神話4/4
やっと挿話が終わります
7(承前)
「日本人は金の話をしたがらないよな。ほら、お前だってこのインタヴューの本で初版は何部、契約金はいくらだって話しなかっただろ?」
「俺は交渉の段階で『来年はもっといいクラブにいくだろうから複数年契約してくれ』って伝えていたんだ。『移籍金がたんまりはいる』とな。クラブ側は断った。だから俺がリーガのクラブに移籍してもあいつらには一銭とはいんねぇ」
リーガエスパニョーラ……世界で三指にはいるこのトップリーグに挑戦する4人目の日本人選手。左藤自身は『挑戦』だなどとは思っていなかったが。
欧州と日本ではリーグの開始時期がずれているため、左藤は年末の中盤戦から試合に出ることとなる。
「眼の前の相手を倒すことにしか興味はねぇ。だから強敵は欲しい」
「こっちのDFのレヴェルは大したこたぁない。プレミアでやりたかったがオファーがなかったから仕方なくリーガでやることにしたんだ。長くいるリーグでもねぇ」
「セリエ? あれは搦手がうぜえ本当にうざそうだ。人数かけて守るし戦術が固すぎる。一人じゃ抉じ開けられない。逆に俺がDFならいってただろうな……」
「こっちにきて気をつかったのは一対一だ。パスサッカーなんてこっちじゃマイナーだからな。ロングボールをものにして、それから攻撃が始まる。」
「……対戦相手を観察するようになったのもここにきてからだった。日本じゃそれなしでもやってけたからな」
「どんなDFにも癖はある。利き足利き腕利き眼、ヘディングにも得意不得意な部位がある。つまり動かれると困る角度・タイミングがある。失点パターンだな。本人すら把握できていないその弱点を突けた」
「駆け引きも覚えたな。デビュー戦で削ってきた奴は競り合いで転かして負傷退場させてやった。口喧嘩で負けた奴は集中切らして途中交代された」
スペインサッカーにおける選手育成の最上はゲームメイカーやウィング以上にGKである。
あのドイツと同等の産出国といって良いだろう。どのクラブも一流の使い手がゴールを守る。
そんなリーグでストライカーとしてプレイし左藤はほとんどの相手にビッグセーブを許さなかった。
膝から下の筋肉が異様に発達しておりどんな体勢からでも他の選手より倍速いシュートを放つとされる左藤ならではの特長。
日本では『不必要に力んだシュート』とされていた彼の武器がここでは大いに効力を発揮した。
左藤の選手生活のハイライトとなったふたつのゲームがこのシーズンに生まれている。
長らくリーグ優勝を寡占していたあの2強、あの比類なき双璧相手のゲームでいずれも2ゴールを決めチームを勝利に導いたのだ。
それは『世界最高の選手』候補に名乗りを挙げたことと同義。左藤の名が世界中に知れ渡った。
マスコミは大陸間プレーオフの決勝点ですでに掌を返していたが、この2試合のあとは左藤を正真正銘のエースだと持ち上げた。
彼を活かしきれれば本大会の優勝すらありえる、と。
中位に滞っていたチームをCL圏内の3位にまで引き上げそのシーズンは終わった。
いくつかの幸運さえつかめれば優勝争いにも加われただろう。最高に近い結果を手にした左藤であったが、看過しがたい技術的なミスを犯しもしていた。
だが次のシーズンが始まる頃には間違いなく修正してくるだろう。彼はすべてのシーズンで新しい武器を手にいれてきた。
「でもあい変わらず俺のイメージは悪いみたいでよ、これだけ活躍してもCMのひとつのオファーもない」
「コマーシャリズムもナショナリズムも他のくだらねえ思想も選手自身が望んだものじゃない。周りの奴らが勝手に投げてよこしてきたものにすぎない。給料が普通の奴らの何百倍なのも知名度が普通の奴らの何百万倍あるのも俺らが望んだことじゃない。選手は結局たかが選手だが周りの奴らはそれ以上の何かを視ようとするんだよ」
「……ワールドカップなんて7試合勝てば獲れるタイトルだろ? 当然優勝は狙うがよ。断言はしない。ともかく周りの奴らが足引っ張らなきゃいいがな」
「一度も観たことがないんだ。噂じゃ世界中の奴らが観戦するらしいが、よほど暇なんだな。どうせやってることは同じだ、気になんてしない」
「燃えるかって? そりゃ勝負したことがない名手もいるだろう。苦戦もありえる。リーガでもそれなりの奴はいたから余所のリーグにもいるはずだ。でも俺はCLとやらでそいつらと戦えるし熱望してるってわけじゃない」
「……相手が強いからモチヴェーションがあがるだなんて馬鹿にしてんのか? 相手が最強だろうが最弱だろうが同じテンションで戦えてこその『選手』だろう? やる前に勝ち方負け方考えさせんじゃねぇ。畜生、それが一番ムカつく。どうして負けることを勝負の前に考える? それこそ負け犬の考えだ」
