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フェノメノ ~日本サッカー架空戦記~  作者: 三輪和也(みわ・なごや)
その人々
25/59

神話1/4

即回収



 かつて。

『最高にして最悪』と呼ばれるプレイヤーが存在した。

 もはや歴史となった彼の名前を公に口にする関係者は少ない。その選手はどれほど試合で活躍しても『あいつ』もしくは『あれ』と呼ばれていた。


 27歳の若さで亡くなった男の名前は左藤(さとう)(ひとし)

 身長190センチ体重91キログラム。サッカー選手として破格のサイズだ。

 プロリーグでプレイした期間はわずか2年半。1部リーグに在籍した期間はなお短い。それでも彼の『最高』は今のところゆるがないし、『最悪』も否定することはできない。


 ここで左藤の人生の一部を紹介するのは彼の功罪を周知せしめるためではない。

 すでに登場しているある少年のために以下のテキストには意味がある。



 彼の名がサッカー界に知れ渡るようになったのはNSL(当時3部相当のカテゴリーのリーグ)の某チームに所属して2年目のことだった。シーズンの中盤から最終節までの15試合連続得点。NSLの最多記録だ。

 チーム自体は序盤戦のつまずきを取り返せず、『門番』と呼ばれる某実業団チームの順位を上回れずN2昇格を逃した。

 しかし個人として突出した成績を残した左藤斎には上位カテゴリーのクラブからオファーが殺到した。2部どころか1部のチームも複数触手をのばしている。

 ネックになったのは左藤の素行の悪さだった。

 練習には平気な顔で遅刻をし、コーチの言うことには耳を貸さない。試合の前夜であろうと夜遊びをやめず暴飲暴食を繰り返す。

 試合の映像を見る限りでも印象は悪すぎる。審判のジャッジにはすぐ文句をつける。監督・選手(敵・味方問わず)に食ってかかる。試合後のサポーターが自分の名前をコールしても一切反応をしめさない。

 プロフェッショナルのアスリートの理想像からはもっとも離れた選手だった。彼にはスポーツマンシップなど理解できない。

 学生時代から悪評ばかりが噂される選手だった。コーチを殴っただの博奕で遊興費を稼いでいただのと。もっともこれは流言飛語の類ではなく事実だった。左藤本人も隠そうとしていない。唯我独尊を地で行く超エゴイストだった。

 左藤斎は絵に描いたようなセンターフォワード。高さと馬力。どんな体勢からでもシュートを撃ってくる。驚異的な高さのヘッド、丸太のような厚みのある脚から放たれるキック。そしてDFとの駆け引きにも才能は見出された。『野獣の肉体に悪魔の知恵』と呼ばれ試合の流れを読みゲームを制する能力さえある。


 左藤はのちに高名なスポーツライターから受けたインタヴューで、NSL時代をこう顧みている。

「その頃はシンプルだった。すべてのアスリートがそうであるように試合に出て勝てばそれが幸福だったんだ」


「こうやってお前みたいなコバンザメ相手に言葉選ぶ必要もなかった。起きて飯食って練習して休んで飯食って、それで試合に出て……。ピッチの上にはすべてがある。勝ちと負けが。そういうのはアスリート様の特権だ」


「……俺はまぁ勝ってたよ。俺が蹴落としてベンチにもいられない奴らは来シーズンの契約もおぼつかなかっただろう。それはそいつが俺に負けたからだ……。NSLのレヴェルはたやすかった。実力的にはやっていけたがN1のクラブは俺に手を出さなかった」


「俺の悪業が眼に留まったんだろう。連中も勝負してるんなら俺の実力を重くみるべきだった。先見の明ってやつがなかったんだよ」




 翌年左藤は2部リーグに居を移した。タイトルを獲ったこともある関東の古豪。3年前に1部から降格しそれから3年連続でおしいところで昇格を逃し続けている。今年こそは。

 その起爆剤として左藤斎は導入された。


 レヴェルが上がろうと空中戦では相変わらず圧倒的な勝率をあげ、フルタイムで相手の脅威であり続けた。たとえセットプレイで3人がマークについてきても左藤は意に返さずゴールを決める。

 ……6月中旬になると左藤はチームメイトに愚痴をこぼすようになった。「勝ちすぎるっつうのも問題がある。『勝ち』と『負け』があっての『勝負』だ」

 チームは順調に勝点を稼ぎだしていた。首位を独走し当時ふたつのみだったN1昇格枠のひとつを早くも埋めてしまう。

 このクラブのサッカーはあまりに効率的だった。

 基本的に守備的なサッカー。ディフェンス時には前線に左藤を置き10人で守る。攻撃に移ってもポディションは固定的で隙がない。

 中盤には元五輪代表のゲームメイカーを配し、他のポディションにもN1でプレイできる技量の選手がそろっていた。

 またユースから昇格した若手が順調に経験を重ね選手層も厚い。仮に先制されたとしてもすぐさま攻勢に出てすぐ逆転に成功してしまう。


 左藤が選手としての幅を広げたのもこのシーズンだった。

 ハイクロスからのヘディングだけではなくDFを背負ってからの反転シュート、あるいは味方のパスにあわせタイミング良く裏へ抜け出して決めるなど得点パターンを増やしていった。

 夏場になると観客動員数がやや落ちこんできた。数字上ライヴァルがいないうえ、そのチームにはスターといえる選手が(その時点での認識では)いなかったからだ。

 その候補ならいた。ゴールを理不尽なまでに量産し続けていた左藤だ。態度の悪さは改善しなかったが、それでも結果を出す彼をピッチから追いやるわけにはいかなかった。


「俺は広言したよ。得点王なんて当たり前すぎる。『1試合に1得点以上のペースでゴールを奪う』って言ったんだ。確か試合が夜ばっかだったから夏場だろう。暑いから調子は悪かったがその日も」ゴールを「決めて珍しく残ってコメント受けてやったんだ。そう言ったらサポーターも沸いてよ。PKも全部蹴ることになった」


 分かりきったことだが点のはいらないスポーツだ。

 シーズンの試合数の半分得点を決めればFWとして仕事を十分以上に果たしたことになる。試合数と同じだけゴールを決められる選手など滅多に現れない。

 左藤のこの宣言以降観客数は上昇に転じた。

 スタジアムにくる人間は左藤のプレイを、というかシュートを、というかゴールを見にきていた。マークはなおきつくなったがこの奇才はそれを歓迎すらした。


 シーズンは終了しチームは数々の記録をたずさえてN1に復帰した。

 結局左藤は口にした『1試合1ゴール以上』という公約を守ることはできなかった。

 42得点は彼のキャリアハイだったがリーグの試合数は44試合でわずかに足りなかった。それでもいまだに破られぬN2のシーズン最多得点記録。


 あるゲームでの退場さえなければ約定を守れたかもしれない。

 退場したシーンはこうだった。

 左藤は前半のうちに2点目を決める。ネットにからまったそのボールをGKが数秒抱えこんだ。これ以上失点したくないこの選手は時間を稼ぎたかった。

 左藤はすぐにでも試合を再開させたい。彼はキーパーの胸倉をつかみ立ち上げ、主審の前で頭突きをくれ、そしてボールを奪った。

 すぐさまレッドカード。ヒールにはふさわしい。憤怒した左藤を4人のチームメイトが抑えピッチから追い出した。

 リーグの規律委員会は審議の結果2試合の出場停止処分をくだした。その2試合分を削れば先の宣言は守られたといっても良い。


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