エロ本
●前回のあらすじ
ついにキスをしました。
知っての通り、私・山本は三条さんのことが好きである。
私は彼女のことを尊敬している。女神や聖母を想うように彼女を想っている。崇拝と言ってもいいだろう。
彼女の精神は清らか、それでいて芯がしっかりある。たおやかになびく美しい髪や、スラっと伸びた脚。
彼女の側に居られるだけで幸せだ。
少なくとも、つい最近まではそう思っていた。
彼女に頬にキスされてから、どうも変な感じがする。
前から髪や脚は気になっていたけれど、今は胸とか臀部とか唇に目が行ってしまう。
呼吸のペースが乱れ、身体が火照り、全体的にムズムズする。
認めたくないが、私は三条さんに欲情しているのだ。
純潔さの擬人化のような彼女に汚い欲望を焚きつけることが辛い。
自分の部屋とか、一人きりの状況でムラっと来るのは仕方がない(罪悪感はある)。
でも学校とか電車とか、本人の目の前でそういうことが頭に浮かぶのはキツい。
自分が最低な生き物な気がしてくる。
【エロ本】
朝。
電車に乗っている最中は出来る限り三条さんのことを考えないようにして、溢れんばかりの肉欲を抑えた。
三条さんが話しかけてくる度に彼女の口を私の唇で塞ぎたくなる衝動に駆られたが、気合で耐えた。
あとは窓の外にある木とか田畑をひたすら眺めて、『あれは木だ』とか『あれは米を育てる田んぼだ』とか……とにかく脳をそっち方向に行かないように努めた。
途中で『ピンクのお城の形をしたホテル』が目に入ったが、自分の手首を一周捻って正気を保てたのでよしとする。
そんな訳でいつも通り、教室で二人きり。
この色々マズい状況を打ち破るべく、私は鞄から秘策を取り出す。
「山本、なにそれ……?」
「父親の部屋から持ってきた鉄アレイ」
「学校に持ってこなくてもいいんじゃ」
「朝の時間を有効活用しようと思って」
右手で鉄アレイを動かしながら左手で単語帳を捲る。
左手で鉄アレイを動かしながら右手で教科書の例文を写しとる。
健全なる精神を健全なる身体に宿す。
いつも40キロの物を持ち上げていたから5キロくらい余裕かと思ったが、腕の力だけで5キロを動かすのは疲れるものだ。
それでいい。それで悪い考えから離れられるなら、なにも辛いことはない。
「予習するか筋トレするか、どっちかにしたほうが集中できるんじゃない?」
「いや、そんなに悠長にやってられないんだよ」
「へぇ……」
本当は三条さんと話したいけど、そんなことをしたら確実に興奮してしまうので止める。
「身体鍛えるならバランス考えて鍛えないと、上半身だけムキムキになって下半身が……」
「下半身!?」
下半身のことは今忘れようとしていたのに!
「あああああ……ダメだこの方法……・」
「あれ、もうやめちゃうの?」
「効果ないみたいだから何か別の方法を考えるよ」
ちくしょう……!!
『下半身』という響きだけで心が跳ね上がる自分が情けない。
不思議そうに私の顔を覗く三条さん。
私が脳内でどんなことをしているのか知ったら、どう思うのだろうか。
自分一人ではどうにもなりそうにないので、不本意ながら他人の知恵を借りることにする。
「吉田ぁ、この辺に禅寺とか滝行できる場所とか知らない?」
「なんだ唐突に……」
「例えばさぁ……キリスト教で神父がいるじゃん?」
「禅はどこに行ったんだ」
「神父が教会にいて……神父だから聖母マリアのこと崇敬してて、マリア像とか眺めたときにさぁ……」
「うん」
「欲情したらどうするんですかねぇ……?」
吉田が固まる。
「……は?」
「いや、私もそういう状況にあって……」
「ちょっとその状況が分からないんだけど」
「ああもう、三条さんにムラムラしちゃって堪らないって話だよ!私が!」
ムラムラするんだよ!
さっきの体育の授業とかも!
