キスと服従のポーズ
●前回のあらすじ
山本はポリタンクを三条さん2号にした。
「三条さん、おはようございます!付き合ってください!」
「おはよう山本さん……朝から元気だね」
5月。
連休明けの月曜日だというのに、山本さんは相変わらず私に告白するのでした。
【キスと服従のポーズ】
「や、やっぱり本物はいいなぁ……うへへ」
今日も山本さんは私に好意を伝えてくれます。
特にそれ自体は嫌じゃありません。
「あれ、今日の三条さん、匂いが違う……シャンプーか何か変えた?」
「別にいつもと同じだけど……」
「じゃあ服の洗剤が変わったのかも」
「どうなんだろう……」
山本さんは私のことをよく見てくれています。
本音を言うと、私だって山本さんのことは好きです。変な意味じゃなくて。
ちょっと変なところもあるけれど、一緒に居て楽しい人だと思います。
じゃあ付き合うか、と問われると……
なんというか「三条さん三条さん」と騒いでいる山本さんですが、それは単に私以外に友達がいないから「三条さん」と騒いでいるのであって、それが私である必要を感じません。
私以外の誰かが仲良くなっていても告白していたのではないかと思うのです。
それなら別に私以外の、もっと良い人と付き合った方がいいですよね。
私よりも、そういう意味での「お付き合い」に詳しい人の方が。
だから私とは友達のままで構わないと思っています。
その日の朝、ふたりきりの教室。
私は思い切って聞いてみました。
「山本さん、もし私と付き合ったら私との接し方は変わったりする?」
「えっ!?」
唐突な質問に、山本さんは顔を少し赤らめます。
「つ、付き合ったら……もっと恋人っぽい感じに……」
「恋人っぽい感じって……?」
山本さんは少しもじもじした後、覚悟を決めた表情で私を見ました。
「三条さんのこと、『マイハニー』って呼びます!」
「えええええ……」
マ、マイハニーって……
「あれ?ダメだった?割と世間一般の恋人イメージだったんだけど……」
「ハニーはちょっと……」
日本人にはハードルが高い気がします。
「うーん、他にイチャイチャ感が出る呼び方あるかな」
「そんなもの出さなくても」
「三条さんは『ハニー』以外だと何が思いつく?」
「ハ、ハニー以外で……?」
「うん、ハニー以外で、そういう呼び方」
「チェリーパイとかシュガーキューブとか……?」
別にそう呼ばれたい訳じゃあないんですけど、そういう呼び方って言うので思い浮かんだものを挙げました。
「なんかしっくり来ないなあ……私、あんまり甘いモノ好きじゃないし」
「そういう問題なのかな」
「好きな三条さんを呼ぶのだから好きなものの名前じゃないと相応しくない」
……。
話を変えましょう。
「山本さんは何か好きな食べ物ってある?」
「特に無いと思うけど……あっ、そういえば前から食べたかったものならある」
「何?」
「三条さんの食べかけ」
「せめて『三条さんの手料理』とか言おうよ」
「My something bited by Sanjo-san……(私の、三条さんによって噛まれた何か)」
「それなら普通に三条さんでいいんじゃ」
「盲点だった」
「そもそもハニーとか、なんで甘いモノなんだろう」
「たしか英語のsweetに『かわいらしい』って意味があったから、それに関係してるのかも……」
「成る程……じゃあやっぱり甘いモノじゃないとダメなのか」
山本さんにとって呼び方というのは重要みたいです。
でも、確かに『特別な呼び方』っていうのは二人の距離を縮める気がして素敵かもしれません。
「あっ、そういえば噛み続けた米って甘いよね……三条さん……」
「……」
何故だろう、距離が縮むどころか、私は距離を取りたくなりました。
その後も山本さんは電子辞書を熱心に叩きながら、ああでもないこうでもないと悩んでいます。
どうして英語なんでしょうか。
私の感覚だと仲の良い恋人達は、下の名前を呼び捨てにしたり名前からとったニックネームで呼び合っている気がします。
「呼び方は英語じゃないとダメなの?」
「別にオランダ語とかスペイン語、フランス語でもいいけど英語が一番メジャーかと思って」
「でもここ日本だし、日本語で呼べばいいんじゃ……」
「本当は日本語がいいんだけどねぇ……日本じゃ同性で結婚できないし……」
「結婚!?」
付き合う付き合わないの話が結婚の話に!?
「あれ、結婚前提で付き合おうって言わなかったっけ……?」
「初耳だよ!」
「でもまあ付き合ったら結婚するもんでしょ」
「私、『邪険にするのも可愛そうだしちょっとくらい付き合ってもいいかも』程度に考えてた……」
ウッカリ付き合う所でした……!!
