神話2/4
モデルはあからさまに勇〇郎です
あんなに強くないけど
7(承前)
シーズンオフ。
左藤には高額のオファーが続々届いていた。チームは昇格の貢献者である左藤を慰留させようとしたが彼はつっぱねた。
このチームに残ることは退屈だと。
代表にも選出されていないプレイヤーが海外クラブから声をかけられることは当時異例であり、専門誌に大きくとりあげられた。
リーグアン、エールディヴジ、スュペルリグ、プリメイラリーガ。すべてのオファーが事実だった。
左藤は払いのけた。
「俺は闘争を求めてるんだ。(オファーがあったクラブの)ヴィデオを観たが大した敵はいない。異人どもに囲まれてサッカーするなんざ俺にはステータスじゃねぇ。だからあのクラブにはいってやることにした。あちらの強化担当は上からこう言ったんだ。『主力のバックアップという立場に了承していただけるなら』だと。気に入った。レギュラー争いなど今までの人生で一度もなかったからな。だからそいつらを倒してゲームに出ることにした」
「アスリートってのは種目を問わずすべての人間が博奕打ちなんだよ。自分の才能とエネルギーを担保に活躍できるかできないかを試す。目立てれば高給があってそうでなければそこらの一般人だ。前者には光が当たるが後者にはそうじゃない。ベンチにいる人間など誰も覚えられないだろう」
「試合に出やすいクラブを選べば良かったか? だがそれは俺の方法じゃない。ギャンブラーとしての俺はチップの全部を直感で倍率一等高い箇所に置くんだ。いつでも危険な選択をとりたい」
左藤が選んだ関東のあのクラブはシーズン5冠を狙っていた。スーパーカップ、リーグ、リーグカップ、ACL、天皇杯。
前年度にリーグを制しながら全ポディションに大型補強を実施。2部リーグの得点王にすぎない左藤はその末席に名を連ねたにすぎなかった。
左藤のライヴァルであるセンターフォワードは元ブラジル代表、左藤よりもむっつ年上のベテラン選手だった。
体格に優れDFとの五分五分の競り合いに勝って決めたゴールが多い。
左藤と同じタイプのストライカー。右膝に故障をかかえフルタイムの出場はかなわないが、短い出場時間でもゴールを奪い続け去年のクラブ史上初の優勝に大きく寄与していた。
クラブどころかリーグの顔ともいえる選手。そんなスタープレイヤーと左藤はシーズン前計4週間におよぶトレーニングキャンプのすべてのメニューで互角に闘っていた。
……2月下旬、昨年度リーグ王者と今年度天皇杯王者が対戦するスーパーカップ。
左藤はピッチの外から試合をながめていた。あなたもベンチで脚を組んでふんぞり返る大男を見ているかもしれない。あれが左藤だ。
選手個人としてはみれば選手生活で唯一の敗北。エースからポディションを奪えずにベンチでリーグの開幕を迎えることになる。
スーパーカップは左藤の所属するクラブが制し今シーズン最初の、そして最後のタイトルを手にした。
以降そのビッグクラブは敗北に塗れることとなる。
リーグ開幕戦、前年度の得点王はDFと競りあってヘディングでボールを叩きこもうとしていた。
だが着地に失敗し重傷。左藤は交代で10分間試合に出たがノーゴール。
チームは第1節を落とした。
エースはそのまま母国に帰り手術をしたが完全には回復しなかった。2カ月後に現役引退を表明。
チームは屋台骨を失い崩壊他の主力からも怪我人が続出開幕から7節を終え勝点はわずかに1監督はシーズン中三度交代しそのたびにチーム戦術とスタメンは大きく変化する。サッカーそのものを見失ったチームは低迷を続け開幕当初目標とした5冠どころか昇格組にすら勝てず最下位をシーズン折り返しまでキープ。残留は絶望的だ。
一般に『脱出行』と表現されるこのシーズン、ある事件をきっかけに左藤斎は日本で一番有名なサッカー選手となる。
「だいたい意味が分からない。世界中のほとんどの奴らが拒んでいないことが信じられねぇ信じらんねぇことに試合に出て走ってもろくに金にならない。じゃあなんであんな客がはいってんだ?」
「ハンディキャップつくってるのか有名税なのかよく分からないがよ。クラブの公式戦だけであんなに試合があんだぜ? リーグ戦にリーグカップACLだ? もっとも俺がいたとこはカップ戦どっちもすぐに敗退しちまったからかぞえるこたないんだがな」
「勝ち進んでいたら年間何十試合ある? 俺は大丈夫でも他の奴らは堪えるだろうよ。体力だけじゃなく精神力も頭も使う。プロなんだからもちろん耐性がある人間だろう、それでもオフがなけりゃ潰れかねん。連中は若かったしそれに、俺みたいに怪物じゃなかったからな。分からないか? 代表、ナショナルチームとやらのことだよ」
「確かにリーグの中ではビッグクラブだった。頭から尻尾まで一流がそろっていた。当然代表に選ばれるのもゴロゴロいたわけだ。怪我が多かったのは散々責められたフィジカルコーチやドクターだけの責任じゃない。残留争いに巻きこまれたっつうのに代表に呼ばれしかも最終予選だとよ。テメェが預かってる選手壊してなんの対価も負わなくていいんだから大したチームなんだろうよ。おかげで残留争いにも巻きこまれた。ありゃクソみてぇなシーズンだった。やることなすこと全部悪い方向に作用した。マジで一度もチャンスがなかったゲームだってある。あれは……」
「だが俺は仕事をした」
不調の理由は他にもあった。昨シーズンリーグを制したこともあり、各チームがしっかりと対策を立ててから試合に臨んでいたこと。
