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フェノメノ ~日本サッカー架空戦記~  作者: 三輪和也(みわ・なごや)
その人々
27/59

神話3/4

7(承前)



(ぎりぎりの順位で)残留を決めたとて多くの代表選手を抱える(それほどのタレントを有しながらこの程度の成績しか残せなかった)このチームにとってある意味この年のシーズンは終わっていなかった(天皇杯は二回戦でNSLのクラブに完封負けを喫している)。


 およそ1年前からワールドカップのアジア最終予選が始まっていた。

 日本代表はグループリーグの大本命に挙げられながら勝ちきれない試合を続け、5チーム中3位の順位のままで最終予選を終わらせた。

 3位など当時の実力からしてもありえない結果だったはずだ。

 もうひとつのグループの3位との決戦を制し代表は11月の大陸間プレーオフを挑む。

 日本が常に苦手としていた南米の中堅国が対戦相手だ。

 大陸予選を10チーム中5位で終わらせたとはいえ、かの南米こそが世界最高の激戦区であることに疑いはない。個人でもチーム力も相手が格上。

 分かりきったことだがアジア最終予選で決められなかった以上出場はすでに絶望的だったのだ。

 3カ月前に就任したあの監督は気が遠くなるほど頭を使いながらすべてのゲームのヴィデオを頭に焼きつける。

 戦術においてもメンバー選出についても24時間悩み続け、そしてだした結論がプレーオフの直前リーグで『脱出行』を成就させたあのクラブを中心にチームを再編することだった。

 リーグの下位クラブのメンバーと戦術が国を象徴するチームを乗っ取る。まさしく奇策だ。

 しかしそれ以外にブレイクスルーの手段はない。

 ホームアンドアウェイ方式の決戦。

 第1戦は日本にとってアウェイ、対戦相手のホームに乗り込んでの第一戦、厄難というものは続くのか選出された左藤はパスポートの不備で遠征するチームに帯同できなかった。


 相手は守りを固めゲームはスコアレスドロー。


 合計のスコアが同じ場合、アウェイゴールがより多いチームが勝ち抜くことになる。

 相手ホームでゴールをこじ開けられなかった日本は、ホームの第2戦、ゴールのある引き分け以下で試合終了のホイッスルを迎えれば敗退してしまう。

 踵がすでに空を踏んでいるのだ。谷底からの風がうなじをくすぐっている。


 左藤は……そもそもナショナルチームに対し意欲など燃やしていなかったはずだ。

 半年前に親善試合のメンバーに選ばれながら断り、以後も非公式に選出を拒否し続けている。

 その態度が大勢の敵をつくりだしていた。チーム内にすら彼を歓迎する声は聞かれなかったのだ。招集前は少なくともそうだった。


 第2戦、日本のホームゲームの会場は左藤が所属するクラブのホームスタジアムだった。

 とはいっても会場にはいるほとんどの観客は左藤のプレイをその日初めて生で見る。声だけが大きい不遜な輩、という印象ばかりである。


 先発。

 試合開始前、イレヴンがつくる円陣に最後に加わる左藤は男の顔をしていた。

 2対1で勝利。その日放った唯一のシュートで試合を完結させた左藤は、本選にも出ることを代表監督に約束した。

 彼にとって代表戦は長いリーグ戦後のエクストララウンドだった。


 この年最後の試合を終えた左藤は珍しく財布を重くしたまま家に帰った。普段は常人の10倍も食べ10倍も飲まないと寝つけないような男が。

 協会が手配したハイヤーに乗り、クラブハウス近くの仮の住まいではなく都内のあるマンションの所在地を運転手に告げた。

 強い倦怠感に襲われた左藤は後部座席で半ば気を失う。

 ……運転手に肩を揺さぶられ左藤は眼を覚ます。体はまだ疲れきっていた。車から転ぶように降りた彼は電話をかけ女を起こした。

 女はドアの鍵を開けただけで左藤を迎えない。

 彼女はさしてサッカーに興味を持っていない。

 今日の試合もリヴィングのテレビで観てはいたが、リモコンのミュートボタンを押し、そのままコーヒーを飲み昼から続けている仕事を再開した。

 左藤はひどく静かにその巨体を動かし、どうにかリヴィングのソファに腰を沈みこませた。(その家具は彼が買ったものだ)。

 そして横になった。肉体は虚脱しきっているが眼だけが不気味に開かれている。まるで死体のようだ。

 女はそっけなくたずねた。「何か持ってくる?」

 左藤は答えない。

「勝ったんだっけ?」

 自分の友人がサッカーに関心を持たないことを左藤はなんとも思っていなかった。

 彼も彼女も個人主義者なのだ。左藤もまた友人がどんな仕事をしているかろくに知らなかった。

 女は主に家で東欧の言語のインタヴュー記事やビジネス文書の翻訳を仕事にしている。

 左藤が口を開いた。公義は「もう寝てるか?」


「あんたが出てる試合だけはみないって」

 返事はない。左藤は元々細い眼をしている。なので寝入ってしまったか起きているかは友人にも分からない。

 寝息もないし体は起きるまで微動だにしない。昔からそれは変わりない。大きな鼾は睡眠時無呼吸症候群の症状なのだが女は気づかなかった。

 めったにないことだが彼女は左藤を紹介する際を確かに『友人』、『同じ大学だった』と紹介している。自分でも常々その言葉を疑問に思っている。普通友人の間柄で子供を産ませたりはしない。彼女の名前は米長夏甘、子供の名前は米長公義だ。



 米長親子は生活に困窮などしていない。

 夏甘が仕事にしていた外語の邦訳は正確で読みやすいと評判である。出版社からの依頼はひっきりなしでいくつもの候補から仕事を選ぶことさえできた。

 暇を見つけて来京してくる左藤がプレゼントを何も言わずに置いてから帰る。スコッチにバーボン、ブランデー。夏甘は酒を飲めないのですぐに売り払う。左藤は何も言わない。

 左藤斎は独身であると周囲の人間には認識されていた。この親子との関係はチームの誰も知らない。

 米長……ここでは『公義』と表記しよう。父親がつけた名前のことで公義自身は忌み嫌っている。(それくらいの仕事はしろ、と妊娠7カ月の夏甘が言ったのだ)。

 公義は何も知らない。彼の世界は母親と二人でほぼ完結している。自分の父親だという大人の男は一カ月に三度も家にはこなかった。きたとしても夜遅くになってからのことで、規則正しい生活を送る公義と時間は滅多にかぶらない。

 ……会ったとしても父親から声をかけることもない。子供のほうからも同様だ。よくある親子、断絶に類似したこの関係はきっと10年20年経っても変わることはなかったはずだ。互いに相手のことをなんとも思わない。


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