幕間3
だいたい3300文字
幕間3
(12月下旬、法水家において。リヴィングにはいってきた法水が大きなバッグをソファに投げ出し隣に飛び乗る。憂子がその眼の前に椅子を運んできて座る)。
憂子 どうして辞めるの?
好介 それがひっさしぶりに帰ってきた兄に言うことなの? 『おかえり』とかさ、『むこうではどうだった?』とか色々あるでしょ?
憂子 ……『おかえり』、『むこうはどうだった?』、体調はどう? サッカーの調子はどう? チームの調子は? 今度はどこと試合するの? 勉強は? 現国は苦手なまま? あっちに戻るのはいつ? どっかでかける? 一緒に行こうか? 晩御飯はもう冷蔵庫に入ってるよ。ハヤシライスはお母さんがつくってくれたからサラダとか付け合わせは私がつくるね。部活なら卒業生送別会で公演したよ。ちゃんと台詞のある役で出られた。出来は自分ではいいと思ってる。撮影はしてないから見せられないけどね。あとはそう、別に話すこともないよね。どうして辞めるの?
好介 俺が決めたんだ。
憂子 お兄ちゃんはサッカー選手になりたいんでしょ? (顔を赤くして)どうしてアカデミーを途中で辞めておじいちゃんが監督してるサッカー部のある高校に転入しないといけないの?
好介 どうしても、だ。
憂子 アカデミーが嫌いになったの?
好介 嫌いだなんて……そんなことない。あそこに行くことは運命だとずっと思ってるくらいさ。場所も好き、いる人も好き。いい思い出ばかりさ。チームメイトは……みんないい奴ばかりでさ、下級生にも上級生にも面白い奴がそろってる。高校生になってからもアカデミーでサッカーを続けると思ってた。だけどさ。
憂子 だけど何? お兄ちゃんはテストを合格してアカデミーに入ったんでしょう? そのためにアカデミーに入れなかった人だっている。それに、面接でも聞かれたりしなかった? 『6年間アカデミーでサッカーを
続けてくれますよね』って。大勢の人に迷惑をかけることになる。
好介 今は事情が違う。じじいが死にそうなんだ。
憂子 お祖父ちゃんは頼んでないんでしょう?
好介 頼んでなんていないよう。
憂子 ……いったいどういう考えで決めたの?
好介 憂子はサッカーしないでしょ。
憂子 だったらなんの意見も言う資格もないの?
好介 憂子は厳しいな。
憂子 育った環境がこうだったからこういう風になっちゃったの。
好介 (唐突に早口になって)あの櫛引宗司が死にそうなんだ。育成年代最高の指導者が。おそらく1年か2年しかサッカーの監督を続けることはできない。
憂子 それは聞いている。
好介 そしてその孫の法水好介はサッカーの才能を広く認められた有望な選手。サッカー一族でありながらこれまでいなかったプロ選手候補。こふたつの要因を接続しようとしているだけだ。自然なことだろ?
憂子 普通の人は構わない。たとえ祖父の余命がわずかだとしても、人生の何年かを賭けたりなんてしない。
好介 法水好介は賭けるんだよ。
憂子 プロになる直前の一番大事な時間でしょう?
好介 それでもだよ。
憂子 そういう感情……なんていうのかな、浪花節? どうしてそういうのを入れてくるの?
好介 そゆ性格になったんだよ。新しいお兄ちゃんに『こんにちは』は?
憂子 そういうのはいいから……お祖父ちゃんのところでサッカーをすることが本当に正しいの? 私はサッカーに詳しいとはいえないから。
好介 環境を変えることはいつだって挑戦さ。
憂子 アカデミーみたいにチームメイトに恵まれるとは限らないでしょう? 理由がりゆうなんだから(一度視線を逸らしてから)隠せるわけないし。
好介 隠すつもりもないよ。今までどおり。
憂子 教えてくれない? お兄ちゃんが何か得することあるの? アカデミーを辞めてまで高校のサッカー部に所属することで。(沈黙の後)ないんじゃないの。アカデミーが一番いい環境だから選んだって3年前確か
に言ってたよね。
好介 いやあるさ。この、僕が、満足する。じじいが辞める前にでかいトーナメントで優勝することができれば満足さ。ついでにプロクラブに対してアピールにもなるしいいことずくしだ。
憂子 後半のくだりについてはさ、アカデミーにいてもさほど変わりがないんじゃないの?
