「小督」由来(こごう・ゆらい)
お吟の許には様々な情報が集まってくる。
こんな商売をやっていれば裏のことに敏感でなければやってはいけない。
ましてや、この若さでここまでやっていられるのは、それなりのつながりがあってこそのことである。
そのお吟の許に、最近、兼のことを嗅ぎまわっているらしい存在のあることが、あちこちから入ってきていた。黙ってこの世から消してしまってもよいのだが、今回の相手はすこしやっかいであった。
その厄介な相手が今目の前にいる。
先日たまたま、一緒に動いたことがあったが、それ以外ではあまりかかわりあいたくない相手なのだ。
ただでさえど目立つ異国風な風体で、ちらりとお吟を見て意味ありげに笑うのは、「泥棒市」の元締め「綺羅」。
「あなたがここへ来るなぞ・・珍しい・・ここには女の子はおりませんよ」
「そうらしいな。だからお前に相手してもらいたいが」
「話し相手くらいになら・・」
最初にびしっと言っておかなければ変な誤解は困るのだ。
「それで結構」
それでまた黙ってしまう綺羅に不安なものを感じる。
「先夜のこと、覚えていよう?」
忘れられるはずがない・・とは、言えない・・
「あのとき、仮面の男が言ったこと、済まぬが気になったのでな・・」
やはりそのことか・・と、思ったがお吟は何食わぬ顔をしていた。
表情を変えないお吟に少しいらだったような綺羅の言葉が続けられる。
「小督と言ったな・・どこにでもある名だろうが・・女ならば。ただ、男の奴がそのような女名で呼ばれるなぞ、不自然すぎる」
「そのようなことはございませぬよ。現に薫子ちゃんは人から「薫の君」と呼ばれることもございますゆえ・・」
その返しがうますぎて笑い声を上げてしまった。
「薫子の場合は自然すぎる。誰も否定はできぬ。だが、兼の場合は別だ。あれほどの男ゆえな、「小督」という名がどれ程の時が過ぎたとて、人の記憶から消え去ることは難しいものらしい・・」
無表情のままお吟は腰の後ろに隠している小太刀に手をかけていた。8
「昔、たいそう美しい白拍子がいたそうな・・口数少なく舞いの名手であったとか、何人もの貴族たちが想い寄せ振られまくったとか・・たくさんの伝説を残していたが、ある時からその消息が消えた。どこかの貴族の想い女になったらしいとか噂はあったがな・・その、美しい白拍子の名が「小督」であった・・」
皆まで言い終わらないうちに、綺羅に向かってお吟が跳んだ。
その場に押し倒した綺羅の上に馬乗りになると、抜き放った小太刀を迷うことなく、その首筋ぎりぎりに突き立てる。
「それ以上言えば、あんたでも・・殺す!!」
それが本気だと思ったのは、胸にのしかかっているお吟の目が修羅場をかいくぐって生きてきた男の目であったからだ。
「・・何がわかる?そうや・・「小督」は昔天寿丸が子供のころに生きるために名乗った名前や・・そのこと、誰にも言うな!言えば、殺す!!」
押し倒されたままの綺羅は身動きしない。お吟のなすがままであった。その綺羅の手がゆっくりと上げられ、指先がお吟の頬に触れた。
殺気立っていたお吟の感じたものは、その温かさ・・
「・・つらい思いをして生きてきたのだな・・お前たち二人・・」
その言葉に、お吟の心の中の何かがプツンと切れた。
泣くか、笑うか、怒るか・・どれも違う・・
天寿丸と支え合いながら生きてきたようなものだ。大人達に頼らず生きることを望んだ結果、起こってしまった様々なことは心の中にしまっていただけに、辛かったことがたくさん思い出される。
「簡単に言わんといてよ・・きれい事やないんやから・・」
綺羅の体から離れ、小太刀を収めてお吟は何度もそう繰り返した。
こうして今生きていることが不思議なくらいだった日々。忘れようとしていたことが、思いがけず現れたことに、言いようのない不安を感じる。
それは、たぶん兼自身もそうであろうとお吟は思う
兼の過去を知る人物が現れたことはそれほど、危険なことでもあったのだ。
書きながら、いいのかなあ・・?何だか違う方へ行かないように修正しながら進めます。