相撃つ
戻ります。
3(承前)
木之本はすぐさま自分のミスを帳消しにした。
全体のポディションを押し上げたいセンターバックの宮原が時間を使ってからFKを蹴る。
ボールはトップ下のポディションに上がっていた木之本へ。はっきりと狙ったパスだった。
しかも速い。
(直前まで並んでいた法水は木之本を追い越している)。
木之本は法水の方向を読んでいた。
競りあう佐伯の頭上をいき、ボールをすらすことに成功。
スピードがわずかに殺された。
ヘディングのパスをうけた法水は前をむいてドリブルを始められる。
二人のセンターバックはポディションを下げており、裏をとられない。
二対一だ。
大槌が前に立つ。
法水はおじぎをするように上半身を倒しつっかけ
ではない、ミドルシュートだ。
だが大槌は距離を詰めボールをとりあげた。法水を黙らせる。
木之本はハーフタイムの法水の分析を思い出す。
法水は指を立てて言った。「間近で見て分かった。大槌は俊敏性に欠ける」
木之本は答える。「いえ、そんなことはないです。大槌さんは足の速いストッパーで……」
「まぁ聞きなさいな。おそらくやつがあの高い身長を手に入れたのはつい最近で、手足の筋肉の成長は追いついていない。重たい体を動かし始めるのには大きなエネルギーが必要なんだ。慣性の法則だね。だから初速は遅い。だからスピードが必須なサイドバックからセンターバックに転向したんだろ。……マカルンがあのチームにいる理由は相手のプレイを読むのが非常非常に上手いからさ。最初の一歩に迷いがない。それにあれだ、みんな車の教習所で習ったと思うけどさ」
「みんな中学生ですよ」
「同じスピードで走っていても大きいトラックは速く見え小さいバイクは遅く見える。ガタイのあるマカルンはそれだけ速く見えるんだよ。……彼奴にミスらせることができたら、あの体躯はむしろ弱点、並以下の選手になるんだ」
宮原がプレースキックしてから五秒もせずに決着したこのシーン。
法水の意図は大槌の読みを覆すことにあった。それさえできれば相手の初速の遅さは致命的な弱点になる。
ドリブルしている選手が上半身を倒す、それはその方向に重心を乗せ体のばねを使い加速するための動作。
対応するマーカーは抜かれないため後ろにさがるのが常套だ。
だが法水は加速する(ドリブルし続ける)とみせかけ、下をむいたままミドルシュートでネットをゆらそうとしていた。
大槌はこの陥穽を見抜き、間合いを狭くしてシュートを撃たせなかった。
法水が駆け引きで敗れた。
やりあっているのは倉木と米長。
倉木が走るが米長もついていく。
ボールがはいった瞬間肩をいれ前をむかせないようにする。
米長に加え常にもう一人の選手が張りつく。
おかげで中盤では無難なパスしか選択できない。
しかし倉木の求めるものはゴール。チームプレイを学んだあとでもそれは変わりない。
センターバックがマークするかしないか迷うところまで進める。
米長はつきあわない。素直にDFにまかせる。
背後は黒髪に任せる。
ユニフォームを汗でぬらす米長は解答を見つけていた。
倉木の攻撃を封じるためには、崩しの起点となるパスをいれさせなければ良い。
前の段階で討つ。ためにボランチにアタックする。
実戦以上のトレーニングはない。そのうえ相手には倉木がいた。成長するための最良のエサだ。
うまく相手ボランチを囲んだ。
前は米長がふさぐ。木之本とウィングの日比野が協力しパスを出させないようにしている。ここで奪う。
米長の策は半分正解だった。倉木よりもマークすべきは中盤のパサー。そこまではあたっている。
だが相手は代表の選手だ。足の裏をつかい、体の後ろにボールを隠す。
三人が囲み米長がタックルで奪おうとする。だが彼の類まれな周辺視野が働く。
ボールに軽く触れタッチラインを走る味方に渡した。
鬼島だ。
何度も見せていた中央への侵入ではなく、本来のサイドバックらしい縦への走り。
これを追走していた法水がまわりこむ。
