ジップロック
【ジップロック】
四月。
入学式から数週間経ち、女子高生としての生活にも大分慣れた頃、私は焦っていた。
友達を作りたい。
全く友達がいない訳じゃあない。幸いな事に、小学校の頃に仲の良かった吉田という子が同じクラスに居た。
私の苗字が山本なので、席も近い。これで孤独とは無縁の高校生活を迎えられそうだと思ったのも束の間、吉田がテニス部に入部して活動を始めてからは少し距離を感じるようになった。
吉田はテニス部に誘ってくれたが、私はテニスにも部活動にも興味がなかったので遠慮した。
そもそも私は大体の事に興味が無いのだ。趣味も無いので、休日はだらだらとテレビを見て過ごしている(好きな番組があるわけでもない)。4月の頭にクラスで行われた自己紹介の時は何か適当なものを趣味だといった。映画だったか、そんな感じの。緊張でよく覚えていない。
小学校の頃は、無趣味でもなんとかなった。問題は中学からだ。
私は他の人の趣味に興味がわかず、自分の趣味を他人と分かち合うことも無かったので自然と孤立してしまった。
興味が湧かないのは仕方がないと思っているのだが、孤独感が凄まじかった。また三年間、アレに襲われると思うとゾッとする。高校では同じ轍を踏みたくない。
そんな訳で、「誰か仲良くなれそうな人」が欲しかったし、他の人が持っている「熱中できるもの」も欲しかった。
そんな四月のある朝。
私は普段よりも1時間程早く登校した。前日にロッカーの中に置き忘れた課題を済ませる必要があったからだ。
課題のプリントを持った私が教室に入ると、そこには既に一人クラスメイトが居た。彼女も同じ事情を抱えた仲間かと思ったが、読書をしているのを見る限り違うらしい。私と彼女が仲の良い友達だったらプリントを写させてもらえたなあ、などと思いつつ私は席に着く。
教卓の正面の席に座っている彼女は窓際後方の席に座っている私を一瞥すると小さく会釈した。
私も挨拶を返すべきだと思ったが、初めて話す相手だったので緊張してしまい、何と言えばいいか考えて固まっている内に彼女は再び読書の世界へと戻ってしまった。
少し考えてみたが、朝の挨拶だから多分「おはよう」でいいだろう。
「あっ、おはよう」
おはようと言うだけで心臓がバクバクと動く私。声が裏返った気がする。彼女は不思議そうな顔をして私の方を向いた。読書の邪魔をしてしまったかもしれないと思い、私はこの数秒間を深く反省する。
「おはよう、それって数学の宿題?」
彼女は本に栞を挟みながら私に聞いた。
「あっ、昨日ロッカーに入れっぱなしにして、帰っちゃって、それで」
「へえー・・・、山本さんでもそういうことあるんだ」
山本さんでも、というのはどういう意味なのだろう。そんなことよりも名前を覚えられていたことが嬉しかった。
私は彼女の名前を知らないのに。
私が喜びをかみしめていると彼女はハッとして
「おっと、宿題やらなくちゃいけないんだよね、邪魔してごめんね」
と言ってクルっと背を向けると、また本を開いた。
その後、朝のホームルームまで課題に取り組んだが、彼女との会話について頭のなかで反省していたので全く捗らなかった。
その日の昼休み、私はいつものように友人・吉田と昼食をとる。
「そういや山本、あんた今朝電車で見なかったけど何かあった?」
「いやあ、前日に数学のプリントを学校に忘れてしまいましてね、それで朝やろうと思って」
「じゃあ教室一番乗りだったんだ」
「そうだと思ったんだけど、もう一人来てた」
「誰?」
「えーっと、身長が低くて・・・」
名前を知らんのかい、と吉田に突っ込まれながら私はどの人か説明する。
彼女は席で菓子パンか何かを食べていた。
「ああ、三条さんね。三条さんも宿題?」
彼女は三条さんと言うらしい。三条、三条・・・・。中学校の修学旅行で見た京都の上品な雰囲気が広がった。
「いや・・・知らないし聞いてない」
「相変わらず何にも興味ないのな・・・」
「そういう訳じゃないんだけど・・・」