好介 そうだね。でも前半のくだりについては本当だよ。僕はお節介焼いて自己満足するような奴なんだ。じじいの残り少ない時間のほうが俺の貴重な時間よりも大事だと思った。ほらさ、俺って無敵だから大抵の敵は
すぐに薙ぎ払える。
憂子 サッカーは団体競技でしょう?
好介 じじいのチームだよ。上手くいくに決まってる。
憂子 子供の時から思ってたけどさ、そういうお兄ちゃんの楽天主義なところって……治らないのかな。こうさ、勝負の世界でやってきてるんだからさ、変わるのかと思ってたんだよ。でも同じままだ。やっぱりアカデミーは出るべきじゃないよ。お祖父ちゃんが死にそうになったくらいで考え変えないでよ。
好介 僕はサッカーについて自分の力で結果を変えることができる特殊能力者でね。だから今回のことで後悔するだなんてない。安心しろよ妹。
憂子 (近くにあったクッションを投げつける)話が違う。世界一の選手になるって言ってたでしょう? なんでそのための計画を曲げるの? 死にかけの老人の一人くらい見捨てられるはずでしょう!
好介 (避けずに顔で受けている)違う話をしようか。アカデミーを離れる理由なら他にある。
憂子 (落ち着いて)でまかせなら聞かないよ。
好介 本当だよ。……やなチームメイトがいるんだ。
憂子 いじめられてるとか言わないよね。
好介 違うよまさか(面白そうな口調で)。米長って名前なんだ。米に長いで。前に『ヨネ』って呼んでた奴のこと。いやに張りきった野郎なんだ。口も悪くて態度も悪くて、いったいどんな環境で育ってきたんだって思っちゃうような奴なんだ。
憂子 米長さん……。
好介 そう、同じチームのね。実力は間違いなくあるけどさ、ポディションは中盤でいいパスも出す。セットプレイもよく蹴ってる。でも残念ながら僕ほどじゃない。
憂子 ポディションが違うなら比較できないんじゃないの? FWなんでしょ?
好介 単純には比べられないけどさ、でもわかる人が見ればちゃんとわかる。FFAでは試合に出られるけど、たとえば代表に呼ばれるほどのものじゃない。僕は呼ばれそうにはなってるよ。
憂子 ……それってハードルが高すぎるんじゃないの? 代表に呼ばれるような人が全国にどれくらい……。
好介 ハードウ上げてるのはヨネ自身だよ。あいつは『世界で一番になれないんならサッカーなんて辞めてやる』って広言して公言してたんだ。誰彼構わずアカデミーにはいってからずっとね。僕と一緒だ。僕もいずれそうなる。
憂子 その人がどうしたの?
好介 そいつはどこに根拠があるのかわからないけど自信たっぷりな奴だった。でもある試合……前々から言ってたけど代表と戦ったゲームだ。ヨネはその試合に出たが勝利に貢献できたとは言い難い。ゴールを決めた僕や、相手チームにもいっぱいいた才能豊かな同年代の選手と比べヨネはなんのインパクトもいれられなかった。もちろんたった一度の試合で何がわかるってもんでもない。
憂子 それでもその人は。
好介 言い訳はしないだろうね。ヨネは自分を過大評価していたと気づいたんだ。あいつは悩んだだろう。あいつは『それなり』なんて求めてなかった。吐いたツバ飲まずに『最高の選手』になろうと努力し続けてたんだ。その一つの結果がこうだった。でもだよ、その次の試合でヨネは大活躍したんだ。憶えてるかな、僕が風邪でスタメンじゃなかったゲームだった。ベンチで観ていてあいつが少しも諦めてないことがわかった。対戦相手の実力はもちろん代表より落ちる。でもヨネは本当に戦っていた。誰を相手にしても負けるつもりのないサッカーをしていた。それがなんていうか、嬉しかった。
憂子 ……それがどう今の決断に繋がってくるの? 大雑把すぎるよ……。
好介 大雑把。フランク・ザッパ。ああわかった。怒らないで。俺がいたらあいつは駄目になるからだよ。
憂子 どういうこと?
好介 王は常に一人なんだ、憂子。共演はありえない。今芽がでていないにしても米長には才能がある。僕にもある。なら完成している僕が出て行くのが筋だ。