息が上がってる三条さんが性的に思えて堪らなかった!
「お、おう……別にムラムラすんのは山本の自由だろ。山本は神父じゃないし」
「でも三条さんは女神だから」
「そ、そうか……じゃあどうにかしないとな……」
「そこで知恵を借りようと、こうして吉田に頼んでるわけだよ」
「三条さんに直接言えよ……」
「言えるわけないでしょおおおおおおおおおお今せっかくいい感じの関係築けてるのに言うわけないでしょおおおおおおおおおおおおおおお」
基本的に隠し事をするつもりは無いし、『言いたいことは遠慮せずに言っていい』と三条さんに言われている。
だからって私は超えちゃいけないラインが分からない程バカじゃない。
「っていうか山本レズなのか……なんとなくそれっぽいとは思ってたけど」
「さあ……?よく考えたら性に目覚めたのが三条さんだから分からないや。あ、吉田には興奮しないよ私」
「別にいいけど何か腹立つなお前……」
そういって吉田はスマホをいじって、画面を見せた。
「こういうのに興味は?」
画面には若い男性アイドルの画像。
「えぇ……なんか弱そう。私が腹に一発打ち込んだら沈みそう」
男性ミュージシャンの画像。
「ドラッグやってそう」
歌舞伎役者の画像。
「灰皿でテキーラ飲ませてそう」
女性アイドルの画像。
「あれ、プロデューサー家に泊めた人まだ居るの?」
「こんなの好きになる人居ないでしょ。吉田、真面目に考えてくれよ……こっちは真剣なんだよ……」
「いや、真面目に考えてさぁ……お坊さんにしても神父?牧師?にしても、性欲抑えようとしてるけど」
「うん。だから私も彼らを見習って……」
「そういう人たちって最終的に……少年愛を主張し始めたりして、男児に手を出してない?」
あぁー、そういうイメージあるなぁ……。
でも少年愛?中二の弟が家に居るけど、どこがいいんだあんなもの。
「じゃあ私は女だから少女愛に逃げたらいいの?それともレズだから少年愛?」
「いや、そうじゃなくて、性欲は無理に抑えようとしても無駄だってこと。滝も座禅も」
「でも抑えないと襲っちゃうじゃん」
「……抑えなくても欲望を発散させたらいいんだよ」
……?襲うってこと?
「本人を目の前にして変な気持ちが湧くのは、そういう欲望が溜まってるからでしょ?だから別のものでエロい気持ちを発散させんだよ」
「成る程……でも三条さん以外で欲望を解き放つのもなぁ……それって浮気じゃない?」
「んなこと言ったって、世の中の大半の人間は恋人を持ちつつ、エロいやつも持ってるもんだし」
そういうものなのか。
「誠実さに欠ける気がするんだけど」
「襲うよりは誠実だろ……。まあこれ以上私に言えることは何もないから後は自分で頑張れ」
難しい問題だ。
このまま欲望を抑え続けるのは多分、できそうにない。(愛の力でなんとかなりそうにない)
性欲を発散させるのは恋人としては正解なのかもしれないが、三条さんはその辺の人と違って女神だから代替物なんて存在しないだろう。(三条さん2号は飽くまでも三条さんのことを考えるためにあるので代替物ではない、あれも三条さんである)
三条さんで性欲を発散させたら、これから先どんな顔を合わせればいいのかわからない。
……とりあえず放課後に本屋でエロ本でも見に行くか。
「三条さん、今日の放課後は本屋に寄ってから帰るので先に帰って頂くことに」
「え、本屋なら私も行くよ」
かわいい顔で私を見る三条さん。
違うんだよ三条さん……私はあなたのような知識欲を満たすために本を探すんじゃないんだよ……
「いや、結構時間かかるかもしれないしー、遅くなったら親御さんが心配するだろうからー、私一人で行きます」
「別に本屋に寄った程度で心配しないでしょ」
「……」
結局、人生初めてのエロ本購入は好きな子と一緒に行くことになった。
情けない話だ。
「じゃあ私、雑誌コーナー見てくるから……」
「うん」
「三条さんも、どこか好きなとこに……」
「あ、うん。適当に見てくる」
さて、無事に三条さんを追い払えたので、私はそそくさと成人向け雑誌コーナーに移動する。
見られたらお終いだ。とにかく使えそうな本を探す。
どの本も表紙には色々丸出しの女の人が載っている。親が見たら泣きそうなポーズで。
フケツだと思うが、世の中にはこういう汚れ仕事も必要なんだろうなぁ。
やたらと胸の大きい人(異常なレベルで大きい)が表紙のヤツをかき分け、上品っぽさがあるヤツを見つけ出す。
セーラー服姿で、若くて小柄な人が表紙の本。
……エロ本のくせに『清純派』って書いてあるのはどういうことなんだ。
ビニールで閉じられてるから中身が分からないが、どうせ乱れまくっているのだろうに。
さっさと買おうと思ったが、ここである疑問が浮上する。
どうせエロい本を買うならめちゃくちゃ下品なヤツにしたほうがいいのでは無いか?