鬼島はタッチラインに沿いボールを走らせ、自分は法水の背後を回りこもうとする。
裏街道。しかし法水は離したボールに右足で触れ外に出すことに成功。
これまでのところこの二人の対決は守る側が常に勝利している。
代表のFWがすぐスローインをいれたその時、鬼島はトップスピードで前を走っている。法水は手を伸ばしても触れることができない。
判断の早さで負けた。
鬼島からボランチがパスをうける。ボランチから右に開いた倉木。
倉木はタッチせず流れたパスを追いかける。反応できたのは左サイドバック武井一人だけ。
「ブロック!」と声を張るのはアカデミーのDF。
エリア内でシュートを撃つ。
角度が広くなる左足ではなく、あえて右足で狙う。
俺が止めるんだ、と堤。
右腕をたたみ、大きく左腕をのばす。
左足を支えにするがそれでもふりきられた右足の勢いを殺せず、体が浮き上がった。
右アウトフロント。ボールを斬るようなシュート。
『外れる角度から戻ってくる』。
キーパー堤は反射し躍動した。左手の指先に手応えが残る。
ボールを眼で押しだしたかのように形相が険しい。あのシュートをセーヴしたのだ。
鬼島は左前方の倉木にパスしたあとも縦に走り続けた。
パスが回ってくることはなかったが、相手DFの注意を引いたため倉木がしかけることができた。
あんな弾道のシュートを放つとは。あれがあいつの本領なのか。
枠内におさまっていたはずだがそれをGKはかきだしている。
鬼島のそばを法水が走る。キッカーに近いサイドでCKを待つ。
佐伯が早口で話しかける。
あのシュートを「再現できる選手がいるんだろう?」
「さあ」
「まぐれじゃ防げない。撃てる奴がいるはずだ」初見で攻略できるはずがない。
「……ま、ミドルシュートは主人公の特権だからね。僕が撃てないわけない」
ボランチが蹴ったCKはアカデミーのDFに大きく蹴りだされた。
本来脚力とキック力はノットイコールの関係にあるはずだ。
足が速くともキック力が凡庸な選手。
鈍足であってもボールを上手く蹴る勘がありロングパス、ミドルシュートが得意な選手。
そんなプレイヤーはどこにでもいる。
だが法水にはすでにみせつけた駿足の他に、シュート力があった。エリア外であろうといとも簡単にゴールを陥落させられる。
佐伯は彼を知っていた。佐伯も出場していた全日本少年サッカー大会で彼が優勝したシーンをこの眼で見ているからだ。
小学生時代の彼はソリストだった。自分でボールを運び自分でゴールを奪う。身体の成長が早く周りの小さな子供にとって彼の存在は反則そのものだった。
しかしドリブルの進路方向を限定し囲んでしまえばボールを奪うこともできる。
対戦相手の対策が功を奏した場合、法水の選択はふたつある。
ひとつは敵をひきつけてから味方にパスを出すこと。
もうひとつは遠目からでも積極的にシュートを放つこと。法水のシュートパターンは多彩だ。ペナルティエリアの外から、ハーフウェーライン手前から、角度のない位置から。
ボレーシュートを、ループシュートを、コントロールされたシュートを。
アカデミーの攻撃が停滞する。
選手のポディションはデフォルトにもどっていた。
あがってきた米長や木之本に代表の守りを崩すヴィジョンはない。サイドから連携で突破しようとしても、後方のスペースが殺されている。
加えてもどってきたFWのディフェンス。左サイドで米長と前をむいてボールをキープした木之本が並ぶ。手詰まり。
……試合前に法水にミドルシュートがあると警戒されなかったのは、ここ最近FFAが苦戦していなかったためだ。
パスワークは冴え法水が無理に遠くからシュートを撃つ必要がなかったという。
シュートがもっとも決まりやすいのはDFとGKの間で放たれるシュート。その位置でシュートを撃つためには中央をパスで崩さなければならない。
その崩しがアカデミーのサッカーだ。
ゆえに法水にチャンスを独占させはしない。法水が警戒されればゴールから離れマークが薄い味方を使うという戦法をもちいる。