彼女(三条さん)に理由を聞かなかったのは(というより聞けなかった)単に緊張していたのが原因である。
「へえ、山本も少しは他の人に興味持つようになったか」
「うーん」
興味がある、という意味で言ったと思われたので困った。
「違うのか・・・」
吉田が呆れ顔で言う。実際どうなんだろう。
「興味があるっていう訳じゃないんだけど、いい人っぽいと思うし、多少は気になるというか・・・」
「それは興味あるって言うんじゃないの・・・?まあ良かったじゃん、興味あるなら。もっと話しかけてみれば?」
無理無理。私は人見知りだ。
「何話せばいいか分からないし、そもそも向こうは私に興味ないかも」
「どうだろ、全く趣味が無いって人も珍しいから興味持ってくれるかもよ?」
「珍しがる人は多くても皆すぐに飽きてどっか行くんだよなあ・・・」
諦め顔の吉田が「まあそのへんは頑張ろう」と強引にまとめてこの話は終わった。その後吉田はテニス部の話をしていた気がするが、私は「大変だなあ」程度にしか思えなかった(我ながらひどいとは思っている)。
次に三条さんと話すのは何時になるのだろう。
三条さんが他の人と話していなくて、なおかつ周りにあまり人がいないタイミング。(そうじゃないと話しかけられる気がしない私)
それが来るのは一ヶ月後か、それより先になるのか。
意外なことにそれは数時間後だった。
部活に入らず、残ってお喋りする友達もおらず、図書室で勉強するほど真面目でもない私は、帰りのホームルームが終わるとすぐに帰宅する。学校から駅まで歩きで5分、それから40分の電車に乗って、駅から家まで自転車で5分、合計で小一時間かかる帰り道。ちょっと長いのだが、目指していた高校の通学路なので(私がギリギリ合格できた高校の通学路でもある)そこまで不満はない。それに、中学までは徒歩か自転車通学だったので電車通学だと大人になった気分もする。まあ、住んでいる場所によっては電車通学をしないで済む人もいるだろうが・・・
現に今、電車の中を見渡すと私立小学校の児童が見える。多少行儀が悪いようだが、まだ車内が空いている時間帯であったのでどうでも良かった。それに行儀が悪いのは3人程度で、他の児童は同じ学校の小学生でも大人しく座っている。友達同士で喋っていたり、本を読んでいたり・・・
「あ、三条さん」
本を読んでいた子は三条さんだった。三条さんの背が低いことと、制服の色が似ているために見落としていたのだ。
しまった、つい声が出てしまった。とっさに名前を呼ばれて驚いた三条さんが顔を上げる。
とりあえず手を振ってみたら彼女も振り返してくれた。彼女の手の振り方は皇族がするような、指の間を閉じて手首だけでする上品なものであったため、私はやっぱり彼女は「三条さん」なのだなあと思う。
三条さんは私の前まで歩いてくると床にカバンを降ろして吊り革につかまった。
「三条さん、良かったら座れば……?」
「うーん、そんなに疲れてないからいいや」
そう言って彼女は私の前に立ったままであった。170センチを超える身長を持つ私も、座った状態では三条さんよりも目線が下になる。
「それにこっちのほうが話し易いし」
三条さんはそうなのかもしれないが、私は心臓の鼓動を早めるばかりで話し易いと言える状況ではなかった。
私を置き去りにして彼女は話しかけてくる。
「この時間に電車に乗れてるってことは、部活には入ってないってこと?」
「うん、特に入りたいのが無くて・・・」
興味もないのに入っても邪魔だろうしなあ。
「あー、私も。この学校、中途半端にマジメだから文化部の数少ないんだよね。まあ私は図書委員会に入ったからいいんだけど。本好きだし。
そうだ、山本さんも本が好きだって言ってたっけ」
そんなこと言ったか・・・?記憶に無いことを言われ、私は焦る。
「あれ?クラスで自己紹介のとき言ってたような・・・違う人だったらゴメン」
「言った気もするけど、どうしてそんなこと憶えてるの・・・?」
話すのが辛いので声が震える私。三条さんは私の目を見て話すので、私はキョロキョロと視線を逸らす。