汚い欲望は汚い本で発散したほうがスッキリするような気がするし、中途半端にお上品なエロ本を買っても欲望を完全に発散しきれなかったら意味が無い。
三条さんからかけ離れたイメージじゃないと、読みながら彼女のことを思い出してしまいそうだし。
しかし、あんまり好きじゃないなぁ……丸出しのヤツ……
好きじゃないけど肉欲全開!って感じがするからスッキリするのかなぁ……
でもやっぱり別ベクトルの本で発散するのは浮気っぽいよなぁ……
清純派(笑)とドスケベ本、もしバレたら清純派(笑)のエロ本のほうがマシか……?
いや、『バレたら』って考えがダメなんだ。墓場まで隠し通さなくては。
悩んだ末、清純派のエロ本とドスケベなエロ本の両方を買うことにした。
両方欲しかったんじゃあない、単に両方買ったほうがリスクが減るからだ。
値段を見たら清純派の方はドスケベの2倍の値段であることが判明して軽くムカついたが、財布の中身で足りそうなので今はさっさと買って鞄にしまうことが先決だ。
今、三条さんは近くに見当たらない。店の奥の方の文庫本コーナーでも見ているのだろう。
レジにはアルバイトの青年が立っている。
よし、あのお兄さんならエロ本に理解がありそうだ。もし理解のないオバサン店員だったらネチネチ言って売ってくれないだろう。
レジに2冊の本を出す。一応清純派を上にして、重ねて出した。サンキュー清純派。
レジの兄ちゃんがバーコードを読み取るため本をひっくり返すと、裏のほうにはアダルトサイトの広告か何かが出ていた。
えええ……そりゃ無いでしょ……
「あのー、お客様……」
「は、はひ」
声が裏返る。いいからさっさと売ってくださいよ!
「こちらの商品は18歳未満の方と学生服の方にはお売りできないことになっておりまして……」
「えっそんな、ウソでしょ」
「申し訳ございませんが……」
「あれ?だってホラ、みんな持ってるでしょ?こういうの……」
『お売りできない』ってどういうことだ…?
「店のルールですんで……」
「こっちは人生が懸かってるんですよ!?色々悩みに悩んで!コレしかないと思ったんですよ!?それなのにぃぃ……」
人の気も知らないで簡単に断りやがって……!!
小学生がスマホでエロサイトを見る時代に、何が『青少年健全育成条例』だ!!
子供が無修正ポルノ見まくってるのは放置で、私にはエロ本2冊すら見せないってどういうことだよ!!
馬鹿にしやがって!!ば、馬鹿にしやがって!!政治家は馬鹿しかいないのか!!
「18歳!?そんなに待てる訳無いでしょ!!私もう高校生ですよ!?性に目覚めた若者がそんなに悠長にやってられませんよ!!だ゛か゛ら゛こ゛う゛し゛て゛本゛を゛買゛い゛に゛来゛た゛ん゛で゛す゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛」
「そう仰られましても……」
!そんなことして私の人生に何かあったら責任持てるのか!?
