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フェノメノ ~日本サッカー架空戦記~  作者: 三輪和也(みわ・なごや)
繚乱
44/59

木暮靖彦(上)



 木暮靖彦は思案する。

 サッカーにおいてゴールこそがすべてだ。ゴールが多いチームが勝つ。得点なくして勝利はない。

 そんなことは誰にだって分かる。ボールを蹴る前から理解していたことだ。だが本当の意味で分かっていたとは言えなかった。

 木暮はアカデミーに入校する前からパスの出し手としてプレイし続けてきた。

 試合でもシュートを決めるよりもパスで他の選手を動かすことに楽しさを覚える。ずっとボランチだった。

 中盤の後ろ、守りに比重があるポディションだが、もっともボールに触れられ、それゆえ試合の趨勢を支配しえるポディションだ。


 テレビでゲームを見ていても注目するのはボランチの選手だった。

 ボールを持っていなくても一流の選手は動きがうまい。常にゴールを狙うのではなく、次のプレイのため対戦相手と駆け引きを含めたパスを選ぶ。

 あるいはディフェンスの際、混戦からドリブルでしかけた選手のコースにはいり邪魔をする。

 木暮は頭脳的なプレイが好きで、そういうシーンをヴィデオで何度も繰り返し見て真似しようとした。


 身長こそ低かったがボールの芯を蹴るセンスはあった。

 ボールに群がる傾向がある子供のサッカーでは、一人長い距離の正確なパスを操る木暮は重宝されていた。

 チームの中心になった木暮は思う存分自分のサッカーを表現することができた。

 小学校時代、木暮の所属したクラブは県大会(出自は群馬だった)を突破することは叶わなかった。

 しかしその大会の前後、県選抜に参加した木暮は、同い年の少年達の中に自分よりもうまい選手を見つけることができなかった。

 そしてこの自己評価は決して過大ではなかったのだ。




 木暮はアカデミーを選ぶ。パスで崩すサッカーを教えるこの環境でなら自分の力を最大限に伸ばせるはずだ。

 最後のテストを通過したことを知らされたその晩は、ひどく興奮しろくに寝つけなかった。

 木暮が待望していたアカデミーでの生活。しかし最初の3年間を彼が有意義にすごせたかといえばそうでもない。

 学年ごと15名程度で構成されるその世代のチームの中で、もっとも公式戦にでられてなかったのは木暮だった。

 ある時は体調不良で、ある時は怪我で、ある時は累積警告で、ある時は純粋に能力が不足しているとみられたために。

 彼は誰よりも『もって』いなかったのだ。

 木暮は大事な試合でもベンチに座って観戦しているしかなかった。ゲームで躍動しているチームメイトを。得点して嬉しがり失点して悔しがる彼らを。

 今の自分には歓喜もない、痛みもない。汗ひとつかかず彼らに共感するわけにはいかない。

 同じ空気を吸い同じユニフォームを身につけているはずなのに、俺にはただ同じチームにいるというだけで試合に出られる。それでもチームの役に立ててはいない。

 テクニックでは誰にも負けない。ボールを受ければ奪われることはなかった。

 練習中の選手たちの動きを参考にしてみれば、ナンバーワンは木暮靖彦のはずだった。

 しかしながらゲームになれば一転最弱は彼になってしまう。

 試合中自分のプレイに納得できず髪をかきむしる姿が散見されていた。

 アカデミーのコーチが木暮を見捨てることなどなかった。また木暮本人が大人の声に耳を貸さなかったわけではない。

 だがどう工夫しても対外試合に限ってはその実力を発揮することができない。チームに問題があるのではない。木暮個人にのみ問題はあった。


「この問題は自分で解決しなければならない」とあるとき郷原は木暮に話した。「誰かに強制されてサッカーを始めたのか?」


 ノー。


「誰かに頼まれてそんなにボールをうまくあつかえるようになったのか?」


 ノー。


「誰かの指図でそんな丈夫な足腰や持久力を身につけたのか?」


 ノーだ。


「なら自分を自分で変えなきゃ。このままじゃ君は成長できない」


 誰かの助言を真に受けてしまうよりも、自分で悩んで答えを出すほうが本人のためだ。とはいっても郷原は蔭ながらフォローをしていたのだが。




 木暮が自分のサッカーに疑問を抱いたのは中学3年生になってからだった。現在の法水や米長と同じ年代の頃である。

 問題は技術にあるのではない、志にあるのだ。

 自分の何が不足している? なぜチームに貢献できない?