スペイン国内で最後のインタヴューを終え、左藤は翌日代表合宿に参加するために帰国するはずだった。
同日深夜、同国首都マドリード郊外の山道で事故が発生する。大破した車体には2名の邦人が残っていた。男女2名。
邦人の女性は発見当時すでに息がなかった。運転席にいた大柄な男性は四肢すべてに重傷を負い病院に搬送され意識を混濁させたまま異国の医師にはわからない言語で何事か呻き続けている。
事故の発生から24時間後、死亡が宣告された。
車体ナンバーや容貌から同国リーグでプレイしている唯一の日本人選手、1カ月後のワールドカップ本大会のメンバーに選出された左藤斎であると判明した。
8歳の米長公義はある感情に襲われていた。
自分はわがままを言わない、多分手間のかからない子供なのだろう。母親に叱られるようなことはしない。自分の行動が母親の感情を揺さぶることはない。
父親には刃物をむけるほどふりまわされていたのに。彼女が重きを置いているのは自分ではなく父親なのだ。
それは構わない。だがその父親は、あの男は母親を悲しませた。
もう平穏などない。夏甘は仕事をやめ飲めない酒を飲んでいる。3日後何も食べようとしない母親にカップ麺を(公義の好物だった)無理やり食べさせたあと、決心しボールを抱え外へ出た。
このゲームに参加する。
父親のいた階梯を越えるために。
そして3年後、公義は過去に抱いた感情を後付で解釈した。
あの男の訃報を聞き自失した母親を見、自分は強い怒りを覚えたのだ、と。
あの男以上の選手になれないならサッカーをする意味はない。
日本史上最高の選手と呼ばれたあの男を上回るためにはなんだってしてもいい。
公義はFFAのテストを受けた。
面接の際公義は郷原と初めて会い、4分後には自分の顔を指し、世界でもっとも忌み嫌っている男の名前を口にする。
「似ているでしょう? 左藤斎の息子です」
短髪の息子と長髪の父親、もちろん年齢の違いもある。だが確かにそう言われてみると面影が……その鋭い目つき、くっきりとした眉の形も父親のそれに似すぎていた。
そしてとりまく雰囲気が同じだ。
一度だけ郷原は左藤と対面したことがある。人生を強く生きている人間の匂い。眼前の少年も同じものを身につけている……ような気がする。
両親は籍をいれていなかったため、公義に証明する手段はない。
郷原は言った。「君が本当にあの左藤斎さんの子供だとしても、アカデミーにいれる理由にはならないよ」
公義は慣れない敬語(のつもりの言葉)を使って続ける。「参考にしてもらえばそれでいいです。俺はあの男を越える選手になります」
両隣のコーチ陣がざわつく。
「そういう選手がアカデミーから出ることはいいことでしょう?」
「君は父親に憧れているの?」
公義は自分の父親がどう思われてきたかを知っている。
「いいえ、あいつと同じ轍は踏みません。それにポディションも中盤ですし」
「……分かった。聞かなかったことにしてあげるよ。君が実力で合格して、そして練習や試合で努力できるなら、父親以上の選手に育てられるよう全力でサポートする」
郷原は左藤斎が過大評価されていると思っている。
あの異能はあまりに都合の良いタイミングで亡くなった。
ワールドカップという大舞台の直前。そしてリーガでもワンシーズンをフルに戦っていない。
見る側としては事故死していない(過失は運転していた左藤のみにあるとされている)彼の未来を想像したくなるものだ。
代表をワールドカップでどれほどの高みにまで導いたか、そしてリーガでの翌シーズン、CL。個人タイトルだけでもベストイレヴン、得点王、MVP、ゴールデンシュー。どこまで伸びていったかは『左藤以後』の世界を生きる我々には分からない。
そううまくいきはしなかったと郷原は思う。
トッププレイヤーでありながら節制を怠り、喫煙者で酒臭い息を吐きながらクラブハウスにかよい、練習後トレーナーからマッサージを受けない左藤の競技生活はきっと短かった。
定期健診にひっかかっても病院にかかろうとしなかったと聞く。左藤はチームメイトとも監督とも信頼関係を築くことなくひとつのクラブに長く在籍することはない。
加えてあの性格。引退する時も華々しく大勢の観衆の前で拍手をもらいながらとはいかなかったはずだ。
負け試合、それも途中交代。ブーイングを浴びながらベンチにも寄らずスタジアムから追い出されていたかもしれない。
米長は自分の父親の像を大きくつくりすぎている。
追いつくためにはわき目もふらずに全力で走り続けなければならない、同世代に自分の右に出る者がいてはならないと……思いこみが激しい子だと前々から感じてはいたが。
米長には父親がついに得なかったものをすでに持っている。ピッチ上の僚友、頼りがいのあるチームメイトの存在だ。