「やまもと……?」
ハッ、この声は……三条さんのエンジェル・ボイス!!
「何か騒いでるみたいだから来たけど……」
「あわわわわ」
「とりあえずお店に迷惑だからどこか行こうか」
「あっ……ハイ……」
こうして初めてのエロ本購入は好きな子に見つかって失敗に終わるのでした。
私はもう終わりだ。死にたい。
帰りの電車の中。
「や、山本……えーっと、元気だしなよ」
後頭部に氷柱が刺さったような感覚がする。鼻の奥もツンとする。
軽く半泣き状態だ。鼻水が出そうになる。
私ってこんなに泣きやすかったかな……
「アレはお店のルールだったから仕方ないんだって!また別の店にいけば買えるんじゃない?本当はダメだと思うけど」
「ちがう……そうじゃない……」
もう見つかってしまったからには仕方がない。墓場まで持っていくとか考えていたが、どうしようもない。
死ぬ前に聖母に懺悔だ。正直に打ち明けよう。
「エロ本が欲しかったんじゃない……」
「じゃあ何であそこまで……」
「ウッ……本当はぁ、三条さんでえっちな想像……してたんだけど、それだと、悪いことしてるみたいだから、何とか別のことを考えようと、したんだけど、ダメっぽくて、三条さんと一緒にいたら、やっぱり変なこと考えちゃって、ヒック、本当は嫌なんだけど、ああいう本で性欲を発散させたら、邪念が消えるかと思っでぇぇ……」
「え、ちょっと待って、どういうこと?」
ああもう、本当に申し訳が無い。
「ううっ、だがらぁ……この間キスされてから三条さんに欲情するようになっでぇぇぇ……」
「山本、今まで欲情してなかったの!?」
「へ?」
あれ?なんだこの反応?
「何かと私にベタベタしてくるから、てっきりそういうこと考えてるのかと思ってた……」
「な、何故」
「教室の床に寝て犬の真似とかしてたし」
犬の真似……?
「そんなことしましたっけ」
「やったでしょ!服従のポーズとか言って!」
「あぁ、アレは一生をあなたに捧げるという意味で別にいやらしい意味では……」
「じゃあいつも帰りの電車で私が降りた後、私が座ってた場所に座ったり吊り革触ってウットリしてるのは?」
ウソ、バレてた!?でもソレもそういう意味でやってたんじゃない。
「それは一分一秒でも三条さんと一緒にいる気分を味わおうと……温もりを」
「はぁー……成る程、そうだったんだ」
「そうだったんです」
「え、じゃあ別に私で変なこと考えたらいいんじゃないの?」
「ちょっと何を言ってるの三条さん!」
「いや、私は元々山本がそういう風に考えてるもんだと思ってたし……私側は今までと変わらないじゃん」
「ん、んんん…?でもほら、フケツって思わない……?」
「別に好きな人にそういう感情持つのは自然だと思う。ああいう本とかはちょっとフケツな気もするけど」
ん?本気で言ってるのかな?
「え、じゃあ私が脳内で三条さんのこと脱がせてもいいの?」
「……人が頭のなかで何を考えようが自由でしょ」
「脱がすってアレだよ!?上着とかじゃなくてスカートだよ?」
「別にいいけど……下にハーフパンツ穿いてるし」
「上は制服で下がハーフパンツっていうアンバランスさに興奮してもいいの?」
「うん……まあ脳内なら自由でしょ……」
女神だ……なんて寛大なんだ……
こんな人に欲情してる自分は本当になんなんだ……
「なんだ、最近山本の様子がおかしいと思ったらこんなことだったの?」
「『こんなこと』って!私結構真剣に悩んでたのに……」
その夜、私は三条さん2号を抱きながら、脳内で三条さんをめちゃくちゃに……しようとしたけれど。
スカートを脱がせたり穿かせたりするだけでやめておいた。
悩みが解決したことでスッキリしたのか、そこまで欲求不満な気分でも無かったのだ。
(つづく)