 木暮は心の底からチームメイトに信頼をおいていた。練習だけなら自分が一番になれるのに、試合になれば誰もが自分の上をいく。

 厳しいテストを通過しただけはあり全員が高いポテンシャルを持ったプレイヤーだった。

 パサーとしては最高の駒だ。

 俺はみんなに遅れをとっている。実戦で活躍できる力さえあれば本当の意味でチームメイトになれるはずなのだ。

 今までと違った方向に成長する必要がある。自分が現在持っていない何かを手に入れなければならない。

『何か』とやらは普段の練習の中に転がっていないだろう。

 木暮はいつも一人で考えていた。

 戦術的な問題ではない。戦略的な問題がある。

 ボールをあつかうテクニック(戦術)はあってもサッカー(戦略)が下手だった。つまり自分の頭の中の問題。

 アカデミーにはいる前は良いサッカーができていたと思う。

 県大会を勝ち抜くことはできなかったが、すべての試合で自分は通用した。

 いつも自分のパスやシュートで試合を決めていた。

 チームメイトから尊敬されるような、そんなサッカーをしていたのだ。今の自分とはまるで違う。

 今は違う。エリートたるアカデミーのチームにあって自分のサッカーは引き立て役にすぎない。ボランチはあくまでシュートにつながるパスを出す黒子にすぎない。


 そう思っていた。

 きっかけをつくったのは郷原だった。

 土曜日の午後に行われたトレーニングマッチでその日も満足のいくプレイのできなかった木暮は、夕食後ロビーでN1の試合をぼんやりと観ていた。

 ゲームが終わると15分のニュースをはさみ、そのままその日のリーグ戦のダイジェストが始まる。

 隣には郷原が座っていたがそれまでほとんど会話はなかった。

 最後に紹介されたゲーム。

 ホームのチームが2点をリードし試合の終盤、アウェイのチームが1点を返す。

 FWが倒れながらダイレクトボレーをペナルティエリアの外から決めた。誰にでも決められるシュートではない。

 自分にむかってくるボールの軌道とスピードを正確に把握した動体視力。ゴールの枠を外さないキックの精度。ゴールから離れマークを外したセンス。それは途方もないプレイだった。

 結局試合はそのまま点が動かずに終了する。2対1でアウェイ側のチームが負け、その得点は無意味になってしまった。それでも「いいゴールだった」と郷原は言った。


「ええ」


「試合なんか関係なしに何度も紹介されることになりそうだ」


 ……違和感のあるセリフだ。「でも結局そのまま負けたじゃないですか」


「いいプレイは勝ち負け関係なしに褒められるべきだ。それに、ゴールはサッカーの華だからね」


「確かに俺になんか決められそうにないシュートでしたけれど、その前のパスを出した選手もよく走りましたし、それにボールを奪った選手だって評価されるべきです」


「お前らしい考え方だね。それもよく分かるけれど、ほとんどの人はボレー決めたFWしか褒めたがらないだろう」

 郷原は嫌な笑みを木暮にむけた。

 サッカーにおいて違いをつくりだすのは前線の選手だ。決定力、繊細なボールタッチ、突破力。

 それらは生まれ持った才能がものをいう領域。だからこそ希少でだからこそそういった選手には高い値段がつく。明らかに凡庸の側の人間である木暮にできないプレイを彼らはみせる。


「ゴール前までボールを運ぶ中盤やDFは評価できないってことですか?」


「そうはいってないよ」と郷原。「普段教えていることを完全に否定しちゃうじゃないか」

 ならば何が言いたいのだろう。

 郷原は今モニターに映し出されたスーパープレイについて語りたいのではない。もっと抽象的なことを伝えたがっている。

 郷原は立ち上がった。「サッカーでは一番うまい奴がどうしても一番目立っちゃうんだよ。ゴールでね。ヤッスーはここにくる時どういってた? 『県選抜で僕よりもうまい選手はいなかったです』って確かに話してた。公式戦でもたくさんゴールを決めたって」

 木暮は座ったままその時のことを思い出そうとしていた。

「だけどこちらにきてから、君のプレイには何かが欠けているような印象がある」


「ゴールが少ない」


「対戦相手からしてみれば分かりやすい。君のサッカーの良さは複数の選択肢から最善のものを選べる頭の良さだ。けれどもほとんどの場面であらかじめ選択肢をひとつ潰している。ゴールを狙っていない」

 でもそれでは、パサーとして他の選手を活かしきれていないということになってしまう。

「ヒントはここまでにしよう。ここで教えているサッカーは君にとって道具でしかないはずだ。パスを回しディフェンスを崩すことは手段であって目的ではない。僕は君がエースになれると思ってここへいれたんだ。時間はあるし、ゆっくり考えてみてくれ」


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