「えっ付き合うのは良くて結婚はダメなの!?」
「付き合うことと結婚は別かと」
「それじゃ、ひょっとして飽きたら捨てるつもりだった……?」
山本さんの目がちょっと潤みました。
「そういうわけじゃないけど私達くらいの歳で付き合ってて、そのまま結婚ってのも珍しいと思う」
「……?そうなんですかね……?」
キョトンとした顔で私を見る山本さん。
「じゃ、じゃあ……世の中の高校生カップル達は……」
「そのうち別れて、別の人と結婚するんじゃないの」
「別れる理由がわからないんだけど……やっぱり相手に飽きてポイってこと?」
「そういうのもあるんだろうけど、卒業したら進学先が別で疎遠になって別れるとか」
「遠距離恋愛すれば……?」
「価値観の違いとか、相手の本性を知ってしまって嫌いになるとか、他の人を好きになったから別れるとか……」
高校生の恋愛なんてそんなものだと思います。(私もよく知りませんが)
「そういう状況になるのは容易に想像できるんだから、前もって対策してから付き合えばいいのに……別れたくて付き合ってんの?」
「うーん、でも対策の練りようがないし、仕方ない気もするけどなぁ……」
「よし、私達は付き合う前に対策を考えよう!」
「え、もう付き合う前提なの……?」
「だって付き合ってから問題発生じゃ別れることになるし」
こういう変なタイミングで強引に来られると、山本さんが小心者なのか自信家なのかわからなくなります。
「じゃあまずは進学先の問題から」
「あっ、本当に対策するんだ」
「三条さんはどこへ進学する予定?」
「一応獣医になりたいから獣医学部の予定だけど……まだ大学までは決めてないよ」
「成る程、私も今から頑張れば違う学部とかで入れるだろうし大丈夫だ」
「山本さんは山本さんの行きたい大学に行くべきだと思うんだけど……」
「三条さんの行く大学が私の行きたい大学です」
……。
まだ高1の5月ですし、何も言わないことにします。
「っていうか同じ所目指してても実際に行けるかどうかは別だし、離れ離れになったときのこと考えないとダメなんじゃ」
「うーん、離れてしまっても今どきは遠くに居てもインターネットとかで繋がり続けることができるのでは」
「それでも限度があるし、一緒に居ない時間が増えるから気持ちもすれ違ったりするんじゃない」
固定電話しかなかった時代も、郵便しかなかった時代も同じようなことはあったのでしょうし。
「なるほどなるほど、三条さんは一緒に居たい派か……まぁ私もそうなんだけど」
「……」
「まあそこは愛の力でなんとか頑張ればいいや」
「次は価値観の違いか……でも価値観は違って当たり前だよね?そこはお互いに察するものじゃないの?」
「人それぞれ譲れない所があるから仕方ないのでは」
「私は特に無いかなぁ、三条さんは」
「常識的なこと以外は特に無い……と思いたい」
そう思いたいですけど、こういうのってお互いぶつかるまで自覚なくて、気付いた時にはケンカしてるパターンですよね。
常識って言っても人それぞれ違いますし。
山本さんはちょっと常識に関してはアレですし……。
「まあ愛でどうにかしよう、何かあったら私が全力で譲れば」
「それはお互いの為にならない気が……」
「三条さんと居られなくなる価値観なんて捨てていい価値観だし」
「相手の本性で別れるってどうなんだろ、私は三条さんがどんな人でも受け止める覚悟は余裕であるから大丈夫だと思うけど」
「よくわかんないけど、思ってるより短気だったり、ワガママだったり、束縛が激しかったりで別れるパターンがありそう。よくわかんないけど」
「それなら三条さんに怒られても、むしろ嬉しいから平気平気。束縛も本望です、ワガママは全部聞きます絶対服従します」
「ええ……」
「じゃあホラ、服従のポーズ!服従のポーズ!」
そう言って山本さん……いや、『山本』は床に仰向けに寝て、お腹を出して『犬や猫が服従をするときにやるアレ』をしまし……した。
心の中で丁寧に考えるのもなんだかバカらしく思えてきた。
私の目に映るのは、最早四月の初めに教室の隅で大人しく座っていた『山本さん』の姿じゃあなかった。
「あっ、物理的な束縛でも私はいいよ!」
「……今ちょっと『本性を知って別れる』っていうのが、心で理解できた気がする」
「よし、最後は他の人を好きになって別れるパターンか……これはもう三条さん以外を愛することはないだろうから平気だね。」
「……もう好きにしたらいいんじゃない……?」
「え!?好きにしていいって!?」
「……」
私ができるかぎり冷たい目で、仰向けの山本(まだ床に寝ていた)を見ると突然山本は跳ね起きた。
「うっしゃあああああああ!!!!問題全部解決した!!これで付き合えるよ三条さん!!うっほう……」
山本が私の両肩を掴む。前にも一度掴まれたけど、今回はそれよりも力が強かった。
「ちょ、ちょっと待って!ちょっと待って!」
「もう立ち止まる必要は無いよね……!!」
うわっコイツ聞こえてない!
