無双、だがしかし
主人公のターンはもうしばらくお待ちください
1(承前)
口火を切ったのは代表の彼だった。倉木一次。背番号10。
身長は160センチ半ば。切りそろえた前髪が子供のようだ。しかし顔つきはその年齢にしては精悍すぎる。悲惨な過去があるのかと邪推したくなるが、彼の大人びた顔は生来のものだ。今はまだサッカーが超堪能な少年にすぎない。
今はまだ。
……代表のFWはゴールから三十メートル離れセンターバックを背にしていた。ボールを足元におさめられない。
トラップのこぼれ球を倉木が拾う。
囲まれたのでボランチにバックパス、そのまま相手のDF陣の間を漂う。
倉木は攻める側から見て左サイドに流れている。佐伯が送ったロングフィードの威力を左足インサイドで完全に殺したところだ。
チームメイトはパスをもらいにいかない。
彼が『打ってでる』ことをわかっているから。
背後にタッチライン。それに押されたように倉木はしかける。
インサイドの細かいタッチで縦に。そこからアウトサイドで大きく切り返す。
前を塞ぎにきたサイドバックをふりきった。そこからすぐに、
擦るようなインサイドキック。
角度は40度もない。だがボールに強い横回転をあたえている。
すぐそばでジャンプしたボランチの右足をかすめる。
ボールはGKの前方の上空に。
2・5メートルある巨人へむけクロスボールをだしたかのよう。だがこれはシュートだ。
曲がる。
ネットは揺らしていない。ありえないほど大きく変化した弾道は枠内にかろうじておさまらなかった。
ため息がピッチ内にもとどいた。
メインスタンドの前列に(ピッチまでの距離はないに等しい)数十人の観客が散らばって座っている。
クラブチームの関係者、コーチ。協会関係者に施設で働く職員。わずかながら雑誌や新聞のライターもいる。それに某国の代表チーム。彼らはこの試合にでない代表のメンバーとこの後試合をする。
三千人収容のスタジアムはほとんど無人、ゴール裏はなくメインスタンドとバックスタンドのみだ。
ピッチと観客席の距離はないに等しい。最前列で屈みこめば試合にでているプレイヤーと握手ができるほど。
ベンチはスタンドの下、半分が地下に収まっている。競技場の外に映るのはわずかながらの木々と背の低い建物、それにあの名峰だ。
試合を見る人の雑談や咳払いは青い芝を走る少年達の耳にまで届くのだが、それに注意を払える余裕のある者は少ない。目の前の状況を制することに懸命だからだ。
この試合初めてゴールの臭いがするプレイ。倉木の個人技。あれほど離れた位置から撃ったシュートだというのに。
シュートがはずれても倉木はリアクションをしない。頭をかかえもしないし口を塞ぎもしなかった。試合をとおしてポーカーフェイスをつらぬく。
この選手一人を見るためにスタジアムへ足を運んだ人間もいる。
アカデミーはチャンスをつくりだせない。それでも焦りの色は見えなかった。
アタッキングサードでボールを失う。代表のボランチがボールを持つが前に出しどころがない。横パスで時間を稼ぐ。
このゲームのキャプテンをまかされた大槌退が前にあがるようチームメイトに無遠慮な声を出す。長身で長髪の目立つ風貌だ。
細かいパスを中盤でつないでいる間に選手はポディションを上げた。アカデミーの選手も呼応して守備を固めている。
ボランチは中央からディフェンスを切り崩そうとしていた。
と、倉木が中盤へ下がってくる。
マークしていたセンターバックはその動きにつられることなく自分のゾーンを守っていた。
マークがタイトでないことを知らせるため、ボランチはあえてゆるめのパスを出す。倉木はそのボランチに冷徹な視線をむけ、無言のままプランをさずけた。ボランチは倉木の要求を理解。
ヴァイタルエリア(ここではDFとボランチの間)、前をむかせないためにボランチの木之本が倉木のマークにつく。
倉木はダイレクトでボランチにリターン。速いパス。攻撃のスイッチがはいった。
倉木は後ろをむき全速力でゴール前にもどる。
ボランチの前に味方が四人。
ボールを左サイドに逃がす。そこにサイドバック。ゴールエリアにクロスボール。
直前の横にスライドする動きで倉木がフリーになっている。右のアウトサイドで擦るようなシュート。
同時に背後から二人のDFが出現。スライディングで防がれた。
……倉木へのラストパスを予測できなければできなかった守り。
左サイドバックには他にみっつかよっつの妥当な選択肢があった。神経がこのFWにむかいすぎていては他の選手の攻撃に耐えられなかったかもしれない。
それでもこいつさえ防げばどうにかなる。
そうアカデミーの選手達は思っている。
今はアカデミーボール。
ディフェンスラインの押し上げを防ぐため倉木が一人前線に残っている。
米長の無理のあるミドルシュートが読まれボランチの足に当たった。
その跳ね返りが下がった倉木の足元に転がる。この少年がタッチするだけで会場がざわつくようになった。
ターンしてドリブル。
ボールがハーフウェーラインを越えるのと同時に二人のFWが彼の両脇に並ぶ。アカデミーの残ったDFは三人。三対三。
FWとDFが平行に並んでいる。
左のFWがわずかに外へ走るラインをふくらませる。
対面するDFが眼を奪われる。
中央倉木は単騎で突破を狙う。
左のDFを追うようにドリブル、
とみせかけ右に切り返す、
大きく、
自分についていった中央のDFを躱す。
一度の動作で二人のDFを無効化。
ミドルシュートを。
だが最後に残った右のDFがその局面での最適解を導いた。宮原隆也。
その選手は倉木とゴールの間、ペナルティエリアぎりぎり外で足を止める。
距離をとっていてフェイントで揺さぶることはできない。
ニアサイドへのシュートはブロックされ、かつ彼のマークしていたFWへのパスコースも消されている。
ドリブルでつめれば他のDFが立て直す。
倉木に残された選択肢はゴール左側、キーパー正面へのシュートだけだと思われた。
しかし倉木はゴールへの最短距離、ニアサイド宮原の頭上を狙ってシュートを放つ。
回転をかけゴール右上ぎりぎりを狙う。
そのシュートすら読んでいた。
宮原は跳ねひるむことなく頭をさし出す。ボールは額にあたりゴールから外れた。
……続けざまに倉木がチャンスをつくった。強い心臓をもった選手だ。
先に述べたように会場にいるのは選手達の『これから』に大きな影響をおよぼすコーチ達、あるいはトップリーグの現場の人間だった。
ただの練習試合ではない。特別な試合なのだ。
そのことを倉木は意に介さず、彼のサッカーでもって相手を打破しようとした。
自分にボールを集めさせ自分でチャンスをつくる。
これは自分のゲームだ。すぐにでもそれを認めさせてやる。
だがその構想は実現しそうでしない。
……倉木はある疑問を持ちながら対戦相手を見るようになった。