰かを答えると思ったんですが、主力の複数の選手がまだ中学生の倉木さんの名前を挙げています。トップチームの練習にはいってもいいプレイをみせているということです」
「能書きはいいからクラキ・カズツグのお力のほどを手短に伝えてくれ」
「ああすみません」
伴はすっかり自分の世界にはいっている。
「引き出しの多い選手ですから固有の能力から伝えましょう。ポディションはFW。まずシュートが特徴的です。流れの中でもFK並みにボールを曲げられるんです。両足で」
ホワイトボートをコーチから拝借していた。片手で持つには大きなサイズ。フィールドが再現されている。
木之本はペナルティエリアをしめす長方形の左角を指した。
「だいたいこのあたりだったと思います。ここで倉木さんはパスをもらった。ゴールにつながるわけですけれど」
みんながスコアボードをのぞきこむ。マグネットで倉木のいる場所を教えていた。
米長が一言。
「角度がない、ドリブルできりこむかするんだろう?」
木之本は続けた。
「味方はファーに流れています。DFは二人でゴールにニアを塞いでいた。倉木さんはゴールのファーサイドに左足アウトサイドでシュートを決めています」
木之本はヴィデオで観たシュートの弾道をボードマーカーでなぞった。
反応しにくいアウトサイドキック。
DFのブロックは間に合わずGKも見送るしかなかった。遠い側のポストに当たりゴールの中にはいる。
米長。
「カーヴ……眼に見えて曲がってると分かるほど変化するのか?」
木之本。
「外れる角度から戻ってくるって感じです。倉木さんはアウトサイドキックの天才なんです。まだ名前はついていませんが彼の得意技です。無難に『スライダーシュート』とでも呼びましょう」
法水。
「その呼びかた断ったの?」
木之本は無視して。
「ちなみに一カ月前クラブユースサッカー選手権のファイナルで広島相手に決めたものです。逆転されて負けてしまいましたが」
法水は続いて。
「他には?」
「パスもうまい。中盤で少ないタッチでつなぐことも遠くからラストパスをだすことも」
「ドリブルもあるだろう当然に」
「走るより速く見えるくらいです。多いのはダブルタッチ、マシューズフェイント。キープも突破も思うままです。派手さはないですが相当。ゴール前ならまず自分で決めにきます」
「彼に比較しえる奴はいるのか?」
「いいえ。アタッカーとしては断トツで一番です」
米長はその言葉を聞いて片眉を吊り上げた。しかし口は開かない。
法水は木之本の言葉に反応する。「しかし『断トツ』とかなかなか出てこない言葉でない?」
木之本はかぶせ気味に。「FWやウィングの選手は例年並みの出来です。青野監督はパサータイプを重用しますから問題はないでしょう。過去二大会もそうでした」
「倉木は」
「倉木さんは一人で試合を決められてしまう。一番強いチームにいるのに王様でいられてしまうんです。この人がいるチームはどうしてもこの人に偏ってしまう。それでも選ばれそうなのは……」
「決定力」
「いくらシュートを撃っても点に結びつく確率が低ければいけないですから。青野さんはそういう選手をずっと優遇していた。その数少ない候補が倉木さんです。青野さんが特に重視している項目は……」
米長が答えた。
「トラップとパス、ポディショニング、持久力」
「『持久力』については軽視しても構いません。大会まで時間はあることですし……。『トラップとパス』、『ポディショニング』にも問題はない。ただどんな場面でも自分のシュートで終わらせたがるきらいがある」王様ですから、と木之本。
米長は。
「郷原さんは本気のメンバーと戦うことになるだろうと」
木之本は。
「でしたら多少の難に眼をつぶっても倉木さんを起用する」
法水は口を手で隠した。眼で笑っていることは分かる。震えた声で彼は言った。
「倉木一次がウィーケストリンクだ」
法水に視線が集まった。
米長がたずねる。
「『ウィーケスト』? 最弱って意味だろ?」
「そうじゃない、最高であるゆえにな。彼奴さえ止められればしばらく失点のリスクは小さくなる。そいつは有名人だろう?」
「『彼奴』……そうですね、代表に選ばれなければどうかしているって思われるくらいには。先のナショナルトレセンの地域別対抗戦では関西選抜を優勝に導いていますし」
ここにいる法水、宮原、米長もそれぞれ出身地の選抜チームで対抗戦に出場している。
法水は真顔になって言った。
「ことスポーツには限らないが、力ある者にはしたがうという摂理がある。倉木の力は一流である彼らにはよーく理解できるのだろう。ボールをもたせれば否応にもプレイ回数は増えるだろう。倉木一人がチームの上限と下限を決める。分かるか? メンバーはエース様がなんとかしてくれると頭の動きを鈍らせる。奴の器はそれほどまでに大きい?」
「イエスです」と木之本。
一呼吸おいて。
「まだ中学生ですが高校年代に交ぜても十指にはいる選手ですよ」
チームメイトは息を呑んだ。この後輩は事実を拡大して伝えたりはしない。倉木の実力はそれほどのものか。
「ならば問題はない。僕の構想はこうだ。あいつにある程度ボールを持たせ好き放題に勝手かってにサッカーをさせてやる。だって一番の選手なんだろ? ほっといたってボールが集まるよ」
「でしょうけれど……」
法水が指を立て。
「上手くいけば、だ。無数にあるシュートパターンを彼奴一人の個人技に限定できる。倉木頼みの単純なサッカーをさせて代表の攻撃を簡単に止められるかもしれない。前半でそいつを交替させることだってできる。あるいは仲たがいをさせることだってね。うーん、なんか悪巧みしてるみたいで楽しいな」
「つうかそのものじゃねえか」と米長。
あるいは嵌め手か、と法水。
「倉木自身は何を考えているのか……そうだな。代表になんて選ばれて当たり前、普段は高校生のチームで活躍してるのに今更オナイのガキ共なんか信用しないかーもーしれないね。エリート中のエリートだ。将来のご活躍が期待されるが今度戦う時は眠っていてもらいたい。要約しよう課題は最強中学生倉木一次個人を止めることだ。幸い研究する時間はある」
……現実に倉木はアカデミーとの試合に出場し、事前の対策は功を奏した。
倉木が大きく曲がるシュートを放った場面。ボランチの木之本がシュートを予測しカヴァーにはいらなければ、狙いをさだめ打つことのできたシュートは枠の内側におさまっていただろう。
サイドバックの上げたクロスからチャンスをむかえた場面。ニアサイドに飛びこむ倉木を深追いしなければ先制点を奪われていた。
そしてカウンターで三対三となった場面、DF陣は倉木に翻弄されつつも、彼が(よほど攻撃が手詰まりにならなければ)他の選手にパスを出さないことを念頭において守っている。現実に倉木は味方を使わず自分でそのチャンスを終わらせた。
法水は嫌らしい卑しい笑みを浮かべ言った。
「俺ながらいささかあくどい手口だとは思うが、それにハマってる世界一さんもチームメイトも素直すぎるだわ」
木之本は白い目でキャプテンを見て。「その『いささか』は必要ないと思いますよ」
10番のプレイは圧巻だったが想定内に収まっている。
今のところは。