否(いな)やのない話
このような華やかな宴席は苦手である。
そう言えば、昔の兼を知るものならば笑うかもしれない。
「ただ今は、賊を追っているときでございますゆえ、ご容赦いただきたく」
そう断りを入れたが、それはあっさり退けられてこうしている。
「おまえにひきあわせておきたいお方があるのだ」
強引さでは人後に落ちない叔父「四条内府」の一言であった。
めったとこのような席に出てくることのない兼の姿を見た、出席者は一様に驚きの声を上げた。
「これは珍しい、「桜花少将」がお出ましとは」
「兼どのを引っ張り出してこられるとは、さすがに丞相さま」
「相変わらずお美しい、都の女子たちの噂が絶えぬと聞き及んでおりまするが」
出席しているのは皆兼よりも高い身分の貴族ばかりである。
それらの人々が話しかけようとしながら、その冷たさにも似た兼の視線を受けてたじろぐ。黙って杯を口に運んでいても頭の中は賊のことと薫子のことであった。
「宴席はお嫌いですか?」
横に座って同じように杯を重ねていた若者がそっと声をかけてきた。
どう見ても自分たち二人が場違いなのは明らかである。
「失礼いたしました。如月 兼さまでしょう?」
穏やかな声と笑顔が兼の冷たさを跳ね返しそうな気がする若者・・
「お妹君にお会いしたことがございます。確か、薫子さま・・と。あなたにとてもよく似た美しいお方でした・・」
薫子の名が出て兼の細い眉根がわずかに寄せられたのを、気にも留めぬようにして低い声で笑った。
その声にどこか聞き覚えがあるような・・・
「わたしは葛城 雅貴と申します。義康殿の友人です」
「葛城?・・あの?」
「どれをさしての、「あの」かは存じませぬが、おそらくはその葛城です」
(これか・・)
叔父のひき合わせたい相手とはもしかしたらこの男ではないのか?
さりげなく叔父を窺えば、口元にわずかな笑みを浮かべてこちらを見ている。いやな予感がする・・・
「薫子さまは中宮様のもとへまいられたとか、あの闊達な姫にはあの女達の妬みやそねみの中で生きられるはお辛いでしょうね」
「宮中のこと御存じなのですか?」
「はい、春宮さまのお側におりますゆえ」
春宮付きとは聞いていなかった。学生とばかり思っていたのだが・・
「わたくし、兼さまの御父上より学問の手ほどきを受けたことがございます。よき師でありました・・何度かその折にお目にかかったことがございましたよ、あなたに」
兼の頭の中に警戒警報が鳴り始めた。子供の頃の自分を知る相手は危ない
警戒していた兼は突然に、話題の真ん中へ投げ込まれてしまった。
最初何のことかは分からず、自分のこととも思ってはいなかった。
それが・・
「「桜花少将」どの、春に春日の宮で舞われるとやらききましたぞ」
呼びかけられて自分のことらしいとは思ったが。
「何のことでございますか?」
問い返されたほうが戸惑い、叔父の方を見た。その視線を受けてその人は否やを言わせぬ口調で断言した。
「そなた、春に春日の宮において雅楽を奉納する舞い手に決まったのよ。曲は「陵王」」
春日の宮とは、春日大社のことそこで毎年催される宴では楽所から舞い手によって雅楽が奉納される。
「今年は久々にそなたの舞いが見たいと、中宮さまのお望みでな。決まったからには稽古に出てまいれよ」
反論は不可能である。しかも、中宮さまのお声がかりと来ては、否の返事はないに等しい。
(冗談じゃない!!そんな暇があるか?!)
それは一朝一夕にできることではなく、少なくともすぐに始めなければ間に合わない。
「「桜花少将」の「陵王」はさぞや美しいでしょうな。女子が大挙して春日の宮へ集まりましょう」
「龍頭の仮面は邪魔だと言われましょうの」
勝手なことを言いながら盛り上がる貴族たちを冷たい視線で一瞥し黙らせたが、叔父はどこ吹く風である。
(そうか・・俺に拒否させぬために仕組んだことか、これは・・)
これだけの人々の前で申し渡されればいくら兼でも拒否はできない。
叔父の作戦勝ちである。美しいだけにその目が見せる冷たさは人をひるませると言われる。その兼の視線を受けながら「四条内府」は悠然と杯を重ねていた。
兼の舞うことになる「陵王」ですが、名高い演目です。龍頭の仮面をつけ朱色の衣装で舞われます。北斉の勇将・高 長恭の曲です。「蘭陵王」と呼ばれた美貌の人であったとか・・この像は宮島へ渡るロータリーにあるので見た人もあるかと思います。晴れた空の下で舞われる「陵王」は、それは美しいです。機会があれば一度は見ることを奨めます。