そして代表クラスのプレイヤーが多く、また観客も多く入るこのクラブとの試合は常に対戦相手に最高のモチヴェーションを与えていた。
ビッグゲームがシーズンを通して続くようなもので、前年度の比ではないプレッシャーにかなりの割合の選手が耐えられなかったのだ。
……唯一の得点源は左藤だった。数少ないチャンスをことごとくものにし続ける。
下のカテゴリーからあがってきたばかりだというのにすぐさまこのディヴィジョン1のレヴェルに順応していた。
それどころか……思考力、センス、技術、体力。そしてゴールという如実な結果。
彼がリーグのベストであることは誰の眼にも明らかだった。シーズン前の倍のオファーが国外から届く。
代表に選ばれるのも当然というものだ。
彼は断った。「金にならん試合など出ない、出る理由が見つけられない」とカメラの前ではっきり答えたのだ。
マスコミがピックアップし大勢の人間がその言葉を耳にする。
そもそも左藤という選手は悪評のみが先立ち能力が認められることはほとんどなかった。
彼の競技生活がマスコミにリストアップされ数々の記録に先立ち数々の悪行がクローズアップされる。
左藤一人にブーイングを浴びせる集団がスタジアムに現れた。左藤はそれに応戦した。それがまたニュースになった。
たった一人の選手の行動がひとつのクラブを象徴してしまう。
8月、代表監督が個人的な面談を申しこんだ。
ただの一度も代表戦に出ていないこの男のために協会が動いたのだ。
この混乱を収めるには彼が招集を受け入れるしかない。
左藤は代表選手の待遇向上を協会に認めさせついに3カ月後の選出をあらかじめ承諾する。
ちょうどその頃チームは長いトンネルを抜けつつあった。
左藤一人がそのクラブの話題を独占したことで、若い選手ばかりのチームはプレッシャーから解放されたのだという意見がある。
単に期待されていた能力を発揮しただけだとの声もあった。
それでも順位は変わらない。だがライヴァルとの差は縮まっている。
牛歩の速さではあるにしても、以前の停滞に比べればまだ良い方だ。
……左藤は背中で語ろうとしていた。
プロ選手がすべきことはファンサービスではない。真摯な行動をとり社会人の模範になることでもない。
『試合で結果を出す』、それだけに尽きるのだと思いまた散々吠えていたことだ。
このシーズンは自身の有言を実行している。接戦には滅法強かった。
ダービーでの打ち合い、
ラストプレイのPK、
レッドカードを喰らい主審に投げつけたユニフォーム、
ある時は超人的な反射神経で自陣ゴールライン上のボールをクリア、
ある時は高く上げられたDFのスパイクに頭をさしだし大出血、
すぐさま包帯の巻かれたその頭でゴール、
みずからボールを奪いピッチの半分を縦断するドリブル、そこから決勝点を叩きこみ、走ることを止めずバックスタンドのサポーターに突き上げた右腕。
誰もが彼に心を奪われた。
そして結果以上に彼は、彼のいたチームは直情的で、官能的で、解放的で……未完成で危険だった。
試合を観た人間はみな全力で走ったイレヴンと同じように疲れきってしまう。
勝っても負けても分けても完全燃焼。
そんな試合を毎週やっているようなもので、いつかその進撃が止まってしまうのではないかと多くのサポーターが思っていた。
しかしチームはシーズン終了まで止まらなかった。
最終節をむかえた12月の上旬、チームの順位はふたつ上がりかろうじて残留できる16位。
だが降格圏の17位のチームとは同じ勝点。得失点差で上回るのみ。
自力で一部残留を決めるためには勝利しなければならない。
対戦相手は2節前に優勝を決めたクラブ。
最終ラインに一流がそろい堅守を武器にタイトルを獲っている。接戦に強い手堅いサッカー。
そして順位が決まったとしても手を抜くことはない。アウェイとはいえ勝利でシーズンを終え初のリーグ制覇に花を添えたい。
たとえ好調の左藤がいるといえど勝点3は……というのが戦前の予想だ。
チームは4対0で圧勝。残留を自力で決めた。
「最終節はあまり印象に残ってない。残留する権利を得るための戦いを戦っていたわけだから、あの順位に上るまでが大変だったんだ。怪我人が山と出て辞めたGKのコーチを現役復帰させてベンチにいれたゲームだってあったんだぜ? 疫病神でもメンバーの中にいたのかと思った」
「いやそうだ。クラブの人間からしたら間違いなく俺自身が疫病神だったわけだ」
「興奮してたユース上がりのガキどもはよく喋ってたな。『ゴールが決まるたびにスタジアムが狭くなる気がしてきた。観客席からの声がどんどん大きくなって、後からあとから人の数が増えていって』。そりゃ勘違いだ。リードが大きくなってピッチの外の様子を気にする余裕ができたんだろ。チケットは前日に完売してたからな。優勝争いした前のシーズンよりはいってたくらいだ」
「トップ下のロビーは『あの試合で神をみた』なんて言ってたな。笑えるぜ。俺に何度もアシストしておいて俺をみてなかったらしい」
「試合が終わりに近づくとひどく静かになっちまった。相手も気力が折れて足が止まった。ホイッスルの前に勝負がついたんだ。そういう意味じゃつまらんゲームだったな」
「そうか、2点決めてたか……。ゴールの数かぞえてる段階は俺にとっちゃ調子が悪いんだよ。……あの試合の得点のすべてに関わってたと思う。あっちが悪目立ちしてる俺さえ止めればそれでいいって顔してたからそれをうまく利用できた」