そのほうが法水頼みのサッカーより確率が高い。今日のアカデミーの攻撃は後者のパターンが多かった。
プレイしているエリアは左寄り。
ゴール前に人数はいないがその分パスのだしどころは多い。
ボールを持っているのはゲームメイカーの米長とインクルソーレの木之本。
選択は無数にあると思われたが……敵選手の配置がなんとも巧妙だ。ボールを奪いには行かないが、すべての有効なパスコースは切られている。
このゲームは最初からそうだった。パスをつなごうにも、相手は同じくボールゲームを指向するチーム。
守るときもこちらの考えを読みとりポディションを修正する。足元に出そうと前方のスペースを狙おうと。二人は一秒何もできない。
……そして法水も代表レヴェルの選手を相手にすればフリーでシュートを撃てない。
前半には鬼島が、後半には大槌がそれぞれアタックを潰している。
佐伯はボールを持たない米長をケアする。
木之本にタイトなマークはないが前へ走りだした瞬間別の選手がつくだろう。
ボランチが木之本に寄せてくる。
後方の黒髪が声でそれを知らせた。
木之本がやむを得ずゴールから斜めに遠ざかるドリブル。
余裕はない。前からボランチが奪いにかかる。
(そのボランチを追いかけるように法水が中盤に下がってきた)。
(米長が三歩バックステップ。佐伯のマークを外した)。
(法水は体の正面をゴールにむけパスを待つ)。
木之本は米長にパス。米長は倉木にショルダーチャージをうけたが法水に渡した。
ボールを持った11番以外の味方はすべて死に駒になる。当然代表のディフェンスが全方位から襲撃
するも間にあわない。
法水は、
このゲームで初めて、
足元に置いたボールを、
誰にも邪魔立てされることなく、
全力で蹴る。
ボールの真横に軸足を置く。
ミートポイントはインサイドのくるぶしのすぐ下。
撃つのではなく押し出すイメージで。
三人のスライディングが飛んできたのは、FWがフォロースルーを終えてからだった。倒されながら法水は放ったシュートの行方を見守った。
本人にもどう変化するか、完全には予想できない。
無回転。
GKから見て左へひだりへ滑っていく。
マリオは二度横にステップしなんとか追いすがる。そして当たってくれとばかりに右手をふる。
空振る。
ボールはポストをかすめ外れた。
立ち上がりながら法水が「シーーーーーーーット!」と叫ぶのをピッチ上、半分の選手が耳にしている。
……佐伯が倉木と米長の間に立っている。
ゲームが止められたこのいわば隙間の一時。佐伯自分の役割を理解している。うまく二人を仲裁し事を大きくしたくない。
このゲームはこれからなのだから。
主審が倉木のファウルを流したのは、米長がパスを成功させたためだ。
接触の瞬間。
米長は腕を広げ、倉木を近づけさせまいとしていた。
代表のエースはそれをかいくぐり懐にはいっている。そのうえで元々低い重心をさらに下げキープしていた米長をふっとばしたのだ(ファウルをもらいに倒れるような米長ではない)。
古野は倉木に注意をしたが、けっして悪質なボールの奪い方ではない。(ファウルの基準がアマチュアほど厳しくない)プロのリーグ戦ならそのままプレイオンになっていただろう。
そのことは米長にも分かっている。憤怒の念をこめた顔つき。佐伯が前に立つはずだ。
米長は自分に怒っている。フィジカルコンタクトに絶対の自信を持っていた米長だが、倉木の力は自分のはるか上であった。
サッカーに必要とされるインナーマッスルを鍛えても、その変化は現れにくい。誰の眼にも倉木の体は分厚くないように映る。
だが彼は自分のサッカーが要求する筋肉を練習メニュー外のトレーニングを肉体に課すことで実装している。そうでなければあの体勢で米長が倒されるはずがない。
倉木一次は今現在最高の選手であるはずだ。
倉木一次にはそれでもさらなる高みを目指す必要があった。
倉木一次には人生を、サッカーを楽しむ義務があるのだ。