もう少しで他の人達も登校して来るし今の状況を見られたら困るので、私は山本の喉を突いて距離をとった。
「おうぇっ」
「あっ痛かった!?」
「大丈夫、気持ちよかった……かも」
「や、山本はさ、付き合ったら結婚するって考えてるんだよね……」
「そうで~す、えへへ」
「だったらもっと真剣に考えなよ!問題全部解決!とか言いながら『愛でどうにかする』ばっかじゃん!雑だよ!しかも私側のことほとんど考えてないし!」
「さ、三条さん……?」
「挙句の果てに変なことするし、そんなことしてて『私が他の人を好きになったらどうしよう』とか考えないの!?」
「えっ、あっ、おっ……」
あ、ヤバい、勢いで言い過ぎたかも。山本が泣きそうになっている。
「三条さん私の事嫌いになった……?」
「いや、そういう訳じゃないって……まだ好きだって……」
「グスッ、別に気を使わなくていいよ……」
ついに涙が流れた。さっきはあんなにグイグイ来て、あんなに興奮してたのに少し怒ったらこれか!
けっこう面倒くさいな、この人!
「そ、そんな凹まないでよ、ほら元気だしていつもみたいに告白したらいいでしょ」
「もうしない……これ以上三条さんに嫌われたくない……」
もう、本当に面倒くさい!
「嫌ってないって、本当に」
「嘘だ……」
面倒くさいけれど、泣き止ます手段がひとつだけ浮かんだ。
「嘘じゃない、嘘じゃないから」
「うぅ……」
「もう、顔上げてよ」
机に突っ伏していた山本が顔を上げる。
「ほら!これで信じるでしょ!」
顔を上げた次の瞬間に私は顔を近づけ、山本の頬にキスをした。
やってしまった。
人生で初めてのキスだけれど、頬だからはノーカウントだよね、うん。
軽くくちびるが触れる程度だったし。
「ほえ……?」
泣いてボロボロだった顔が、一瞬でポーっとした表情に上書きされる。
山本は何が起きたのかわからないという様子で固まりつつ、手で頬を撫でて……頬に残った唾液を舐めた。
「山本!?なにしてるの!?」
「おおぅ……本当だった……れろれろ」
「その手を舐めるのやめなよ!!もう山本の唾液しかついてないよ!!」
「わ、わわわわわ……私、この顔一生洗わない……!!」
「きたない!」
「えへへぇ~……何はともあれ、嫌われて無くて良かったぁ~私もう死んでもいいやー、うへへ」
泣き止ますことには成功したけれど、ここまで喜ぶとは……。
やっぱり、やるんじゃなかった……!!
「そろそろ他の人来るから席に戻って舐めるね~」
「もう何でもいいから、今のことは誰にも言わないこと。いい?」
「わかった。二人だけのヒミツってヤツだね!!」
結局今日も、告白をあしらうことが出来た。
今日はちょっと犠牲を払ったけれど……。
ひとつ確信できたことは、こんな人に付き合う物好きは私ぐらいしか居ないということ。
情緒不安定で、ちょっとバカで、めちゃくちゃ面倒くさい人。
山本との付き合い方が分かる人は多分この世に『まだ』存在しないと思う。
だから付き合い方はこれから、探していこうと思った。
帰りの電車。
「そういえば三条さん、今朝私の事山本って呼んだよね」
「なんかもう『山本さん』って感じしないし『山本』でいいやって思って」
「呼び方が変わると恋人っぽくてイチャイチャ感アップだ」
「……やっぱり『山本さん』に戻そうかな」
「えー、呼び捨てのほうがいいよー」
山本の大きな笑顔が私を照らす。
泣き顔よりも、こっちのほうが私は好きだ。
でも調子に乗っているので、少し意地悪したくなる。
「『山本さん』をこれ以上喜ばせるのも気が進まないしなぁ……呼び捨てって失礼な感じもするし……」
「呼び捨てが嫌なら『マイハニー』でもいいよ!!」
「それはもういいから……」
「え!?『マイハニー』でいいの!?」
「それももういいから……」
次回、山本がついに欲情!!