「同じ趣味の人かと思って。オススメの本の話とかできるかなー・・・と」
さて困ったぞ、三条さんは私の嘘に騙されて同じ趣味の仲間ができると期待している。いままで三条さんの膝に向いていた視線を彼女の顔の方へ向けると、きらきらとした瞳で私を見ていた。どうしたものか。
「最近はあんまり読んでないかな・・・」
最近は、というより最近も読んでないと言ったほうが正しいのだが、嘘はついていない。
「そっか・・・」
よし、なんとか回避できたぞ。
「そうだ!さっき読み終えた本が面白かったから貸すよ!」
彼女は床に置いたカバンの中を探り始める。車内の揺れに合わせて彼女もフラフラ揺れるので、少し危なっかしい。
「はい、よかったらどうぞ」
「わ、わぁー、ありがとう。」
どうしよう、コレ読まなくちゃいけないのか。
「何の本だろ、帰ってからゆっくり読もう」
これ以上話すと私の趣味が嘘だとバレそうなので、私はそそくさとカバンにしまった。カバーがついていて助かった。
もし、カバーがなかったら表紙のタイトルを見た私が「うへェー」って感じの顔になっていた可能性がある。
「山本さんは楽しみを後にとっておくタイプかぁ」
「う、うん」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そこから先は沈黙が続いた。三条さんは相変わらず私の目を見続けていたので、私も彼女の白く華奢な脚を見続けた。靴下の黒を影にして肌の白さが眩しい。
先に静寂を破ったのは三条さんであった。
「じゃあ私は次の駅で降りるから・・・そうだ、また何かあったら連絡したいから山本さんのメールアドレス聞いておこう」
「あ、携帯電話持ってないや・・・」
友達も居なかったし、携帯電話でやりたいことも無かったので私には必要無かったのだ。
「そっか、持ってないかー。そういうこともあるよね」
三条さんが困ったように笑う。家の電話番号でも教えようかと思ったが、電話のベルが鳴る度にヒイヒイ言うのも嫌なのでやめておいた。
そんな訳で、微妙な空気の電車は次の駅に到着し、三条さんとの時間は終わった。
私はそこから家に着くまで半ば放心状態であった。
家に帰って自分の部屋に戻っても、夕食を食べている間も、風呂に入っていても今日の出来事を思い出す。
夜。時刻は十時半過ぎ、普段ならベッドに入っている時間。
緊張で疲れていたものの、三条さんのことを考えるとドキドキして眠気が消し飛んだ。
そういえば、まだ借りた本を読んでいなかったな。私は洗面所で手を洗ってからカバンの中の本を取り出した。
文庫本より一回り大きいサイズだ。厚さは教科書よりも少し厚い。本屋のカバーに包まれているから、この本は三条さんの本であることがわかる。三条さんの本だ。
私はゆっくりと本を開く。こうして本を構えると、今朝の三条さんの姿が思い浮かぶ。今、私の親指が触れている部分は、数時間前に三条さんが触っていた部分でもあるのだ。
本の内容そのものは気にならなかった。
ただ、
「ここを読んで三条さんはどう感じたのだろう」「三条さんはこういうものが好きなのかな」
・・・そんなことを考えている内に、気がつけば左手の親指が抑えるページは無くなってしまった。全く興味のない本であったが、私は読了したのだ。
今までに無い、とても幸せな気分だった。下着に腋汗が染みてビッショリしていたが、本当に幸せな心地がした。
何かに夢中になるってこういうことだったのか。
今日、私は「熱中できるもの」と「仲良くなれそうな人(上手くいけば)」の両方を見つけることが出来た。裏表紙とページの間に、三条さんの頭髪も見つけた。私の硬くて真っ黒な毛と違って、三条さんの髪の毛はふんわり柔らかく栗色をしていて綺麗だったので、私はそれを慎重に摘むと失くさないようジップロックに入れることにした。
私の部屋は、パイプベッドに椅子と机があるだけの、何もない空間。ここに便器があって、窓と扉に鉄格子があったら完全に刑務所である。そんな空間に、栗色の開放感が突如として湧いた。
明日は私から話しかけよう。